2006年07月12日

貧食と飽食のはざまで




う〜ん。

だめだ。


経験したことがある人は同情してちょうだい。

あくびしようにも口から違うもんが出ちゃいそうな緊張状態。
おならするのにも下から違うものが出ちゃいそうな緊張状態。



もう死にそう。

いや、死にたい。


そう、わたしは死に体。



前門近く、大柵欄の一角にあるLEO HOSTELのドミトリー15人部屋。

すでに時計は正午近く。多くの西洋人宿泊客たちは本日の観光に出かけていったというのに、わたしといえば寝返り打つのがやっと。まだまだこの油断できない状態から抜け出せる気配なし。


すべては昨日、健康診断後に行われた狼藉たちの因果応報。


あ〜ぁ、昼にロースカツ定食、どんぶり三杯半食ったのがいけなかったかなぁ。

でもやっぱしろいごはんはうまいよ。感動でしょう。中国産東北米ってきいてたけど、ほんとバカにならんよ中国の米も。チベットじゃ一度だって白米に手を出そうなんて気にならなかったし。何より白飯自体2カ月以上ぶりってのも最後さらに半杯おかわりさせたくらいのバリューはあったね。



それとも夜の「焼き肉」かなぁ。

だってあんなうまい肉食ったの久しぶりだったし、リミッターはずれちゃうのもわたしのせいじゃないよ。

あれだけ色んな肉をくっといて、野菜にまったく手を出さなかったのは不覚だったなあ、何か肉食の魔物にでも取り憑かれてタンかなぁ。


さらに4人でビール20本だもんなぁ。

相手はトンカツ屋の大将の名を借りた「北京のうわばみ」だったしなぁ。久しぶりの再会だったし、それにマイ日記よく読んでもらってるお得意さんだったとしてもあのペースに付き合う必要なかったんかなぁ。

それにあそこまでのギンギンビールなんて民族大日本語科4年生の連中(祝!卒業)につぶされて以来一年ぶりだったし…



そんなこと思い出すたびにまた


上はうぷっ



下はビーゴロゴロ



美味しいものがないがゆえに食事は生きていくための必要最低限、一日一食も珍しくなかったチベット時代に極限まで縮小してしまった胃袋、同時期、ほぼベジタリアンと化していたために大がかりな消化活動をする必要もなく怠け者になってしまった大腸小腸。


そいつらにカツを入れてやるつもりもなかったんだけど、とにかく二日酔いと食べ過ぎのダブル攻撃に胃袋から下はかなりびっくりしてしまったようで完全ストライキに突入。


トイレに行く回数も、トイレで排出する「ぶつ」も完全にインドモード全開だもんなあ。インドに行くのはまだちょっと先なのに、さ。


今までいくら二日酔ってても、こんな腑抜け状態が昼の12時を過ぎることはなかったはずなのに、どうしたことか。まだまだ復活には時間がかかりそうな気配。


「牧場主さん、もう我々は若くないんですよっ」


そんなKATO氏の発言認めるのも悔しいしなぁ。



そうだ。
こいつがいけないんだ。


こらっ、

わたしの前のベッドの西洋人男っ!


全裸で寝るな。
早く観光に行けっ!


外人のけつ.jpg

◎参考写真:こんなん見せられ続けたら、またトイレの回数が増えるだろうがっ!
posted by 牧場主 at 00:00| 北京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 食い物、飲み物腹一杯 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月11日

健康診断またかの秒殺




成都から北京にやってきた理由。



やっぱ食い物。

そうそう、美味しいものいっぱいあるよね。ばんりのトンカツでしょ、四海楼の水餃子でしょ、日本じゃ今だに解禁してないらしい吉野家の牛丼でしょ(笑)。


やっぱ友だち。

昼間は勉強に明け暮れてた北京時代。ただし、夜にもなれば一気に「白酒友の会」モード。酒の力を借りて、色んな日本人たちと知り合いに。彼らとの再会もまた大切。


そして、

やっぱ健康診断。

北京といえば健康診断だよね。普通受けるよね。っていうか、これを受けなきゃ北京来た意味ないよね。



ということで、北京入り翌日の本日はさっそく健康診断。



場所はもちろん、「北京市国際旅行衛生保険中心」。

場所は地壇公園の北側。地下鉄環状線の輪の北に位置する安定門駅が最寄りで、ここから安定門外街道を北に徒歩約10分。UFOのような巨大歩道橋がかかる巨大交差点を右折してさらに徒歩5分。右側にあります4階建ての新しい建物にたどり着けば、まち歩きは終了(2005年6月30日「健康診断まさかの秒殺」より)。



