2006年07月08日

終わったんでまとめる




これで最後?チベ日記50



前回1月末から3月上旬にかけて東南アジア、インド、中央アジアをさまよった「節操なしの旅」が40日間のぶらぶらだったわけだけど、今回の「これで最後?チベ旅」はさらに10日増えて計50日。


そりゃ楽しいこともあっただろうさ


でも…


まっ、とりあえず振り返ってみましょうよ。




《うまいもんランキング》


う〜ん残念。

何もうまいもんなし。


ちょっと語弊があるかもしれないけど、とにかく旅に疲れたとき、


「あ〜あそこについたらうまいもんが待ってるから、もう少しの辛抱だっ」


とわたしの心に元気を与え、実際に人よりちょっぴり旺盛な食欲を満たしてくれたもの、それは全て登場済みの古株たち。新顔、新しい発見というのはなかったね。


けっきょくラサにいたときにくてったもの、幸せを感じてたもの


それは、水餃子、蘭州拉面、ピザ。


だいたいさ、チベットには食文化が培われる土壌がないのよ。水が70度くらいで沸騰する高地でうまい料理ができるはずがないでしょ。ようやく圧力鍋が田舎まで普及するようになった今後、次世代をになうチベット料理のシェフが誕生する可能性があるのか、と考えた場合も、


たぶん中華くっちゃうんだろうなあ


というのが予測。
だってうまいもん、ね。


だから、


ラサ玉林.jpg

◎参考写真1:チベット初体験の味をあげるなら火鍋、かの「玉林串串香」のラサ総店


になるのでした。




《よかったとこBEST10》


まずはヒマラヤの象徴、世界に誇る峻嶺たち。


1,カイラス山
2,エベレスト山
3,四姑娘山


は言うにおよばず。

そして

4,名もなき山


チベット富士.jpg

◎参考写真2:たちだって、その美しさに何度もため息をつかされたものか…


続いては探検基地としては最高だった

5,グゲ遺跡(ツァンダ郊外)


写真は撮れなかったけど、その雄大な景色に圧倒された

6,三江上流域(嚢謙手前)


はゆっくりできなかっただけに思いっきり心残りながらランクイン。


そしてチベットといえばかかせない、チベ仏のお寺さん。

7,パンコル・チョルテン(ギャンツェ)
8,サムイエ・ゴンパ(サムイエ)
9,サキャ・ゴンパ(サキャ)
10.ツルプ・ゴンパ(ラサ郊外)


どうしても歴史系、マイナー系宗派に偏ってしまったんだけど、あえて現在の最大勢力ゲルク派6大寺院であえて一カ所あげるとすれば


番外、ガンデン寺


かな。


《よかった人3傑》

香港3人組
SHUHEIさん
玉樹のチベ人少年

ほか、巡り会った全てのみなさん


《その逆な人3悪》

カイラス巡礼を終えて清廉潔白になったわたしが、どうして人のことを悪く言ったりするのでしょうか。いや…



◆そして最後のおまけの出納帳


5/18(成都ー日隆ー四姑娘山)    132,5元

5/19(四姑娘山ー日隆ー成都)      169元

5/20(成都ー若尓蓋)        182.7元

5/21(若尓蓋ー合作ー夏河)     105,4元

5/22(夏河)            109.5元 

5/23(夏河ー同仁ー西寧)      261,3元

5/24(西寧ータール寺ー西寧ー)   125,1元

5/25(ー玉樹)              78元

5/26(玉樹ー嚢謙)            88元

5/27(嚢謙ー類烏斉)          155元

5/28(類烏斉ー丁青)           96元

5/29(丁青)               56元

5/30(丁青)               54元

5/31(丁青)               51元

6/01(丁青)             46,5元

6/02(丁青)             65,5元

6/03(丁青ー巴青)            28元

6/04(巴青ーラサ)           180元

6/05(ラサ)             88,5元

6/06(ラサーツルプ寺ーラサ)    174,5元

6/07(ラサ)            216,5元

6/08(ラサーガンデン寺ーラサ)   112.2元

6/09(ラサ)             2812元

6/10(ラサーギャンツェ)         47元

6/11(ギャンツェーシガツェーラツェ)  194元

6/12(ラツェーロンボク寺)       219元

6/13(ロンボクーエベレストBCーロンボク)51元

6/14(ロンボク寺ーディンリ)       70元

6/15(ディンリーサガ)         102元

6/16(サガーパヤン)           53元

6/17(パヤンーカイラス山)        97元

6/18(カイラス山コルラ(一周トレック)) 40元

6/19(カイラス山コルラ)         16元

6/20(カイラス山ー門士)         59元

6/21(門士ーツァンダ)          66元

6/22(ツァンダーグゲ遺跡ーツァンダ)  206元

6/23(ツァンダー???)         88元

6/24(???ーテントー門士)       10元

6/25(門士ーパヤン)           37元

6/26(パヤンーサガ)          220元

6/27(サガーシガツェ)          45元

6/28(シガツェーサキャ)        120元

6/29(サキャーシガツェーラサ)     173元

6/30(ラサ)              101元

7/1(ラサーサムイエーラサ)     170.7元

7/2(ラサ)             745,4元

7/3(ラサ)               116元

7/4(ラサ)             545.8元

7/5(ラサーゴルムドー)          18元

7/6(ー西寧ー蘭州ー宝鶏ー)        32元

7/7(ー成都)                1元


                 計 9030,1元


50日間で使ったお金、あんなことやらこんなことまですべてひっくるめて9030元(約12万6000円)だから、1日平均約2500円。

ちなみに前回の旅は5カ国40日間で約23万5000円。
やっぱ飛行機使わなかったってのが一番大きいでしょう。

「陸路移動」にこだわった成果が数字的にも証明されたってわけね。



で、最後に重要な問題。


「これで最後?チベ旅」ってほんとに最後なの?


今すぐにでもチベットに戻りたいっ!


そんなモチベーションはみじんもなし。それくらい今は完全燃焼に近い状態。だから当分はないでしょう。でも


「呼ばれてるっ」


って感じたときはどうなるかなんて分かんない。
今回旅してみても、やっぱ嫌いじゃないってことだけは改めて確認できたわけだし、ね(笑)。


チベまとめハ真.jpg

◎参考写真3:それが数十年後なのか数年後なのか、それとも…明日なるか
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2006年07月06日

最新技術の内幕いかに




これで最後?チベ日記49
青蔵鉄道搭乗記・後編


今回乗車することになった青蔵鉄道専用列車。

ラサから成都に向かう一番列車ということで、まさにわたしの「出チベット記」にこれ以上なく相応しい乗り物。

さらにはデビューしたて(成都発でやってきて今回の成都戻りが2度目のお勤め)だから、これまで中国で乗った中で一番きれいだったことは間違いなし。



そんな列車は15両編成。

硬臥(2等寝台)8両、硬座(2等座席)4両、軟臥(1等寝台)2両、餐車(食堂車)1両。

ちなみにわたしが乗ったのは一号車という名の最後車両(笑)。
最後の最後、陜西省宝鶏駅にて最前車両に方向転換。



でも、

やっぱり、

聞いていたのとちょっと違う。


確かに酸素はたらふく吸い放題。

乗客一人ずつに酸素吸入用チューブが配られ、2等寝台(硬臥)では車両担当乗務員が各コンパートメントを回って各ベッド枕元に備え付けられた「供気口」からの酸素の吸い方なんかをレクチャー。

みんなすでにラサで数日間以上すごした人たちなはずなのに、この供気口&チューブのお世話になる老若男女のなんと多いことか。


おまえらガキかっ!

いい大人が鼻にチューブ突っ込んで恥ずかしくないんかいっ!


と突っ込みたくなるよ。
中国人さん。チベット人さん。

あんたらこんな時のリアクションは同じなのね。


で、もうひとつ青蔵鉄道が誇るべき最新鋭機能、飛行機と同じような気圧調整機能はどうなのか。

高度8000〜10000mを飛んでる旅客機の場合はおおよそ1600mくらいに調整してあることが多いんだけど、いったいわたしの高度計機能を持つPRO TREK(TWIN SENSOR)では車内は標高何mと表示されるのか。


ラサ出発時。

3650m。


まあ、これから徐々に調整するんだろう。


ところが、那曲駅(4513m)に到着するまで徐々に表示はあがりつづけ、そして列車がとまればドアは豪快に開放。気圧を調整していたのであればこれで一気に台無し。。


その後、最高地点「唐古拉山」では、ちゃあ〜んと5000m超を記録。


うん、こんなに高いところにきたのはカイラスコルラ以来だね


問題はそんなことじゃないんだけど、それがどうした。


ここは中国。言いっぱなしだっていいじゃない。


こんな重要な機能を本当に備えてるんだったら使わないわけないし、実はわたしのほうがこれまでの新聞情報を誤訳に誤訳を重ね、さらに中国の技術を買いかぶりすぎてただけなのか

と逆に自信がなくなってしまったほど。


でもね、

列車の連結部分なんかを見ると、ちゃんと機密処理しているようだだから、すでに高地適用した客の多いラサからの帰りの便では使わないのか。反対にこれから高地に乗り込むというゴルムドからの便だけに使うのだろうか…


などなど。
とにかく、

「高地反応に破棄をつけてください。水を多めにとってください。程よい休憩を」

という呼びかけは最初の数回。あとは

「タバコの吸いすぎは百害あって一利なし」「正しい知識でエイズ蔓延を防ぎましょう」

みたいに、どこででも聞かされるような放送をたれ流しにしている車内放送にもかなりクっ、クっ、クっ、クっ、クエスチョンなわたし。


ちなみに後で気づいたんだけど、いやなにおいをこもらせないためか、トイレの窓は四六時中大開放でございました(笑)。



あとは気がづいたことを列記させてもらうなら、


最高時速160kmをうたっているが、100km以上出てる感じは一度もしなかった。
ゴルムドにたどり着いたところでおそらく青蔵鉄専用牽引車を一般の平地用に交換。
車内は冷房完備の22度設定。クールビズは必要なし。

ラサ―ゴルムド間は完全禁煙。乗務員の目もかなり厳しかった。

客車までワゴンで売りにくるぶっかけ飯は豪華に皿盛りだけど値段も豪華15元。
ビールは重慶産「山城ビール(缶)」が5元。

トイレにはトイレットペーパー常備。


消灯は中途半端な午後10時10分ころ。
乗務員は客の目の前でも平気に寝る。
洗面台には液体石鹸常備。


ヤ内.jpg

◎参考写真:少しでも成都行き一番列車に乗車した気になってもらえればこれ幸い


などなど。

ちなみに、あれだけ大々的に報道された(らしい)一番列車といえど、じっさいの客数は当初心配したほどじゃなし。一番入手が難しいと言われる2等寝台でも乗車率は80%くらい。

だってここ数日、新聞の飛行機空席情報欄はめずらしく「満席」表示。ゴルムドからラサに7月1日の一番列車でやってきた中共のお偉いさんたちもほぼ全員、、ラサ観光を終えられた後は便利な「飛行機」でお帰りになったみたいだし…


とにかく、

どんな最新の設備を誇ろうと、その設備が真実だろうとウソだろうと、よほどのマニアじゃない場合は、そんな限られた空間に1日以上も閉じこめられてりゃ、ほんっとどうでもよくなるのがが普通。


こんな長ったるい移動を「旅情があった」などしみじみ振り返るのは後世のおしごと


30数時間におよんだ高地を脱け、西寧、蘭州、宝鶏と停車駅に到着するたび、するやいなや、生ぬるいけど新鮮な空気を求め、生ぬるいけど車内より激安なビールを求め、プラットホームに爆発的に飛び出していったわたしなのでした。
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2006年07月05日

最後の最後で湖(幸)運




これで最後?チベ日記48
青蔵鉄道搭乗記・前編


7時14分35秒。

ドミトリー(相部屋)住まい歴幾年月のキャリアにふさわしく、すやすや熟睡中の同部屋人に極力迷惑をかけないよう、目覚ましがなる25秒前にぴしゃっと目覚める超人的な体内時計を持つわたし。



さあ、でかけましょう。

昨夜のうちにまとめておいたリュックを背負い、去り際は極めてあっさリ静かに。


「次にくるときは5つ星くらいになってるかも」


なんて思いながら、都合40泊くらいお世話になったヤクホテルを後にしたのでした。

ちなみにこのヤク。
実際10年前はただの安宿だったのが今じゃ黄金の2つ星。ありえない話じゃないんだよね。



さて、今回は悪い人にめぐり会うこともなく、ミニバス、大型バスをスムーズに乗り継いで、でもぎゅうぎゅう状態のままでラサ駅に到着。

成都行き列車の出発まで約40分前のタイミングで、ちょうど検札が始まったところ。


これじゃ駅舎の設備をじっくり見るひまもないじゃない


ってことにはならないのよね。


だってラサ駅は本当に切符を買って列車に乗るだけのところ。
場内案内板に表示はあれど、じっさいには食堂も売店もまだ影も形もなし。

とりあえず始められるとこから始めようよ。開通が1日に間に合ったんだからいいじゃん


という見切り発車ぐあいはまさしく中国らしさ爆発。


この近代的だけどがらんとした空間ににぎわいが訪れるのが先か、普通の中国の駅のようにいろんなもの売ってるけどあんま食事とか買い物とかしたくないような具合に汚されるのが先か

