2006年06月30日

ギリギリのラサ駅下見




これで最後?チベ日記43
ラサ



いよいよ明日に迫ってしまいました。

チベットの政治的状況、経済発展、庶民の生活を根底から覆してしまう、意地悪な言い方をすれば「さらに漢化を加速させる」といわれている青藏鉄道開通の日。


わたし的には

ふう、何とか歴史的瞬間に間に合った


というとこなんだけど、開通したての電車に乗ってチベットにさよならを告げるという所期の目的を果たすためには、チケットを手に入れる必要があり。


ところが、カイラスツアー開始前から始めていた情報収集の網にかかった情報といえば、


「おかみから市井の旅行代理店には何の通達もなし」


というもの。


おいおいもう開通1ヶ月切ってんだよ。そんなんで誰が得するっていうの


なんて思いつつも、手に入らない物はしょうがない。状況の打開を期待してカイラスツアーに出っ発ってたのでした。



で、早速ラサに戻ってきたことだし、なじみになった代理店を再訪。


「…まだ何も知らない」


だって。開通あしたっすよ。
あんたら単にさぼってるだけっしょ。


ちょっぴり眉をひそめて声のトーンを落としてみると、なにやらごそごそとどこかに電話をかけ始めるテンジン君。



2,3カ所と連絡を取った上で、


「ラサ駅内にある『自治区旅遊局』に行けば今チケットが買えるそうだ」


「外国人でもOK?」


「大丈夫!」


と、とにかくすごい自信。


どうせ、休養にあてるつもりだった本日。何もする予定なんて入れてなかったわけだから、こりゃあ行くしかないね。


でもどうやって?


過去の日記でも紹介したように、ラサ駅はラサ河をはさんで市街地とは反対、南側。ただ、大まかな地図しかないからどれくらい南なのか、という大切な情報は未だ分からず。


試しにタクシーを止めて運ちゃんに値段を聞いてみると


「ラサ駅は遠いから片道60元(約900円)」


と市内固定価格の6倍の超インフレレート。
往復割引に応じる気配もなく、


ふざくんな、もう休養なんていらん。体で稼いでやる


とラサに来て初めてレンタサイクルに手を出すことに。


1時間3元(保証金400元)。
思った以上に整備されたマウンテンバイク。


これなら片道19時間までに駅に到着できればあのタクシーの運ちゃんに「勝つ」ことになる。


とにかく市内東にあるラサ大橋を渡らなけりゃ未知への旅は始まらないので、初めての自転車運転に若干気を使いながらとにかくペダルをこぎ始めることに。


約10分。
橋を渡るとそこは三叉路。

ガンデン寺、林芝方面へと続く道とは反対、つまりラサ河を下る西方向にハンドルを切るとそこには真新しい「ラサ駅10,5キロ」の看板。


ふっ、サイクリングにちょうどいい距離やなかね
それにしてもあの運ちゃん。ぼり方も異常すぎよ。たぶん正確な場所知らなかったんだろうね



道は若干起伏があったものの、エベレストBCやカイラス街道をチャリで走破しようともくろむ一部サイクリストたちの苦労に比べるとこんなのは余興の余興。

さすがに歌を口ずさもうとするとワンフレーズごとに深呼吸が必要なくらい息が切れるけど、チャリダーにしか味わえない優しい風は快適そのもの。


約30分後、目的地に到着したのでした。



ラサ駅見学.jpg

◎参考写真:とうとうわたしの前に姿を現したラサ駅。歓迎(警戒)準備もほぼ終了



で、目的地はあくまで目的のための目的地。
本来の目的であったキップの手配はできたのか?



はい。できませんでした。
わたしの狙ってた4日発の成都行き。


「2日から発売開始。だから2日にまた来い」


だって。
だいたい発売開始時にキップが売り切れてるのが中国鉄道人気路線の常識。


「そんな悠長なことは言ってられなかったりするんですけど…」


ということを窓口でぼやいてみても聞く耳持つ様子もなし。ねぇおばちゃん。



仕方なく駅舎見学および掲示板にて情報収集。


あれっ、2カ月前までは運行が当然のごとく報道されていた隔日発の上海行きと広州行きが影も形もなくなっているんですけど…


もちろんそれについて何の説明もなし。

わたしが山の方に行っている間に何かの発表はあったのかもしれないけど…。


さすが中国。やることが相変わらずめちゃくちゃだ。


で、結局のところこの5路線で当分の間は試験運行するみたい。
興味のある人がいるかもしれないから参考までに。


     距離と所要時間     価格(左から硬座/硬臥下/軟臥下)

