2006年06月28日

サキャはなかなか大物




これで最後?チベ日記41
シガツェーサキャ


「お嬢さん、落とし物ですよ」


大正ロマン漂うシルクハットの紳士が言いそうなきざなセリフを言おうかどうか20分ほど迷ったサキャ行きのバスの中。


わたしの右斜め前に座った女性が2人。
偶然にも日本人。

1人はウーパールーパー風で窓側のシート。
もう1人は韓国人風の身なりで通路側のシート。


どうも元々の知り合いがバスの中で偶然再会したらしく、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃとくっちゃべり始めてからかれこれ数十分。


日本語とはこんなに他愛のないものだったのか


と思いつつも、すぐ近くから聞こえる自国の言語を抹消して、その他周りのチベット語、中国語だけを厳選して聞けるほど器用なはずもなく、

ちょっといやらしいかな、と思いつつ久しぶりの日本語の洪水に耳を傾けていたわたし。


そんなとき、通路側の女性が何気なく床に捨てたのが、バスに持ち込んでぱくついてた小籠包の袋。で、2度目が飴の袋。


う〜ん、困った。

注意してもいいもんだろうか。


「落とし物ですよ」


なんていって、しらけた眼をされたらこっちが恥ずかしいし、今までずうっと日本人だってこと黙ってふたりの会話を聞いてたこともばれちゃうしなぁ

でも、ポッシェから顔をのぞかすテディーベアーと平気でポイ捨ての態度は、あまりにアンバランスだしなぁ


そんな悩める男一匹30代。

で、またチラッと彼女らの方を見やると、ウーパールーパーの方も「ぷかぁ〜」と紫煙をくゆらせてるじゃあないの。


あちゃぁ〜、こっちもだよ。日本じゃ絶対やんないだろうになあ


中国でも北京や成都など都会の方ではすでに「バス車内は禁煙」とはっきり明示してあり、はっきり違反者は違反者だから、注意されればやめなきゃいけない。

でも田舎の路線になればなるほどそのマナーもいい加減になって、中田舎だと「禁煙」と書いてあっても運転手が率先してるし、大田舎になっちゃうとそんな注意書きすら皆無。すなわち煙の無法状態になっちゃうわけ。


そんな公共心についての教育は中国の最も苦手な分野だろうけど、中国に入ってたった1カ月や2カ月そこらの彼女らがここまで短期間のうちに「中国に染まってしまった」姿を見やり、若者の適応力の早さに驚くとともに


わたしの2年近くはこれでよかったのだろうか


と考えてしまったわたし。


目的地まではまだまだ道半ばどころか5分の1程度。結局はヘッドホンにて耳栓、音楽を聴いて自分の世界に引き籠もってしまったのでした。



で、サキャに到着。

これまでのよしなしごとがほんとどうでもよく思えるほど見応え十分の町だったからやっぱ旅の神に感謝。はっきり言って寺としてはギャンツェ以来の感動ね。


サキャゴンパ.jpg

◎参考写真:さあ見てちょうだい。大物チックな雰囲気がもうぷんぷん。匂うような


そうそう。

サキャについて何もまで説明しておりませんでした。


ここはチベット四大宗派「サキャ派」の総本山、その名もズバリ、サキャ・ゴンパ(薩迦寺)の門前町。

しかもモンゴル帝国が世界を席巻した13世紀に元帝国の保護をうけたことから、チベットを政治的に治めただけでなく、この時期を以てチベット仏教はいわゆる「チベット」を飛び出して中国やモンゴルにまで信徒を広げたわけだから、アジア宗教史的にも歴史の転換点となった場所でもあるわけ。


でさらに、川を挟んで北寺と南寺があったサキャ・ゴンパのうち、南寺の方は例の文化活動の際にも奇跡的にその被害を免れ、多数の貴重な文献、仏像、壁画が残されているというまさにお宝の山。


そのサキャ南寺の入場料は45元(約700円)。

安くはないけど、3日間有効というのが気に入った。


それくらい腰を据えてみないと全部は見切れないんじゃないの


という挑戦的なにおいがプンプンする。
もちろんこっちが勝手に思ってるだけだけど。



でも、さすがに四大宗派の総本山というだけあってその規模は壮大。

本堂には10m近い仏像が何体もどかどか座っているし、サキャ派を象徴する灰色と赤色で塗られた周囲の城壁なんて高さ5m以上、正方形の一辺は100mもあるんだって。

そりゃあたまげるよ。


それに昼の3時過ぎという一般参拝者がほとんどいなくなった時間帯だったことも、余計にそのでかさがしみ入る理由だったのかもしれない。


もちろん、あまりにでかすぎることは観光客にとってはもろ刃の剣だってことも実感。


例えばお堂の中。

小さな明かりじゃ天井近くの壁画やなんかはちぃ〜っとも見えまっしぇん!