ついでに

「ラサ駅サブレ」とか「ラサ駅かまめし」といった名物も登場には今しばしの時間が必要のようで…


気になるテーマだけどそれを確認するのはもうわたしではないみたい。
後進にその道を譲ろうではないか、と。


比較的秩序ある検札を終え、早速成都行き列車(T24)に乗り込んだのでした。


ところで、今回の「青蔵鉄道搭乗記 」。

勝手ながら前後編にわけて書かせていただくんだけど、前編は車窓からの景色を紹介しようかと思っとりまして、で、後編が車内の設備などなど。


だって、成都までは2泊3日計49時間の長帳場。

いわゆる今回開通した「青蔵鉄道」(ラサーゴルムド約700km)部分、つまり、


標高4000mを超える「難所」を克服して「中華民族史上有数の偉業」を達成した部分


っていえるのは初日のうちに全部に通過しちゃうわけだから、一日目はそれを書き留めるってのが「すぢ」ってものでしょう。どうかご理解をよろしく。


車内に置かれた広報誌などによれば、この青蔵鉄路格拉区段のうち、

写真つき、標高つきで紹介されたのが計16ヶ所。


始発駅、終点駅のほかに西蔵自治区と青海省との境界で今回めでたく鉄路世界最高地点となられた唐古拉山(5072m)や二番目に高い山昆論山(4772m)など。


不凍泉(4611m)やとうと渝渝河(4547m)なんていう聞いたことないポイントもいつくか目白押し(笑)らしい。


さすがだぜ。ゴルムドまでの10数時間、わたしをまったくあきさせないつもりか


と一人うれしくなってたうちが華やかなりし時間。


出発時間を厳守して動き出す列車。


「さすが。やるな。文明を感じるぜ」


車内放送が始まって耳を傾ける。


「この列車はラサを出発しますと終点成都まで那曲、ゴルムド、西寧、蘭州、宝鶏と停車いたします」


だって。


…ご冗談でしょう。


だって4月くらいには鉄路部のお偉方が新聞のインタビューとかに答えてよくいってらっしゃったじゃないっすか。


「青蔵鉄道は観光鉄道でもあるわけだから、利用者の要望に答えるよう、チベット高原を走るのは昼間。さらに途中ある各見所に停車しながら進んでいく」


って。でも車内放送を聞く限りじゃあ単なる特快列車と同じ。

窓ガラスを通して見る風景なんて本物の空気を吸うこともできなけりゃ、さわやかな風を感じることもできない。それに写真だっておろしたての車両のはずなのにすでに手垢まみれのガラスを通したもんじゃ、本物の100分の一の迫力だって写しこめないでしょ。


ヤ窓.jpg

◎参考写真1:と言い訳も出尽くしたところで車窓からの風景などどうぞ



実際に、


ラサ西駅…通過

羊八井…通過
当雄…通過

那曲…(宣言どおりに)停車

町はずれに立てられたばかりの駅があるだけ。当然、売り子がいるとか、観光案内版があるとか、そういう手の込んだことは何もなし。


一応は車内放送で駅やそ
の周辺の説明はあり。中国語と英語の2種類。
ただし、駅を通過する◎分前、とかいう決まりはないみたいだから、放送からだいぶたって、だいぶ乗客を油断させた上でいきなりその説明ポイントを通過したりする。


それが単に見ても見なくてもいいような駅舎を通過するだけだったら問題ないわけだけど、


「まもなく長江最上流部を通過します」


みたいなことを10分以上前に宣言されるとこちらも集中力を持続するのが大変。
本物の長江最上流部は最上流部と思えないほどに川幅広くて助かったけどね(笑)


で、結局のところ、天気もあまりよくなかったこともあって、車窓からの風景は特筆すべきほどじゃなし。


もちろん、

これがゴルムドから初チベットしてくる乗客たちにはまったく違うものに見えるんだろうけど、悲しいかな、わたしにとっては風向明媚をはるかに超越したチベット最大級の絶景’sを目にしてきたこの一ヵ月半。


「ちょい期待が大きすぎたかな」


と誰を責めることもできず、窓際の席から寝台のベッドに移ろうかと思ってたそのとき、


そんときっ!


ようやく登場していただきました。措那(ツォナ)という名の美しい湖。


わたしの今回のチベ旅にて唯一恵まれてなかったのが湖。
天気に恵まれなかったトルコ石色の湖ヤムドク湖。
時間に恵まれなかった神の湖マナサロワール。


だったんだけど、この「ツォナ」という、青蔵公路から外れた位置にあるため今回の鉄道開通によって初めて一般観光客の目に触れ、当然ながらこれまで日本人旅行者、日本語ガイド本的にも何の存在感もなかったこの湖は、本当にマジで真的大正解。


静かな湖面に逆さに写りこむ雲や雪山
岸辺にて熱心に草を食むヤクや羊の姿
端から端まで列車でも相当時間がかかるほどの大きさ


ツォナ湖.jpg

◎参考写真2:どれもこれもチベットの雄大さを象徴するのにぴったりの光景


これだけで十分満足。
ほんと至福の十数分間。


「うん。これならいける!」


今でこそまだ「名もなき湖」だけど、今後メジャーになるのは確実。デビューしたての「新人歌手」を人より早く目をつけたアイドルおたくのような気分になったわたしでした。
posted by 牧場主 at 00:00| 北京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | またまた旅に出ました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月04日

ようやく参観ポタラ宮




これで最後?チベ日記47
ラサ



前にも書いた通り、明朝は午前9時5分発成都行き青藏鉄道に乗ってラサを脱出いたす予定。

だから何かをするんだったらもう今日しか時間はない。


というのに、


何とかならないものか、このモチベーションの低さ。かんぜん燃えつき症候群。


別に眠いわけでも疲れてるわけでもないから、ちゃんと7時には目が覚めるんだけど、それから気持ちを奮い立たせるのが大変。

ベッドでこのままゴロゴロしていたいというのもちょっとちがってて、でも残り24時間を有意義かつパワフルに過ごそうっていう気もなれない。


かろうじて、

これまでの1カ月半、さらに3,4月の分もあわせると計3カ月近く、さんざん危ない橋を渡っておきながら実は大した災難もなく無事に過ごせたからには、やはり「お礼参り」をしとくのが礼儀ってもんかな


と思えてきたんで、さすがにようやくジョカン詣で。



相変わらずごった返してるチベット人にまぎれて列に並ぶこと1時間。
相変わらず豪華絢爛バブル全盛期のような12才シャカムニ像に


「ありがとうござんしたね。次はもうないかもしれないけど、そっちも達者で」


とあいさつ。
もちろん奴はかなり老け顔12才のくせになにも返答なし。



続いてお決まりコース。
バルコル周辺のゴンパにも足を延ばして最後のマニ車まわしと最後のお布施。


最もよくお金を落とした(であろう)ムルニンパでは、久しぶりに顔見知りの坊さん(たぶん20代後半)とも接触。

こっちが話しかけるより先に、珍しくお経を唱えるのをやめ、嬉しそうな顔をして握手を求めてくるもんだから、こっちもちょっと感動してしまいまして、


「明日成都に帰ることになったから。色々お世話になりました」

とカミングアウト。


「…そうか。元気でな」


この寺を毎日訪れてた頃は互いに目で挨拶くらいしかしてなかったのに、なんで今日に限って向こうさんはあんな行動に出たんだろう。なんか感じるところがあったのかな。


こういうシーンに出くわすと「たびの終わり」がじわり心にしみ入るものでございます。



さて、遅めの朝飯くって、ネットやってりゃもう北京時間じゃ正午をまわってしまうのが西部地区の常識。


「よし。とうとう行くことになったか」


と自分に言い聞かせて向かったのは、世界遺産であらせられ、垂直のベルサイユとの異名を持つ「ポタラ宮」。


別に好きで今まで行かなかったわけじゃないのよ。


「チベット行きますからぜひあんなお願いします」
「牧場主さんがいるうちにポタラが見た〜い」


そんな三十路男をたぶらかす甘言を弄した四川在住日本人どもよ。
そうさ、みんなあんたらのせいなのさ。


だって自分で行ってしまった後、知り合い案内するためにまた高い入場料自腹きるってもったいないじゃ〜ん。かといって、一応わたしを頼ってきてくれた人に「入場料出せ」ってのも言えるわけないし。


それくらいポタラ宮の入場料は世界遺産級。
「控えおろう!」のズバリ100元。



しかし、ご存知の通り、


だ〜れもきてはくれまっしぇんでした。


人望とは砂上の楼閣、

要るときにあると思うな親と金、そして人望。



そんなわけで、午後1時半、


(あっ、ここでミニ知識

ポタラ宮の入場券は今じゃ予約制。前日午後5時から西大門入ってすぐの専用窓口にて予約券を発行。外国人はパスポートの提示が必要だからご注意を。わたしが指定されたのが午後1時半だったわけね)


「党中央部の懇切な配慮には心から感謝します」という横断幕が何ともシュールなポタラ宮南大門をくぐりましたよ。



ラストポタラ.jpg

◎参考写真:ポタラ内部は写真撮影禁止。やる気のないわたしだから本日は従順



ところで、このポタラ宮。

言い忘れてたけど、もちろん初参観ではなし。


いわゆる10年一昔前のチベット若葉マーク時にも当然いききらせながら白い階段を上った記憶あり。

そしてむやみやたらに宝石や貴石、黄金をちりばめたチベット式芸術スタイルに脳天をかち割られたのもこのポタラ宮。


だけどそれ以上でも以下でもなし。


チベットの歴史や伝統、チベット仏教自体に対する理解だってほぼゼロに等しかったわけだから、まあしょうがないところ。


それが本日、


ポタラ宮をチベット最終日にまわして正解だったのかもしれない


と思っちゃったね。


というのも、

上記のチベットにまつわる知識がだいぶ増えたおかげもあったし、もちろんガイド本や中国人ガイドの解説の盗み聞きと照らし合わせながらなんだけど、仏像や仏塔、壁画、立体マンダラなどなど、なぜそれがそこにあるのかという「いわれ」や芸術的な価値なんかが何となく分かったような気になれたから(笑)。


ただ、残念なことも当然あるわけで、


10年前にはなんの問題もなく見れたであろう場所、それどころか3年くらい前発行のガイド本でも普通に紹介されていた「聖観音殿」「時輪仏殿」という超重要なスポット2カ所が容赦なく「進入禁止」になってたりして…


入場料だけならもっと高いところはいくらでもあるわけで(九寨溝、黄龍はあわせりゃ500元)、ただこのポタラ宮の場合は、今後も容赦なく手を加えられていくんだろうなぁ


と、久しぶりに「悲しいとき〜」シリーズを考えてみたけどネタはちっとも浮かばす。

だから、


ポタラ宮、ああポタラ宮、ポタラ宮(読み人知らず)



さあ、明日からは49時間長丁場。
その先に待っているのは濃密な下界の空気か、地獄油かっ!
posted by 牧場主 at 00:00| 北京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | またまた旅に出ました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月03日

これで最後?お寺巡り




これで最後?チベ日記46
ラサ


今回のチベ日記で何回も何回も、まるでリミットを越えて飲み過ぎた翌朝のように口を酸っぱくして言い続けてきた、特命ミッション「チベット仏教最大宗派ゲルク派の六大寺院めぐり」。


とうとう本日、栄光のゴールを迎えることに。


そう、あれは昨年5月13日。
ラサ市の北の外れにあるセラ寺を訪ねたのが初っぱな。


「西藏大学に留学しよう。チベット語を勉強しよう。真面目に」


なんて思ってたころだから、わたしがぐれる前の出来事。

たった一年前のことだというのに、ミレニアム到来の方が最近だと勘違いしそうなほど、心理的にははるか昔のように思えちゃうから不思議。



その後のブランク。

いったい何をしてたのかっていえば、その間のことはもうこの日記および先代日記につぶさに記されてるわけで、はい。成都であやうくネバーランドの住人になりかけておりました(笑)。



そんな甘美で危険な世界におぼれそうになっていたわたしに


これでいいのか、牧場主よ。目覚めるのぢゃ


という現実世界復帰への最後の助け船を出してくれたのが、夢枕に現れたゲルク派の始祖「ツォンカパ」。


というストーリーだったら自己満足の現代版仏教物語。

個人出版で「自分史」でも出せばいいわけだけど、実のところはバックパッカーが自分の行ったことある国数を自慢しあうような単なる白地図の塗り絵合戦…

というわけでもなく、チベット仏教最大宗派の現有勢力、中国政府が認める許容範囲を確認したかった、という生々しい理由が一番だったような気がする。



とにかく今回のチベ旅が始まってからは、


5月22日に甘粛省のラブラン寺。
青海省のタール寺には5月24日。

ラサ郊外にあるガンデン寺はトレッキングと高地順化をかねて6月9日。


そしてカイラスツアーが始まってから、シガツェ地区のタシルンポ寺に6月11日。


そして本日のデプン。

ラサ市の北西部12km。
ミニバスならたったの2元。


ツォンカパの直弟子ジャムヤン・チュジェによる1416年の創建で、ポタラ宮ができる前までは歴代ダライラマが暮らしていたところ。

チベット高原のみならずモンゴルや旧満州エリアなどいわゆる「チベット仏教圏」から多くの学僧を集め、最盛期には一万人以上が学んでいたというかつての超巨大僧院。


でも一般ツーリストを引きつけるような見所があるのか、といわれればやはり???とクエスチョンマーク。


実際にガイドにも

「敷地は広大。地元チベタンと一緒に参拝していると3時間コース。旧ダライラマ居城と大集会道だけでいいかも」

なんてご親切なアドバイスでしょう。


わたしだってこんなの読んじゃうと


「せっかく6分の5は見ちゃったんだから。まあ物事は区切りが大事だし…」


と、モチベーション100%ってわけにはいかず、ちょい渋り気味に入場料を55元。
でも往生際悪く「学割ないの?」と聞いてみれば、何故かラッキー5元引きの50元。


これで少しは精神力を回復できたんだけど、HP赤点滅中なのにホイミ(ケアルでも可)を使うだけじゃしょせん焼け石に水。


オモロいことはオモロかったんだけど、「ありがた〜い」と感じ入るようなことは当然なく、どうしてもマニアックなとこばっかりつついてしまったわけ。


旅行人ガイドP30に載っていた「文革の傷跡」の象徴、偉大導師まおさん。イスラム教徒か近衛兵に荒らされた後みたいにご尊顔だけ削られていたり…

「ちょうすげぇ」「かっけぇ」などという言葉を連発する日本人の若者につかず離れず。今風の日本語を勉強してみたり…

「見るだけで解脱できる(トン・ドル)」といわれている超巨大な弥勒像の前にて、目が充血するまで瞬きせずに眺めまくり、脱皮しそうなくらいに解脱しまくってみたり…



デプンゴンパ.jpg

◎参考写真:さあ、見るだけで解脱してちょうだい(中央)。脱力しちゃだめよ


とにかく、ばか正直に境内にある「This way please」の看板に従ってると3時間はやっぱ3時間。というか3時間半。


さらにもうこうなったらついでだし、やけくそ半分、何かの声に引かれるようにデプン寺そばにあるネチュン寺にも参観。


未来を予言するパンデル・ラモ(吉祥天女)の言葉を人間に伝える、ときにダライ・ラマのインド亡命などチベット仏教界の命運を左右するような決定のきっかけになるのがネチュンの神託官。

彼らいわゆるシャーマンみたいなもんなんだけど、

とにかくそんな1+1=2のような単純世界じゃないところに足を突っ込んでるようなお寺だから、壁画や仏像も他のゴンパに比べて格段に「チベット仏教的(≒おどろおどろしく魅惑的)」でよろし。


仏教の教義など殆ど分からないわたしたちでも見るだけ、拝むだけ、匂うだけで十分に奥深さを楽しめるところでしょう。さらに


入場料ただっ!