北京   4064km/48h        389/813/1262 

成都   3360km/48h50m      331/712/1104

重慶   3654km/47h08m      355/754/1168

蘭州   2188km/30h13m      242/552/854

西寧   1972km/26h47m      226/523/810


わたしが注目するのはやはり成都路線。

なぜ硬臥の値段が一万円以上もするのか
なぜ北京や重慶行きよりも時間がかかるのか


など不満な点もあるものの、まあおおよそは予想の範囲内ってところ。



わたしにとっては何よりも切符を手に入れられるかどうか、明後日にもう一度運命の日が訪れるわけで、「決戦の日曜日」ってわけ。

それではみなさん、わたしの幸運をぜひ祈っててちょうだいな。



追伸:自転車による往復は2時間で都合6元。とてつもなく安くつきました。

でも、ラサ市内からは新規「91番」バスがそれこそ5分おきくらいに走ってたんで、賢いみなさんは路線バスを利用しましょう。始発はラサ大橋にも近い東郊バスターミナルそばから。大きなロータリーがあるんでそこで待ってりゃすぐつかまるはず。わたしも次回からはバスを利用します。
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2006年06月29日

海が恋しくなりました




これで最後?チベ日記42
サキャーシガツェーラサ


「ふ〜りそっそぐ陽をあ〜びて……新しい旅へとともに出て行こう…お〜しゃん♪」


いやぁ、いいねぇ。男だねぇ。

池沢さ〜ん、死ぬなぁ〜!



サキャでありついた一泊15元の6人部屋ドミトリー。


安い割には清潔でテレビも常備。

迷うことなくCCTV5(スポーツチャンネル)がやってた「ワールドカップ8強への軌跡」に右目と右耳を集中。


さらにたこ足コンセントまであったりしたもんだから、ラサにて購入し何とカイラス巡礼までともにしたDVD「海猿」をわがPower BookG4にインサート。

左目と左耳はそのまま日付変更線を越えるまで海の男たちの専属監視役になったのでした。


全11話のうちたどり着きましたクライマックスも近い第8話。


ここまで見ちゃうと、日ごろから冷静な目で社会を「斬ろう」と心がけてるわたしであってもかなり感情移入してしまうわけで、細かいつっこみはありつつも、


海って結構いいかも。だって夏だし

そういや沖縄に行きたいなあ

あ〜、チベットって一番海から遠いとこにあるんだよなあ

それに「海の高僧」もポタラ宮からインドにいっちゃてもう50年以上たっちゃうわけだし…。


なんて考えてたら山派から海派への転向宣言もかなり間近な風向き。チベ旅もなんだか終わりが見えてきたような気分。



でもね。

昨日までの感動もまた忘れたくない。
だから最後まで全力投球は欠かせない。

本日もシガツェに戻るバスの出発時刻午前11時までは人並み以上に汗を流して観光に精を出すことにいたします。


昨日見たのがサキャ派の伝統の粋がほぼ完璧に残っているサキャ南寺。
で、これから向かうのがサキャ派の伝統の一切合切がほぼ完璧にぶちこわされたサキャ北寺。


南寺からは川を渡ってそのまま山の斜面を約100メートルほど登った地点。


歴史を好きな人って自分も含めて「冷静になれば残酷な趣味だなあ」と思うことがあって、破壊には破壊の、人殺しには人殺しの、さらに滅亡や消滅といったものにまでロマンを感じたりするもんだけど、一般的にいってそこには適度な時間の風化があるわけで…


でもこちらのサキャ北寺の破壊なんてたかだか40年前の出来事。

それなのに見た目なんてグゲ遺跡と同じ。ただただ壁の跡、階段の跡があるのみ。

ここにお寺があったなんて言われなけりゃ絶対分からない。巨大な仏像があったとも精緻な仏画が掛けられていたとも、大勢のが学んでいたとも何一つ証拠を残さない、まるで完全犯罪を狙ったような徹底ぶり。