たぶん色んな芸術品が眠ってる小部屋の数々。

管理が大変なのは分かるけど、鍵かけっぱなしで近くに誰もいなけりゃあきらめるしかないじゃ〜ん!



という泣き言も口に出てくるくらい、ここだったらどん欲に見て回りたい、と思わせるサキャ・ゴンパでありました。
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2006年06月27日

ひさしぶりの独りたび




これで最後?チベ日記40
サガ−シガツェ


とうとうお別れの朝。

約20日間行動を共にした4人と旅路を分かつときがやってきてしまいました。


じめっとよりさらっとが好きなんで、ギリのギリまで何も言わずにだまって荷造り。リュックを背負って部屋を出るときになって初めて、


「じゃあ、先に行くから。まぁ地球のどっかでまた会うだろうし、ね」


と70年代ハンサムボーイ並みのさわやかさ。


たぶん頭の中では「カトマンズのピザと冷えたビール」で充ち満ちた4人に熱く、暖かく送り出していただいたのでした。


ところで、

たかが食いもんだけのためにサガからランドクルーザーを飛ばして1日で国境を越え、カトマンズまで行ってしまう予定の彼ら4人組なんだけど、実はわたしのほうがより長距離な移動ををするつもりってことはご存知でしょうか。


わたしの目的地はシガツェ。
サガからの距離は約450キロ。


8時に出発するバスが8時に到着するという、ドラえもんの「どこでもドア」でもない限りは丸々半日12時間かかるという強行日程。


さらにわたしの方にはもう一つ問題があって、ツアーグループの旅行許可証をもつドライバーとも分かれちゃったわけで、検問所があった場合、ここはまだ外国人非開放地区。非常にまずい状況(拘束&罰金)に陥ることだってあるってこと。


ところが招かざるものほど引きつけるフェロモンを身につけてるようで、そのヒヤヒヤポイントはすぐ町外れにあって、バスに乗ってからたった10分後には到来。


「乗客は全員身分証を持って検査場の方に行ってちょうだい」


とバスの運転手が一言。



いい加減な検査だったらいいなぁ、と思いつつ、パスポートじゃなくて西南民族大学の留学生証の方を提出してみたんだけど、あっけなく


「これじゃくてパスポート。あと旅行証も出せ」


だって。小手先は通用せず。
それじゃ仕方ありません、と


「わたしは正規のツアーに参加してたんですが、旅行証はガイドが持って行ってしまいました。彼らはネパール、わたしはラサ方面に行くもんでして…」


正直に申告してみると、どっかに携帯電話をかけ始めたものの、会話はチベット語にて二言三言にて終了。


「行ってよし」

となったのでした。

わたしが根っからの正直者だったからよかったのか、それともラサに戻る方向だったからよかったのか、それとも単に最近のチェックは甘くなってるからなのか


それは神のみぞ知るわけだけど、もし機会のある人、「ガイドが許可証持っていった」は結構使える言い訳かもよ(笑)。



さてさて、その後もチェックポイントは2カ所あったものの、特に厳しい雰囲気はなく余裕の通過。


ただし、移動自体はもう暇を通り越して生き地獄の様相。わたしもあえて生ける屍、冬眠状態に入ってしまい、窓から見える景色も乗客たちの会話もわたしの感情をオールスルー。

唯一感情の起伏があったといえば、検問所でのやりとりを見ていてわたしが中国人ではないと知ったドライバーが


「外国人は中国人の料金の2倍だ。本来なら150×2で300元だが、特別に200元でいい。だから今追加で50元払え。前の外国人は300元払ったんだぞ」



と言ってきたときくらい。

ほんと、よけいなエネルギーを使う価値もないくらいしょうもない「小者チック」なドライバーで、とうぜんそれも


「彼は彼。私は私。バカなこと言うな」

で終了したのでした。


そしてまた休眠状態…



…めでたくのシガツェ到着は予定ちょっと遅れの午後8時半。



サガーシガツェ.jpg

◎参考写真:「まずい(不好吃)!」と主張する店の門をくぐるにはまだ体力回復の道すがら


10年ぶりに訪ねた老舗安宿テンジンホテルは高級感をかなりまし、まさに


シガツェ版「ヤクホテル」を目指しました


というもくろみがありあり。


6人部屋(40元!)にはスイス人と謎の東洋人の2人。


向こうにとってもわたしはかなり謎の東洋人だったようで、ようやくその東洋人さんが声をかけてきたのは夜も11時を過ぎたころ。

東京の超有名中高一貫校の物理教師の職をこの春めでたく捨てて、チベットにやってきてしまったというお方。

見た目はの「課長→部長→取締役」の漫画作者にそっくりな人。


ほぼ同じような日程で別のカイラスツアーに参加。われわれより一足先にラサに帰ってきたんだけど、またシガツェ周辺を攻めたくなったとかで、この町に戻ってきたということ。



