2006年06月21日

ここはどこの惑星だ?





これで最後?チベ日記34
門士ーツァンダ


さあ完全にカイラスモードから気分も一新ってなわけでまだまだ西へと進む我々5人組。



えぁ、みぃなぁさま〜、

次なる目的地はおよそ1000年前、アジアの真ん中に花開いた仏教王国「古格(グゲ)」の面影をたどる「歴史の旅」になっております(バスガイド風)。



高校で世界史を選択した人でもたぶん聞く機会のなかったような、テスト的にはちぃっとも重要でなく、チェックペンも蛍光ペンも引かれないような王国なんだけど、かといって見る価値がないかというと、それはもっと大変なお門違い。


このグゲ王国こそ、チベット中央部(ラサ中心ね)で一時すたれてしまった仏教が新たなパワーを経てホップ・ステップ・ジャンプしたという、まさにチベ仏復興運動(ルネサンス)の場所。


このグゲ王国。数百年の栄華を誇った間に版図をもりもりと拡大、インドまで約100キロという地政学的な状況もあって今のラダック、スピティ地方まで広がるチベット仏教圏の基礎を築いたと言ってもいい、わたしたち旅行者にとってもありがた〜い存在。


そんな場所である限りは、歴史好きとして行かないわけにはいかないではないか



実際のところ本日はそのグゲ遺跡近郊の町「ツァンダ」までの移動だけしかなく、それだって「明日のグゲのためには1日くらいがまんしてもいいよ」ってな心持ちだったんだけど、何をおっしゃるウサギさん(古)。


本日も素晴らしいコース料理が用意されてるじゃございませんか。


峠を越えるとそこには富士山よりも富士山らしい雪山がぽっかり。

うん。「チベット富士と名付けよう」。


さらに峠を越えると、サトレジ河に沿って一面に広がる奇岩をパノラマチックに見渡す展望台。



「うわぁ〜、なんじゃこりゃぁ〜!」


まさに神様のイタズラとしか言いようのない複雑怪奇な世界。

写真を撮ることも忘れて数分間、ただただ呆然と立ちつくして眼下の風景を眺めるばかり。自分の中での効果音楽はやはり「未知との遭遇」。



今回の旅では色んな光景を眼にすることができて、特に美しい山々にはこれ以上ないくらい幸運な出会いをしてきたんだけど、悪いけど感動の度合いは今この瞬間が最高かもしれない。



さらに車は谷へと下っていき、その奇岩の中をくねくねと進んでいくから「たまらないモード」はとうに沸点を超えちゃったみたい。



土林.jpg

◎参考写真:灰色の岩に囲まれた世界と見上げれば真っ青な空。ただそれだけ


「これは完全に惑星探索疑似体験の屋外博物館やね」


わがiPod Shuffleから突如流れてきた「思えば遠くへ来たもんだ(by海援隊)」も異次元的にいい味を出して「遠くに来すぎでしょう(笑)」と、わたしの心に響いてきたのでした。



そんな感動の余韻に120%浸りながらツァンダの町入り。


でもやっぱりございましたよ、町に入る一本道を封じる「検査站」の看板。
車を止めると隣接する小屋から漢族とチベット族の警官計2人が登場。


形式だけの取り締まりかと思えば、この上司らしき漢族のしつこいことしつこいこと。


与えられただけの権力を傘に少しのミスも見つけてやろうとするあら探しモード120%の小役人。

色々難癖をつけた挙げ句、検査小屋にパサン(ドライバー)を連れ込んだり、わざわざ再び外に出てきて携帯電話でどこかに連絡を取ってる姿を我々にもPRしたり、とにかく30分くらいの足止め。


やりとりはよく分からなかったんだけど、「免許証」「期限」「忘れた」なんて単語はわたしの耳にも届いたんで、免許証の期限が切れてるわけはないんだけど、どうやら旅行に関する運転の何かが足りなかった模様。