現在、敷地内では修復作業が緒についたばかり。


30人くらいのチベット人がとりあえず穴を掘ったり土を右から左に運んでいるだけで、いったい何をしようとしているのか、その全体像が見えてくるのはまだだいぶ先になりそう。


それなのに

作業をさぼって(休んで)仲間とおしゃべりしていたチベタン若者男性。完全にわたしを中国人だと思ったようでのっけから中国語で、


「すいません。お金を恵んで下さいませんか」


だって。


日本人だと「恵んでもらうこと」には若干以上に心の抵抗があるわけだけど、チベット人って「ダメで元々。言ってみるだけ言ってみよう」って考え方なのはもう十分知ってるし、実際にチベットではいたるところでそういう声をかけられてきた。


でも、自分たちの心の支えのお寺をここまで完全に壊した側の人間(と彼は思った)に対して、まさに破壊のその地において「お金を下さい」って言っちゃうのはやはり悲しいことでしょう。


「自分で働けるでしょ。怠けたらもっと大切なもんをなくすよ」


そういってあげましたよ。

もちろん、これまでインドだろうと東南アジアだろうとアフリカだろうと、当然チベットでも、一度として「お金は」与えたことがないわたしだから、どんなシチュエーションだろうと財布が開くことはなかったんだけど、ね。



さて、そんな北寺散策も終え、まだ30分近く残っていた時間をさらにどん欲に活用。昨日に引き続いて2度目となる南寺へ。



サキャゴンパ2.jpg

◎参考写真1:「いやぁ、やっぱ寺の参拝は午前中に限るよ」と思った次第ですわ


昨日あれだけ「暗い」「見えない」「見られない」だった寺院内の壁画や小部屋だったのに、東からの太陽がうまい具合に部屋に差し込み、部屋の明るさが昨日午後とは段違い。


さらに地元参拝客が多いこともあって、昨日は入ることができなかった色んなお堂にも入ることができ、そこにはお化け屋敷のような「こわ面白い」壁画や人形が飾られた部屋もあったりなんかで、


さすが宗派総本山ともなるとアトラクション性まで考慮に入れているのか


とうならされるばかり。
ほんと30分の経つのが何と早いことか。


…出発1日延ばそうかな?

でもやっぱ「お〜しゃん♪」見ちゃったしなぁ。やるべきことはすべてやったでしょう


とシガツェ行きのバス。
昨日のウーパールーパーと韓国風女性はすでに着席。
何しにきたの彼女ら?


シガツェまでは約4時間半。

バスターミナルにて1時間強のバス待ちでラサ行きは午後5時50分出発。

そしてラサには午後10時着。


前回北チベットから辿り着いたときとほぼ同じような時間帯。

定宿「ヤクホテル」に荷を下ろすと、道路をはさんだ一軒のツーリストレストランにてピザとビールで乾杯。


ご苦労ピッツァ.jpg

◎参考写真2:それにしてもなぜ「ピザ」なんだろうねぇ。まったく不思議です



前回は旅の連れだった香港人、ダルマ監督と甲斐君40代バージョンと一緒の乾盃。
でも今回は西チベットまで20日近くをともにした旅の連れはカトマンズ、のはず。


だから一人の乾杯。

ピザもビールもそこそこの味だけど、悪くない。

いや、うまい。

幸せだ。
posted by 牧場主 at 00:00| 北京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | またまた旅に出ました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月28日

サキャはなかなか大物




これで最後?チベ日記41
シガツェーサキャ


「お嬢さん、落とし物ですよ」


大正ロマン漂うシルクハットの紳士が言いそうなきざなセリフを言おうかどうか20分ほど迷ったサキャ行きのバスの中。


わたしの右斜め前に座った女性が2人。
偶然にも日本人。

1人はウーパールーパー風で窓側のシート。
もう1人は韓国人風の身なりで通路側のシート。


どうも元々の知り合いがバスの中で偶然再会したらしく、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃとくっちゃべり始めてからかれこれ数十分。