ちょうど一年前、西藏大学に入学拒否をくらうとはつゆ知らず、「ここで健康診断受けて証明書を発行してもらっとけば、あとは大学から入学許可証さえ届けばすぐに留学ビザの申請ができるね」と、希望に燃え萌えで訪ねた「北京市国際旅行衛生保険中心」。


その近代的でクリーンな設備といい意味でいい加減な検査、学割約半額という「思いやり値段設定」で、ただ単に紙っきれ一枚がほしかっただけのわたしを感動させた、あの「北京市国際旅行衛生保険中心」。


健康診断.jpg

◎参考写真:一年後もそのすばらしさは何も変わっておりませんでした。


とにかく、うっまいのはっやいの、やっすいの♪


と筋肉スグルじゃなくても歌い出したくなるくらい、診断受けてる人は少なくないのに決していらだつような行列にはならない手際の良さ、やっつけ仕事。前回が900秒くらいでフルコース終了だったのが、今回は1200秒(20分)くらい。


でも、韓国人お偉いさんの通訳として同行していた朝鮮族のおっチャン(実は同世代くらいだったりして)としゃべってたんで時間はあっという間、楽しいもんです。


要するにこの検査で重要なのはHIVと梅毒のネガティブ証明ができるかどうかだけなんだし、そんな心当たりなんて「あろうはずがありません」(ここ強調)から、ね。楽勝よ。


あと、前回検査医師に自己申告して疑われた「体重」なんだけど、さらにこの一年間で6キロ減少。とうとう70キロにまでそぎ落としてしまいました。たぶん中国に旅立つ前の2年前からだと、肉じゅばん2枚くらい脱いだ状態になるんじゃないかね。

2年間で大好き水餃子約2400個分のダイエット

それを希望するみなさん、ぜひ牧場主式「四川火鍋ダイエット」に挑戦する価値あるかもよ。


さあ、証明書を受領できるのも間1日はさんだ2日後。


結局一年間どこにも提出することなく自分で持ち続けてしまった昨年の健康診断書、それと同じ運命をたどらないことだけを希望。


大丈夫よ。今度はインドだから。

昔からよく言うでしょ、「インディアンウソつかない」って。
posted by 牧場主 at 00:00| 北京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 他にもまだこんなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月10日

一座来到就不想離開…




正式には

「一座来到就不想離開的城市」。


直訳すれば

「一度来ちゃうともうダメ。離れられなくなっちゃう町」。


西洋人にも分かるよう、

「ネバーランド」


この適訳で住人を自称する人(≒重症者)たちもあり。



つまりのところ、中国西南部に位置する一地方都市の成都(広義に「四川省」でも可)こそ、この「離れられない町」というわけ。

実際のところ、人々をドツボにはまらせる魅力があるようで、こんな恐ろしい「メッセージ」を街中のいたるところで堂々とPRしているという信じられない町。

メッセージ自体は中国語なんだけど、ここはまっちゃうのは中国人だろうが日本人だろうが分け隔てなし。

それはわたしの日記でも十二分に紹介してきたはず。




なぜ来たのかはもう分からない

けども、ゆる〜い瘴気に全身汚染

日系四川人などと名乗りだし

20数年培った勤勉さも完全放棄

火鍋と美女に囲まれる毎日

いつのまにか激動の世界情勢などどこ吹く風


だってここが天国だから…


そんなうめき声にも似た囁きが、川大留学生寮、民族大教員宿舎などから漏れ聞こえて来るというから、そのおぞましさはC級スプラッター映画以上。



「もうこんなところ捨ててやる。二度と来るもんかっ!」


と思って、徹夜明けの朝もやのなか、麻雀悪友たちに見送られながら初めて成都を去ったのが2005年1月中旬のこと。


その後、1回…、2回…、3回…、


ひゃぁ〜 もう4回めっ!


まるで番長更屋敷のお岩さんのように何回も何回も去り際を演出してしまいました。



「だって旅行にいったらまず帰ってくる場所が成都だから」


という理由もあるんだけど、


「成都に帰るために旅行してる」


といえないこともなし。


まるでダイエットをしてはリバウンドを繰り返す、危うい道を突き進む乙女のよう。ようする誰よりも「はまっちゃった」こと、最後の最後になって気付いてしまったわたし


です。

でも、

最後

です。

ほんとです。


そんな成都世界を本当に後にします。


すでにもう北京。
故宮前では毛主席にも当然の三拝九拝。






次は「一年後」にしか帰ってきません(笑)。


だってもう友だちに約束しちゃったんだもん。しょうがないじゃな〜い。


そこに成都がある限り、わたしとこの町との腐れ縁はもう切れないんだろうね。


最後の部屋.jpg

◎参考写真:もう何度も見慣れた風景。黄金の4人。成都麻雀もうするなよっ!