彼が教師時代、学生に解かせていたプリント「高3 物理 特別授業U期 補充問題(13)加速度の扱いなど」の裏紙にひまわりの種をてんこ盛りにして、ラサビールで乾杯。


世の多くの人から、かなりの万能選手に思われてるわたしだけど、実は物理と化学の両分野だけは全くの白旗宣言。

裏紙といえど、表紙のバネや滑車の図が透けて見えるだけで、鳥肌立って身の毛がよだって、要するに頭の回転が自動停止状態になっちゃうわけ。


だから、


「いやあ、ラサに来てひまわりの種を食ったら差し歯が欠けましてねぇ」


と、先生がせっかくいいパスくれたというのに、


「前歯にかかる力の物理学的な計算はなされなかったんですか?」


というどうしょうもないシュート。


「何とも。考察が足りませんでした」


…夜は更けていきました。
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2006年06月26日

最後の晩餐は中国式!?




これで最後?チベ日記39
パヤンーサガ


「オム・マニ・ペメ・フム・マカロニ・チーズ」


強引に訳すなら


「南無阿弥陀仏・銀しゃり・みそ汁」


こんな罰あたりきわまりない合い言葉が最近の我々グループには充満。
原因はわれら5人組の影のリーダーであるスコットランド人・イシュ(トムの嫁さん)。


グゲ遺跡で興奮のあまり半日射病になりながらも6時間近く遺跡の中を歩き回った挙げ句、彼女のチベットへの関心は全て使い果されてしまったようで、その後口から出る言葉といえば、


「早くカトマンズ(に行きたい)」

であり、

「早くピザ、マカロニ(が食べたい)」。


確かに残りの日程にはもう何の見どころもなく、一度通ってきたところを移動移動移動移動…、ただそれだけだから、例えギャネンドラが無念ドラになってるような半崩壊国家の首都であっても、あのツーリスティックな雰囲気が恋しく思えてもしょうがないのかもしれない。


ただ、ラサに戻るわたしだけがのけ者になってるようで心地よくはないんだけど…



彼女の計算(=我々の日程)によれば、ネパールとの国境にある樟木(ジャンムー)まではあと残り2日。で、本日向かうは前回の日記でインド人が異常発生していたサガ県。

走行距離は約250キロだから、尻に火がついてた昨日に比べるとなり楽ちん。



相当な悪路がない限りは平均時速60キロが計算できる驚異の新ランドクルーザーだから、車に座ってるのはたったの4時間強ってことになる。



出発は午前9時半。

さあ、ささっと任務を終わらせちゃいましょう。


と、車内に吹き込んでくる風を受けながら外の風景を眺めていると、


う〜ん、あれはあれですな。
もう何度も見た光景のあれですよ


そう。

本格的な修理のためラサへの道を走っていたはずのわれらが古女房「テンジーナ」がまたしても路傍にストップ、ドライバー・パサンが車の下に入り込んで何やらいじっていらっしゃる。


さすがにばつの悪そうなパサン。


でもただカラのままでラサまで戻るんじゃなくて、3人の乗客を見つけて小遣い稼ぎしてるあたりはなかなかのちゃっかり者。

もちろん、今回のトラブルの責任を全て彼が背負うことになったらそんな数百元じゃ当然の赤字になるんだけど…


その新乗客3人もかわいそうに大変なじゃじゃ馬(車)をつかんじゃったもの。

今度はスペアタイヤの取り付け部分あたりにトラブルが発生した模様で、我々の到着後30分ほどで再起動したんだけど、ラサまではまだまだ1000キロくらいはありそうだし、みなさん、天にも祈るような気持ちなんだろうねぇ(笑)。




そんなミニイベントも楽しみつつ、実際にほぼ予定通りの午後2時サガ着。

今度はインド人のほとんどいないサガ。前回のサガ以来11日ぶりの町らしい町ということで、イシュさまも「チョコレートが買えるわ」「ネットもしましょうね」とかなりご機嫌モード。



