2006年07月05日

最後の最後で湖(幸)運




これで最後?チベ日記48
青蔵鉄道搭乗記・前編


7時14分35秒。

ドミトリー(相部屋)住まい歴幾年月のキャリアにふさわしく、すやすや熟睡中の同部屋人に極力迷惑をかけないよう、目覚ましがなる25秒前にぴしゃっと目覚める超人的な体内時計を持つわたし。



さあ、でかけましょう。

昨夜のうちにまとめておいたリュックを背負い、去り際は極めてあっさリ静かに。


「次にくるときは5つ星くらいになってるかも」


なんて思いながら、都合40泊くらいお世話になったヤクホテルを後にしたのでした。

ちなみにこのヤク。
実際10年前はただの安宿だったのが今じゃ黄金の2つ星。ありえない話じゃないんだよね。



さて、今回は悪い人にめぐり会うこともなく、ミニバス、大型バスをスムーズに乗り継いで、でもぎゅうぎゅう状態のままでラサ駅に到着。

成都行き列車の出発まで約40分前のタイミングで、ちょうど検札が始まったところ。


これじゃ駅舎の設備をじっくり見るひまもないじゃない


ってことにはならないのよね。


だってラサ駅は本当に切符を買って列車に乗るだけのところ。
場内案内板に表示はあれど、じっさいには食堂も売店もまだ影も形もなし。

とりあえず始められるとこから始めようよ。開通が1日に間に合ったんだからいいじゃん


という見切り発車ぐあいはまさしく中国らしさ爆発。


この近代的だけどがらんとした空間ににぎわいが訪れるのが先か、普通の中国の駅のようにいろんなもの売ってるけどあんま食事とか買い物とかしたくないような具合に汚されるのが先か

ついでに

「ラサ駅サブレ」とか「ラサ駅かまめし」といった名物も登場には今しばしの時間が必要のようで…


気になるテーマだけどそれを確認するのはもうわたしではないみたい。
後進にその道を譲ろうではないか、と。


比較的秩序ある検札を終え、早速成都行き列車(T24)に乗り込んだのでした。


ところで、今回の「青蔵鉄道搭乗記 」。

勝手ながら前後編にわけて書かせていただくんだけど、前編は車窓からの景色を紹介しようかと思っとりまして、で、後編が車内の設備などなど。


だって、成都までは2泊3日計49時間の長帳場。

いわゆる今回開通した「青蔵鉄道」(ラサーゴルムド約700km)部分、つまり、


標高4000mを超える「難所」を克服して「中華民族史上有数の偉業」を達成した部分


っていえるのは初日のうちに全部に通過しちゃうわけだから、一日目はそれを書き留めるってのが「すぢ」ってものでしょう。どうかご理解をよろしく。


車内に置かれた広報誌などによれば、この青蔵鉄路格拉区段のうち、

写真つき、標高つきで紹介されたのが計16ヶ所。


始発駅、終点駅のほかに西蔵自治区と青海省との境界で今回めでたく鉄路世界最高地点となられた唐古拉山(5072m)や二番目に高い山昆論山(4772m)など。


不凍泉(4611m)やとうと渝渝河(4547m)なんていう聞いたことないポイントもいつくか目白押し(笑)らしい。


さすがだぜ。ゴルムドまでの10数時間、わたしをまったくあきさせないつもりか


と一人うれしくなってたうちが華やかなりし時間。


出発時間を厳守して動き出す列車。


「さすが。やるな。文明を感じるぜ」


車内放送が始まって耳を傾ける。


「この列車はラサを出発しますと終点成都まで那曲、ゴルムド、西寧、蘭州、宝鶏と停車いたします」


だって。


…ご冗談でしょう。


だって4月くらいには鉄路部のお偉方が新聞のインタビューとかに答えてよくいってらっしゃったじゃないっすか。


「青蔵鉄道は観光鉄道でもあるわけだから、利用者の要望に答えるよう、チベット高原を走るのは昼間。さらに途中ある各見所に停車しながら進んでいく」


って。でも車内放送を聞く限りじゃあ単なる特快列車と同じ。

窓ガラスを通して見る風景なんて本物の空気を吸うこともできなけりゃ、さわやかな風を感じることもできない。それに写真だっておろしたての車両のはずなのにすでに手垢まみれのガラスを通したもんじゃ、本物の100分の一の迫力だって写しこめないでしょ。


ヤ窓.jpg

◎参考写真1:と言い訳も出尽くしたところで車窓からの風景などどうぞ



実際に、


ラサ西駅…通過

羊八井…通過
当雄…通過

那曲…(宣言どおりに)停車

町はずれに立てられたばかりの駅があるだけ。当然、売り子がいるとか、観光案内版があるとか、そういう手の込んだことは何もなし。


一応は車内放送で駅やそ
の周辺の説明はあり。中国語と英語の2種類。
ただし、駅を通過する◎分前、とかいう決まりはないみたいだから、放送からだいぶたって、だいぶ乗客を油断させた上でいきなりその説明ポイントを通過したりする。


それが単に見ても見なくてもいいような駅舎を通過するだけだったら問題ないわけだけど、


「まもなく長江最上流部を通過します」


みたいなことを10分以上前に宣言されるとこちらも集中力を持続するのが大変。
本物の長江最上流部は最上流部と思えないほどに川幅広くて助かったけどね(笑)


で、結局のところ、天気もあまりよくなかったこともあって、車窓からの風景は特筆すべきほどじゃなし。


もちろん、

これがゴルムドから初チベットしてくる乗客たちにはまったく違うものに見えるんだろうけど、悲しいかな、わたしにとっては風向明媚をはるかに超越したチベット最大級の絶景’sを目にしてきたこの一ヵ月半。


「ちょい期待が大きすぎたかな」


と誰を責めることもできず、窓際の席から寝台のベッドに移ろうかと思ってたそのとき、


そんときっ!