ようやく30分ほどたって解放されたんだけど、


「200元(約3000円)もとられちゃったよ」

と半べそなパサン。


せっかくのコスモポリタン、コスメティック、コスモティックになってた気分を害された我々も、


チベットの端っこにまできてなんでこんなくだらん茶番を見なきゃいかんのか


と半怒り、思わずさっきの検査小屋に戻って小役人の角刈りをぐりぐり、ぐりぐりしてやりたくなる衝動に駆られたのでした。
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2006年06月20日

カイラスの垢は温泉で




これで最後?チベ日記33
カイラス山—ティルタブリ(門士)



「だ〜れだぁ、こんなとこでキャンプなんてしようていったのわぁ」

「…わたしでしたね」



と一人ボケ一人つっこみをしてももう遅いカイラスコルラの最終日。

すかっパレの初日、曇り&粉雪まじりの2日目。そして一面の雪景色にて3日目が始まってしまったのね。



昨晩。

ゴンパに隣接する宿に寝床を確保した他の三人と袂を分かち、


「せっかく最後の晩なんだから、大自然に抱かれてやる」


と意気込みあまって近くの河原にテントを張ったわれら日本人2人組。


別に男2人狭い空間に体を接して寝ようが、なんかの動物にテントのロープとかをしばしばかじられようが大して気にならなかったんだけど、


テントに降り積もる雪の音で目が覚めたのが午前3時ごろ。


「う〜ん。すぐ止むだろう。お休み」


しんしん、しんしん。


(…えっ、まだ降ってる?)


しんしん、しんしん、どさっ!


(もしかして、かなり積もってらっしゃるの?)



雪でテントがつぶれるかも

とか

明日1日このテントに缶詰かも

とか、

最悪ダルチェンまでの途中で誰か遭難するかも



いろいろイマジネーションはわくんだけど、それもなんか夢心地風味。

実際に外に出てみて降り具合、積もり具合を実確かめてみればいいって話なんだけど、暖かい寝袋を出るほどのモチベーションにはならず。まいっか。再び、お休みなさい。



夜が明けてみると、雪は降り続いていたものの、積もり具合は5センチ程度だったし、添い寝してた山の専門家によれば


「道が消えて見えないことはないし、標高が下がれば自然と雪はやむはず」


という何とも力強いお言葉。


ああ、それはありがたい。
それでは脈絡ないけど、みそ汁でもどうぞ。

二人っきりなのをいいこと(≒メンバー4人にあげるのはちともったいない)に、秘蔵していたレトルトみそ汁を取り出し、日本的に体を温めたところで、コルラフィニッシュに向けて最後の山歩きをスタートさせたのでした。



考えてみりゃ本日は全行程ほぼ下り坂、しかも10キロもないくらいなんで、天候くらいはアクセントがあってよかったのかもしれない。



結局、舞いふる雪の中をちょっと気合いを入れて歩いていたのって実質1時間くらい。

その後はSHUHEIさんの言葉通りに雪雲のエリアを脱け、歩を停めて振り返るたび、悠然と霞に包まれた雪山や青空に映える美しい雪景色なんかを堪能できたりしたんで、こりゃこれで儲けもんでしょう。



コルラ最終日.jpg

◎参考写真1:こんなにいろんな光景を数時間のうちに堪能。ほんと、ぜいたくですな


最後の方なんて実に軽快、「もうこれで終わりなの」なんて余裕も出てくるくらい。


で気が軽くなると口も軽くなって、言いたくなったことが一つ。


こらっインド人。せっかく聖地にゴミは捨てるなっ!


このカイラスコルラ中、「バックパッカー」といわれる人種には洋の東西を問わず一人にも会わなかったんだけど、その分何十人と出会ったのがサガ県にて初めて登場したインド、ネパールからのグループ。

彼らのマナーの悪さといったらもう最悪。

お金持ちなのは知ってますよ。
ポーターを雇ったりコックを連れ回すのはそちらの自由。

でも、巡礼路のいたるところにわたしの大好きなマンゴージュースの紙パックを放り投げているのはいただけないでしょう。


とにかく目立つのよ、このマンゴー紙パックは。
毎数百メートルに落ちてりゃ、マンゴー好き以外だって気付くっちゅうねん、しかし。


巡礼路が終わる4キロほど手前に大量のランドクルーザーを待たせ、颯爽とマナサロワール湖方面に消えていく彼ら(インド隊)を見届けながら、そんな小言を口にしまうのは、やっぱりカイラス巡礼を終えて罪を清めきっても、性格までは変えられなかったかもしれないっすね。



で、とにもかくにも我々5人組も「自力」にてコルラを終了。


おめでとう。コングラッチュレーション!