ただ、困ったことに元気になったついでに


「このペースだったら明日はジャンムーに泊まるんじゃなくて、国境を越えちゃってカトマンズまで行けるんじゃないの」


なんて言い出しちゃったからさあ大変。


わたし、カトマンズには行けないまでも、ジャンムーを見てみたいって気持ちもあったし、最後の晩を国境の町でみんなと過ごすのもおつなもの、というのもあってそこまでは一行に付き合ってもいいかなって思っていたところ。

あさってにはジャンムーからラサに向かうランドクルーザーに格安で乗れるというあてもあったわけで…。


でも、彼女の計画(ほぼ必ず実現される)だと明日の早朝にサガを出て一気に国境まで7時間。昼過ぎにはネパールに入ってしまうということで、わたしは一人国境の町で宿をとることに。


寂しい、それはかなり寂しい



だから、わたし、この町サガにてみんなと別れることを決定。

明日8時にシガツェ行きのバスがあるのを知ってたんで、一応みなさんに報告した上で、チケットを買ってしまったのでした。



そんなわけでいきなり決まってしまった最後の晩。


「きょうはMakotoが主役なんだからなんでも好きなものを食べてくれ」


とみなにいわれてとっても嬉しいんだけど、メンバーにベジタリアンさんがいらっしゃると、どうも肉肉しい中華は選びにくいもの。


でも、

このツアー中に一度として炒飯と麺料理以外の中華を食べようなかった、そして明日には中国を離れるこの豪蘇(オーストラリア・スコットランド)夫婦に、何とか中華のすばらしさを体験させなければ!


と中国人でもないのに妙な使命感に駆られたわたし。


街中にあふれる中華料理店から、2年間の経験で培った「匂い」を頼りに、一軒の汚らしい四川料理店の門をくぐることに。


そしてセレクトしたのが、


魚香茄子
麻辣豆腐
蒜苔肉絲
回鍋肉
西柿子鶏蛋湯


分かる人は感じてちょうだい。この組み合わせ。何とか西洋人でもベジタリアンでも食べれるんじゃないか、それでいてちゃんと四川っぽいところも押さえているんじゃないか。


もちろん、チベットの更に奥地にある川菜の店のように四川の名前をかりるだけで、料理の腕が「テンでダメ男」だったら元も子もない。


それこそわたしの「嗅覚」が頼りだったんだけど、まあ、何とか自己採点で80点はクリア。

沸騰中のご飯のふたを平気で開け、冷水を注ぎ込むなど、日頃から味覚には「???」マークだった彼ら彼女らには満点以上のようでした。



最後の晩餐.jpg

◎参考写真:どうでしょう。うまいもんくった後の幸せ感が伝わるでしょうかね


さて中国式の「食事」といえば、お会計も重要。メニューをすべて任された手前、


「お会計もわたしでしょう。でも西チベに比べて安いからいいっか」


と中国式に89元払いました。

でも、西洋人たちにはそんな中国式は通用しないみたい。
どうしてもっていうから「おごり返し」受けちゃいました。


久しぶりにうまい中華くって、自腹きったのはたったの9元。


ありがとう、みんなに出会えてほんとよかったよ。これだけで!
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2006年06月25日

乗り換えてノリ変えて




これで最後?チベ日記38
門士—パヤン



ようやく幹線道路(国道219号)までたどり着いたわたしら。


新しいランドクルーザーはエンジンも足回りもバッチグーだし、このまま一気に遅れた日程を取り戻しましょうぜ!


と意気込んで宿の部屋を出てみると、そこには昨夜遊牧民のテント前で分かれたはずの古女房「テンジーナ」の姿。


「あのガタガタ山道、峠道を中国トラックにえっちらおっちら引かれ、一晩のうちにここまでやって来てしまったか」


と感心してしまうグループ一行。

しかもボルトがはずれて空回りを続けていた右後輪には、あらたなボルトをしめる代わりに回転軸とタイヤを溶接で固定するという応急処置まで施されている始末。



ってことはひょっとして今日はふたたびテンジーナさんのお世話になるの?