ようやく登場していただきました。措那(ツォナ)という名の美しい湖。


わたしの今回のチベ旅にて唯一恵まれてなかったのが湖。
天気に恵まれなかったトルコ石色の湖ヤムドク湖。
時間に恵まれなかった神の湖マナサロワール。


だったんだけど、この「ツォナ」という、青蔵公路から外れた位置にあるため今回の鉄道開通によって初めて一般観光客の目に触れ、当然ながらこれまで日本人旅行者、日本語ガイド本的にも何の存在感もなかったこの湖は、本当にマジで真的大正解。


静かな湖面に逆さに写りこむ雲や雪山
岸辺にて熱心に草を食むヤクや羊の姿
端から端まで列車でも相当時間がかかるほどの大きさ


ツォナ湖.jpg

◎参考写真2:どれもこれもチベットの雄大さを象徴するのにぴったりの光景


これだけで十分満足。
ほんと至福の十数分間。


「うん。これならいける!」


今でこそまだ「名もなき湖」だけど、今後メジャーになるのは確実。デビューしたての「新人歌手」を人より早く目をつけたアイドルおたくのような気分になったわたしでした。
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2006年07月04日

ようやく参観ポタラ宮




これで最後?チベ日記47
ラサ



前にも書いた通り、明朝は午前9時5分発成都行き青藏鉄道に乗ってラサを脱出いたす予定。

だから何かをするんだったらもう今日しか時間はない。


というのに、


何とかならないものか、このモチベーションの低さ。かんぜん燃えつき症候群。


別に眠いわけでも疲れてるわけでもないから、ちゃんと7時には目が覚めるんだけど、それから気持ちを奮い立たせるのが大変。

ベッドでこのままゴロゴロしていたいというのもちょっとちがってて、でも残り24時間を有意義かつパワフルに過ごそうっていう気もなれない。


かろうじて、

これまでの1カ月半、さらに3,4月の分もあわせると計3カ月近く、さんざん危ない橋を渡っておきながら実は大した災難もなく無事に過ごせたからには、やはり「お礼参り」をしとくのが礼儀ってもんかな


と思えてきたんで、さすがにようやくジョカン詣で。



相変わらずごった返してるチベット人にまぎれて列に並ぶこと1時間。
相変わらず豪華絢爛バブル全盛期のような12才シャカムニ像に


「ありがとうござんしたね。次はもうないかもしれないけど、そっちも達者で」


とあいさつ。
もちろん奴はかなり老け顔12才のくせになにも返答なし。



続いてお決まりコース。
バルコル周辺のゴンパにも足を延ばして最後のマニ車まわしと最後のお布施。


最もよくお金を落とした(であろう)ムルニンパでは、久しぶりに顔見知りの坊さん(たぶん20代後半)とも接触。

こっちが話しかけるより先に、珍しくお経を唱えるのをやめ、嬉しそうな顔をして握手を求めてくるもんだから、こっちもちょっと感動してしまいまして、


「明日成都に帰ることになったから。色々お世話になりました」

とカミングアウト。


「…そうか。元気でな」


この寺を毎日訪れてた頃は互いに目で挨拶くらいしかしてなかったのに、なんで今日に限って向こうさんはあんな行動に出たんだろう。なんか感じるところがあったのかな。


こういうシーンに出くわすと「たびの終わり」がじわり心にしみ入るものでございます。



さて、遅めの朝飯くって、ネットやってりゃもう北京時間じゃ正午をまわってしまうのが西部地区の常識。


「よし。とうとう行くことになったか」


と自分に言い聞かせて向かったのは、世界遺産であらせられ、垂直のベルサイユとの異名を持つ「ポタラ宮」。


別に好きで今まで行かなかったわけじゃないのよ。


「チベット行きますからぜひあんなお願いします」
「牧場主さんがいるうちにポタラが見た〜い」


そんな三十路男をたぶらかす甘言を弄した四川在住日本人どもよ。
そうさ、みんなあんたらのせいなのさ。


だって自分で行ってしまった後、知り合い案内するためにまた高い入場料自腹きるってもったいないじゃ〜ん。かといって、一応わたしを頼ってきてくれた人に「入場料出せ」ってのも言えるわけないし。


それくらいポタラ宮の入場料は世界遺産級。
「控えおろう!」のズバリ100元。



しかし、ご存知の通り、


だ〜れもきてはくれまっしぇんでした。


人望とは砂上の楼閣、

要るときにあると思うな親と金、そして人望。



そんなわけで、午後1時半、


(あっ、ここでミニ知識

ポタラ宮の入場券は今じゃ予約制。前日午後5時から西大門入ってすぐの専用窓口にて予約券を発行。外国人はパスポートの提示が必要だからご注意を。わたしが指定されたのが午後1時半だったわけね)


「党中央部の懇切な配慮には心から感謝します」という横断幕が何ともシュールなポタラ宮南大門をくぐりましたよ。



ラストポタラ.jpg

◎参考写真:ポタラ内部は写真撮影禁止。やる気のないわたしだから本日は従順



ところで、このポタラ宮。

言い忘れてたけど、もちろん初参観ではなし。


いわゆる10年一昔前のチベット若葉マーク時にも当然いききらせながら白い階段を上った記憶あり。

そしてむやみやたらに宝石や貴石、黄金をちりばめたチベット式芸術スタイルに脳天をかち割られたのもこのポタラ宮。


だけどそれ以上でも以下でもなし。


チベットの歴史や伝統、チベット仏教自体に対する理解だってほぼゼロに等しかったわけだから、まあしょうがないところ。


それが本日、


ポタラ宮をチベット最終日にまわして正解だったのかもしれない


と思っちゃったね。


というのも、

上記のチベットにまつわる知識がだいぶ増えたおかげもあったし、もちろんガイド本や中国人ガイドの解説の盗み聞きと照らし合わせながらなんだけど、仏像や仏塔、壁画、立体マンダラなどなど、なぜそれがそこにあるのかという「いわれ」や芸術的な価値なんかが何となく分かったような気になれたから(笑)。