さあ、

「抜け出せない町」にて永遠の時間を刻み続ける素直な住人たちよ。

とりあえず1年間、待ってておくれ。


先んじて地獄を抜け出せたと安心している浅はかな者たちよ。

わたしの後追いで世界各地に出没くれてもOK牧場。そして運命に導かれ、またあの町に戻って行きなさい。


成都に巡り会えたこと、それはもうとっても幸せなことなんだから(笑)
posted by 牧場主 at 00:00| 北京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | ちょっと思ったこと。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月09日

鮮やかに火鍋隊引退式




チベから日本へ日記2


今日は火鍋隊。


ただし、火鍋隊サイドバックのわたしが無事にチベットから帰還したことを祝う「隊活(部活)」の意味合いは純正10%くらい。



やはりここでも裏で糸を引くは日系四川人のゴッドマーザーmingxizi大姐

彼女もまた、あと一週間もすれば日本に当分帰国してしまうということで、火鍋隊メンバー総動員態勢で緊急スクランブルとなったのでした。



場所は前回の「発表!火鍋隊日本代表」(5月16日)と同じ。
参考→ http://itoyama.exblog.jp/m2006-05-01/#2196821
四川大学そばの高級火鍋ストリートにある「玉龍」。



参加者は総勢11人。

そう、またもやの11人…

ならば、

これでいってりゃ予選リーグで敗退することはなかったであろう完璧「フォーメーション」で地獄油に攻め入るか?



いやいや

本日はわたしの友だち、北京からの刺客(政客)も現れ、さらにmingxizi大姐の徳をしたって地元四川からも2人のメイニュウが参戦いたしましての11人編制。



別れを惜しむ態勢は整ったものの、オシム・ジャパン招集にはちとまだ早い。



とにかくわたしの会うために成都にまで現れてくれたのは最高に嬉しいんだけど、火鍋の前ではわたしもそんな私情はぬぐい捨てて「剥き出し」にならざるをえないわけで、


「ぜひ本場成都の火鍋が食べてみたい」


という彼はまさに飛んで火にいる夏の虫。


挑戦のメッセージにも聞こえてしまうようななデンジャラスな発言をしてしまった政客「イーガオ」を引き連れ、実質的主賓に対するなんちゃって主賓のせめてもの抵抗。みなが食い始めておそらく30分後、一番もったいつけて最後に登場してみたのでした。



ところで、これまでに成都および北京にていくどとなく酒の席に遭遇、邂逅、時に語らい、時に迷い、時に討ち死んできたわたしだけど、成都組と北京組が同席する飲み会ってのは本日が初めて。


もともとわたしの酒のスタイルってのは、大勢の席では人の話を聞きつつ酒と食い物をかっ込み、一対一、一対二とかの少人数の席ではある相手とじっくり話を重ねつつ酒をちびりちびり。


ところが今日のような場合、当然ながらわたしを通じてしか繋がらない人間関係というのもあるわけで、


ビール瓶片手にあっちこっちにお声かけ、彼は楽しんでるかな、あっちは一人さみしそう


なんてのは、一番の苦手分野。


そんなの飲み会なんだからアルコールの力ですぐみんなぶっちゃケチャうっしょ。ぜんぜん気にすることないじゃ〜ん



って思うんだろうけど、


結果、

どうだってのかって?



スキさえあればかんぱ〜い!
嬉しいことあればかんぱ〜い!


と盛り上がる北京風はここでは全くの御法度というか、だれもやらないそんなこと。


いや…

きょうはいた。



四川有数の日系、中国系メイニュウをそろえ、有数の火鍋屋にお連れしただけに


「いやぁ、牧場主さん。からいけどうまいっ。美女に囲まれ最高っ」


と嬉しさげ120%の政客「イーガオ」。



当然ながら喜びの表現方法は


「今日は楽しいな。だから飲みましょう」でありまして


「かんぱ〜い」「干杯」


九寨溝観光で買ってきた50数度のアバ秀産「チンコー酒」もフトコロから取りだして


「かんぱ〜い」「干杯」


と満足していただけることは非常に嬉しかったのね。

ただ、それに付き合ってくれるのは女性陣の数人、mingxizi、チュンチエンなど大物勢力のみ。

火鍋隊に紛れていた火鍋愚弄隊の男漢子(塾長、xiaochuan)どもの大人しいこと大人しいこと(笑)。


で、わたし。


火鍋屋に行って火鍋を殆ど食べなかったこと


生涯初めてでした。

これも30分ほど遅れていった罰でしょうか。


空きっ腹にアルコールをどぼどぼ流し込むよりは、たとえ油、唐辛子、花椒まみれの火鍋具材であっても胃の中に入れていた方がどれだけ酔いの進行を抑えてくれるでしょうか。



とにかく、こんなべろんべろんになったのは久しぶり。


火鍋手書き.jpg

◎参考写真:写真を撮るのも忘れてしまいました。撮った人誰かちょ〜だい!