ってところも当然ポイント高し。
びっしびしお布施させていただきました。



ようやく「六大寺院巡り」を振り返る余裕も出てきたってところで、


自治区の中と外では締め付けも大きく違う。被害の爪跡も大きく違う

ということがよく分かりました。


例のお方の写真だって結局自治区内の4寺院では確認することができなかったわけだし、ラブランやタールの復旧ぶりは破壊の過去をほぼ隠せるほどにまで達している。

ただ、この点についてはトップが中国政府に協力的だったタシルンポ寺だけは別枠扱いが必要。


とにかく

自分たちの宗派のトップを自由にあがめることができない現実はやはり坊さんたちに心の葛藤を生じさせてるはず。文革の時期に破壊されたお堂や僧坊がそのままの形で残されているのも寺院側に意図的な狙いがあるのかもしれないし。


ただし、こうした最大規模の寺院の役割ってやっぱりチベット仏教の最大の財産であるラマたち、彼らに最高水準の教育をほどこして「最高の知恵」に育てあげることにあるはず。

それが国内の安定統治のため、国際政治上のかけひきによって、という理屈に左右され、その純粋目的に少なからぬ支障が出ている現状はチベット民族にとって明らかな「損失」。


わたしはそう感じました。
ああ、またつかれた(笑)。
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2006年07月01日

古きを温め新きを知る




これで最後?チベ日記44
ラサー山南ーラサ


本日はチベットの源流を訪ねてみましょう的ショートトリップ。

チベット民族のルーツでありチベット仏教のルーツをめぐる旅。


ラサの南には山南地区というエリアが広がり、チベットの地域区分によれば「ロカ」。


ロカには、チベット初代国王「ニェティ・ツェンポ」の宮殿とされるユムブ・ラガンや、チベット最初の僧院でチベット密教の象徴的存在「グル・リンポチェ」のホームグラウンドとも言える「サムイエ・ゴンパ」などなど、この仏教王国がラサに都を移して「くに」としてまとまるまでのチベット黎明期のそうそうたる観光スポットが散在しており、なかなか通好みな場所。

日本でいうと京都よりも奈良、飛鳥にひかれる人だったら気に入るんじゃないかって思うんだけど、どうでしょう?


ところでこの山南地区は文字通り「山の南」にあって、さらにヤルツァンポ河もあるから、直線距離で近い割にかなり回り道をしなけりゃ行けなかったりする。

昔は日帰りなんてとうていムリ。更に外国人非開放地区(申請すれば状況次第で可)だったりしたもんだから、こんな面白そうなとこなのにチベット5回目になるまでわたしも足を運んだことなかったりする。


それが今じゃあ、結党85周年を迎えた(街中この旗ばっかでもう覚えちゃったよ)中国共産党のおかげ、地区の中心地、ラサから約180キロ離れたツェタンまでは完全アスファルト舗装。


さらにツェタンの先ではヤルツァンポ河に橋までかけちゃったりして、1日に数本しかない船を待って川を渡るしかなかったサムイエ・ゴンパにも、ちょっと回り道のツェタン経由ならラサからバス一本(片道40元)で行けるようになっちゃったのでした。



そんなサムイエ・ゴンパ行きのミニバスは午前6時半にラサ・ジョカン前広場を出発。ちょうど土曜日ということもあって車内は家族連れ風の巡礼者たちで満員御礼。午前10時過ぎにサムイエ・ゴンパ到着。


さすがにチベット最初の僧院。

その規模は壮大で、仏教の宇宙観をそのまま現したという建築様式は中央に大本殿、四方に白黒、緑、赤の巨大仏塔と4つのお堂を配した造り。さらに周囲を楕円形の壁に囲まれ、その中をぐるぐる回ってるだけで、なんかあり型〜待機持ちになれるから、ああ不思議。


というか、

ホントに最初の僧院か?


というくらいに完成度の高さだから何時間でもぐるぐるしていたい気持ちになれる。



さらにこの寺を特徴づけてるのはやはり「グル・リンポチェ」。


寺建立の際、仏教の普及を恐れて寺の建設を邪魔した土着の神々を退治するため、インドから招聘され、実際に密教パワーでことごとく神々を服従させていったという、実在の人物ながら神々をも超越してしまったまさに超人。

境内にはチベットにあるどんなお寺よりも三叉の髑髏棒をもって大きく目を見開いた彼の像や壁画があふれてて、ちゃんと伝説が根付いているところもなんか奈良・飛鳥時代チックでわたしを満足させるポイントだったりする。



サムイエ・ゴンパ.jpg

◎参考写真:サムイエ・ゴンパはそのまま立体曼荼羅。さらに境内とにかく「グル」まみれ



入場料は40元(約560円)。
十分に元を取れるだけの充実した内容でしょう。ここは


ゴンパ内でチケットを販売しているラサ行きバスは午後2時発。

ロカにあるチベット最古の寺院の一つタントゥク・ゴンパ、先述のユムブ・ラガン、そして飛行場に近いサキャ派の古刹「ラメ・ゴンパ」を経由してラサに戻るという、単なるラサ行きというより、どちらかというと「1日ロカ巡りツアー」の一行といった赴き。



ただし、タントゥク・ゴンパ。
入場料70元。チベ人はタダ。外人なめんな。


ユムブ・ラガン。

チベット初代王の宮殿だろうと、1982年の再建じゃあ60元払って中に入る気にもなれず。っていうか、高い丘を上って周りから宮殿の写真を撮るだけで十分に満足できるんじゃない。ここは


ラメ・ゴンパ。

なぜここに寄るのか分からない。ほかにもっと有名なお寺はあるのにね。サキャ派なのにゴンパの色はあの「グレーと赤」じゃないから他の宗派と区別つかず。


っていうか、ひもじくて死にそうなんですけど…

だってこんなに色んなところ寄るなんて知らなかったから、サムイエ・ゴンパでパワーの90%使いはたちゃってたんです、わたし。

そういや朝からスニッカーズ半分以外何もくってないし…



ラサに到着したのはサムイエを出て6時間以上たった午後8時半過ぎ。

ショートトリップというにはかなり長すぎる14時間の充実した「チベット源流を訪ねる旅」がようやく終わりを告げたのでした。



で、よ〜やく本日一発目の食事をいただき、さあひとっ風呂あびましょかという午後9時半すぎ。


「どーん、どん、どん、どん、ど〜ん」


静かに暮れゆくラサの空を轟かす不穏な音。
とうとうチベット民族の反乱が始まりました。


ではなくて、ある意味「終演」を意味する悲しい叫び。

ゴルムドを今朝出発した青藏鉄道一番列車のラサ到着を知らせる中国共産党の高らかな勝利宣言。


そういえば8時ごろ、ラサ近郊でチベ鉄線路の鉄橋をくぐったとき、バスの車窓から線路上で神経質そうに辺りを警戒する解放軍兵士らしき制服若造を確認したわたし。

たぶんラサ近郊では数百メートルおきに監視を配置しての大願成就。やっぱりまだそれなりに「突発事」を警戒しなきゃいけない状況、ではあるみたいね。



賑やかな花火の音が約10分。
さらに休憩をおいて約10分。

そういや日本で最後に花火を見たのはいつだったっけなぁ


思い出した。熊本で働いてたころ、なんかの出張で県南部に行って、その帰りに八代の花火大会を毎カローラの運転席から見たのが最後だよなぁ


あれは綺麗だった。さすが日本の花火師


それにくらべちゃうと…


遊園地のアトラクションよりもちゃちな感じだけど、ホテルの従業員の女の子たち(もちろんチベット族)も仕事ほっぼりだして屋上に上ってきて嬉しそうに見物してるし…



この前のカイラスツアーでしみじみ感じたこと。

韓国、オーストラリア、スコットランド、そしてチベット人という旅の仲間たちの中では我々日本人が間違いなく一番、先のことを色々考えて悩んだり準備したりする性格みたいなんだけど、


それと同じように悲観的な気持ちでこの花火を見てるのって実はわたしだけだったりするのかも


綺麗なもんは綺麗だからめでましょう
できたもんは仕方ないから活用しましょう


かなり利益にめざとく現実的なチベット人だからそう考えてるんだろうか。


ただ今日見てきたチベットの「ルーツ」たちとのギャップはやはり相当なもの。

変わりゆくチベットと変わらないチベット。そこには「温故知新」(論語)では理解しきれないほどの断続があるような気がして、鮮やかな光も煙も消え去り、静けさを取り戻したラサの夜空をしばらく眺めていたわたしでした。
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2006年06月30日

ギリギリのラサ駅下見




これで最後?チベ日記43
ラサ



いよいよ明日に迫ってしまいました。

チベットの政治的状況、経済発展、庶民の生活を根底から覆してしまう、意地悪な言い方をすれば「さらに漢化を加速させる」といわれている青藏鉄道開通の日。


わたし的には

ふう、何とか歴史的瞬間に間に合った


というとこなんだけど、開通したての電車に乗ってチベットにさよならを告げるという所期の目的を果たすためには、チケットを手に入れる必要があり。


ところが、カイラスツアー開始前から始めていた情報収集の網にかかった情報といえば、


「おかみから市井の旅行代理店には何の通達もなし」


というもの。


おいおいもう開通1ヶ月切ってんだよ。そんなんで誰が得するっていうの


なんて思いつつも、手に入らない物はしょうがない。状況の打開を期待してカイラスツアーに出っ発ってたのでした。



で、早速ラサに戻ってきたことだし、なじみになった代理店を再訪。


「…まだ何も知らない」


だって。開通あしたっすよ。
あんたら単にさぼってるだけっしょ。


ちょっぴり眉をひそめて声のトーンを落としてみると、なにやらごそごそとどこかに電話をかけ始めるテンジン君。



2,3カ所と連絡を取った上で、


「ラサ駅内にある『自治区旅遊局』に行けば今チケットが買えるそうだ」


「外国人でもOK?」


「大丈夫!」


と、とにかくすごい自信。


どうせ、休養にあてるつもりだった本日。何もする予定なんて入れてなかったわけだから、こりゃあ行くしかないね。


でもどうやって?


過去の日記でも紹介したように、ラサ駅はラサ河をはさんで市街地とは反対、南側。ただ、大まかな地図しかないからどれくらい南なのか、という大切な情報は未だ分からず。


試しにタクシーを止めて運ちゃんに値段を聞いてみると


「ラサ駅は遠いから片道60元(約900円)」


と市内固定価格の6倍の超インフレレート。
往復割引に応じる気配もなく、


ふざくんな、もう休養なんていらん。体で稼いでやる


とラサに来て初めてレンタサイクルに手を出すことに。


1時間3元(保証金400元)。
思った以上に整備されたマウンテンバイク。


これなら片道19時間までに駅に到着できればあのタクシーの運ちゃんに「勝つ」ことになる。


とにかく市内東にあるラサ大橋を渡らなけりゃ未知への旅は始まらないので、初めての自転車運転に若干気を使いながらとにかくペダルをこぎ始めることに。


約10分。
橋を渡るとそこは三叉路。

ガンデン寺、林芝方面へと続く道とは反対、つまりラサ河を下る西方向にハンドルを切るとそこには真新しい「ラサ駅10,5キロ」の看板。


ふっ、サイクリングにちょうどいい距離やなかね
それにしてもあの運ちゃん。ぼり方も異常すぎよ。たぶん正確な場所知らなかったんだろうね



道は若干起伏があったものの、エベレストBCやカイラス街道をチャリで走破しようともくろむ一部サイクリストたちの苦労に比べるとこんなのは余興の余興。

さすがに歌を口ずさもうとするとワンフレーズごとに深呼吸が必要なくらい息が切れるけど、チャリダーにしか味わえない優しい風は快適そのもの。


約30分後、目的地に到着したのでした。



ラサ駅見学.jpg

◎参考写真:とうとうわたしの前に姿を現したラサ駅。歓迎(警戒)準備もほぼ終了



で、目的地はあくまで目的のための目的地。
本来の目的であったキップの手配はできたのか?