ただ、残念なことも当然あるわけで、


10年前にはなんの問題もなく見れたであろう場所、それどころか3年くらい前発行のガイド本でも普通に紹介されていた「聖観音殿」「時輪仏殿」という超重要なスポット2カ所が容赦なく「進入禁止」になってたりして…


入場料だけならもっと高いところはいくらでもあるわけで(九寨溝、黄龍はあわせりゃ500元)、ただこのポタラ宮の場合は、今後も容赦なく手を加えられていくんだろうなぁ


と、久しぶりに「悲しいとき〜」シリーズを考えてみたけどネタはちっとも浮かばす。

だから、


ポタラ宮、ああポタラ宮、ポタラ宮(読み人知らず)



さあ、明日からは49時間長丁場。
その先に待っているのは濃密な下界の空気か、地獄油かっ!
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2006年07月03日

これで最後?お寺巡り




これで最後?チベ日記46
ラサ


今回のチベ日記で何回も何回も、まるでリミットを越えて飲み過ぎた翌朝のように口を酸っぱくして言い続けてきた、特命ミッション「チベット仏教最大宗派ゲルク派の六大寺院めぐり」。


とうとう本日、栄光のゴールを迎えることに。


そう、あれは昨年5月13日。
ラサ市の北の外れにあるセラ寺を訪ねたのが初っぱな。


「西藏大学に留学しよう。チベット語を勉強しよう。真面目に」


なんて思ってたころだから、わたしがぐれる前の出来事。

たった一年前のことだというのに、ミレニアム到来の方が最近だと勘違いしそうなほど、心理的にははるか昔のように思えちゃうから不思議。



その後のブランク。

いったい何をしてたのかっていえば、その間のことはもうこの日記および先代日記につぶさに記されてるわけで、はい。成都であやうくネバーランドの住人になりかけておりました(笑)。



そんな甘美で危険な世界におぼれそうになっていたわたしに


これでいいのか、牧場主よ。目覚めるのぢゃ


という現実世界復帰への最後の助け船を出してくれたのが、夢枕に現れたゲルク派の始祖「ツォンカパ」。


というストーリーだったら自己満足の現代版仏教物語。

個人出版で「自分史」でも出せばいいわけだけど、実のところはバックパッカーが自分の行ったことある国数を自慢しあうような単なる白地図の塗り絵合戦…

というわけでもなく、チベット仏教最大宗派の現有勢力、中国政府が認める許容範囲を確認したかった、という生々しい理由が一番だったような気がする。



とにかく今回のチベ旅が始まってからは、


5月22日に甘粛省のラブラン寺。
青海省のタール寺には5月24日。

ラサ郊外にあるガンデン寺はトレッキングと高地順化をかねて6月9日。


そしてカイラスツアーが始まってから、シガツェ地区のタシルンポ寺に6月11日。


そして本日のデプン。

ラサ市の北西部12km。
ミニバスならたったの2元。


ツォンカパの直弟子ジャムヤン・チュジェによる1416年の創建で、ポタラ宮ができる前までは歴代ダライラマが暮らしていたところ。

チベット高原のみならずモンゴルや旧満州エリアなどいわゆる「チベット仏教圏」から多くの学僧を集め、最盛期には一万人以上が学んでいたというかつての超巨大僧院。


でも一般ツーリストを引きつけるような見所があるのか、といわれればやはり???とクエスチョンマーク。


実際にガイドにも

「敷地は広大。地元チベタンと一緒に参拝していると3時間コース。旧ダライラマ居城と大集会道だけでいいかも」

なんてご親切なアドバイスでしょう。


わたしだってこんなの読んじゃうと


「せっかく6分の5は見ちゃったんだから。まあ物事は区切りが大事だし…」


と、モチベーション100%ってわけにはいかず、ちょい渋り気味に入場料を55元。
でも往生際悪く「学割ないの?」と聞いてみれば、何故かラッキー5元引きの50元。


これで少しは精神力を回復できたんだけど、HP赤点滅中なのにホイミ(ケアルでも可)を使うだけじゃしょせん焼け石に水。


オモロいことはオモロかったんだけど、「ありがた〜い」と感じ入るようなことは当然なく、どうしてもマニアックなとこばっかりつついてしまったわけ。


旅行人ガイドP30に載っていた「文革の傷跡」の象徴、偉大導師まおさん。イスラム教徒か近衛兵に荒らされた後みたいにご尊顔だけ削られていたり…

「ちょうすげぇ」「かっけぇ」などという言葉を連発する日本人の若者につかず離れず。今風の日本語を勉強してみたり…

「見るだけで解脱できる(トン・ドル)」といわれている超巨大な弥勒像の前にて、目が充血するまで瞬きせずに眺めまくり、脱皮しそうなくらいに解脱しまくってみたり…



デプンゴンパ.jpg

◎参考写真:さあ、見るだけで解脱してちょうだい(中央)。脱力しちゃだめよ


とにかく、ばか正直に境内にある「This way please」の看板に従ってると3時間はやっぱ3時間。というか3時間半。


さらにもうこうなったらついでだし、やけくそ半分、何かの声に引かれるようにデプン寺そばにあるネチュン寺にも参観。


未来を予言するパンデル・ラモ(吉祥天女)の言葉を人間に伝える、ときにダライ・ラマのインド亡命などチベット仏教界の命運を左右するような決定のきっかけになるのがネチュンの神託官。

彼らいわゆるシャーマンみたいなもんなんだけど、

とにかくそんな1+1=2のような単純世界じゃないところに足を突っ込んでるようなお寺だから、壁画や仏像も他のゴンパに比べて格段に「チベット仏教的(≒おどろおどろしく魅惑的)」でよろし。


仏教の教義など殆ど分からないわたしたちでも見るだけ、拝むだけ、匂うだけで十分に奥深さを楽しめるところでしょう。さらに


入場料ただっ!