と疑問が湧いたところで、満を持してドライバー・パサンの登場。


「おう。昨日はよく眠れたかい」


だって。



「僕らはよく眠れたけど…。パサン、いつの間に門士ついて、いつのまに修理までしちゃったの?まず寝てないでしょ」


2時間だって。

とにかくそんなムリしてまで現れたってことは、やっぱこの翼の折れたクイーンにまた乗らなきゃいけないってことでしょう。せっかく生きのいい若い娘の味をしめちゃったというのに(笑)。



でも、パサンの徹夜のがんばりを認めないわけにもいかない。


しょうがないや。荷物を移さなきゃいけないね。もうあんなこと(故障→立ち往生)になるのはごめんよ


なんて思いながら荷台のトランクを開けようとすると、どこからともなく現れて烈火のごとく怒り始めたオーストラリア人・トムさん。


「もうこのツアーは2日も予定より遅れてるんだ。さらにまたこの車に乗ってトラブルが発生したらどうやって解決するというんだ。すでに新しい車、安全な車、スピーディーな車があるんだからそれに乗るのは当然の権利だろう」


なんて調子。

わざわざラサの旅行代理店にまで電話して直接話をつけようとする積極さ加減。


とうていわたしにゃできない芸当なんだけど、おかげをもちまして、荷物の移動もせずにすみまして、予定通りにいいほうのランクル(≒若い娘)で旅を続けることになった次第。

それより何より、そんな「ごり押し」こそ、このチベットの荒野で生き抜くための必須条件だということをまざまざと教えられたのでした。



そんなごたごたのおかげで門士を出発したのは午前11時すぎ。



本日は、西チベットの聖地中の聖地「マナサロワール湖」を拝んだ上で、門士からは400キロ近く離れたパヤンの町まで来た道を戻るというかなりの長丁場。



このマナサロワール。


カイラス山、ティルタブリとともにチベット仏教徒にとって西チベット巡礼の最大のハイライトで、「無抵抗主義」でおなじみマハトマ・ガンジーさんの遺灰もここにまかれたというくらい、インドのヒンドゥー教徒にとってもまた聖地。


そんなポイントであるからして、ゆっくりじっくり眺めてみたいのが「チベット☆OK牧場」的な本音なんだけど、なにせ我々は尻に火がついたツアーグループ。


ちょっとした不自由(笑)に遭遇してからというもの、都会の文明、便利さ、うまいもんを求める気風が急激に高まり、特にわたし以外の4人の目的地はネパールの首都カトマンズということもあって、


「もうこんなところはすぐにでも脱出したいわ。カトマンでピザとマカロニよ」


モードが全開。


「(たとえ聖地中の聖地であろうが)1時間もいれば上等よね」


と罰当たりとすら思えるような特に女性陣。



天気さえよけりゃもうちょっと彼女らの気を引くことができたかもしれないんだけど、とにかく、1時間の予定は本当に1時間ほどで切り上げられることに…。


わたしも湖の周辺で最も有名な寺院「チウ・ゴンパ」を参拝し、ぬかるみの中をようやく湖の畔までたどり着くだけでほぼタイムアップ。



マナサロワールjpg.jpg

◎参考写真:もうちょっとはゆっくりしたかったマナサロワール。写真で楽しむだけ?



まあ、確かに女性陣の判断は正しかったのかもしれない。


というのも、本日の宿泊予定地パヤンまではさらに250キロ以上も先。途中には5200mを越える例の峠「マユム・ラ」もあるようなハードな道のりなんだから。先のこと考えるとやっぱ…


到着はまたしても午前様になるのかな。まさに日本のサラリーマン並みね


と思いながら、新しいランドクルーザーにゆられ、「ちょっくら一休み」と目を閉じていると、車内にはただならぬ雰囲気が充満。


「ちょっと、ドライバー半分眠ってるわよっ」


だって。


わたしは新ドライバー・ロプサンの後ろに座ってたんで直接彼の顔を見ることはできなかったんだけど、確かに彼の首は「こくり、こくり」と夢の行き先への運転を開始してるみたい。



これはたまらん。


昨日の午後になっていきなりパサンに呼びつけられて阿里地区から駆けつけ、そのまま我々を救出、さらに午前1時まで運転を続けたのが昨日。

さらに本日もすでに5時間近くハンドルを握ってるわけで、そりゃあ披露も相当なもんでしょう。



と同情はしても、残りたぶん4時間くらい。
眠りながら運転されるのはやはりたまらん。



ということで、今まで静かだった車内は一変。

ロプサンに積極的に話しかけたり、一緒に歌を歌ったり、あめ玉をあげたり。さらに車を止めて小休止の際はわざわざリュックからストーブを取り出して「特製眠らないでねコーヒー」を作ってあげたりetc。


とにかく中国版一人っ子過保護の親以上に気をつかって妙なハイテンション。ロプサンから悪霊退散ならぬ睡魔を「とんでけ、飛んでけ」させようと必死になったわれわれ。


そんなおかげをもちまして、崖下に転落することなく無事、何もない町パヤンを拝むことができたのでした。
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2006年06月24日