旅のアカは温泉で落としましょうね、とあえてこの日もさらに50キロほど移動。


門士の町近くにある聖地「ティルタブリ」に赴き、霊験あらたかな温泉に疲れを癒そうかと意気込んでみたんだけど、それがしっかり本日のオチになってくれるからありがたいのありがたくないのって(悲)。


再び小雪の舞い始めたチベット高原。



ティルタブリ.jpg

◎参考写真2:目の前には直径2メートル、深さ40センチほどの小さな池。

底の方は若干ヘドロっぽい緑色。周りには洗濯石けんの袋なんかも墜ちていて、最大のセールスポイントは35度くらいとぬるめの温度。


誰も入ろうとしない…

それどころか今にでも車に戻ろうとする態勢…


だから、わたしだけが荒野にオールヌードをさらけ出すこともできず。


…せっかくここまできたんだから、せめて足湯だけども。


って思うのが普通なのにね。


まあ、そんなこんなで旅の垢は落とせなかったけど、性格も直せなかったけど、「カイラスコルラ」は無事終了。これまでの罪は見事に消えきったことだけは大声でみなさんに報告させてもらいますわ(善人宣言)。
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2006年06月19日

下を向いて歩こ〜う♪





これで最後?チベ日記32
カイラス山コルラ


カイラスを一周すればそれまで犯したすべての罪が清められる



マニ車をまわせば経典を読んだことになる、人は死ぬと魂だけが輪廻の世界に戻って残された肉体に意味はなくなるのだから鳥に食わせる(鳥葬)、なんてのと同じ。

この「カイラスみそぎ」説も実に合理的なチベタンらしい考え方だけど、さすがにすべての悪行三昧がご破算にするためにはそれなりの苦労が必要なようで…


カイラスコルラ前半が山の神々しい姿に感動する旅だとしたら、後半戦はまさに巡礼路らしく「苦行」がちゃんと手ぐすね。


実質コルラ2日目となる本日、ルート半ばに待ち受ける標高約5670mの峠「ドルマ・ラ」越えこそ、もっとも大きな試練だと思われがち、言われがちなんだけど、はっきり申しますとその通り。


でもそれ以外だってなかなかおつなもの。
要するに、本日はすべてが試練のようなものでしたな。

こんなに明らかになった部分じゃ悪行の少ないわたしなのに…。



実はさ、別にそう苦しいわけじゃないのよ。
もう平たく歩く分にはね。


思った以上に高度順化に成功したみたいで、たとえ5000m以上のエリアであっても平たい場所であれば20キロの荷物を担いでも何とか大丈夫。



ただし、やっぱり合い言葉は「下を向いて歩こう」。


「上を向いて歩こう」は絶望につながるのみ。



見上げればほら、とっぺんがどこにあるのか分からない急峻な坂道。

こんなもん見上げ続けてたらどんなMVPプレイヤーだって恐ろしくなってべそかきながら家に帰ろうかというもの。


凡人は凡人らしく自分の足下、常に一歩先だけを見続けて生きていきましょう。
それだったらどんなけわしい坂道でも大変だとは思えないものっすから。


そんな無言の合意があったかどうかは分からないけど、とにかく我々5人はゆっくりゆっくりと「胸突き八丁」までの道を歩き続け、無情にも舞い始めた雪にも負けず、そして無事、「胸突き八丁」のてっぺんに到達してしまったのでした。