ってところも当然ポイント高し。
びっしびしお布施させていただきました。



ようやく「六大寺院巡り」を振り返る余裕も出てきたってところで、


自治区の中と外では締め付けも大きく違う。被害の爪跡も大きく違う

ということがよく分かりました。


例のお方の写真だって結局自治区内の4寺院では確認することができなかったわけだし、ラブランやタールの復旧ぶりは破壊の過去をほぼ隠せるほどにまで達している。

ただ、この点についてはトップが中国政府に協力的だったタシルンポ寺だけは別枠扱いが必要。


とにかく

自分たちの宗派のトップを自由にあがめることができない現実はやはり坊さんたちに心の葛藤を生じさせてるはず。文革の時期に破壊されたお堂や僧坊がそのままの形で残されているのも寺院側に意図的な狙いがあるのかもしれないし。


ただし、こうした最大規模の寺院の役割ってやっぱりチベット仏教の最大の財産であるラマたち、彼らに最高水準の教育をほどこして「最高の知恵」に育てあげることにあるはず。

それが国内の安定統治のため、国際政治上のかけひきによって、という理屈に左右され、その純粋目的に少なからぬ支障が出ている現状はチベット民族にとって明らかな「損失」。


わたしはそう感じました。
ああ、またつかれた(笑)。
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2006年07月02日

面白くないNewsだけど




これで最後?チベ日記45
ラサ


鮮やか花火がダブルに祝福 夜を眠らせず
わが市昨晩五色の花火で青藏鉄道開通祝う


【7月2日=拉薩晩報】 本紙訊(記者:次仁卓瑪) 7月1日は党の85周年の誕生日、また世間の注目を集める青藏鉄道の生誕の日でもある。その晩、我が市ではあざやかな花火を打ち上げてこの歴史的な記念日を祝ったのだった。


ポタラ宮前広場は、人混みで動くこともできないほどの混雑ぶりでさらに人々は相当に熱狂。午後9時から噴水が音楽にあわせて動きだし、その生き物のように躍動感あふれる様子は色も形も多種多様。市民たちは噴水をじっと眺めたり写真に撮ったり、それぞれの顔は幸せな表情にあふれていた。


21時30分、色とりどりの花火がわが市上空に花を開き始めた。この瞬間、ポタラ宮前に集まった人々からは歓声が上がり、花火と音楽噴水とが織りなす幻想的な光景を永遠の記念にしようと、携帯電話やデジタルカメラをとりだしては我先にとシャッターを切り始めえるのだった。


「今晩は我々多くの市民が待ち望んで久しかった青藏鉄道のおめでたの日、このうれしさをどう表現していいか分かりませんよ」。ポタラ宮前で他の来場者の記念撮影の手伝いをしていた貢布さんはこう話した。「青藏鉄道の開通はチベットと祖国内地との連携をより緊密にすることを意味し、また我が区の社会経済をより発展させることを意味する。今晩、わが市はポタラ宮広場でこのような音楽噴水と打ち上げ花火で歴史的な記念日を祝った。ラサの一市民として、私はこの歴史的な日の到来を本当に嬉しく思うし、同時に心の中では鉄道開通後の拉薩およびチベット自治区全体が共産党の指導のもとで更に美しく、強く発展することを願ってます」


7月1日夜、ラサのありとあらゆる場所ではこのように青藏鉄道開通の祝賀ムードに包まれていた。



【評】

拉薩晩報は中共拉薩市委の発行。
なんでこんなお手前記事(評価:★☆☆☆☆)を紹介したかっていうと、それはズバリ、昨日の日記の訂正のため。


そうです花火


午後9時半に始まったのは今日の記事にもある通り間違いないんだけど、大間違いは



「ゴルムドを今朝出発した青藏鉄道一番列車のラサ到着を知らせる中国共産党の高らかな勝利宣言」


の部分。

ラサ着は本日未明0時31分だったというから、まだ花火の頃は青藏高原のどっか。たぶん那曲よりも北を走っていたはず。


間違いの理由は簡単。

列車本来のスケジュールだったらこの時間帯には到着のはずだったんだけど、この日はゴルムド駅およびラサ駅で出発前の記念式典が長引いちゃって、ね。胡錦涛なんかも来ちゃうもんだから…


それにラサホテル屋上にて、仕事さぼって花火見物に来てたチベ族服務員に

「もう列車が到着したの?」

「うん」

って言うんだもん。



とにかく、

訂正記事なんてめったに出そうとしない中国の新聞各紙(一部紙除く)よりも、なんて低姿勢なわたしなんでしょう。さらにこんなちょうちん記事まであわせて載せてあげちゃうんだから、日本人ってほんっと律義な民族だよね。




で、実際本日のわたし。


鉄道つながりで「決戦の日曜日」だったわけで、朝7時起き。今度は91番バスに乗ってラサ駅に向かいました。


バス停にはすでに相当な混雑が始まっていて、ドアを開いたバスに乗ろうとしたとき、後ろポケットに入れられていた財布をほんの数秒間すられるというハプニングも。

その瞬間、

「動くな。今、財布を取られた。周りにいる人協力してください」


と大声。

一人ずつバスに乗ってもらいながら、一人バスから離れようとした男の腕をつかみ、さらに「泥棒がいるぞ。スリがいるぞ」と叫び続けていたら、係員も近づいてきて、わたしのそばに落ちていた財布を見つけた次第。