はい。できませんでした。
わたしの狙ってた4日発の成都行き。


「2日から発売開始。だから2日にまた来い」


だって。
だいたい発売開始時にキップが売り切れてるのが中国鉄道人気路線の常識。


「そんな悠長なことは言ってられなかったりするんですけど…」


ということを窓口でぼやいてみても聞く耳持つ様子もなし。ねぇおばちゃん。



仕方なく駅舎見学および掲示板にて情報収集。


あれっ、2カ月前までは運行が当然のごとく報道されていた隔日発の上海行きと広州行きが影も形もなくなっているんですけど…


もちろんそれについて何の説明もなし。

わたしが山の方に行っている間に何かの発表はあったのかもしれないけど…。


さすが中国。やることが相変わらずめちゃくちゃだ。


で、結局のところこの5路線で当分の間は試験運行するみたい。
興味のある人がいるかもしれないから参考までに。


     距離と所要時間     価格(左から硬座/硬臥下/軟臥下)

北京   4064km/48h        389/813/1262 

成都   3360km/48h50m      331/712/1104

重慶   3654km/47h08m      355/754/1168

蘭州   2188km/30h13m      242/552/854

西寧   1972km/26h47m      226/523/810


わたしが注目するのはやはり成都路線。

なぜ硬臥の値段が一万円以上もするのか
なぜ北京や重慶行きよりも時間がかかるのか


など不満な点もあるものの、まあおおよそは予想の範囲内ってところ。



わたしにとっては何よりも切符を手に入れられるかどうか、明後日にもう一度運命の日が訪れるわけで、「決戦の日曜日」ってわけ。

それではみなさん、わたしの幸運をぜひ祈っててちょうだいな。



追伸:自転車による往復は2時間で都合6元。とてつもなく安くつきました。

でも、ラサ市内からは新規「91番」バスがそれこそ5分おきくらいに走ってたんで、賢いみなさんは路線バスを利用しましょう。始発はラサ大橋にも近い東郊バスターミナルそばから。大きなロータリーがあるんでそこで待ってりゃすぐつかまるはず。わたしも次回からはバスを利用します。
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2006年06月29日

海が恋しくなりました




これで最後?チベ日記42
サキャーシガツェーラサ


「ふ〜りそっそぐ陽をあ〜びて……新しい旅へとともに出て行こう…お〜しゃん♪」


いやぁ、いいねぇ。男だねぇ。

池沢さ〜ん、死ぬなぁ〜!



サキャでありついた一泊15元の6人部屋ドミトリー。


安い割には清潔でテレビも常備。

迷うことなくCCTV5(スポーツチャンネル)がやってた「ワールドカップ8強への軌跡」に右目と右耳を集中。


さらにたこ足コンセントまであったりしたもんだから、ラサにて購入し何とカイラス巡礼までともにしたDVD「海猿」をわがPower BookG4にインサート。

左目と左耳はそのまま日付変更線を越えるまで海の男たちの専属監視役になったのでした。


全11話のうちたどり着きましたクライマックスも近い第8話。


ここまで見ちゃうと、日ごろから冷静な目で社会を「斬ろう」と心がけてるわたしであってもかなり感情移入してしまうわけで、細かいつっこみはありつつも、


海って結構いいかも。だって夏だし

そういや沖縄に行きたいなあ

あ〜、チベットって一番海から遠いとこにあるんだよなあ

それに「海の高僧」もポタラ宮からインドにいっちゃてもう50年以上たっちゃうわけだし…。


なんて考えてたら山派から海派への転向宣言もかなり間近な風向き。チベ旅もなんだか終わりが見えてきたような気分。



でもね。

昨日までの感動もまた忘れたくない。
だから最後まで全力投球は欠かせない。

本日もシガツェに戻るバスの出発時刻午前11時までは人並み以上に汗を流して観光に精を出すことにいたします。


昨日見たのがサキャ派の伝統の粋がほぼ完璧に残っているサキャ南寺。
で、これから向かうのがサキャ派の伝統の一切合切がほぼ完璧にぶちこわされたサキャ北寺。


南寺からは川を渡ってそのまま山の斜面を約100メートルほど登った地点。


歴史を好きな人って自分も含めて「冷静になれば残酷な趣味だなあ」と思うことがあって、破壊には破壊の、人殺しには人殺しの、さらに滅亡や消滅といったものにまでロマンを感じたりするもんだけど、一般的にいってそこには適度な時間の風化があるわけで…


でもこちらのサキャ北寺の破壊なんてたかだか40年前の出来事。

それなのに見た目なんてグゲ遺跡と同じ。ただただ壁の跡、階段の跡があるのみ。

ここにお寺があったなんて言われなけりゃ絶対分からない。巨大な仏像があったとも精緻な仏画が掛けられていたとも、大勢のが学んでいたとも何一つ証拠を残さない、まるで完全犯罪を狙ったような徹底ぶり。


現在、敷地内では修復作業が緒についたばかり。


30人くらいのチベット人がとりあえず穴を掘ったり土を右から左に運んでいるだけで、いったい何をしようとしているのか、その全体像が見えてくるのはまだだいぶ先になりそう。


それなのに

作業をさぼって(休んで)仲間とおしゃべりしていたチベタン若者男性。完全にわたしを中国人だと思ったようでのっけから中国語で、


「すいません。お金を恵んで下さいませんか」


だって。


日本人だと「恵んでもらうこと」には若干以上に心の抵抗があるわけだけど、チベット人って「ダメで元々。言ってみるだけ言ってみよう」って考え方なのはもう十分知ってるし、実際にチベットではいたるところでそういう声をかけられてきた。


でも、自分たちの心の支えのお寺をここまで完全に壊した側の人間(と彼は思った)に対して、まさに破壊のその地において「お金を下さい」って言っちゃうのはやはり悲しいことでしょう。


「自分で働けるでしょ。怠けたらもっと大切なもんをなくすよ」


そういってあげましたよ。

もちろん、これまでインドだろうと東南アジアだろうとアフリカだろうと、当然チベットでも、一度として「お金は」与えたことがないわたしだから、どんなシチュエーションだろうと財布が開くことはなかったんだけど、ね。



さて、そんな北寺散策も終え、まだ30分近く残っていた時間をさらにどん欲に活用。昨日に引き続いて2度目となる南寺へ。



サキャゴンパ2.jpg

◎参考写真1:「いやぁ、やっぱ寺の参拝は午前中に限るよ」と思った次第ですわ


昨日あれだけ「暗い」「見えない」「見られない」だった寺院内の壁画や小部屋だったのに、東からの太陽がうまい具合に部屋に差し込み、部屋の明るさが昨日午後とは段違い。


さらに地元参拝客が多いこともあって、昨日は入ることができなかった色んなお堂にも入ることができ、そこにはお化け屋敷のような「こわ面白い」壁画や人形が飾られた部屋もあったりなんかで、


さすが宗派総本山ともなるとアトラクション性まで考慮に入れているのか


とうならされるばかり。
ほんと30分の経つのが何と早いことか。


…出発1日延ばそうかな?

でもやっぱ「お〜しゃん♪」見ちゃったしなぁ。やるべきことはすべてやったでしょう


とシガツェ行きのバス。
昨日のウーパールーパーと韓国風女性はすでに着席。
何しにきたの彼女ら?


シガツェまでは約4時間半。

バスターミナルにて1時間強のバス待ちでラサ行きは午後5時50分出発。

そしてラサには午後10時着。


前回北チベットから辿り着いたときとほぼ同じような時間帯。

定宿「ヤクホテル」に荷を下ろすと、道路をはさんだ一軒のツーリストレストランにてピザとビールで乾杯。


ご苦労ピッツァ.jpg

◎参考写真2:それにしてもなぜ「ピザ」なんだろうねぇ。まったく不思議です



前回は旅の連れだった香港人、ダルマ監督と甲斐君40代バージョンと一緒の乾盃。
でも今回は西チベットまで20日近くをともにした旅の連れはカトマンズ、のはず。


だから一人の乾杯。

ピザもビールもそこそこの味だけど、悪くない。

いや、うまい。

幸せだ。
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2006年06月28日

サキャはなかなか大物




これで最後?チベ日記41
シガツェーサキャ


「お嬢さん、落とし物ですよ」


大正ロマン漂うシルクハットの紳士が言いそうなきざなセリフを言おうかどうか20分ほど迷ったサキャ行きのバスの中。


わたしの右斜め前に座った女性が2人。
偶然にも日本人。

1人はウーパールーパー風で窓側のシート。
もう1人は韓国人風の身なりで通路側のシート。


どうも元々の知り合いがバスの中で偶然再会したらしく、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃとくっちゃべり始めてからかれこれ数十分。


日本語とはこんなに他愛のないものだったのか


と思いつつも、すぐ近くから聞こえる自国の言語を抹消して、その他周りのチベット語、中国語だけを厳選して聞けるほど器用なはずもなく、

ちょっといやらしいかな、と思いつつ久しぶりの日本語の洪水に耳を傾けていたわたし。


そんなとき、通路側の女性が何気なく床に捨てたのが、バスに持ち込んでぱくついてた小籠包の袋。で、2度目が飴の袋。


う〜ん、困った。

注意してもいいもんだろうか。


「落とし物ですよ」


なんていって、しらけた眼をされたらこっちが恥ずかしいし、今までずうっと日本人だってこと黙ってふたりの会話を聞いてたこともばれちゃうしなぁ

でも、ポッシェから顔をのぞかすテディーベアーと平気でポイ捨ての態度は、あまりにアンバランスだしなぁ


そんな悩める男一匹30代。

で、またチラッと彼女らの方を見やると、ウーパールーパーの方も「ぷかぁ〜」と紫煙をくゆらせてるじゃあないの。


あちゃぁ〜、こっちもだよ。日本じゃ絶対やんないだろうになあ


中国でも北京や成都など都会の方ではすでに「バス車内は禁煙」とはっきり明示してあり、はっきり違反者は違反者だから、注意されればやめなきゃいけない。

でも田舎の路線になればなるほどそのマナーもいい加減になって、中田舎だと「禁煙」と書いてあっても運転手が率先してるし、大田舎になっちゃうとそんな注意書きすら皆無。すなわち煙の無法状態になっちゃうわけ。


そんな公共心についての教育は中国の最も苦手な分野だろうけど、中国に入ってたった1カ月や2カ月そこらの彼女らがここまで短期間のうちに「中国に染まってしまった」姿を見やり、若者の適応力の早さに驚くとともに


わたしの2年近くはこれでよかったのだろうか


と考えてしまったわたし。


目的地まではまだまだ道半ばどころか5分の1程度。結局はヘッドホンにて耳栓、音楽を聴いて自分の世界に引き籠もってしまったのでした。



で、サキャに到着。

これまでのよしなしごとがほんとどうでもよく思えるほど見応え十分の町だったからやっぱ旅の神に感謝。はっきり言って寺としてはギャンツェ以来の感動ね。


サキャゴンパ.jpg

◎参考写真:さあ見てちょうだい。大物チックな雰囲気がもうぷんぷん。匂うような


そうそう。

サキャについて何もまで説明しておりませんでした。


ここはチベット四大宗派「サキャ派」の総本山、その名もズバリ、サキャ・ゴンパ(薩迦寺)の門前町。

しかもモンゴル帝国が世界を席巻した13世紀に元帝国の保護をうけたことから、チベットを政治的に治めただけでなく、この時期を以てチベット仏教はいわゆる「チベット」を飛び出して中国やモンゴルにまで信徒を広げたわけだから、アジア宗教史的にも歴史の転換点となった場所でもあるわけ。


でさらに、川を挟んで北寺と南寺があったサキャ・ゴンパのうち、南寺の方は例の文化活動の際にも奇跡的にその被害を免れ、多数の貴重な文献、仏像、壁画が残されているというまさにお宝の山。


そのサキャ南寺の入場料は45元(約700円)。

安くはないけど、3日間有効というのが気に入った。


それくらい腰を据えてみないと全部は見切れないんじゃないの


という挑戦的なにおいがプンプンする。
もちろんこっちが勝手に思ってるだけだけど。



でも、さすがに四大宗派の総本山というだけあってその規模は壮大。

本堂には10m近い仏像が何体もどかどか座っているし、サキャ派を象徴する灰色と赤色で塗られた周囲の城壁なんて高さ5m以上、正方形の一辺は100mもあるんだって。

そりゃあたまげるよ。


それに昼の3時過ぎという一般参拝者がほとんどいなくなった時間帯だったことも、余計にそのでかさがしみ入る理由だったのかもしれない。


もちろん、あまりにでかすぎることは観光客にとってはもろ刃の剣だってことも実感。


例えばお堂の中。

小さな明かりじゃ天井近くの壁画やなんかはちぃ〜っとも見えまっしぇん!


たぶん色んな芸術品が眠ってる小部屋の数々。

管理が大変なのは分かるけど、鍵かけっぱなしで近くに誰もいなけりゃあきらめるしかないじゃ〜ん!