一番長い日は二度続く




これで最後?チベ日記37
???—テント—門士


放射冷却現象で零度近くまで温度が下がったテントの中。



「ああ、今日も晴天なんだなぁ」


と思って寝袋の中でごごそごそ。もうライトもいらないくらいにテント内も明るくなったし、とりあえず目覚めのいっぱいでも、と携帯ストーブでお湯を沸かし、コーヒーを一杯。う〜ん、すばらしい。


で、

今日こそは救われるといいんだけど…


と優雅な気持ちになった難民生活2日目のスタート。


実は昨晩9時ごろ、われらのいる谷間の野営地そばを久しぶりに巡礼バスがとおり、それに乗ってツァンダに戻っていったドライバー・パサン。


彼がツァンダにてうまいこと動き回っていたとすれば、朗報は午前中にも届くはず。


そう思いながら、昨日のまずい飯を再び温めなおし、「生きるため」に胃袋に放り込んでいると、久しぶりにツァンダ方面からランドクルーザーの登場。さらにわれわれの近くにとまると、その車のドライバー、


「パサンはもうすぐくるから。これでは彼からの差し入れだから。食べながら待ってな」


と包子と油条、泡菜の差し入れ。うれしいじゃないの。で、よく働くじゃないの。

まあ「すぐくる」ってのは信頼度50%くらいにしても、まあ、希望は見えたってこと。どうやらテントはたたんでもよさそうやね。



そしてほんとうに30分たったかたたないか。

一台のランドクルーザーに乗って登場したパサン。同じ運転会社の同僚が別のツアーのドライバーとしてツァンダの町にいたため、彼に協力を求めたという仕組み。別のツアーの目的地もわれわれと同じで、彼がそういう方法をとるであろうこと、じつはわたしも昨日のうちから知ってたりして…。

だからこそ「もう一泊テント箔ができる」と気楽なもんだったんだけど(笑)。



そんなわけで始まったランドクルーザーによるランドクルーザーによる牽引作業。

目的地は標高5100mの峠を越えた先、約45キロ地点にある門士の町。
そこまで行けば何とか代替部品が手に入るだろうのが大方の予想。



なんとか、後ろ髪を引かれながらも、野営地を出発。

でも、定員6人ぎっしりのランクルが定員6人ぎっしりの自力走行不能なランクルを引っ張るのって、そりゃあ大変。時速だと5キロ、うん歩いてるのとおんなじくらい?


こんなんじゃ何時間かかるかわかったもんじゃないね、まったく。


と思えど、とにかく状況が打開されたことに喜びを感じるわれわれ5人組み。


一方で、


おいおい、どうなってしまうんだ。こんなんじゃ今日の目的地、約150キロ先のマナサロワール湖にはいつ到着するんだ。面倒なもんしょいこんじゃったなぁ


と思ってるかもしれないのが、引っ張ってる側のランクルに乗ったツアー客5人組(日本人3人、フィンランド人、ブラジル人)。


最初は、暖かい目をわれわれ難民に向けてくれていたものの、どうやらそこまで運転手と意思の疎通ができてないらしく、当然状況の把握もいまいち。


勾配がひどいときには車をおろされ、坂道を延々と歩かされることが2度続き、自分たちの車からもなんだかエンジンあたりに不穏なにおいがたちこめはじめ、


まさかこのペースでのこれからの40数キロが進むのか



という疑念が確信に変わってしまったとき、やってきましたリーダー格の日本人男性。



「このままじゃ共倒れになっちゃうと思うんですよね。だから…」



そうでしょう。おっしゃる意味はわかります。
リーダーとしてのその発言。すべては他のメンバーのことを思ってのつらい発言。
そのつらい立場、わたしも痛いほどわかります。


どうぞ、われわれをあたりに水もない坂道の途中に見捨てて旅行を楽しんでください


とはいくらカイラス巡礼を終えて寛容になったわたしであろうと、決して口にしてはいけない言葉だってことくらいは合点しょうちのすけ。


単に困った顔のふりをして、こっち側のドライバーに訳してあげると



「なんだ。おまえら日本人同士だろ。日本人はそんなに白状なのか」


とアンビリーバボーな様子。


そうなのよ、われわれ日本人は所詮コンクリートジャングルのなかでうごめく生きもの。発展の末に失った代価ってのは、あなたたちチベット人が想像もできないほど大きなものだったのよ


と人生論、近代資本主義論を語り始めるはずもなく、


とりあえあずは最大の峠を越えた先にある数キロ先のテントまで牽引を続けさせてもらう


ってことで大人の妥結。
すでに時間は午後2時を過ぎたころ。



われわれ5人を遊牧民が再度ビジネスで営業するテント型喫茶店「大草原の小さな家(通称)」に残し、またしても別ツアーグループ車の荷台に乗り込んだドライバー・パサン。新たな5人+一台の救援策を求め、門士方面に消えていったのでした。