ドルマ・ラ.jpg

◎参考写真:地元チベタンだって結構気合いはいるみたいね、このドルマ・ラは



はぁ、終わったね。後は今晩の宿泊予定地まで楽しいハイキングを楽しみましょ



ってスムーズに行くわけないよね。


ドルマ・ラを越えてすぐに始まる急な下り坂。


ちょうど降りきったところでひとまず休憩しましょうか、とリュックを降ろしたわたしを含めた先行隊3人組。


で、いつまでたっても降りてこないSHUHEIとSONIAの日韓コンビ。

これまでも一番高地順応がうまくいってなかったSONIAがはぐれないよう、常に彼女の後ろ、つまり最後尾から隊を見守ってきたSHUHEIさん。


「それにしても遅いよね」


なんて話していたら、ようやく見上げる岩の影に2人の姿。


「Hey,いったい何やってたんだい?」


そんな気楽な質問なんてとうていできないほどに険悪な雰囲気がぷんぷん。


「ねぇ。きいてよ。SHUHEIはわたしを子ども扱いにして、ずっと後ろをついてくるの。ホントほっといてほしいのに。別に私がどうなって死のうと他人には関係ないじゃないの。それなのに『まだ休むな』『もう少し歩いてから』とか、まったく面倒だわ」


と誰もが反対意見を述べる気になれないくらいの堂々とした爆弾発言。
もちろん、超困り顔のSHUHEIさん。


あらあら。ドルマ・ラ越えちゃった途端ここまで本能剥き出しにしちゃって


と珍しいものをみるときの超興味津々モードに入っちゃったわたし。


最大の難所こそ越えちゃったものの、その後も目的地までは10キロ以上の道のりが残ってるってことで、状況を素早く察知。後続常連組の2人+わたしを待つことなく、一目散に出発してっしまったオーストラリア&スコットランドカップル。


まあなんて賢いこと


さらに雪も本格的に舞いだしたりしたから、われわれ、この超マイペース韓国人お姉ちゃんを置いてはいけないけど近づいてもいけない。

まさに腫れ物に触る、いやさわれないくらいの微妙な距離感で彼女をエスコートし続けなければいけないという状況。


「後どれくらいでつくの」


というかなり大きいこれ見よがしの独り言が聞こえれば、先乗りして地元チベタンに残りの距離を尋ね、


「まだなの。ホント疲れたわ」


というかなり大きいこれ見よがしの独り言が聞こえれば、先乗りして地元チベタンが開いているテント式喫茶店でミルクティーをオーダー。



うん。これこそ過去の罪を帳消しにする巡礼に相応しい苦難の道なんだ


と思ったわけ、分かってもらえるでしょう(笑)。



それにしてもまるまる10時間を歩くことになった本日の巡礼。


人生とはなんぞや、段対抗とはなんぞや、国際交流とはなんぞや


こんな三点セットをまともに考える機会を与えてくれたカイラスにはとにかく感謝、感謝。
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2006年06月18日

豪華カイラスざんまい




これで最後?チベ日記31
カイラス山コルラ(一周トレッキング)


「アジア最強の聖地巡礼」


チベット仏教の聖地、ヒンドゥー教の聖地、ボン教、ジャイナ教でもこれまた聖地と、とにかくいろんな宗教の人たちがあやかりたがるほどに神々しいのがカイラス山(チベット名:カンリンポチェ)。

チベット自治区西部、インド国境からも程近い{アジアのへそ」にあって標高は6656m。



だからこそ、宗教的にさほど熱心でないわれわれにとっても、その山を訪れるのはいわば上記のように「アジア最強の聖地巡礼」という大人のミッションに「済」マークをつけるための大きな壁。

特にわたしにとっては一般大衆にもわかりやすく説明してあげるなら「越すに越されぬ大井川」だったというのは先日の日記のとおり。



そんなよこしまな心を持つ旅人たちにもこの聖山は懐の深さを見せてくれるもの、身をもって知らせていただきました。

カイラスでは山の周り時計回りに巡礼「コルラ」するため、その巡礼路が用意されてまして、走行距離約52キロで標高4670〜5670m。


本日は「山見物」がメーだったんだけど、まるで某スーパーの懐かしき「閉店間際の大セール」なみ、過去数千年間にわたって各宗教関係者も魅了してやまなかったその神々しい姿を惜しげもなく披露してくれたのでした。もうとにかくいろんなカイラススポットを堪能よ。