最後の火鍋隊活動で火鍋を食べないというのは失態なのか、それとも別れ際ってのは往々にこんなものなのか。


一応は引退式じゃなかったっけ?


お涙ちょうだいはないの?


そんなことみぢんも考える余裕ないくらいニコニコしていたらしい当日のわたしでした。



だって「わが火鍋隊は永遠に不滅」「火鍋フォーエバー」でしょ、対不対?
posted by 牧場主 at 00:00| 北京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | いろんな交流してます | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月08日

終わったんでまとめる




これで最後?チベ日記50



前回1月末から3月上旬にかけて東南アジア、インド、中央アジアをさまよった「節操なしの旅」が40日間のぶらぶらだったわけだけど、今回の「これで最後?チベ旅」はさらに10日増えて計50日。


そりゃ楽しいこともあっただろうさ


でも…


まっ、とりあえず振り返ってみましょうよ。




《うまいもんランキング》


う〜ん残念。

何もうまいもんなし。


ちょっと語弊があるかもしれないけど、とにかく旅に疲れたとき、


「あ〜あそこについたらうまいもんが待ってるから、もう少しの辛抱だっ」


とわたしの心に元気を与え、実際に人よりちょっぴり旺盛な食欲を満たしてくれたもの、それは全て登場済みの古株たち。新顔、新しい発見というのはなかったね。


けっきょくラサにいたときにくてったもの、幸せを感じてたもの


それは、水餃子、蘭州拉面、ピザ。


だいたいさ、チベットには食文化が培われる土壌がないのよ。水が70度くらいで沸騰する高地でうまい料理ができるはずがないでしょ。ようやく圧力鍋が田舎まで普及するようになった今後、次世代をになうチベット料理のシェフが誕生する可能性があるのか、と考えた場合も、


たぶん中華くっちゃうんだろうなあ


というのが予測。
だってうまいもん、ね。


だから、


ラサ玉林.jpg

◎参考写真1:チベット初体験の味をあげるなら火鍋、かの「玉林串串香」のラサ総店


になるのでした。




《よかったとこBEST10》


まずはヒマラヤの象徴、世界に誇る峻嶺たち。


1,カイラス山
2,エベレスト山
3,四姑娘山


は言うにおよばず。

そして

4,名もなき山


チベット富士.jpg

◎参考写真2:たちだって、その美しさに何度もため息をつかされたものか…


続いては探検基地としては最高だった

5,グゲ遺跡(ツァンダ郊外)


写真は撮れなかったけど、その雄大な景色に圧倒された

6,三江上流域(嚢謙手前)


はゆっくりできなかっただけに思いっきり心残りながらランクイン。


そしてチベットといえばかかせない、チベ仏のお寺さん。

7,パンコル・チョルテン(ギャンツェ)
8,サムイエ・ゴンパ(サムイエ)
9,サキャ・ゴンパ(サキャ)
10.ツルプ・ゴンパ(ラサ郊外)