という泣き言も口に出てくるくらい、ここだったらどん欲に見て回りたい、と思わせるサキャ・ゴンパでありました。
posted by 牧場主 at 00:00| 北京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | またまた旅に出ました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月27日

ひさしぶりの独りたび




これで最後?チベ日記40
サガ−シガツェ


とうとうお別れの朝。

約20日間行動を共にした4人と旅路を分かつときがやってきてしまいました。


じめっとよりさらっとが好きなんで、ギリのギリまで何も言わずにだまって荷造り。リュックを背負って部屋を出るときになって初めて、


「じゃあ、先に行くから。まぁ地球のどっかでまた会うだろうし、ね」


と70年代ハンサムボーイ並みのさわやかさ。


たぶん頭の中では「カトマンズのピザと冷えたビール」で充ち満ちた4人に熱く、暖かく送り出していただいたのでした。


ところで、

たかが食いもんだけのためにサガからランドクルーザーを飛ばして1日で国境を越え、カトマンズまで行ってしまう予定の彼ら4人組なんだけど、実はわたしのほうがより長距離な移動ををするつもりってことはご存知でしょうか。


わたしの目的地はシガツェ。
サガからの距離は約450キロ。


8時に出発するバスが8時に到着するという、ドラえもんの「どこでもドア」でもない限りは丸々半日12時間かかるという強行日程。


さらにわたしの方にはもう一つ問題があって、ツアーグループの旅行許可証をもつドライバーとも分かれちゃったわけで、検問所があった場合、ここはまだ外国人非開放地区。非常にまずい状況(拘束&罰金)に陥ることだってあるってこと。


ところが招かざるものほど引きつけるフェロモンを身につけてるようで、そのヒヤヒヤポイントはすぐ町外れにあって、バスに乗ってからたった10分後には到来。


「乗客は全員身分証を持って検査場の方に行ってちょうだい」


とバスの運転手が一言。



いい加減な検査だったらいいなぁ、と思いつつ、パスポートじゃなくて西南民族大学の留学生証の方を提出してみたんだけど、あっけなく


「これじゃくてパスポート。あと旅行証も出せ」


だって。小手先は通用せず。
それじゃ仕方ありません、と


「わたしは正規のツアーに参加してたんですが、旅行証はガイドが持って行ってしまいました。彼らはネパール、わたしはラサ方面に行くもんでして…」


正直に申告してみると、どっかに携帯電話をかけ始めたものの、会話はチベット語にて二言三言にて終了。


「行ってよし」

となったのでした。

わたしが根っからの正直者だったからよかったのか、それともラサに戻る方向だったからよかったのか、それとも単に最近のチェックは甘くなってるからなのか


それは神のみぞ知るわけだけど、もし機会のある人、「ガイドが許可証持っていった」は結構使える言い訳かもよ(笑)。



さてさて、その後もチェックポイントは2カ所あったものの、特に厳しい雰囲気はなく余裕の通過。


ただし、移動自体はもう暇を通り越して生き地獄の様相。わたしもあえて生ける屍、冬眠状態に入ってしまい、窓から見える景色も乗客たちの会話もわたしの感情をオールスルー。

唯一感情の起伏があったといえば、検問所でのやりとりを見ていてわたしが中国人ではないと知ったドライバーが


「外国人は中国人の料金の2倍だ。本来なら150×2で300元だが、特別に200元でいい。だから今追加で50元払え。前の外国人は300元払ったんだぞ」



と言ってきたときくらい。

ほんと、よけいなエネルギーを使う価値もないくらいしょうもない「小者チック」なドライバーで、とうぜんそれも


「彼は彼。私は私。バカなこと言うな」

で終了したのでした。


そしてまた休眠状態…



…めでたくのシガツェ到着は予定ちょっと遅れの午後8時半。



サガーシガツェ.jpg

◎参考写真:「まずい(不好吃)!」と主張する店の門をくぐるにはまだ体力回復の道すがら


10年ぶりに訪ねた老舗安宿テンジンホテルは高級感をかなりまし、まさに


シガツェ版「ヤクホテル」を目指しました


というもくろみがありあり。


6人部屋(40元!)にはスイス人と謎の東洋人の2人。


向こうにとってもわたしはかなり謎の東洋人だったようで、ようやくその東洋人さんが声をかけてきたのは夜も11時を過ぎたころ。

東京の超有名中高一貫校の物理教師の職をこの春めでたく捨てて、チベットにやってきてしまったというお方。

見た目はの「課長→部長→取締役」の漫画作者にそっくりな人。


ほぼ同じような日程で別のカイラスツアーに参加。われわれより一足先にラサに帰ってきたんだけど、またシガツェ周辺を攻めたくなったとかで、この町に戻ってきたということ。



彼が教師時代、学生に解かせていたプリント「高3 物理 特別授業U期 補充問題(13)加速度の扱いなど」の裏紙にひまわりの種をてんこ盛りにして、ラサビールで乾杯。


世の多くの人から、かなりの万能選手に思われてるわたしだけど、実は物理と化学の両分野だけは全くの白旗宣言。

裏紙といえど、表紙のバネや滑車の図が透けて見えるだけで、鳥肌立って身の毛がよだって、要するに頭の回転が自動停止状態になっちゃうわけ。


だから、


「いやあ、ラサに来てひまわりの種を食ったら差し歯が欠けましてねぇ」


と、先生がせっかくいいパスくれたというのに、


「前歯にかかる力の物理学的な計算はなされなかったんですか?」


というどうしょうもないシュート。


「何とも。考察が足りませんでした」


…夜は更けていきました。
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2006年06月26日

最後の晩餐は中国式!?




これで最後?チベ日記39
パヤンーサガ


「オム・マニ・ペメ・フム・マカロニ・チーズ」


強引に訳すなら


「南無阿弥陀仏・銀しゃり・みそ汁」


こんな罰あたりきわまりない合い言葉が最近の我々グループには充満。
原因はわれら5人組の影のリーダーであるスコットランド人・イシュ(トムの嫁さん)。


グゲ遺跡で興奮のあまり半日射病になりながらも6時間近く遺跡の中を歩き回った挙げ句、彼女のチベットへの関心は全て使い果されてしまったようで、その後口から出る言葉といえば、


「早くカトマンズ(に行きたい)」

であり、

「早くピザ、マカロニ(が食べたい)」。


確かに残りの日程にはもう何の見どころもなく、一度通ってきたところを移動移動移動移動…、ただそれだけだから、例えギャネンドラが無念ドラになってるような半崩壊国家の首都であっても、あのツーリスティックな雰囲気が恋しく思えてもしょうがないのかもしれない。


ただ、ラサに戻るわたしだけがのけ者になってるようで心地よくはないんだけど…



彼女の計算(=我々の日程)によれば、ネパールとの国境にある樟木(ジャンムー)まではあと残り2日。で、本日向かうは前回の日記でインド人が異常発生していたサガ県。

走行距離は約250キロだから、尻に火がついてた昨日に比べるとなり楽ちん。



相当な悪路がない限りは平均時速60キロが計算できる驚異の新ランドクルーザーだから、車に座ってるのはたったの4時間強ってことになる。



出発は午前9時半。

さあ、ささっと任務を終わらせちゃいましょう。


と、車内に吹き込んでくる風を受けながら外の風景を眺めていると、


う〜ん、あれはあれですな。
もう何度も見た光景のあれですよ


そう。

本格的な修理のためラサへの道を走っていたはずのわれらが古女房「テンジーナ」がまたしても路傍にストップ、ドライバー・パサンが車の下に入り込んで何やらいじっていらっしゃる。


さすがにばつの悪そうなパサン。


でもただカラのままでラサまで戻るんじゃなくて、3人の乗客を見つけて小遣い稼ぎしてるあたりはなかなかのちゃっかり者。

もちろん、今回のトラブルの責任を全て彼が背負うことになったらそんな数百元じゃ当然の赤字になるんだけど…


その新乗客3人もかわいそうに大変なじゃじゃ馬(車)をつかんじゃったもの。

今度はスペアタイヤの取り付け部分あたりにトラブルが発生した模様で、我々の到着後30分ほどで再起動したんだけど、ラサまではまだまだ1000キロくらいはありそうだし、みなさん、天にも祈るような気持ちなんだろうねぇ(笑)。




そんなミニイベントも楽しみつつ、実際にほぼ予定通りの午後2時サガ着。

今度はインド人のほとんどいないサガ。前回のサガ以来11日ぶりの町らしい町ということで、イシュさまも「チョコレートが買えるわ」「ネットもしましょうね」とかなりご機嫌モード。



ただ、困ったことに元気になったついでに


「このペースだったら明日はジャンムーに泊まるんじゃなくて、国境を越えちゃってカトマンズまで行けるんじゃないの」


なんて言い出しちゃったからさあ大変。


わたし、カトマンズには行けないまでも、ジャンムーを見てみたいって気持ちもあったし、最後の晩を国境の町でみんなと過ごすのもおつなもの、というのもあってそこまでは一行に付き合ってもいいかなって思っていたところ。

あさってにはジャンムーからラサに向かうランドクルーザーに格安で乗れるというあてもあったわけで…。


でも、彼女の計画(ほぼ必ず実現される)だと明日の早朝にサガを出て一気に国境まで7時間。昼過ぎにはネパールに入ってしまうということで、わたしは一人国境の町で宿をとることに。


寂しい、それはかなり寂しい



だから、わたし、この町サガにてみんなと別れることを決定。

明日8時にシガツェ行きのバスがあるのを知ってたんで、一応みなさんに報告した上で、チケットを買ってしまったのでした。



そんなわけでいきなり決まってしまった最後の晩。


「きょうはMakotoが主役なんだからなんでも好きなものを食べてくれ」


とみなにいわれてとっても嬉しいんだけど、メンバーにベジタリアンさんがいらっしゃると、どうも肉肉しい中華は選びにくいもの。


でも、

このツアー中に一度として炒飯と麺料理以外の中華を食べようなかった、そして明日には中国を離れるこの豪蘇(オーストラリア・スコットランド)夫婦に、何とか中華のすばらしさを体験させなければ!


と中国人でもないのに妙な使命感に駆られたわたし。


街中にあふれる中華料理店から、2年間の経験で培った「匂い」を頼りに、一軒の汚らしい四川料理店の門をくぐることに。


そしてセレクトしたのが、


魚香茄子
麻辣豆腐
蒜苔肉絲
回鍋肉
西柿子鶏蛋湯


分かる人は感じてちょうだい。この組み合わせ。何とか西洋人でもベジタリアンでも食べれるんじゃないか、それでいてちゃんと四川っぽいところも押さえているんじゃないか。


もちろん、チベットの更に奥地にある川菜の店のように四川の名前をかりるだけで、料理の腕が「テンでダメ男」だったら元も子もない。


それこそわたしの「嗅覚」が頼りだったんだけど、まあ、何とか自己採点で80点はクリア。

沸騰中のご飯のふたを平気で開け、冷水を注ぎ込むなど、日頃から味覚には「???」マークだった彼ら彼女らには満点以上のようでした。



最後の晩餐.jpg

◎参考写真:どうでしょう。うまいもんくった後の幸せ感が伝わるでしょうかね


さて中国式の「食事」といえば、お会計も重要。メニューをすべて任された手前、


「お会計もわたしでしょう。でも西チベに比べて安いからいいっか」


と中国式に89元払いました。

でも、西洋人たちにはそんな中国式は通用しないみたい。
どうしてもっていうから「おごり返し」受けちゃいました。


久しぶりにうまい中華くって、自腹きったのはたったの9元。


ありがとう、みんなに出会えてほんとよかったよ。これだけで!
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2006年06月25日

乗り換えてノリ変えて




これで最後?チベ日記38
門士—パヤン



ようやく幹線道路(国道219号)までたどり着いたわたしら。


新しいランドクルーザーはエンジンも足回りもバッチグーだし、このまま一気に遅れた日程を取り戻しましょうぜ!


と意気込んで宿の部屋を出てみると、そこには昨夜遊牧民のテント前で分かれたはずの古女房「テンジーナ」の姿。


「あのガタガタ山道、峠道を中国トラックにえっちらおっちら引かれ、一晩のうちにここまでやって来てしまったか」


と感心してしまうグループ一行。

しかもボルトがはずれて空回りを続けていた右後輪には、あらたなボルトをしめる代わりに回転軸とタイヤを溶接で固定するという応急処置まで施されている始末。



ってことはひょっとして今日はふたたびテンジーナさんのお世話になるの?