カイラス初日.jpg

◎参考写真:ど〜だ〜っ!山好きも海好きも、インドア派だろうがカイラスには白旗



まずはコルラをスタートして2時間。

昨日のうちにたどり着いてたタルボチェ。つい数日前のサガダワの際に張りかえられたばかりのタルチョがおびただしく風にゆられているようすは荘厳。

残念ながら曇り空のためにカイラスは拝めなかったんだけど、それはあくまで昨日の話。

…無人の小屋の中にテントを張らせてもらって迎えた朝。


のっけからの120%のカイラス西面。
とりあえずのスーパーサイヤ人どころか、いきなりフュージョン済で登場するくらいの圧倒的パワー。



その西面を少しずつ角度を変えていき、なめまわすように眺めながら巡礼ルートを北上。



おおよそ8時間で、もっとも偉大な北面に到着。


もちろんこの間の天候は著しくはれ。


カイラス北面を真正面に眺めるゴンパ(お寺)に宿をとり、



「ふう。なんて充実した一日だったんだ」


と思うのはまだ早い。

すでに午後6時を過ぎているとはいえ、地理的にはインドのニューデリーの真上に近い場所。体感時間はまだ午後3時を回ったくらい。


「もう一暴れしてもよろしいんじゃないんでしょうか」


と向かった先は、ずばりカイラス北面。

眺めてるだけじゃ満足できないって?


「いやぁ、ぼく、カイラス北面に触ってきましたよ」


とかつて自慢気に話していたレンイエン(日本の大学復学中?)の言葉をずっとうらやましく思っていたんだもん、だって。


おなじくどうしてもカイラスの氷河が見たいと無言のダダをこねていた氷河研究家のSHUHEIさんといっしょに、今度は南に方向転換、さらに約300mの上りに挑戦したのでした。



すでに標高は5000mを超えていると思われるエリアまでやってきてるわれら。


本当だったら一歩も歩けないくらいに疲れているか、高地の影響で容易に動けないような状態にあってもいいんだけど、なぜかとってもアドレナリンとから元気が体からあふれておりまして、


勾配が40度くらいありそうな斜面を上ったり、氷の川をわたったり…


とにかくひたすらでかくなっていくカイラス山を見るのを心の支えにちんたらちんたら登ってただわけだけど、いかんせん、手前にある丘陵や山の稜線が邪魔をして肝心なカイラス氷河の姿がなかなか拝めない。


「ここいらは完全に氷河が作った地形なんだけど温暖化の影響でどんどん後退してるみたいだね」


とは専門家のご意見。
とにかく、


「つぎのモレーン(堆石)を越えるまで。あの丘の上にたどり着くまで」


と三十路男と五十路男がけなげに互いを励ましながら、とうとう、やってまいりました。

目の前に広がるはカイラス氷河。


カイラスの北面からこんもり、どでんと突き出したその姿は目の前まで迫ってみるとやはり途方もないでかさ。


とりあえず山男の血が騒いでか氷河に上ろうとするSHUHEI
とりあえず酒飲みの血が騒いで缶ビールをあけるMAKOTO


とにかく標高約5300m、あとから到着したTOMも加わって、聖地のなかのこれまた最高の聖地にて、思い思いの時間をすごすことに成功したわれわれだったのでした。
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2006年06月17日

10年ぶりリベンジ達成




これで最後?チベ日記30
パヤン—カイラス山


とうとうここまできてしまいました。

本日は念願のカイラス山入り。


でもさ、

その前にどうしても越さなきゃ壁があるってこと、たぶん誰もご存知ないことでしょう。


実は10年前の5月、今と同じようにカイラス山を目指し、旅行者をトラックの荷台に詰め込んだだけの超いいかげんツアーに参加したわたし。


とても道路と呼べないようなでこぼこ道に尻を痛めながら
ズボンを三枚重ねばいても底冷えのする寒さに凍えながら、
当然荷台まで侵入してくる砂ぼこりに外の景色を楽しむ余裕もなく