どうしても歴史系、マイナー系宗派に偏ってしまったんだけど、あえて現在の最大勢力ゲルク派6大寺院であえて一カ所あげるとすれば


番外、ガンデン寺


かな。


《よかった人3傑》

香港3人組
SHUHEIさん
玉樹のチベ人少年

ほか、巡り会った全てのみなさん


《その逆な人3悪》

カイラス巡礼を終えて清廉潔白になったわたしが、どうして人のことを悪く言ったりするのでしょうか。いや…



◆そして最後のおまけの出納帳


5/18(成都ー日隆ー四姑娘山)    132,5元

5/19(四姑娘山ー日隆ー成都)      169元

5/20(成都ー若尓蓋)        182.7元

5/21(若尓蓋ー合作ー夏河)     105,4元

5/22(夏河)            109.5元 

5/23(夏河ー同仁ー西寧)      261,3元

5/24(西寧ータール寺ー西寧ー)   125,1元

5/25(ー玉樹)              78元

5/26(玉樹ー嚢謙)            88元

5/27(嚢謙ー類烏斉)          155元

5/28(類烏斉ー丁青)           96元

5/29(丁青)               56元

5/30(丁青)               54元

5/31(丁青)               51元

6/01(丁青)             46,5元

6/02(丁青)             65,5元

6/03(丁青ー巴青)            28元

6/04(巴青ーラサ)           180元

6/05(ラサ)             88,5元

6/06(ラサーツルプ寺ーラサ)    174,5元

6/07(ラサ)            216,5元

6/08(ラサーガンデン寺ーラサ)   112.2元

6/09(ラサ)             2812元

6/10(ラサーギャンツェ)         47元

6/11(ギャンツェーシガツェーラツェ)  194元

6/12(ラツェーロンボク寺)       219元

6/13(ロンボクーエベレストBCーロンボク)51元

6/14(ロンボク寺ーディンリ)       70元

6/15(ディンリーサガ)         102元

6/16(サガーパヤン)           53元

6/17(パヤンーカイラス山)        97元

6/18(カイラス山コルラ(一周トレック)) 40元

6/19(カイラス山コルラ)         16元

6/20(カイラス山ー門士)         59元

6/21(門士ーツァンダ)          66元

6/22(ツァンダーグゲ遺跡ーツァンダ)  206元

6/23(ツァンダー???)         88元

6/24(???ーテントー門士)       10元

6/25(門士ーパヤン)           37元

6/26(パヤンーサガ)          220元

6/27(サガーシガツェ)          45元

6/28(シガツェーサキャ)        120元

6/29(サキャーシガツェーラサ)     173元

6/30(ラサ)              101元

7/1(ラサーサムイエーラサ)     170.7元

7/2(ラサ)             745,4元

7/3(ラサ)               116元

7/4(ラサ)             545.8元

7/5(ラサーゴルムドー)          18元

7/6(ー西寧ー蘭州ー宝鶏ー)        32元

7/7(ー成都)                1元


                 計 9030,1元


50日間で使ったお金、あんなことやらこんなことまですべてひっくるめて9030元(約12万6000円)だから、1日平均約2500円。

ちなみに前回の旅は5カ国40日間で約23万5000円。
やっぱ飛行機使わなかったってのが一番大きいでしょう。

「陸路移動」にこだわった成果が数字的にも証明されたってわけね。



で、最後に重要な問題。


「これで最後?チベ旅」ってほんとに最後なの?


今すぐにでもチベットに戻りたいっ!


そんなモチベーションはみじんもなし。それくらい今は完全燃焼に近い状態。だから当分はないでしょう。でも


「呼ばれてるっ」


って感じたときはどうなるかなんて分かんない。
今回旅してみても、やっぱ嫌いじゃないってことだけは改めて確認できたわけだし、ね(笑)。


チベまとめハ真.jpg

◎参考写真3:それが数十年後なのか数年後なのか、それとも…明日なるか
posted by 牧場主 at 00:00| 北京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | またまた旅に出ました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月07日

今年はおだやかに、ね




中印シルクロードの復活
四川商人のビジネスチャンス限りなく
亜東の商人7割以上は四川から
長距離輸送、飲食、生鮮品販売などは川商の天下


【7月7日=華西都市報】

世界の人口2大大国を隔ててきた鉄条網が静かに撤去された。44年の時を経て、中国とインド両国は6日午前、チベット自治区亜東県とインドのシッキム地区とにまたがる乃堆拉山口の国境を開放した。


この場所はかつての「シルクロード」南線の主要ルート。中印両国によって数百年にわたって友好的に行われていた国際貿易が復活するとともに、中国とインドはそれぞれ仁青崗辺貿易市場と昌古辺貿易市場を相手国民に開放することになった。かつて両国軍が対峙していた国境には多くの人々が流れ込み、商人たちは握手をしたり記念撮影をしたり互いにチベット仏教のカタを奉じあったりしてこの記念日を祝福。屋台でチベット産の香やツァンパなどを販売していた53才のロサンさんは「長年待ち望んでいた市場がとうとうオープンした」と喜んでいた。


北京時間午前10時、中印両国は乃堆拉山口の両側にて同時に両国旗を掲げた。11時40分、辺境貿易は正式にスタート。インド・シッキム州のチャムリン首席部長の司会で開通式が行われ、式には中国西藏自治区人民政府のシャンバピンツォ主席、中国駐インド大使館の孫玉尓玉大使らも出席。終了後には、中印双方の市民がそれぞれの国境を越えて現地の様子を参観したものの、この日実質的な貿易が行われることはなかった。専門家によれば、乃堆拉山口のオープンおよび7月1日の青藏鉄道の開通は、中国とその隣国であるインドとの現代のシルクロードの開通を意味し、「調和のとれた地区」の建設を促進させるという見方。