と疑問が湧いたところで、満を持してドライバー・パサンの登場。


「おう。昨日はよく眠れたかい」


だって。



「僕らはよく眠れたけど…。パサン、いつの間に門士ついて、いつのまに修理までしちゃったの?まず寝てないでしょ」


2時間だって。

とにかくそんなムリしてまで現れたってことは、やっぱこの翼の折れたクイーンにまた乗らなきゃいけないってことでしょう。せっかく生きのいい若い娘の味をしめちゃったというのに(笑)。



でも、パサンの徹夜のがんばりを認めないわけにもいかない。


しょうがないや。荷物を移さなきゃいけないね。もうあんなこと(故障→立ち往生)になるのはごめんよ


なんて思いながら荷台のトランクを開けようとすると、どこからともなく現れて烈火のごとく怒り始めたオーストラリア人・トムさん。


「もうこのツアーは2日も予定より遅れてるんだ。さらにまたこの車に乗ってトラブルが発生したらどうやって解決するというんだ。すでに新しい車、安全な車、スピーディーな車があるんだからそれに乗るのは当然の権利だろう」


なんて調子。

わざわざラサの旅行代理店にまで電話して直接話をつけようとする積極さ加減。


とうていわたしにゃできない芸当なんだけど、おかげをもちまして、荷物の移動もせずにすみまして、予定通りにいいほうのランクル(≒若い娘)で旅を続けることになった次第。

それより何より、そんな「ごり押し」こそ、このチベットの荒野で生き抜くための必須条件だということをまざまざと教えられたのでした。



そんなごたごたのおかげで門士を出発したのは午前11時すぎ。



本日は、西チベットの聖地中の聖地「マナサロワール湖」を拝んだ上で、門士からは400キロ近く離れたパヤンの町まで来た道を戻るというかなりの長丁場。



このマナサロワール。


カイラス山、ティルタブリとともにチベット仏教徒にとって西チベット巡礼の最大のハイライトで、「無抵抗主義」でおなじみマハトマ・ガンジーさんの遺灰もここにまかれたというくらい、インドのヒンドゥー教徒にとってもまた聖地。


そんなポイントであるからして、ゆっくりじっくり眺めてみたいのが「チベット☆OK牧場」的な本音なんだけど、なにせ我々は尻に火がついたツアーグループ。


ちょっとした不自由(笑)に遭遇してからというもの、都会の文明、便利さ、うまいもんを求める気風が急激に高まり、特にわたし以外の4人の目的地はネパールの首都カトマンズということもあって、


「もうこんなところはすぐにでも脱出したいわ。カトマンでピザとマカロニよ」


モードが全開。


「(たとえ聖地中の聖地であろうが)1時間もいれば上等よね」


と罰当たりとすら思えるような特に女性陣。



天気さえよけりゃもうちょっと彼女らの気を引くことができたかもしれないんだけど、とにかく、1時間の予定は本当に1時間ほどで切り上げられることに…。


わたしも湖の周辺で最も有名な寺院「チウ・ゴンパ」を参拝し、ぬかるみの中をようやく湖の畔までたどり着くだけでほぼタイムアップ。



マナサロワールjpg.jpg

◎参考写真:もうちょっとはゆっくりしたかったマナサロワール。写真で楽しむだけ?



まあ、確かに女性陣の判断は正しかったのかもしれない。


というのも、本日の宿泊予定地パヤンまではさらに250キロ以上も先。途中には5200mを越える例の峠「マユム・ラ」もあるようなハードな道のりなんだから。先のこと考えるとやっぱ…


到着はまたしても午前様になるのかな。まさに日本のサラリーマン並みね


と思いながら、新しいランドクルーザーにゆられ、「ちょっくら一休み」と目を閉じていると、車内にはただならぬ雰囲気が充満。


「ちょっと、ドライバー半分眠ってるわよっ」


だって。


わたしは新ドライバー・ロプサンの後ろに座ってたんで直接彼の顔を見ることはできなかったんだけど、確かに彼の首は「こくり、こくり」と夢の行き先への運転を開始してるみたい。



これはたまらん。


昨日の午後になっていきなりパサンに呼びつけられて阿里地区から駆けつけ、そのまま我々を救出、さらに午前1時まで運転を続けたのが昨日。

さらに本日もすでに5時間近くハンドルを握ってるわけで、そりゃあ披露も相当なもんでしょう。



と同情はしても、残りたぶん4時間くらい。
眠りながら運転されるのはやはりたまらん。



ということで、今まで静かだった車内は一変。

ロプサンに積極的に話しかけたり、一緒に歌を歌ったり、あめ玉をあげたり。さらに車を止めて小休止の際はわざわざリュックからストーブを取り出して「特製眠らないでねコーヒー」を作ってあげたりetc。


とにかく中国版一人っ子過保護の親以上に気をつかって妙なハイテンション。ロプサンから悪霊退散ならぬ睡魔を「とんでけ、飛んでけ」させようと必死になったわれわれ。


そんなおかげをもちまして、崖下に転落することなく無事、何もない町パヤンを拝むことができたのでした。
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2006年06月24日

一番長い日は二度続く




これで最後?チベ日記37
???—テント—門士


放射冷却現象で零度近くまで温度が下がったテントの中。



「ああ、今日も晴天なんだなぁ」


と思って寝袋の中でごごそごそ。もうライトもいらないくらいにテント内も明るくなったし、とりあえず目覚めのいっぱいでも、と携帯ストーブでお湯を沸かし、コーヒーを一杯。う〜ん、すばらしい。


で、

今日こそは救われるといいんだけど…


と優雅な気持ちになった難民生活2日目のスタート。


実は昨晩9時ごろ、われらのいる谷間の野営地そばを久しぶりに巡礼バスがとおり、それに乗ってツァンダに戻っていったドライバー・パサン。


彼がツァンダにてうまいこと動き回っていたとすれば、朗報は午前中にも届くはず。


そう思いながら、昨日のまずい飯を再び温めなおし、「生きるため」に胃袋に放り込んでいると、久しぶりにツァンダ方面からランドクルーザーの登場。さらにわれわれの近くにとまると、その車のドライバー、


「パサンはもうすぐくるから。これでは彼からの差し入れだから。食べながら待ってな」


と包子と油条、泡菜の差し入れ。うれしいじゃないの。で、よく働くじゃないの。

まあ「すぐくる」ってのは信頼度50%くらいにしても、まあ、希望は見えたってこと。どうやらテントはたたんでもよさそうやね。



そしてほんとうに30分たったかたたないか。

一台のランドクルーザーに乗って登場したパサン。同じ運転会社の同僚が別のツアーのドライバーとしてツァンダの町にいたため、彼に協力を求めたという仕組み。別のツアーの目的地もわれわれと同じで、彼がそういう方法をとるであろうこと、じつはわたしも昨日のうちから知ってたりして…。

だからこそ「もう一泊テント箔ができる」と気楽なもんだったんだけど(笑)。



そんなわけで始まったランドクルーザーによるランドクルーザーによる牽引作業。

目的地は標高5100mの峠を越えた先、約45キロ地点にある門士の町。
そこまで行けば何とか代替部品が手に入るだろうのが大方の予想。



なんとか、後ろ髪を引かれながらも、野営地を出発。

でも、定員6人ぎっしりのランクルが定員6人ぎっしりの自力走行不能なランクルを引っ張るのって、そりゃあ大変。時速だと5キロ、うん歩いてるのとおんなじくらい?


こんなんじゃ何時間かかるかわかったもんじゃないね、まったく。


と思えど、とにかく状況が打開されたことに喜びを感じるわれわれ5人組み。


一方で、


おいおい、どうなってしまうんだ。こんなんじゃ今日の目的地、約150キロ先のマナサロワール湖にはいつ到着するんだ。面倒なもんしょいこんじゃったなぁ


と思ってるかもしれないのが、引っ張ってる側のランクルに乗ったツアー客5人組(日本人3人、フィンランド人、ブラジル人)。


最初は、暖かい目をわれわれ難民に向けてくれていたものの、どうやらそこまで運転手と意思の疎通ができてないらしく、当然状況の把握もいまいち。


勾配がひどいときには車をおろされ、坂道を延々と歩かされることが2度続き、自分たちの車からもなんだかエンジンあたりに不穏なにおいがたちこめはじめ、


まさかこのペースでのこれからの40数キロが進むのか



という疑念が確信に変わってしまったとき、やってきましたリーダー格の日本人男性。



「このままじゃ共倒れになっちゃうと思うんですよね。だから…」



そうでしょう。おっしゃる意味はわかります。
リーダーとしてのその発言。すべては他のメンバーのことを思ってのつらい発言。
そのつらい立場、わたしも痛いほどわかります。


どうぞ、われわれをあたりに水もない坂道の途中に見捨てて旅行を楽しんでください


とはいくらカイラス巡礼を終えて寛容になったわたしであろうと、決して口にしてはいけない言葉だってことくらいは合点しょうちのすけ。


単に困った顔のふりをして、こっち側のドライバーに訳してあげると



「なんだ。おまえら日本人同士だろ。日本人はそんなに白状なのか」


とアンビリーバボーな様子。


そうなのよ、われわれ日本人は所詮コンクリートジャングルのなかでうごめく生きもの。発展の末に失った代価ってのは、あなたたちチベット人が想像もできないほど大きなものだったのよ


と人生論、近代資本主義論を語り始めるはずもなく、


とりあえあずは最大の峠を越えた先にある数キロ先のテントまで牽引を続けさせてもらう


ってことで大人の妥結。
すでに時間は午後2時を過ぎたころ。



われわれ5人を遊牧民が再度ビジネスで営業するテント型喫茶店「大草原の小さな家(通称)」に残し、またしても別ツアーグループ車の荷台に乗り込んだドライバー・パサン。新たな5人+一台の救援策を求め、門士方面に消えていったのでした。



あ〜ぁ、パサンにいつ帰ってくるか聞いときゃよかったよ


テントの天井を見ながら思ったこと数十回。


でも、聞いてもそのとおりに帰ってくるとも限らんし…


テントの天井にあいた穴から青空を眺めること数十回。


夜飯はカップラーメンを食うことになるんだろうか


テント天井近くのつぎはぎ部分が右と左で微妙にずれていることに気になりながら思うこと数十回。


今度成都に帰って火鍋を食べたときはまたおなかを壊すんだろうか


頻繁に出入りする娘さんとガキを見ながら、遊牧民の変わり行く食生活について考えること数十回。



めくるめくどうどう巡りりの思考から抜けきれず、中と外を行ったり来たりしてる他のメンバーとは対象的にテント内でのひきこもり生活を続けるわたし。



暗くなったらどこに寝るんだろう。多分今座ってるソファーには彼らが寝るだろうし…


とあたらしい思考段階に入ったのは、さすがにあたりも暗くなり始めた午後9時すぎ。


テントのそばにとまったランクルの中に入り、はるかかなたを眺めていると、満を辞して砂塵を巻き上げ一台の「東風トラック」の登場。

もちろんドライバー・パサンの差し金で、これは片足の折れたバレリーナ「テンジーナ」を救うためのトラック。

さらにわれわれに対しての救援策としては、たまたまこの阿里地区にいた同じ会社の別のランドクルーザーが手配できたってことで、約20分後に現れたニュードライバーと共に一足先に門士に向けて出発することができたという、黄金手配ぶり。



レスキュー.jpg

◎参考写真:強気なこと書いてても「助かったはぁ」って気持ちもそれなりに…

いやぁ、この車の快適なこと快適なこと


どんな坂道であろうとスピードを落とすことなく突き進む。

どんな凸凹道であろうと、わたしのお尻には何も響かない。そんな深夜のドライブは約2時間。日付変更線も過ぎて午前1時近くの到着となったわれわれ。


疲れ果てて、そのままベッドで死んだように眠ったわけもなく、町の夜ふかし連中が集まる食堂にて、とうぜん、中華とラサビールで祝杯をあげたのでした。
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2006年06月23日

一年で一番長い日とは




これで最後?チベ日記36
ツァンダ—???



まさに今日のような日のことをいうのにぴったり。


だって夏至だもん、あたりまえじゃない


ってクイズ王並みに即答しちゃうあなたは、ただの常識的日本人。
この西チベットの地ではかる〜く干からびちゃってちょうだい。


あなたのような方にわたしらの愛するランクル「テンジーナ」の右後輪が壊滅、右も左も山に囲まれた谷間に立ち往生を食らってるわれわれの気持ちなんてわかるわけないんだから。


そう。

わたしたち動けなくなっちゃったのね。


町長超いい感じ、みじんの問題もなく進んでいた昨日までがうそみたい。またくもってそのツケがすべて回ってまいりました。


標高4750m。
最寄りの町までは多分100キロ近く。
交通量は2時間に一台くらいという立ち往生するには最も理想的な場所にて、


「ぱきっ」


というある意味かわいらしい音。

でもただこれだけを聞いてしまったがゆえに、エンジンは動けど動力はタイヤに伝わらず。


勇ましい音だけを谷間に響かせ、何が不満なのかテンジーナ、無期限ストライキに入ってしまったのでした。



「もうだめだ。先に進めなくなった」


そんなパサン(ドライバー)のせりふ、最初は単なる冗談だと思ってたんだけど、よおく、よおく後輪を眺めてみると、確かに中央の軸の部分が空周るばかりでタイヤは一ミリだって動かず。。

さらによおおく、よおおく、みてみるとタイヤと軸を固定するボルト6本がすべて外れちゃってるじゃないの。これじゃ動かないはずよ。カラ周り。カラ周り。



さあ、どうしましょう。


とあたりを見渡す。


小川も流れている。飲み水の心配いらない
地面には程よく草も茂ってる。寝床にもぴったり。


こりゃぁテント箔にぴったりじゃぁないか。


米とコーヒーだけはたんまりあることだし、食料の心配もいらず。



ランクルって四輪駆動車なんだけど、なぜか前輪だけで動くことはできないみたいで、どうやらパサンも修理はあきらめたもよう。


一応頼まれたんで近くの山のいただきまで上って(4900mの無名峰登頂成功!)、遠くツァンダあたりの基地局まで携帯電波が届くかどうか確かめてみたものの、表示ではアンテナ2〜3本くらいたつのに実際の通話はできず。


これはもう、通りかかった車に助けを求めるしかないな


と思うものの、前述のように交通量は超まばら。



いやおうなくチベットの荒野にて野宿せざるを得ない状況になってしまったのでした。


といいつつ、われわれ日本人2人組みはかなり楽観的、頬からもれる笑みを隠すのが大変なくらいキャンプ生活ウェルカムだったりしてしまう。だってなんか楽しいじゃん。



それにしても自称「ライス・エキスパート」のトムさんよぉ。

あなたのたかれたご飯、エベレストBCにつづいて今日も最高においしかったです。

「腹こわす。食べない」

といって一口だけで去っていったドライバー・パサンがどれだけうらやましかったことでしょう(苦笑)


スタック.jpg

◎そんなこんなでくれていった一年で一番長い日。楽しそうでしょ?
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2006年06月22日

久しぶり超級遺跡堪能




これで最後?チベ日記35
ツァンダーグゲ遺跡ーツァンダ

昨日の日記にてさんざん紹介したんだけど、あんたやっぱり異次元の町だよ「ツァンダ」さん。


西部劇に出てくる風景、いやいやドラゴンボールの決闘の舞台。あっそうだ、インディージョーンズ「最後の聖戦」のクライマックスシーン!