あ〜ぁ、パサンにいつ帰ってくるか聞いときゃよかったよ


テントの天井を見ながら思ったこと数十回。


でも、聞いてもそのとおりに帰ってくるとも限らんし…


テントの天井にあいた穴から青空を眺めること数十回。


夜飯はカップラーメンを食うことになるんだろうか


テント天井近くのつぎはぎ部分が右と左で微妙にずれていることに気になりながら思うこと数十回。


今度成都に帰って火鍋を食べたときはまたおなかを壊すんだろうか


頻繁に出入りする娘さんとガキを見ながら、遊牧民の変わり行く食生活について考えること数十回。



めくるめくどうどう巡りりの思考から抜けきれず、中と外を行ったり来たりしてる他のメンバーとは対象的にテント内でのひきこもり生活を続けるわたし。



暗くなったらどこに寝るんだろう。多分今座ってるソファーには彼らが寝るだろうし…


とあたらしい思考段階に入ったのは、さすがにあたりも暗くなり始めた午後9時すぎ。


テントのそばにとまったランクルの中に入り、はるかかなたを眺めていると、満を辞して砂塵を巻き上げ一台の「東風トラック」の登場。

もちろんドライバー・パサンの差し金で、これは片足の折れたバレリーナ「テンジーナ」を救うためのトラック。

さらにわれわれに対しての救援策としては、たまたまこの阿里地区にいた同じ会社の別のランドクルーザーが手配できたってことで、約20分後に現れたニュードライバーと共に一足先に門士に向けて出発することができたという、黄金手配ぶり。



レスキュー.jpg

◎参考写真:強気なこと書いてても「助かったはぁ」って気持ちもそれなりに…

いやぁ、この車の快適なこと快適なこと


どんな坂道であろうとスピードを落とすことなく突き進む。

どんな凸凹道であろうと、わたしのお尻には何も響かない。そんな深夜のドライブは約2時間。日付変更線も過ぎて午前1時近くの到着となったわれわれ。


疲れ果てて、そのままベッドで死んだように眠ったわけもなく、町の夜ふかし連中が集まる食堂にて、とうぜん、中華とラサビールで祝杯をあげたのでした。
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2006年06月23日

一年で一番長い日とは




これで最後?チベ日記36
ツァンダ—???



まさに今日のような日のことをいうのにぴったり。


だって夏至だもん、あたりまえじゃない


ってクイズ王並みに即答しちゃうあなたは、ただの常識的日本人。
この西チベットの地ではかる〜く干からびちゃってちょうだい。


あなたのような方にわたしらの愛するランクル「テンジーナ」の右後輪が壊滅、右も左も山に囲まれた谷間に立ち往生を食らってるわれわれの気持ちなんてわかるわけないんだから。


そう。

わたしたち動けなくなっちゃったのね。


町長超いい感じ、みじんの問題もなく進んでいた昨日までがうそみたい。またくもってそのツケがすべて回ってまいりました。


標高4750m。
最寄りの町までは多分100キロ近く。
交通量は2時間に一台くらいという立ち往生するには最も理想的な場所にて、


「ぱきっ」


というある意味かわいらしい音。

でもただこれだけを聞いてしまったがゆえに、エンジンは動けど動力はタイヤに伝わらず。


勇ましい音だけを谷間に響かせ、何が不満なのかテンジーナ、無期限ストライキに入ってしまったのでした。



「もうだめだ。先に進めなくなった」


そんなパサン(ドライバー)のせりふ、最初は単なる冗談だと思ってたんだけど、よおく、よおく後輪を眺めてみると、確かに中央の軸の部分が空周るばかりでタイヤは一ミリだって動かず。。

さらによおおく、よおおく、みてみるとタイヤと軸を固定するボルト6本がすべて外れちゃってるじゃないの。これじゃ動かないはずよ。カラ周り。カラ周り。



さあ、どうしましょう。


とあたりを見渡す。


小川も流れている。飲み水の心配いらない
地面には程よく草も茂ってる。寝床にもぴったり。


こりゃぁテント箔にぴったりじゃぁないか。


米とコーヒーだけはたんまりあることだし、食料の心配もいらず。



ランクルって四輪駆動車なんだけど、なぜか前輪だけで動くことはできないみたいで、どうやらパサンも修理はあきらめたもよう。


一応頼まれたんで近くの山のいただきまで上って(4900mの無名峰登頂成功!)、遠くツァンダあたりの基地局まで携帯電波が届くかどうか確かめてみたものの、表示ではアンテナ2〜3本くらいたつのに実際の通話はできず。