それを手渡され、一応中身を確認したる頃には傍らの男はバスから遠く離れていたのでした。皆バスに乗りたくて、ラサ駅に行きたくて集まってきたはずなのにね(笑)。




で、なんとかラサ駅到着。


昨日は先述のように記念式典を終えてからの特別運行態勢だったため、本日が通常運行の正式スタート日。


列車は午前9時から順次ラサを出発するはずで、その時間帯にあわせて翌日以降の切符の発売も始まるという仕組みのよう。



まだ発売開始までは1時間近くあったんだけど、切符売り場にはすでに20人ほどの人だかり。


これが果たして多いの数なのか少ない数なのか。


切符が普通に残ってるんだったらなんてことないんだけど、見えざる力の影響で、発売前のはずの切符の大半がすでに売り切れ状況だったら大変な競争率になるわけ。



前の人に聞いても後ろの人に聞いても、どっかに打工に行くような雰囲気のおっチャンばかりだから、情報の信用性なんて限りなくゼロ。



とにかく待つしかない。あたって砕けろ


そういう思いでじっとしてると、やっぱりここは中国。すきを見ては、または堂々と、横入りしてくる老若男女がそれはそれは多いこと。



ただ、ここで活躍したのが監視役の警備員。かなりしつこく適切に、この悪びれない大人たちを排除してくれまして…

その駆除率はほぼ100%だからまあ驚き。そして感っ動!



ところがどんなところにもさらなる「害虫」「ウイルス」は飛来してくるもんで、そこに現れたのは望遠レンズ付き写真機と小型ビデオカメラを持ったフリージャーナリスト風日本人。


日本でこの青藏鉄道開通がどう報道されてるか知らないけど、中共政府が大手マスコミに対して自由な取材許可を与えてるわけもないんで、たぶんどっかのテレビ局の依頼で取材してる人みたい。

そういやブラウン管でもなんか見たことあるような、ないような。



どうやら最前列に並んでた人にお金を渡して列に入れてもらったみたい。
さらには身ぶり手ぶりでたぶん自分の分の切符まで購入しちゃったみたい。
更にその様子をちゃっかりビデオに収め、またどっか行っちゃった。
その際に赤い菊印のパスポートも見えました。


なかなか日本人も堂々としたもんだ。
訂正だけじゃなく提灯記事までのせた律儀なわたしとは大違い
あれがジャーナリストという人種なのか(笑)


と思いました。



鉄道切符.jpg

◎参考写真:で、何とかゲットできた成都行きのチケット。のどから手が出ましたよ



ところで、この青藏鉄道のチケット。
身分証の提示など何のチェックもなく購入できました。
5日発の硬臥(2等寝台)上段で671元(約1万円)。


それは「チベットを出る」切符だから簡単だったのかもしれない。
今までだってチベットを出る航空券、バスチケットも簡単に変えたわけだから。

いわゆるチベットに入るため、外国人は旅行代理店を通して中国人よりも高い金を支払わねばならない「入域許可証」の問題については、青藏鉄道開通の影響でどう変わったのか、それは後日他の有志の報告を待たねばいけないみたい。


ただ、その変わりに


「旅客健康登記カード」(白紙)
「高原旅行提示」(赤紙)

という2枚の紙をいただきました。


まず赤紙。

高原旅行をする前に身体に異常、不安のある人などは医者の診断を受けること、高原の自然環境を守ることなどを要請。


さらに白紙。

名前、性別、年齢、生年月日、国籍、住所、連絡先(携帯含む)などを記入する蘭があって、その上で、「高原旅行提示」の内容に同意したか、すでに3000m以上の高地旅行に適した健康状態であるか、についてサインを求めるというもの。


そして白紙は乗車前、車両担当服務員にその神を手渡さなきゃいけないらしい。

ただ乗客が外国人だったとしても、名前や住所などをパスポートと照らし合わせて確認するとも思えないし、旅客管理という目的からはちょっと外れると思うんだけど、ね。


もちろん、実際どういうチェックが行われるかなんて、乗ってみないと分からないもの。
その報告はちゃんとするつもりなんで、(一部鉄道およびチベットマニアの)みなさん、どうぞお楽しみに!
posted by 牧場主 at 00:00| 北京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | これは面白ニュース!? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月01日

古きを温め新きを知る




これで最後?チベ日記44
ラサー山南ーラサ


本日はチベットの源流を訪ねてみましょう的ショートトリップ。

チベット民族のルーツでありチベット仏教のルーツをめぐる旅。


ラサの南には山南地区というエリアが広がり、チベットの地域区分によれば「ロカ」。


ロカには、チベット初代国王「ニェティ・ツェンポ」の宮殿とされるユムブ・ラガンや、チベット最初の僧院でチベット密教の象徴的存在「グル・リンポチェ」のホームグラウンドとも言える「サムイエ・ゴンパ」などなど、この仏教王国がラサに都を移して「くに」としてまとまるまでのチベット黎明期のそうそうたる観光スポットが散在しており、なかなか通好みな場所。

日本でいうと京都よりも奈良、飛鳥にひかれる人だったら気に入るんじゃないかって思うんだけど、どうでしょう?