などなど。

とにかくイマジネーションとこれまでの記憶をフル稼働させ、相変わらずこの超絶風景を楽しんでいるわたし。



もちろんその気持ちの高ぶりは、とうぜん、3時のおやつ以上にとっておきの「グゲ遺跡」に到着してからも収まることを知らず。



ペトラ(ヨルダン)、カッパドキア(トルコ)、アルゲ・バム(イラン)に勝るとも劣らない


とにかくそんなベタ過ぎる形容がばっち当てはまるような大自然の造詣美に囲まれたとこにたたずむグゲ遺跡。ツァンダの町からは西に約20キロ。


中心は高さ約300mの山に15世紀ころ築かれた王宮、砦跡で、周辺の遺跡群まで含めると総面積はなんと18万平方メートル。



ああ、そうだ。

山を上っていきながら遺跡を楽しむって言えば最近(2月25日)の日記じゃあ、オシュ@キルギスタンにおけるバザール以外唯一の見所といってもいい、今ではイスラム教の聖地「Solomon's Throne(ソロモンの王座)」というたいそうな名前の丘も似てなくもないかもしれない。


もちろん、スケールは5段違い平行棒くらい。




単に廃墟を楽しむ遺跡めぐりと大きく違うのは、このグゲ遺跡の場合だと、「ラカン・カルポ(白堂)」「ラカン・マルポ(赤堂)」といった建物内に入れば、500年前の芸術作品も多く鑑賞できるってこと。


それも完璧な保存状態ってわけじゃなく、かなりの程度、


たった数十年前に起こった「文化運動」で加えられた「破壊」という新たな表現活動を通して…


ってところが世の無常感、わたしの批判スピリットをかきたててくれる。



入場料は106元(約1500円)。


高いと思えば高いけど、遺跡遊びが好きな人、中央アジア史をマニアックに体感したい人、中世仏教芸術に興味がある人、荒涼とした風景の中にぽつんとたたずみたい人、現代中国批判が好きな人、すべてをひっくるめて面倒見てくれるこのグゲ遺跡。



グゲ遺跡.jpg

◎参考写真:魅力はかなり複合的なアトラクションとして楽しめるところなんだよねぇ



で、ワンポイントアドバイス

ぎらつきすぎる直射日光と滞在時間との関係にはかなりの注意が必要でしょう。


上記の興味分野の項目、複数個当てはまるような人だったら数時間の準備は必要。


たとえば、わたしのような全方位主義人間だったら軽く5時間以上かかっちゃいました。
時間を忘れるくらいって表現をとおり越えて、フルタイム好奇心モード120%の状態で…


だから、全部当てはまる人。


干からびて、グゲ王国の兵士と同じくミイラになる覚悟をして行きましょう(笑)。
グゲの過酷な自然条件はあなたを永遠にかの地にとどめてくれることでしょう。



要するに、水を忘れず、己を忘れず。それだけで大丈夫。

もともと西チベットを訪れるつもりの人だけじゃなく、この阿里地区にもそろそろ空港ができちゃうって話だし、チベットに興味のある人だったらすべてに行ってほしい場所、グゲ遺跡の紹介でした。
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2006年06月21日

ここはどこの惑星だ?





これで最後?チベ日記34
門士ーツァンダ


さあ完全にカイラスモードから気分も一新ってなわけでまだまだ西へと進む我々5人組。



えぁ、みぃなぁさま〜、

次なる目的地はおよそ1000年前、アジアの真ん中に花開いた仏教王国「古格(グゲ)」の面影をたどる「歴史の旅」になっております(バスガイド風)。



高校で世界史を選択した人でもたぶん聞く機会のなかったような、テスト的にはちぃっとも重要でなく、チェックペンも蛍光ペンも引かれないような王国なんだけど、かといって見る価値がないかというと、それはもっと大変なお門違い。


このグゲ王国こそ、チベット中央部(ラサ中心ね)で一時すたれてしまった仏教が新たなパワーを経てホップ・ステップ・ジャンプしたという、まさにチベ仏復興運動(ルネサンス)の場所。


このグゲ王国。数百年の栄華を誇った間に版図をもりもりと拡大、インドまで約100キロという地政学的な状況もあって今のラダック、スピティ地方まで広がるチベット仏教圏の基礎を築いたと言ってもいい、わたしたち旅行者にとってもありがた〜い存在。


そんな場所である限りは、歴史好きとして行かないわけにはいかないではないか



実際のところ本日はそのグゲ遺跡近郊の町「ツァンダ」までの移動だけしかなく、それだって「明日のグゲのためには1日くらいがまんしてもいいよ」ってな心持ちだったんだけど、何をおっしゃるウサギさん(古)。


本日も素晴らしいコース料理が用意されてるじゃございませんか。


峠を越えるとそこには富士山よりも富士山らしい雪山がぽっかり。

うん。「チベット富士と名付けよう」。


さらに峠を越えると、サトレジ河に沿って一面に広がる奇岩をパノラマチックに見渡す展望台。



「うわぁ〜、なんじゃこりゃぁ〜!」


まさに神様のイタズラとしか言いようのない複雑怪奇な世界。

写真を撮ることも忘れて数分間、ただただ呆然と立ちつくして眼下の風景を眺めるばかり。自分の中での効果音楽はやはり「未知との遭遇」。



今回の旅では色んな光景を眼にすることができて、特に美しい山々にはこれ以上ないくらい幸運な出会いをしてきたんだけど、悪いけど感動の度合いは今この瞬間が最高かもしれない。



さらに車は谷へと下っていき、その奇岩の中をくねくねと進んでいくから「たまらないモード」はとうに沸点を超えちゃったみたい。



土林.jpg

◎参考写真:灰色の岩に囲まれた世界と見上げれば真っ青な空。ただそれだけ


「これは完全に惑星探索疑似体験の屋外博物館やね」


わがiPod Shuffleから突如流れてきた「思えば遠くへ来たもんだ(by海援隊)」も異次元的にいい味を出して「遠くに来すぎでしょう(笑)」と、わたしの心に響いてきたのでした。



そんな感動の余韻に120%浸りながらツァンダの町入り。


でもやっぱりございましたよ、町に入る一本道を封じる「検査站」の看板。
車を止めると隣接する小屋から漢族とチベット族の警官計2人が登場。


形式だけの取り締まりかと思えば、この上司らしき漢族のしつこいことしつこいこと。


与えられただけの権力を傘に少しのミスも見つけてやろうとするあら探しモード120%の小役人。

色々難癖をつけた挙げ句、検査小屋にパサン(ドライバー)を連れ込んだり、わざわざ再び外に出てきて携帯電話でどこかに連絡を取ってる姿を我々にもPRしたり、とにかく30分くらいの足止め。


やりとりはよく分からなかったんだけど、「免許証」「期限」「忘れた」なんて単語はわたしの耳にも届いたんで、免許証の期限が切れてるわけはないんだけど、どうやら旅行に関する運転の何かが足りなかった模様。



ようやく30分ほどたって解放されたんだけど、


「200元(約3000円)もとられちゃったよ」

と半べそなパサン。


せっかくのコスモポリタン、コスメティック、コスモティックになってた気分を害された我々も、


チベットの端っこにまできてなんでこんなくだらん茶番を見なきゃいかんのか


と半怒り、思わずさっきの検査小屋に戻って小役人の角刈りをぐりぐり、ぐりぐりしてやりたくなる衝動に駆られたのでした。
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2006年06月20日

カイラスの垢は温泉で




これで最後?チベ日記33
カイラス山—ティルタブリ(門士)



「だ〜れだぁ、こんなとこでキャンプなんてしようていったのわぁ」

「…わたしでしたね」



と一人ボケ一人つっこみをしてももう遅いカイラスコルラの最終日。

すかっパレの初日、曇り&粉雪まじりの2日目。そして一面の雪景色にて3日目が始まってしまったのね。



昨晩。

ゴンパに隣接する宿に寝床を確保した他の三人と袂を分かち、


「せっかく最後の晩なんだから、大自然に抱かれてやる」


と意気込みあまって近くの河原にテントを張ったわれら日本人2人組。


別に男2人狭い空間に体を接して寝ようが、なんかの動物にテントのロープとかをしばしばかじられようが大して気にならなかったんだけど、


テントに降り積もる雪の音で目が覚めたのが午前3時ごろ。


「う〜ん。すぐ止むだろう。お休み」


しんしん、しんしん。


(…えっ、まだ降ってる?)


しんしん、しんしん、どさっ!


(もしかして、かなり積もってらっしゃるの?)



雪でテントがつぶれるかも

とか

明日1日このテントに缶詰かも

とか、

最悪ダルチェンまでの途中で誰か遭難するかも



いろいろイマジネーションはわくんだけど、それもなんか夢心地風味。

実際に外に出てみて降り具合、積もり具合を実確かめてみればいいって話なんだけど、暖かい寝袋を出るほどのモチベーションにはならず。まいっか。再び、お休みなさい。



夜が明けてみると、雪は降り続いていたものの、積もり具合は5センチ程度だったし、添い寝してた山の専門家によれば


「道が消えて見えないことはないし、標高が下がれば自然と雪はやむはず」


という何とも力強いお言葉。


ああ、それはありがたい。
それでは脈絡ないけど、みそ汁でもどうぞ。

二人っきりなのをいいこと(≒メンバー4人にあげるのはちともったいない)に、秘蔵していたレトルトみそ汁を取り出し、日本的に体を温めたところで、コルラフィニッシュに向けて最後の山歩きをスタートさせたのでした。



考えてみりゃ本日は全行程ほぼ下り坂、しかも10キロもないくらいなんで、天候くらいはアクセントがあってよかったのかもしれない。



結局、舞いふる雪の中をちょっと気合いを入れて歩いていたのって実質1時間くらい。

その後はSHUHEIさんの言葉通りに雪雲のエリアを脱け、歩を停めて振り返るたび、悠然と霞に包まれた雪山や青空に映える美しい雪景色なんかを堪能できたりしたんで、こりゃこれで儲けもんでしょう。



コルラ最終日.jpg

◎参考写真1:こんなにいろんな光景を数時間のうちに堪能。ほんと、ぜいたくですな


最後の方なんて実に軽快、「もうこれで終わりなの」なんて余裕も出てくるくらい。


で気が軽くなると口も軽くなって、言いたくなったことが一つ。


こらっインド人。せっかく聖地にゴミは捨てるなっ!


このカイラスコルラ中、「バックパッカー」といわれる人種には洋の東西を問わず一人にも会わなかったんだけど、その分何十人と出会ったのがサガ県にて初めて登場したインド、ネパールからのグループ。

彼らのマナーの悪さといったらもう最悪。

お金持ちなのは知ってますよ。
ポーターを雇ったりコックを連れ回すのはそちらの自由。

でも、巡礼路のいたるところにわたしの大好きなマンゴージュースの紙パックを放り投げているのはいただけないでしょう。


とにかく目立つのよ、このマンゴー紙パックは。
毎数百メートルに落ちてりゃ、マンゴー好き以外だって気付くっちゅうねん、しかし。


巡礼路が終わる4キロほど手前に大量のランドクルーザーを待たせ、颯爽とマナサロワール湖方面に消えていく彼ら(インド隊)を見届けながら、そんな小言を口にしまうのは、やっぱりカイラス巡礼を終えて罪を清めきっても、性格までは変えられなかったかもしれないっすね。



で、とにもかくにも我々5人組も「自力」にてコルラを終了。


おめでとう。コングラッチュレーション!