これはもう、通りかかった車に助けを求めるしかないな


と思うものの、前述のように交通量は超まばら。



いやおうなくチベットの荒野にて野宿せざるを得ない状況になってしまったのでした。


といいつつ、われわれ日本人2人組みはかなり楽観的、頬からもれる笑みを隠すのが大変なくらいキャンプ生活ウェルカムだったりしてしまう。だってなんか楽しいじゃん。



それにしても自称「ライス・エキスパート」のトムさんよぉ。

あなたのたかれたご飯、エベレストBCにつづいて今日も最高においしかったです。

「腹こわす。食べない」

といって一口だけで去っていったドライバー・パサンがどれだけうらやましかったことでしょう(苦笑)


スタック.jpg

◎そんなこんなでくれていった一年で一番長い日。楽しそうでしょ?
posted by 牧場主 at 00:00| 北京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | またまた旅に出ました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月22日

久しぶり超級遺跡堪能




これで最後?チベ日記35
ツァンダーグゲ遺跡ーツァンダ

昨日の日記にてさんざん紹介したんだけど、あんたやっぱり異次元の町だよ「ツァンダ」さん。


西部劇に出てくる風景、いやいやドラゴンボールの決闘の舞台。あっそうだ、インディージョーンズ「最後の聖戦」のクライマックスシーン!


などなど。

とにかくイマジネーションとこれまでの記憶をフル稼働させ、相変わらずこの超絶風景を楽しんでいるわたし。



もちろんその気持ちの高ぶりは、とうぜん、3時のおやつ以上にとっておきの「グゲ遺跡」に到着してからも収まることを知らず。



ペトラ(ヨルダン)、カッパドキア(トルコ)、アルゲ・バム(イラン)に勝るとも劣らない


とにかくそんなベタ過ぎる形容がばっち当てはまるような大自然の造詣美に囲まれたとこにたたずむグゲ遺跡。ツァンダの町からは西に約20キロ。


中心は高さ約300mの山に15世紀ころ築かれた王宮、砦跡で、周辺の遺跡群まで含めると総面積はなんと18万平方メートル。



ああ、そうだ。

山を上っていきながら遺跡を楽しむって言えば最近(2月25日)の日記じゃあ、オシュ@キルギスタンにおけるバザール以外唯一の見所といってもいい、今ではイスラム教の聖地「Solomon's Throne(ソロモンの王座)」というたいそうな名前の丘も似てなくもないかもしれない。


もちろん、スケールは5段違い平行棒くらい。




単に廃墟を楽しむ遺跡めぐりと大きく違うのは、このグゲ遺跡の場合だと、「ラカン・カルポ(白堂)」「ラカン・マルポ(赤堂)」といった建物内に入れば、500年前の芸術作品も多く鑑賞できるってこと。


それも完璧な保存状態ってわけじゃなく、かなりの程度、


たった数十年前に起こった「文化運動」で加えられた「破壊」という新たな表現活動を通して…


ってところが世の無常感、わたしの批判スピリットをかきたててくれる。



入場料は106元(約1500円)。


高いと思えば高いけど、遺跡遊びが好きな人、中央アジア史をマニアックに体感したい人、中世仏教芸術に興味がある人、荒涼とした風景の中にぽつんとたたずみたい人、現代中国批判が好きな人、すべてをひっくるめて面倒見てくれるこのグゲ遺跡。



グゲ遺跡.jpg

◎参考写真:魅力はかなり複合的なアトラクションとして楽しめるところなんだよねぇ



で、ワンポイントアドバイス

ぎらつきすぎる直射日光と滞在時間との関係にはかなりの注意が必要でしょう。


上記の興味分野の項目、複数個当てはまるような人だったら数時間の準備は必要。


たとえば、わたしのような全方位主義人間だったら軽く5時間以上かかっちゃいました。
時間を忘れるくらいって表現をとおり越えて、フルタイム好奇心モード120%の状態で…


だから、全部当てはまる人。


干からびて、グゲ王国の兵士と同じくミイラになる覚悟をして行きましょう(笑)。
グゲの過酷な自然条件はあなたを永遠にかの地にとどめてくれることでしょう。



要するに、水を忘れず、己を忘れず。それだけで大丈夫。

もともと西チベットを訪れるつもりの人だけじゃなく、この阿里地区にもそろそろ空港ができちゃうって話だし、チベットに興味のある人だったらすべてに行ってほしい場所、グゲ遺跡の紹介でした。
posted by 牧場主 at 00:00| 北京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | またまた旅に出ました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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