とにかく修行のような4日間をすごしてでも、「アジア最高の聖地」というネームバリューだけにひかれてカイラスを目指したというのに、その結末こそ、パヤンの集落を出発して百数十キロ。


橋もかかっていない凍り付いた川に行く手を阻まれ、そこで丸一日粘ったものの、単なるぼろトラックには氷解を待ってわたるには水量が多すぎ、氷の上をわたれるほど頑丈な厚さでもなし


ってなわけで、カイラス山を前にした約100数十キロ地点にて泣く泣くラサに引き返したのでした。


もちろんそのときの十人すべてが引き返したわけじゃなく、強引に徒歩で川をわたったアメリカ人とオランダ人の2人がいて、


「あの人たち大丈夫だったかなぁ。それともおだぶつさんになっちゃったかなぁ」


なんて思ってた新彊ウイグル自治区はカシュガルにて、無事カイラス参りを果たした彼らと再会。

だからこそ余計に、このカイラス行きは悔やまれる思い出、のどの奥に引っかかってた魚の小骨として、わたしの華麗な経歴にきざまれた唯一屈辱の傷。

ネクタイをしめて仕事に精をだしてるときも、一周り近く年のはなれた同学(クラスメート)たちと机を並べて中国語をゼロからはじめたときも、


「この無念、けっして晴らさずにおくべきか」


というのは当たり前のめりの野望だったわけね。



まあ、昔話に花を咲かせるのはそのくらいにして…



本日も「あの時」のようにパヤンを出発したのは夜もあけきらない午前7時。


で、何度かのスタックを経てようやく夕方にたどり着いた「あの時」に比べるとそうとう早く、10時半にはあの川べりに到着。何せランクル「テンジーナ」すっから。


10年前のことなんだし、記憶なんてあいまいなわけなんだから分かるだろうか



なんてことはまったくの杞憂。鮮烈によみがえってくるさまざまなシーンを経て、あっさり例の場所にたどり着いたんだけど、なんと、あの川には豪華な橋がかかっておりました。



だから懐かしの風景をゆっくり眺める余裕もなく、同乗者の誰に思い出話を吹聴するひまもなく、「テンジーナ」はわたしにとって未知の世界に突入。


まず、橋を超えて2、3キロの場所に公安の検問所発見。
かなり厳しい旅行許可証のチェックがあって「ここを抜けるのはちょっと厳しいかな」という印象。


さらにそこからは上りが始まって、それはラサ—カイラス間でもっとも高い峠「マユム・ラ(約5220m)」への道。



マユム・ラ.jpg

◎参考写真1:思い出の川、新しい検問所。そしてマユム・ラ…が過ぎていく



もちろんそれまでも4500以上の高原を突っ走っていたわけだから、それほど高い峠を超えたという印象はなし。



いよいよ「カイラスエリア」に突入してしまったね


という満足感&高揚感に浸りっぱなしだったんだけど、ここまで天候には95%以上恵まれてきたわれわれの行程にももっとも肝心な段階に入って文字どおりの「暗雲」。

峠の上から眺めるカイラス方面、超高級じゅうたんも驚くくらいのふかふか分厚い雲におおわれておりました。


これだけボリュームある雲だとちょっとやそっとの風じゃ吹き流せないらしく、その後約3時間のドライブを経て、とうとうカイラスの懐まで到着したてもまだ、まわりはドンよりした雰囲気。

当然山の全景など拝めるはずもなし。雲も向こうにかすかなシルエットが見えるだけ。



「おいおい、ここまできてそんな『ちらりズム』はいりません。

リベンジは一度で結構。もう3度目の正直はないってのに…。これから3日間のカイラス一周トレッキング、どうなるの?」


さあ、いったいどうなるんでしょうねぇ(他人事風)。



ファーストカイラス.jpg

◎参考写真2:とにかく第一インプレッションはこんな感じでありまして…
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2006年06月16日