ところでこの山南地区は文字通り「山の南」にあって、さらにヤルツァンポ河もあるから、直線距離で近い割にかなり回り道をしなけりゃ行けなかったりする。

昔は日帰りなんてとうていムリ。更に外国人非開放地区(申請すれば状況次第で可)だったりしたもんだから、こんな面白そうなとこなのにチベット5回目になるまでわたしも足を運んだことなかったりする。


それが今じゃあ、結党85周年を迎えた(街中この旗ばっかでもう覚えちゃったよ)中国共産党のおかげ、地区の中心地、ラサから約180キロ離れたツェタンまでは完全アスファルト舗装。


さらにツェタンの先ではヤルツァンポ河に橋までかけちゃったりして、1日に数本しかない船を待って川を渡るしかなかったサムイエ・ゴンパにも、ちょっと回り道のツェタン経由ならラサからバス一本(片道40元)で行けるようになっちゃったのでした。



そんなサムイエ・ゴンパ行きのミニバスは午前6時半にラサ・ジョカン前広場を出発。ちょうど土曜日ということもあって車内は家族連れ風の巡礼者たちで満員御礼。午前10時過ぎにサムイエ・ゴンパ到着。


さすがにチベット最初の僧院。

その規模は壮大で、仏教の宇宙観をそのまま現したという建築様式は中央に大本殿、四方に白黒、緑、赤の巨大仏塔と4つのお堂を配した造り。さらに周囲を楕円形の壁に囲まれ、その中をぐるぐる回ってるだけで、なんかあり型〜待機持ちになれるから、ああ不思議。


というか、

ホントに最初の僧院か?


というくらいに完成度の高さだから何時間でもぐるぐるしていたい気持ちになれる。



さらにこの寺を特徴づけてるのはやはり「グル・リンポチェ」。


寺建立の際、仏教の普及を恐れて寺の建設を邪魔した土着の神々を退治するため、インドから招聘され、実際に密教パワーでことごとく神々を服従させていったという、実在の人物ながら神々をも超越してしまったまさに超人。

境内にはチベットにあるどんなお寺よりも三叉の髑髏棒をもって大きく目を見開いた彼の像や壁画があふれてて、ちゃんと伝説が根付いているところもなんか奈良・飛鳥時代チックでわたしを満足させるポイントだったりする。



サムイエ・ゴンパ.jpg

◎参考写真:サムイエ・ゴンパはそのまま立体曼荼羅。さらに境内とにかく「グル」まみれ



入場料は40元(約560円)。
十分に元を取れるだけの充実した内容でしょう。ここは


ゴンパ内でチケットを販売しているラサ行きバスは午後2時発。

ロカにあるチベット最古の寺院の一つタントゥク・ゴンパ、先述のユムブ・ラガン、そして飛行場に近いサキャ派の古刹「ラメ・ゴンパ」を経由してラサに戻るという、単なるラサ行きというより、どちらかというと「1日ロカ巡りツアー」の一行といった赴き。



ただし、タントゥク・ゴンパ。
入場料70元。チベ人はタダ。外人なめんな。


ユムブ・ラガン。

チベット初代王の宮殿だろうと、1982年の再建じゃあ60元払って中に入る気にもなれず。っていうか、高い丘を上って周りから宮殿の写真を撮るだけで十分に満足できるんじゃない。ここは


ラメ・ゴンパ。

なぜここに寄るのか分からない。ほかにもっと有名なお寺はあるのにね。サキャ派なのにゴンパの色はあの「グレーと赤」じゃないから他の宗派と区別つかず。


っていうか、ひもじくて死にそうなんですけど…

だってこんなに色んなところ寄るなんて知らなかったから、サムイエ・ゴンパでパワーの90%使いはたちゃってたんです、わたし。

そういや朝からスニッカーズ半分以外何もくってないし…



ラサに到着したのはサムイエを出て6時間以上たった午後8時半過ぎ。

ショートトリップというにはかなり長すぎる14時間の充実した「チベット源流を訪ねる旅」がようやく終わりを告げたのでした。



で、よ〜やく本日一発目の食事をいただき、さあひとっ風呂あびましょかという午後9時半すぎ。


「どーん、どん、どん、どん、ど〜ん」


静かに暮れゆくラサの空を轟かす不穏な音。
とうとうチベット民族の反乱が始まりました。


ではなくて、ある意味「終演」を意味する悲しい叫び。

ゴルムドを今朝出発した青藏鉄道一番列車のラサ到着を知らせる中国共産党の高らかな勝利宣言。


そういえば8時ごろ、ラサ近郊でチベ鉄線路の鉄橋をくぐったとき、バスの車窓から線路上で神経質そうに辺りを警戒する解放軍兵士らしき制服若造を確認したわたし。

たぶんラサ近郊では数百メートルおきに監視を配置しての大願成就。やっぱりまだそれなりに「突発事」を警戒しなきゃいけない状況、ではあるみたいね。



賑やかな花火の音が約10分。
さらに休憩をおいて約10分。

そういや日本で最後に花火を見たのはいつだったっけなぁ


思い出した。熊本で働いてたころ、なんかの出張で県南部に行って、その帰りに八代の花火大会を毎カローラの運転席から見たのが最後だよなぁ


あれは綺麗だった。さすが日本の花火師


それにくらべちゃうと…


遊園地のアトラクションよりもちゃちな感じだけど、ホテルの従業員の女の子たち(もちろんチベット族)も仕事ほっぼりだして屋上に上ってきて嬉しそうに見物してるし…



この前のカイラスツアーでしみじみ感じたこと。

韓国、オーストラリア、スコットランド、そしてチベット人という旅の仲間たちの中では我々日本人が間違いなく一番、先のことを色々考えて悩んだり準備したりする性格みたいなんだけど、


それと同じように悲観的な気持ちでこの花火を見てるのって実はわたしだけだったりするのかも


綺麗なもんは綺麗だからめでましょう
できたもんは仕方ないから活用しましょう


かなり利益にめざとく現実的なチベット人だからそう考えてるんだろうか。


ただ今日見てきたチベットの「ルーツ」たちとのギャップはやはり相当なもの。

変わりゆくチベットと変わらないチベット。そこには「温故知新」(論語)では理解しきれないほどの断続があるような気がして、鮮やかな光も煙も消え去り、静けさを取り戻したラサの夜空をしばらく眺めていたわたしでした。
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2006年06月30日