西藏亜東地区貿易の開放と青藏鉄道の開通は、インドを中心とした南アジアとのビジネスにおける四川の企業の優位性を際だたせるものでもあった。現在、四川商人は大挙してチベット市場に進出しており、この南アジアとの商機も的確につかむとすれば、他に先駆けて商機を独占することになる。


分析者によれば、乃堆拉山口での開放の初期段階においては、シッキム方面からの貿易額は毎年2億ドル程度とみられる。このほか、青藏鉄道の開通によって、中国内地から乃堆拉山口を通じた南アジアへの商品の流れやその種類は増加を続けるという見方。中印両国の潜在的な貿易規模は決して低いものではなく、中国西南部と南アジアがひとつの貿易圏として一体化するという局面すら想定されるという。青藏鉄道は今後さらにシガツェ、林芝などに延伸する計画で、この亜東もまさにシガツェ地区に位置している。新しくオープンした乃堆拉山口は疑いなく南アジアの陸路大動脈となり、中印貿易を拡大させる。


☆亜東はまるで成都周辺の田舎町

「亜東乃堆拉山口は西部地区で最も海に近い交易地であり、その再開は大量の物資の輸出入や価格の低下を促し、それは四川にとっても十分なメリットになるだろう」。亜東現地の責任者はこう話す。「亜東で商売をやっている人の7割以上は四川から来た人たち。この辺境貿易の再開を彼らは間違いなく千載一遇のチャンスとみている」。乃堆拉山口のオープンは彼の地で商いをしている四川商人たちを特別興奮させ、その利益を得ようと目を光らせている。


亜東は四川商人の天下

現在亜東には四川出身者による店が250件程度開かれ、飲食店やホテル、百貨店、建築請負から長距離バスの運営まで、その内容は多岐にわたる。「亜東に来ればチベット自治区にいるというよりも成都周辺の田舎町に来たような気分になる」と嘆くのは広州からこの地で商売を営む男性。「亜東はもう四川人の天下だよ」と続けた。


「20世紀80年代中ごろ、亜東に最も早く訪れた四川人は全て野菜の売買人だった。その後経済の発展につれてどんな商売でもやるようになり、現在の亜東は内地のどの地方とも大差のないほどに発展した」。亜東最大の百貨店(雑貨屋)の社長で四川出身の文礼徳さんはこのように振り返る。「私たちは何でもやってきました。亜東とシガツェを結ぶバスの経営者もまた基本的に全て四川人です。私も自貢の出身ですし…」。運転手の宋林さんもこう話した。


亜東では運輸関係以外にも、飲食業、野菜の販売などの分野もまた基本的に四川人によって行われているという。


四川と南アジアとのビジネスチャンスを開く

四川商人の存在感はすでに亜東およびラサ地区では重要な地位を占めており、南アジアとの陸路の大動脈が日を追って整備されていくとすれば、四川人もまた南アジアとの多くの商機を最も身近な場所でえることができる。「チベット乃堆拉山口のオープンと青藏鉄道の開通は、四川企業に対してもインドやその他南アジアのマーケットに対して一つの大きなビジネスチャンスを与えたことになる」。四川大学南アジア研究所の文富徳所長は数日前、このように明言した。


「青藏鉄道の開通に加えて今回の乃堆拉山口オープン。西藏、青海、甘粛、寧夏、四川など多くの内陸省にとって、中国と南アジアとの人と物の往来を促すものになる。特に四川は南アジアと地理的にも近く、だからこそ四川企業にとって大きなチャンスを意味している。乃堆拉山口の開放でインド進出の大きなチャンスとなりえるだけでなく、南アジア全域に展開する足がかりでもある」


この二日間、亜東辺貿易市場で取材した結果、インドなどの南アジア国家では四川の絹製品、食品、漢方薬、小型電子商品や日常品などの人気があり、亜東最大の百貨店の文礼徳社長は「ネパールやブータンの商人の多くは私の店にある小型家電などが人気ですね」と説明した。


予測:特殊探検ツアーも商機

亜東乃堆拉山口における辺境貿易の再開は、旅行業界にとっても、特殊な探検ツアーといった企画などでも商機を呼び込みそうだ。今後旅行者が南アジアへの陸路ルートをたどって亜東からインドに入国するようになれば、彼らは青藏鉄道沿線の高原雪山の景観を楽しみ、チベタンアンテロープなどの珍しい高原の生き物を観察。チベット自治区に入った後は高原特有のチベット族の生活習慣やヤルツァンポ川大峡谷の風景などを堪能。最後に亜東からインドへの入り、インドの最も開放された先進的な一面と、シッキム地区の最も伝統的なインド文化を楽しめる。「この完璧ともいえる青藏鉄路ーチベットーインドの旅行黄金ルート、今後少なからぬ成都の市民が先を争って観光に訪れるに違いない。亜東経済の発展に伴い、更に相当程度の資本の投資も必要になるだろうが、旅行業もまた(貿易と同じ)一つのビジネスチャンスになるだろう」。成都のある旅行関係者はこう話した。