通訳ってどっちの味方




これで最後?チベ日記29
サガ—パヤン


パサン(以降パ):俺はもう6年間ドライバーをやってきているが、どんなグループだっておまえたちほど時間を守らないやつらはいなかった。あの中国人だって遅れることはなかったんだ。なぜ出発が送れるのがいけないのか。もし途中で車が故障したらどうなる。無人の荒野じゃ行きかう車もなくそこで夜を明かすことにだってなりかねない。早く出発できりゃその分交通量もまだ多いんだ。分かるか。じゃあここまで訳せ


わたし(以降わ):6年間のドライバー生活でわれわれほど時間を守らないグループははじめてだっていってる。何でそんなに時間を気にするかっていうと…


トム(以降ト):オゥ・マイ・ガッ!よりによって俺たちが最低のグループだってさ。一番言っちゃいけない事をいっちゃったよ。たった10分や20分の遅れたグループがほかにまったくいないって?それよりこのドライバーだって出発に遅れたことなかったっけ?


わ:(だからわたしの説明はまだ途中でしょ。その10分20分っていう数字の問題よりも、遅れても何も気にしないっていう気持ちの問題を言ってるんだと思うんだけどねぇ)


ツアーも始まってから一週間近くがたてば、グループ(代表:オーストラリア人トム)とチベット人ドライバー(パサン)との間にはいろいろ不満やうっぷんも積もるわけで、それがとうとう爆発してしまったのが昨夜のこと。


サガの町に到着したもののなかなか宿が見つからない。


「町の中を車で流してくれ。その間に宿を探すから」


というトムに対して、パサンは「そんなのはオイル代がかかるから追加料金を払え」とまあ、ありえないお答え。


それまでも両者間の通訳を務めてきたわたしとしては


「あああ、とうとういっちゃいましたね」


だったんだけど、ほかのツアーグループには寝耳に水だった模様。


そんなわけで、何とかありついた宿の一室では、


「なぜドライバーはあんなに怒ってているのか」


とわたしにいろいろ逆取材攻勢。

こちらもいろいろと考えられる要素、遅刻の常習のことや運転中に写真撮影のために何度も車をとめさせること、ちょっとした意思疎通の食い違いからドライバーは昼飯を韓国人女性に譲ってあげたのにその女性は「ありがとう」の一言もなく当然のように振舞ったこと、などを説明したんだけど、それはどれもグループメンバーにとって驚天動地の事実。


もうほんと、周りに気を遣いすぎる自分がまるで異質な存在みたいに思えて、逆に反省しそうになっちゃうんだけど、



とにかくツアーは残り10日以上あるわけで、このままではいけない


というまあ妥当な結論に達し、本日朝、ドライバーを交えて「腹の底を見せあった話し合い」が開かれることになったのでした。



ところがとにもかくにも話し合いは冒頭のような調子。

感情の高ぶりを抑えられないもの同士、ただでさえつたないわたしの通訳(中→英、英→中)をすべて聞き終えるよりも早く、さらに火に油を注ぐような発言をしちゃうわけだから、まとまる話もなかなかまとまらず。



サガ-パヤン.jpg

◎参考写真:閑話休題。チベットののどかな風景にてささくれだった心を癒しておくんなまし


パ:俺はおまえたちの命を預かっているんだ。だから安全な運転をするためにも早めに目的地について翌日に備えて休憩をとる必要があるんだ。


わ:早く目的地につけば休憩をとることができるわけで、翌日も安全に運転できる、といってるけど…


ト:何言ってんだ。昨日夜中までほっつき歩いて1時前に帰ってきたのはどこのどいつだ。そんなんで十分休憩が取れたって言うのか!


わ:昨日あなたは夜の一時前に帰ってきた、といってる…


パ:俺が酒でも飲んでたというのか。そんな真夜中まで車のメンテナンスをしてたというのに…。いったい誰のためを思ってやってるというんだ


わ:車の修理をしてたそうだけど…


ト:…まあそういうことなら。けどわれわれにはまだ半分以上のツアーが残っているわけだし、俺たちもそう態度を帰るつもりもない。このままドライバーを続ける気があるのかどうかを確認してくれ


わ:Hey,They want you to make sure...