ギリギリのラサ駅下見




これで最後?チベ日記43
ラサ



いよいよ明日に迫ってしまいました。

チベットの政治的状況、経済発展、庶民の生活を根底から覆してしまう、意地悪な言い方をすれば「さらに漢化を加速させる」といわれている青藏鉄道開通の日。


わたし的には

ふう、何とか歴史的瞬間に間に合った


というとこなんだけど、開通したての電車に乗ってチベットにさよならを告げるという所期の目的を果たすためには、チケットを手に入れる必要があり。


ところが、カイラスツアー開始前から始めていた情報収集の網にかかった情報といえば、


「おかみから市井の旅行代理店には何の通達もなし」


というもの。


おいおいもう開通1ヶ月切ってんだよ。そんなんで誰が得するっていうの


なんて思いつつも、手に入らない物はしょうがない。状況の打開を期待してカイラスツアーに出っ発ってたのでした。



で、早速ラサに戻ってきたことだし、なじみになった代理店を再訪。


「…まだ何も知らない」


だって。開通あしたっすよ。
あんたら単にさぼってるだけっしょ。


ちょっぴり眉をひそめて声のトーンを落としてみると、なにやらごそごそとどこかに電話をかけ始めるテンジン君。



2,3カ所と連絡を取った上で、


「ラサ駅内にある『自治区旅遊局』に行けば今チケットが買えるそうだ」


「外国人でもOK?」


「大丈夫!」


と、とにかくすごい自信。


どうせ、休養にあてるつもりだった本日。何もする予定なんて入れてなかったわけだから、こりゃあ行くしかないね。


でもどうやって?


過去の日記でも紹介したように、ラサ駅はラサ河をはさんで市街地とは反対、南側。ただ、大まかな地図しかないからどれくらい南なのか、という大切な情報は未だ分からず。


試しにタクシーを止めて運ちゃんに値段を聞いてみると


「ラサ駅は遠いから片道60元(約900円)」


と市内固定価格の6倍の超インフレレート。
往復割引に応じる気配もなく、


ふざくんな、もう休養なんていらん。体で稼いでやる


とラサに来て初めてレンタサイクルに手を出すことに。


1時間3元(保証金400元)。
思った以上に整備されたマウンテンバイク。


これなら片道19時間までに駅に到着できればあのタクシーの運ちゃんに「勝つ」ことになる。


とにかく市内東にあるラサ大橋を渡らなけりゃ未知への旅は始まらないので、初めての自転車運転に若干気を使いながらとにかくペダルをこぎ始めることに。


約10分。
橋を渡るとそこは三叉路。

ガンデン寺、林芝方面へと続く道とは反対、つまりラサ河を下る西方向にハンドルを切るとそこには真新しい「ラサ駅10,5キロ」の看板。


ふっ、サイクリングにちょうどいい距離やなかね
それにしてもあの運ちゃん。ぼり方も異常すぎよ。たぶん正確な場所知らなかったんだろうね



道は若干起伏があったものの、エベレストBCやカイラス街道をチャリで走破しようともくろむ一部サイクリストたちの苦労に比べるとこんなのは余興の余興。

さすがに歌を口ずさもうとするとワンフレーズごとに深呼吸が必要なくらい息が切れるけど、チャリダーにしか味わえない優しい風は快適そのもの。


約30分後、目的地に到着したのでした。



ラサ駅見学.jpg

◎参考写真:とうとうわたしの前に姿を現したラサ駅。歓迎(警戒)準備もほぼ終了



で、目的地はあくまで目的のための目的地。
本来の目的であったキップの手配はできたのか?



はい。できませんでした。
わたしの狙ってた4日発の成都行き。


「2日から発売開始。だから2日にまた来い」


だって。
だいたい発売開始時にキップが売り切れてるのが中国鉄道人気路線の常識。


「そんな悠長なことは言ってられなかったりするんですけど…」


ということを窓口でぼやいてみても聞く耳持つ様子もなし。ねぇおばちゃん。



仕方なく駅舎見学および掲示板にて情報収集。


あれっ、2カ月前までは運行が当然のごとく報道されていた隔日発の上海行きと広州行きが影も形もなくなっているんですけど…


もちろんそれについて何の説明もなし。

わたしが山の方に行っている間に何かの発表はあったのかもしれないけど…。


さすが中国。やることが相変わらずめちゃくちゃだ。


で、結局のところこの5路線で当分の間は試験運行するみたい。
興味のある人がいるかもしれないから参考までに。


     距離と所要時間     価格(左から硬座/硬臥下/軟臥下)

北京   4064km/48h        389/813/1262 

成都   3360km/48h50m      331/712/1104

重慶   3654km/47h08m      355/754/1168

蘭州   2188km/30h13m      242/552/854

西寧   1972km/26h47m      226/523/810


わたしが注目するのはやはり成都路線。

なぜ硬臥の値段が一万円以上もするのか
なぜ北京や重慶行きよりも時間がかかるのか


など不満な点もあるものの、まあおおよそは予想の範囲内ってところ。



わたしにとっては何よりも切符を手に入れられるかどうか、明後日にもう一度運命の日が訪れるわけで、「決戦の日曜日」ってわけ。

それではみなさん、わたしの幸運をぜひ祈っててちょうだいな。



追伸:自転車による往復は2時間で都合6元。とてつもなく安くつきました。

でも、ラサ市内からは新規「91番」バスがそれこそ5分おきくらいに走ってたんで、賢いみなさんは路線バスを利用しましょう。始発はラサ大橋にも近い東郊バスターミナルそばから。大きなロータリーがあるんでそこで待ってりゃすぐつかまるはず。わたしも次回からはバスを利用します。
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2006年06月29日

海が恋しくなりました




これで最後?チベ日記42
サキャーシガツェーラサ


「ふ〜りそっそぐ陽をあ〜びて……新しい旅へとともに出て行こう…お〜しゃん♪」


いやぁ、いいねぇ。男だねぇ。

池沢さ〜ん、死ぬなぁ〜!