中印貿易.jpg

◎参考写真:シッキムから亜東にやってきた人たち。わたしも混じりたいっす



【評】

世間に反日旋風が吹き荒れていた昨年の7月7日。


あろうことか北京市郊外にある廬溝橋の中国人民抗日戦争紀念館、あろうことか廬溝橋事件が発生したズバリ7月7日、リニューアルオープンしたその日に「他流試合」を申し込み、門番の“わかぞう”武装警官どもとちょっとした小競り合いを演じたすえ、無事「門前払い」をくらったという、若かりし一年前。


今じゃカイラス山巡礼も終え、その達観の程度は、高卒を期にきっぱり暴走族を卒業したばかりの19歳の元ヤンなみ。


「牧場主先パイ、マジ落ち着かれましたッス!!」


なんて歯の溶けた後輩連中に言われそうなくらい丸くなったわたし。


だから今年は反日のハの字もあおることなく、未来を前向き、希望的に報じた記事を紹介してみました。


ついでに言うなら、4月11日の日記で紹介したニュースの続報。



これまでさんざん「だらけ者」のレッテルを貼ってた四川人が、こんなチベットの端っこまで精力的にがんばってきたこと、中国中央政府の「チベット本土化プロジェクト」の一端を忠実に実行する「愛国者」だったってこと、この記事を読んで耳が痛くなるくらいに分かりました。みなさんも分かりましたでしょ…


でも

「四川人と国際化」


これはまったく別次元のお話。たとえ、日頃から「外国語のような中国語(=四川弁)」を話してる彼ら彼女らだけど、



中国の論理が通用しない場合はどうするの?



世界中に200くらいある様々な国のなか、たぶん最も中国の論理が通用しない国がお隣のインドであるのはマニアには周知の事実。

だからこそわたしもその「両極端」な2つのお国に興味を持ったわけだけど、予想よりも早くその「文明の衝突」が始まってしまうみたい。


決してチベットではチベ語をしゃべろうとしない四川人たち。ズーズー弁の四川語でインド人とも値段交渉するのでしょうか。それともクイーンズイングリッシュを身につけるのか。


麻辣好きの奴らが何でもかんでもカレー漬けの生活に耐えられるのか、それとも「正宗川菜(本場四川料理)」の看板が乃堆拉山口を越え、世界第三の高峰「カンチェンジュンガ」見守るガントクの町にも登場するのは時間の問題なのか。



楽しみ以外に何もありません。



そんなことやあんなこと、そんな研究機関があるなんて知らなかった四川大学南アジア研究所の文富徳所長とやらにわたしも取材してみたいもんです。



まあ、きょうはめでたいめでたい。
つっこみどころもぎょうさんあれど、それを指摘するのも大人げなし。


自分の記者をわざわざインド国境まで派遣する「華西都市報」には、地方紙の壁を越えて中国ではかなり珍しい、もしかしたら中国初の「ブロック紙」に成り上がろうとする野望すら感じることができました。

「四川人のいるところに華西都市報あり」

ってかんじでね。たぶん今後なんのフォローもないだろうけど、目出度いときはおめでたく報じるのは嫌いじゃなし。★★★★☆
posted by 牧場主 at 00:00| 北京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | これは面白ニュース!? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月06日

最新技術の内幕いかに




これで最後?チベ日記49
青蔵鉄道搭乗記・後編


今回乗車することになった青蔵鉄道専用列車。

ラサから成都に向かう一番列車ということで、まさにわたしの「出チベット記」にこれ以上なく相応しい乗り物。

さらにはデビューしたて(成都発でやってきて今回の成都戻りが2度目のお勤め)だから、これまで中国で乗った中で一番きれいだったことは間違いなし。



そんな列車は15両編成。

硬臥(2等寝台)8両、硬座(2等座席)4両、軟臥(1等寝台)2両、餐車(食堂車)1両。

ちなみにわたしが乗ったのは一号車という名の最後車両(笑)。
最後の最後、陜西省宝鶏駅にて最前車両に方向転換。



でも、

やっぱり、

聞いていたのとちょっと違う。


確かに酸素はたらふく吸い放題。

乗客一人ずつに酸素吸入用チューブが配られ、2等寝台(硬臥)では車両担当乗務員が各コンパートメントを回って各ベッド枕元に備え付けられた「供気口」からの酸素の吸い方なんかをレクチャー。

みんなすでにラサで数日間以上すごした人たちなはずなのに、この供気口&チューブのお世話になる老若男女のなんと多いことか。


おまえらガキかっ!