ってな具合で多分正味20分。

かなり頭の中が混乱してきちゃったわたし。中国語を話さなきゃいけないドライバーに対して思わず英語で語りかけてしまったところで、一同大爆笑。


そんな強引な力技で落しどころにもたどり着き、わたしの初会議通訳の仕事は幕を閉じたのでした。


当然ながら、もうこんなこと二度とごめんでござる。
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2006年06月15日

印度人あふれるサガ県




これで最後?チベ日記28
ディンリ—サガ

この数日間、われわれがたどってきたのは主にネパールへと続く中尼公蕗とその周辺の道だったんだけど、


そのまま進んでちゃ当然ネパールに抜けちゃうわけで、西へ西へ進むにも若干の工夫が必要。


ってなわけで、ラツェを出発した日に別れを告げた新蔵公路(ウイグル自治区へと続く道)へと軌道修正するのが本日のご予定。


1時間半ほど最後の中尼公路をドライブしたわれわれはランドクルーザー「テンジーナ」を右折させ、新たな8000m峰「シシャパンマ」を左手にのぞみながらとにかく突き進む大高原ルートに突入


したとこまではよかったんだけど…


なぜかここにきて不穏な動き。


見渡す限りの大平原、孤独に渋く滑走するランドクルーザー「TENZINA」


のまわりには同じく砂塵を巻き上げながら走る豪快四輪駆動車の姿。まるで限られエリアせわしく動き回るアリんこのよう。


確かに風景だけだったら超一級品とはいえ、中尼、新蔵両公路をつなぐだけのような日本でいう県道級の道路をこれだけのランクルがどしどし行き交っってるのは、どうも腑に落ちない。



しかもどのランクルもわれわれの「テンジーナ」よりも性能が上らしく、いつのまにか大平原に取り残されたのはわたしらだけ。



でもそれはある意味、ほっとしながら神秘の湖「ペンクン・ツォ」のターコイズブルーを堪能。



ディンリーサガ.jpg

◎参考写真:3方向から眺めたシシャパンマ。そして美しいペンクン・ツォなどなど


さらに湖畔ではシシャパンマ降ろしの強風にカップ面の袋を飛ばされながらも愉快なランチを終え、


「なかなかアウトドアっぽくない?」


などと再び車内にて余韻を楽しみながら、今晩の宿泊地「サガ」に到着したのが午後6時ごろ。


このサガって町は、シガツェ地区東部にあるサガ県の中心地。こんな中国のはしっこの県とわれらが佐賀県との間に何の関係もあるわきゃないんだけど、やはり県民としては気になるところ。



だから、街中の様子も特に目を凝らして眺めてたんだけど、な〜んか異常。



「あのぅ、歩いてる人たち半分ちかく。妙にほりが深くないっすか、そうインド人のように」


確かに超田舎の都市だから通行量自体も両手両足の合わせ技で数えられるくらいってこともある。


でも、こんな多くのインドっぽい人たち、インド以外で見たことありまっせん。もちろん佐賀県でも見たことはなし。


いったい何が起こってるんだ。間違ってインドに迷いこんだのか。はたまたインド人の強制移住が始まったのか。


想像力はいろいろ働くんだけど、実際のところ彼らはわれわれと目的を同じくする同志。仏教の聖地であると同時にヒンズー教の超メジャー神様「シバ」の住まいでもあるカイラス山を詣ようとする連中、つまりは純然たるインド人たちなのでした。


そんな聖地カイラス巡礼は現在の印度・ネパールブルジョワたちにとってステータスであるらしく、昼間に目にした多数のランクルたちもみな、南方面からカイラスを目指すインド人たちであったというからくり。



おかげさんでサガの町は完全な宿不足。5、6軒をたずねた挙句にようやく町はずれにベッドを確保できたわれわれ。


それにしても中国でこんなにインド人を見るなんて、ねぇ。


中国とインドのミクスチャーが始まればどんな強烈な化学反応が起こるのか、ってのはわたしにとってかなり興味深いテーマなだけに、この日の光景はかなり新鮮な経験でしたよ。
posted by 牧場主 at 00:00| 北京 | Comment(0) | TrackBack(0) | またまた旅に出ました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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