サキャでありついた一泊15元の6人部屋ドミトリー。


安い割には清潔でテレビも常備。

迷うことなくCCTV5(スポーツチャンネル)がやってた「ワールドカップ8強への軌跡」に右目と右耳を集中。


さらにたこ足コンセントまであったりしたもんだから、ラサにて購入し何とカイラス巡礼までともにしたDVD「海猿」をわがPower BookG4にインサート。

左目と左耳はそのまま日付変更線を越えるまで海の男たちの専属監視役になったのでした。


全11話のうちたどり着きましたクライマックスも近い第8話。


ここまで見ちゃうと、日ごろから冷静な目で社会を「斬ろう」と心がけてるわたしであってもかなり感情移入してしまうわけで、細かいつっこみはありつつも、


海って結構いいかも。だって夏だし

そういや沖縄に行きたいなあ

あ〜、チベットって一番海から遠いとこにあるんだよなあ

それに「海の高僧」もポタラ宮からインドにいっちゃてもう50年以上たっちゃうわけだし…。


なんて考えてたら山派から海派への転向宣言もかなり間近な風向き。チベ旅もなんだか終わりが見えてきたような気分。



でもね。

昨日までの感動もまた忘れたくない。
だから最後まで全力投球は欠かせない。

本日もシガツェに戻るバスの出発時刻午前11時までは人並み以上に汗を流して観光に精を出すことにいたします。


昨日見たのがサキャ派の伝統の粋がほぼ完璧に残っているサキャ南寺。
で、これから向かうのがサキャ派の伝統の一切合切がほぼ完璧にぶちこわされたサキャ北寺。


南寺からは川を渡ってそのまま山の斜面を約100メートルほど登った地点。


歴史を好きな人って自分も含めて「冷静になれば残酷な趣味だなあ」と思うことがあって、破壊には破壊の、人殺しには人殺しの、さらに滅亡や消滅といったものにまでロマンを感じたりするもんだけど、一般的にいってそこには適度な時間の風化があるわけで…


でもこちらのサキャ北寺の破壊なんてたかだか40年前の出来事。

それなのに見た目なんてグゲ遺跡と同じ。ただただ壁の跡、階段の跡があるのみ。

ここにお寺があったなんて言われなけりゃ絶対分からない。巨大な仏像があったとも精緻な仏画が掛けられていたとも、大勢のが学んでいたとも何一つ証拠を残さない、まるで完全犯罪を狙ったような徹底ぶり。


現在、敷地内では修復作業が緒についたばかり。


30人くらいのチベット人がとりあえず穴を掘ったり土を右から左に運んでいるだけで、いったい何をしようとしているのか、その全体像が見えてくるのはまだだいぶ先になりそう。


それなのに

作業をさぼって(休んで)仲間とおしゃべりしていたチベタン若者男性。完全にわたしを中国人だと思ったようでのっけから中国語で、


「すいません。お金を恵んで下さいませんか」


だって。


日本人だと「恵んでもらうこと」には若干以上に心の抵抗があるわけだけど、チベット人って「ダメで元々。言ってみるだけ言ってみよう」って考え方なのはもう十分知ってるし、実際にチベットではいたるところでそういう声をかけられてきた。


でも、自分たちの心の支えのお寺をここまで完全に壊した側の人間(と彼は思った)に対して、まさに破壊のその地において「お金を下さい」って言っちゃうのはやはり悲しいことでしょう。


「自分で働けるでしょ。怠けたらもっと大切なもんをなくすよ」


そういってあげましたよ。

もちろん、これまでインドだろうと東南アジアだろうとアフリカだろうと、当然チベットでも、一度として「お金は」与えたことがないわたしだから、どんなシチュエーションだろうと財布が開くことはなかったんだけど、ね。



さて、そんな北寺散策も終え、まだ30分近く残っていた時間をさらにどん欲に活用。昨日に引き続いて2度目となる南寺へ。



サキャゴンパ2.jpg

◎参考写真1:「いやぁ、やっぱ寺の参拝は午前中に限るよ」と思った次第ですわ


昨日あれだけ「暗い」「見えない」「見られない」だった寺院内の壁画や小部屋だったのに、東からの太陽がうまい具合に部屋に差し込み、部屋の明るさが昨日午後とは段違い。


さらに地元参拝客が多いこともあって、昨日は入ることができなかった色んなお堂にも入ることができ、そこにはお化け屋敷のような「こわ面白い」壁画や人形が飾られた部屋もあったりなんかで、


さすが宗派総本山ともなるとアトラクション性まで考慮に入れているのか


とうならされるばかり。
ほんと30分の経つのが何と早いことか。


…出発1日延ばそうかな?

でもやっぱ「お〜しゃん♪」見ちゃったしなぁ。やるべきことはすべてやったでしょう


とシガツェ行きのバス。
昨日のウーパールーパーと韓国風女性はすでに着席。
何しにきたの彼女ら?


シガツェまでは約4時間半。

バスターミナルにて1時間強のバス待ちでラサ行きは午後5時50分出発。

そしてラサには午後10時着。


前回北チベットから辿り着いたときとほぼ同じような時間帯。

定宿「ヤクホテル」に荷を下ろすと、道路をはさんだ一軒のツーリストレストランにてピザとビールで乾杯。


ご苦労ピッツァ.jpg

◎参考写真2:それにしてもなぜ「ピザ」なんだろうねぇ。まったく不思議です



前回は旅の連れだった香港人、ダルマ監督と甲斐君40代バージョンと一緒の乾盃。
でも今回は西チベットまで20日近くをともにした旅の連れはカトマンズ、のはず。


だから一人の乾杯。

ピザもビールもそこそこの味だけど、悪くない。

いや、うまい。

幸せだ。
posted by 牧場主 at 00:00| 北京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | またまた旅に出ました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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