旅のアカは温泉で落としましょうね、とあえてこの日もさらに50キロほど移動。


門士の町近くにある聖地「ティルタブリ」に赴き、霊験あらたかな温泉に疲れを癒そうかと意気込んでみたんだけど、それがしっかり本日のオチになってくれるからありがたいのありがたくないのって(悲)。


再び小雪の舞い始めたチベット高原。



ティルタブリ.jpg

◎参考写真2:目の前には直径2メートル、深さ40センチほどの小さな池。

底の方は若干ヘドロっぽい緑色。周りには洗濯石けんの袋なんかも墜ちていて、最大のセールスポイントは35度くらいとぬるめの温度。


誰も入ろうとしない…

それどころか今にでも車に戻ろうとする態勢…


だから、わたしだけが荒野にオールヌードをさらけ出すこともできず。


…せっかくここまできたんだから、せめて足湯だけども。


って思うのが普通なのにね。


まあ、そんなこんなで旅の垢は落とせなかったけど、性格も直せなかったけど、「カイラスコルラ」は無事終了。これまでの罪は見事に消えきったことだけは大声でみなさんに報告させてもらいますわ(善人宣言)。
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2006年06月19日

下を向いて歩こ〜う♪





これで最後?チベ日記32
カイラス山コルラ


カイラスを一周すればそれまで犯したすべての罪が清められる



マニ車をまわせば経典を読んだことになる、人は死ぬと魂だけが輪廻の世界に戻って残された肉体に意味はなくなるのだから鳥に食わせる(鳥葬)、なんてのと同じ。

この「カイラスみそぎ」説も実に合理的なチベタンらしい考え方だけど、さすがにすべての悪行三昧がご破算にするためにはそれなりの苦労が必要なようで…


カイラスコルラ前半が山の神々しい姿に感動する旅だとしたら、後半戦はまさに巡礼路らしく「苦行」がちゃんと手ぐすね。


実質コルラ2日目となる本日、ルート半ばに待ち受ける標高約5670mの峠「ドルマ・ラ」越えこそ、もっとも大きな試練だと思われがち、言われがちなんだけど、はっきり申しますとその通り。


でもそれ以外だってなかなかおつなもの。
要するに、本日はすべてが試練のようなものでしたな。

こんなに明らかになった部分じゃ悪行の少ないわたしなのに…。



実はさ、別にそう苦しいわけじゃないのよ。
もう平たく歩く分にはね。


思った以上に高度順化に成功したみたいで、たとえ5000m以上のエリアであっても平たい場所であれば20キロの荷物を担いでも何とか大丈夫。



ただし、やっぱり合い言葉は「下を向いて歩こう」。


「上を向いて歩こう」は絶望につながるのみ。



見上げればほら、とっぺんがどこにあるのか分からない急峻な坂道。

こんなもん見上げ続けてたらどんなMVPプレイヤーだって恐ろしくなってべそかきながら家に帰ろうかというもの。


凡人は凡人らしく自分の足下、常に一歩先だけを見続けて生きていきましょう。
それだったらどんなけわしい坂道でも大変だとは思えないものっすから。


そんな無言の合意があったかどうかは分からないけど、とにかく我々5人はゆっくりゆっくりと「胸突き八丁」までの道を歩き続け、無情にも舞い始めた雪にも負けず、そして無事、「胸突き八丁」のてっぺんに到達してしまったのでした。



ドルマ・ラ.jpg

◎参考写真:地元チベタンだって結構気合いはいるみたいね、このドルマ・ラは



はぁ、終わったね。後は今晩の宿泊予定地まで楽しいハイキングを楽しみましょ



ってスムーズに行くわけないよね。


ドルマ・ラを越えてすぐに始まる急な下り坂。


ちょうど降りきったところでひとまず休憩しましょうか、とリュックを降ろしたわたしを含めた先行隊3人組。


で、いつまでたっても降りてこないSHUHEIとSONIAの日韓コンビ。

これまでも一番高地順応がうまくいってなかったSONIAがはぐれないよう、常に彼女の後ろ、つまり最後尾から隊を見守ってきたSHUHEIさん。


「それにしても遅いよね」


なんて話していたら、ようやく見上げる岩の影に2人の姿。


「Hey,いったい何やってたんだい?」


そんな気楽な質問なんてとうていできないほどに険悪な雰囲気がぷんぷん。


「ねぇ。きいてよ。SHUHEIはわたしを子ども扱いにして、ずっと後ろをついてくるの。ホントほっといてほしいのに。別に私がどうなって死のうと他人には関係ないじゃないの。それなのに『まだ休むな』『もう少し歩いてから』とか、まったく面倒だわ」


と誰もが反対意見を述べる気になれないくらいの堂々とした爆弾発言。
もちろん、超困り顔のSHUHEIさん。


あらあら。ドルマ・ラ越えちゃった途端ここまで本能剥き出しにしちゃって


と珍しいものをみるときの超興味津々モードに入っちゃったわたし。


最大の難所こそ越えちゃったものの、その後も目的地までは10キロ以上の道のりが残ってるってことで、状況を素早く察知。後続常連組の2人+わたしを待つことなく、一目散に出発してっしまったオーストラリア&スコットランドカップル。


まあなんて賢いこと


さらに雪も本格的に舞いだしたりしたから、われわれ、この超マイペース韓国人お姉ちゃんを置いてはいけないけど近づいてもいけない。

まさに腫れ物に触る、いやさわれないくらいの微妙な距離感で彼女をエスコートし続けなければいけないという状況。


「後どれくらいでつくの」


というかなり大きいこれ見よがしの独り言が聞こえれば、先乗りして地元チベタンに残りの距離を尋ね、


「まだなの。ホント疲れたわ」


というかなり大きいこれ見よがしの独り言が聞こえれば、先乗りして地元チベタンが開いているテント式喫茶店でミルクティーをオーダー。



うん。これこそ過去の罪を帳消しにする巡礼に相応しい苦難の道なんだ


と思ったわけ、分かってもらえるでしょう(笑)。



それにしてもまるまる10時間を歩くことになった本日の巡礼。


人生とはなんぞや、段対抗とはなんぞや、国際交流とはなんぞや


こんな三点セットをまともに考える機会を与えてくれたカイラスにはとにかく感謝、感謝。
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2006年06月18日

豪華カイラスざんまい




これで最後?チベ日記31
カイラス山コルラ(一周トレッキング)


「アジア最強の聖地巡礼」


チベット仏教の聖地、ヒンドゥー教の聖地、ボン教、ジャイナ教でもこれまた聖地と、とにかくいろんな宗教の人たちがあやかりたがるほどに神々しいのがカイラス山(チベット名:カンリンポチェ)。

チベット自治区西部、インド国境からも程近い{アジアのへそ」にあって標高は6656m。



だからこそ、宗教的にさほど熱心でないわれわれにとっても、その山を訪れるのはいわば上記のように「アジア最強の聖地巡礼」という大人のミッションに「済」マークをつけるための大きな壁。

特にわたしにとっては一般大衆にもわかりやすく説明してあげるなら「越すに越されぬ大井川」だったというのは先日の日記のとおり。



そんなよこしまな心を持つ旅人たちにもこの聖山は懐の深さを見せてくれるもの、身をもって知らせていただきました。

カイラスでは山の周り時計回りに巡礼「コルラ」するため、その巡礼路が用意されてまして、走行距離約52キロで標高4670〜5670m。


本日は「山見物」がメーだったんだけど、まるで某スーパーの懐かしき「閉店間際の大セール」なみ、過去数千年間にわたって各宗教関係者も魅了してやまなかったその神々しい姿を惜しげもなく披露してくれたのでした。もうとにかくいろんなカイラススポットを堪能よ。



カイラス初日.jpg

◎参考写真:ど〜だ〜っ!山好きも海好きも、インドア派だろうがカイラスには白旗



まずはコルラをスタートして2時間。

昨日のうちにたどり着いてたタルボチェ。つい数日前のサガダワの際に張りかえられたばかりのタルチョがおびただしく風にゆられているようすは荘厳。

残念ながら曇り空のためにカイラスは拝めなかったんだけど、それはあくまで昨日の話。

…無人の小屋の中にテントを張らせてもらって迎えた朝。


のっけからの120%のカイラス西面。
とりあえずのスーパーサイヤ人どころか、いきなりフュージョン済で登場するくらいの圧倒的パワー。



その西面を少しずつ角度を変えていき、なめまわすように眺めながら巡礼ルートを北上。



おおよそ8時間で、もっとも偉大な北面に到着。


もちろんこの間の天候は著しくはれ。


カイラス北面を真正面に眺めるゴンパ(お寺)に宿をとり、



「ふう。なんて充実した一日だったんだ」


と思うのはまだ早い。

すでに午後6時を過ぎているとはいえ、地理的にはインドのニューデリーの真上に近い場所。体感時間はまだ午後3時を回ったくらい。


「もう一暴れしてもよろしいんじゃないんでしょうか」


と向かった先は、ずばりカイラス北面。

眺めてるだけじゃ満足できないって?


「いやぁ、ぼく、カイラス北面に触ってきましたよ」


とかつて自慢気に話していたレンイエン(日本の大学復学中?)の言葉をずっとうらやましく思っていたんだもん、だって。


おなじくどうしてもカイラスの氷河が見たいと無言のダダをこねていた氷河研究家のSHUHEIさんといっしょに、今度は南に方向転換、さらに約300mの上りに挑戦したのでした。



すでに標高は5000mを超えていると思われるエリアまでやってきてるわれら。


本当だったら一歩も歩けないくらいに疲れているか、高地の影響で容易に動けないような状態にあってもいいんだけど、なぜかとってもアドレナリンとから元気が体からあふれておりまして、


勾配が40度くらいありそうな斜面を上ったり、氷の川をわたったり…


とにかくひたすらでかくなっていくカイラス山を見るのを心の支えにちんたらちんたら登ってただわけだけど、いかんせん、手前にある丘陵や山の稜線が邪魔をして肝心なカイラス氷河の姿がなかなか拝めない。


「ここいらは完全に氷河が作った地形なんだけど温暖化の影響でどんどん後退してるみたいだね」


とは専門家のご意見。
とにかく、


「つぎのモレーン(堆石)を越えるまで。あの丘の上にたどり着くまで」


と三十路男と五十路男がけなげに互いを励ましながら、とうとう、やってまいりました。

目の前に広がるはカイラス氷河。


カイラスの北面からこんもり、どでんと突き出したその姿は目の前まで迫ってみるとやはり途方もないでかさ。


とりあえず山男の血が騒いでか氷河に上ろうとするSHUHEI
とりあえず酒飲みの血が騒いで缶ビールをあけるMAKOTO


とにかく標高約5300m、あとから到着したTOMも加わって、聖地のなかのこれまた最高の聖地にて、思い思いの時間をすごすことに成功したわれわれだったのでした。
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2006年06月17日

10年ぶりリベンジ達成




これで最後?チベ日記30
パヤン—カイラス山


とうとうここまできてしまいました。

本日は念願のカイラス山入り。


でもさ、

その前にどうしても越さなきゃ壁があるってこと、たぶん誰もご存知ないことでしょう。


実は10年前の5月、今と同じようにカイラス山を目指し、旅行者をトラックの荷台に詰め込んだだけの超いいかげんツアーに参加したわたし。


とても道路と呼べないようなでこぼこ道に尻を痛めながら
ズボンを三枚重ねばいても底冷えのする寒さに凍えながら、
当然荷台まで侵入してくる砂ぼこりに外の景色を楽しむ余裕もなく


とにかく修行のような4日間をすごしてでも、「アジア最高の聖地」というネームバリューだけにひかれてカイラスを目指したというのに、その結末こそ、パヤンの集落を出発して百数十キロ。


橋もかかっていない凍り付いた川に行く手を阻まれ、そこで丸一日粘ったものの、単なるぼろトラックには氷解を待ってわたるには水量が多すぎ、氷の上をわたれるほど頑丈な厚さでもなし


ってなわけで、カイラス山を前にした約100数十キロ地点にて泣く泣くラサに引き返したのでした。


もちろんそのときの十人すべてが引き返したわけじゃなく、強引に徒歩で川をわたったアメリカ人とオランダ人の2人がいて、


「あの人たち大丈夫だったかなぁ。それともおだぶつさんになっちゃったかなぁ」


なんて思ってた新彊ウイグル自治区はカシュガルにて、無事カイラス参りを果たした彼らと再会。

だからこそ余計に、このカイラス行きは悔やまれる思い出、のどの奥に引っかかってた魚の小骨として、わたしの華麗な経歴にきざまれた唯一屈辱の傷。

ネクタイをしめて仕事に精をだしてるときも、一周り近く年のはなれた同学(クラスメート)たちと机を並べて中国語をゼロからはじめたときも、


「この無念、けっして晴らさずにおくべきか」


というのは当たり前のめりの野望だったわけね。



まあ、昔話に花を咲かせるのはそのくらいにして…



本日も「あの時」のようにパヤンを出発したのは夜もあけきらない午前7時。


で、何度かのスタックを経てようやく夕方にたどり着いた「あの時」に比べるとそうとう早く、10時半にはあの川べりに到着。何せランクル「テンジーナ」すっから。


10年前のことなんだし、記憶なんてあいまいなわけなんだから分かるだろうか



なんてことはまったくの杞憂。鮮烈によみがえってくるさまざまなシーンを経て、あっさり例の場所にたどり着いたんだけど、なんと、あの川には豪華な橋がかかっておりました。



だから懐かしの風景をゆっくり眺める余裕もなく、同乗者の誰に思い出話を吹聴するひまもなく、「テンジーナ」はわたしにとって未知の世界に突入。


まず、橋を超えて2、3キロの場所に公安の検問所発見。
かなり厳しい旅行許可証のチェックがあって「ここを抜けるのはちょっと厳しいかな」という印象。


さらにそこからは上りが始まって、それはラサ—カイラス間でもっとも高い峠「マユム・ラ(約5220m)」への道。



マユム・ラ.jpg

◎参考写真1:思い出の川、新しい検問所。そしてマユム・ラ…が過ぎていく



もちろんそれまでも4500以上の高原を突っ走っていたわけだから、それほど高い峠を超えたという印象はなし。



いよいよ「カイラスエリア」に突入してしまったね


という満足感&高揚感に浸りっぱなしだったんだけど、ここまで天候には95%以上恵まれてきたわれわれの行程にももっとも肝心な段階に入って文字どおりの「暗雲」。

峠の上から眺めるカイラス方面、超高級じゅうたんも驚くくらいのふかふか分厚い雲におおわれておりました。


これだけボリュームある雲だとちょっとやそっとの風じゃ吹き流せないらしく、その後約3時間のドライブを経て、とうとうカイラスの懐まで到着したてもまだ、まわりはドンよりした雰囲気。

当然山の全景など拝めるはずもなし。雲も向こうにかすかなシルエットが見えるだけ。



「おいおい、ここまできてそんな『ちらりズム』はいりません。

リベンジは一度で結構。もう3度目の正直はないってのに…。これから3日間のカイラス一周トレッキング、どうなるの?」


さあ、いったいどうなるんでしょうねぇ(他人事風)。



ファーストカイラス.jpg

◎参考写真2:とにかく第一インプレッションはこんな感じでありまして…
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