いい大人が鼻にチューブ突っ込んで恥ずかしくないんかいっ!


と突っ込みたくなるよ。
中国人さん。チベット人さん。

あんたらこんな時のリアクションは同じなのね。


で、もうひとつ青蔵鉄道が誇るべき最新鋭機能、飛行機と同じような気圧調整機能はどうなのか。

高度8000〜10000mを飛んでる旅客機の場合はおおよそ1600mくらいに調整してあることが多いんだけど、いったいわたしの高度計機能を持つPRO TREK(TWIN SENSOR)では車内は標高何mと表示されるのか。


ラサ出発時。

3650m。


まあ、これから徐々に調整するんだろう。


ところが、那曲駅(4513m)に到着するまで徐々に表示はあがりつづけ、そして列車がとまればドアは豪快に開放。気圧を調整していたのであればこれで一気に台無し。。


その後、最高地点「唐古拉山」では、ちゃあ〜んと5000m超を記録。


うん、こんなに高いところにきたのはカイラスコルラ以来だね


問題はそんなことじゃないんだけど、それがどうした。


ここは中国。言いっぱなしだっていいじゃない。


こんな重要な機能を本当に備えてるんだったら使わないわけないし、実はわたしのほうがこれまでの新聞情報を誤訳に誤訳を重ね、さらに中国の技術を買いかぶりすぎてただけなのか

と逆に自信がなくなってしまったほど。


でもね、

列車の連結部分なんかを見ると、ちゃんと機密処理しているようだだから、すでに高地適用した客の多いラサからの帰りの便では使わないのか。反対にこれから高地に乗り込むというゴルムドからの便だけに使うのだろうか…


などなど。
とにかく、

「高地反応に破棄をつけてください。水を多めにとってください。程よい休憩を」

という呼びかけは最初の数回。あとは

「タバコの吸いすぎは百害あって一利なし」「正しい知識でエイズ蔓延を防ぎましょう」

みたいに、どこででも聞かされるような放送をたれ流しにしている車内放送にもかなりクっ、クっ、クっ、クっ、クエスチョンなわたし。


ちなみに後で気づいたんだけど、いやなにおいをこもらせないためか、トイレの窓は四六時中大開放でございました(笑)。



あとは気がづいたことを列記させてもらうなら、


最高時速160kmをうたっているが、100km以上出てる感じは一度もしなかった。
ゴルムドにたどり着いたところでおそらく青蔵鉄専用牽引車を一般の平地用に交換。
車内は冷房完備の22度設定。クールビズは必要なし。

ラサ―ゴルムド間は完全禁煙。乗務員の目もかなり厳しかった。

客車までワゴンで売りにくるぶっかけ飯は豪華に皿盛りだけど値段も豪華15元。
ビールは重慶産「山城ビール(缶)」が5元。

トイレにはトイレットペーパー常備。


消灯は中途半端な午後10時10分ころ。
乗務員は客の目の前でも平気に寝る。
洗面台には液体石鹸常備。


ヤ内.jpg

◎参考写真:少しでも成都行き一番列車に乗車した気になってもらえればこれ幸い


などなど。

ちなみに、あれだけ大々的に報道された(らしい)一番列車といえど、じっさいの客数は当初心配したほどじゃなし。一番入手が難しいと言われる2等寝台でも乗車率は80%くらい。

だってここ数日、新聞の飛行機空席情報欄はめずらしく「満席」表示。ゴルムドからラサに7月1日の一番列車でやってきた中共のお偉いさんたちもほぼ全員、、ラサ観光を終えられた後は便利な「飛行機」でお帰りになったみたいだし…


とにかく、

どんな最新の設備を誇ろうと、その設備が真実だろうとウソだろうと、よほどのマニアじゃない場合は、そんな限られた空間に1日以上も閉じこめられてりゃ、ほんっとどうでもよくなるのがが普通。


こんな長ったるい移動を「旅情があった」などしみじみ振り返るのは後世のおしごと


30数時間におよんだ高地を脱け、西寧、蘭州、宝鶏と停車駅に到着するたび、するやいなや、生ぬるいけど新鮮な空気を求め、生ぬるいけど車内より激安なビールを求め、プラットホームに爆発的に飛び出していったわたしなのでした。
posted by 牧場主 at 00:00| 北京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | またまた旅に出ました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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