日本語とはこんなに他愛のないものだったのか


と思いつつも、すぐ近くから聞こえる自国の言語を抹消して、その他周りのチベット語、中国語だけを厳選して聞けるほど器用なはずもなく、

ちょっといやらしいかな、と思いつつ久しぶりの日本語の洪水に耳を傾けていたわたし。


そんなとき、通路側の女性が何気なく床に捨てたのが、バスに持ち込んでぱくついてた小籠包の袋。で、2度目が飴の袋。


う〜ん、困った。

注意してもいいもんだろうか。


「落とし物ですよ」


なんていって、しらけた眼をされたらこっちが恥ずかしいし、今までずうっと日本人だってこと黙ってふたりの会話を聞いてたこともばれちゃうしなぁ

でも、ポッシェから顔をのぞかすテディーベアーと平気でポイ捨ての態度は、あまりにアンバランスだしなぁ


そんな悩める男一匹30代。

で、またチラッと彼女らの方を見やると、ウーパールーパーの方も「ぷかぁ〜」と紫煙をくゆらせてるじゃあないの。


あちゃぁ〜、こっちもだよ。日本じゃ絶対やんないだろうになあ


中国でも北京や成都など都会の方ではすでに「バス車内は禁煙」とはっきり明示してあり、はっきり違反者は違反者だから、注意されればやめなきゃいけない。

でも田舎の路線になればなるほどそのマナーもいい加減になって、中田舎だと「禁煙」と書いてあっても運転手が率先してるし、大田舎になっちゃうとそんな注意書きすら皆無。すなわち煙の無法状態になっちゃうわけ。


そんな公共心についての教育は中国の最も苦手な分野だろうけど、中国に入ってたった1カ月や2カ月そこらの彼女らがここまで短期間のうちに「中国に染まってしまった」姿を見やり、若者の適応力の早さに驚くとともに


わたしの2年近くはこれでよかったのだろうか


と考えてしまったわたし。


目的地まではまだまだ道半ばどころか5分の1程度。結局はヘッドホンにて耳栓、音楽を聴いて自分の世界に引き籠もってしまったのでした。



で、サキャに到着。

これまでのよしなしごとがほんとどうでもよく思えるほど見応え十分の町だったからやっぱ旅の神に感謝。はっきり言って寺としてはギャンツェ以来の感動ね。


サキャゴンパ.jpg

◎参考写真:さあ見てちょうだい。大物チックな雰囲気がもうぷんぷん。匂うような


そうそう。

サキャについて何もまで説明しておりませんでした。


ここはチベット四大宗派「サキャ派」の総本山、その名もズバリ、サキャ・ゴンパ(薩迦寺)の門前町。

しかもモンゴル帝国が世界を席巻した13世紀に元帝国の保護をうけたことから、チベットを政治的に治めただけでなく、この時期を以てチベット仏教はいわゆる「チベット」を飛び出して中国やモンゴルにまで信徒を広げたわけだから、アジア宗教史的にも歴史の転換点となった場所でもあるわけ。


でさらに、川を挟んで北寺と南寺があったサキャ・ゴンパのうち、南寺の方は例の文化活動の際にも奇跡的にその被害を免れ、多数の貴重な文献、仏像、壁画が残されているというまさにお宝の山。


そのサキャ南寺の入場料は45元(約700円)。

安くはないけど、3日間有効というのが気に入った。


それくらい腰を据えてみないと全部は見切れないんじゃないの


という挑戦的なにおいがプンプンする。
もちろんこっちが勝手に思ってるだけだけど。



でも、さすがに四大宗派の総本山というだけあってその規模は壮大。

本堂には10m近い仏像が何体もどかどか座っているし、サキャ派を象徴する灰色と赤色で塗られた周囲の城壁なんて高さ5m以上、正方形の一辺は100mもあるんだって。

そりゃあたまげるよ。


それに昼の3時過ぎという一般参拝者がほとんどいなくなった時間帯だったことも、余計にそのでかさがしみ入る理由だったのかもしれない。


もちろん、あまりにでかすぎることは観光客にとってはもろ刃の剣だってことも実感。


例えばお堂の中。

小さな明かりじゃ天井近くの壁画やなんかはちぃ〜っとも見えまっしぇん!


たぶん色んな芸術品が眠ってる小部屋の数々。

管理が大変なのは分かるけど、鍵かけっぱなしで近くに誰もいなけりゃあきらめるしかないじゃ〜ん!



という泣き言も口に出てくるくらい、ここだったらどん欲に見て回りたい、と思わせるサキャ・ゴンパでありました。
posted by 牧場主 at 00:00| 北京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | またまた旅に出ました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月27日

ひさしぶりの独りたび




これで最後?チベ日記40
サガ−シガツェ


とうとうお別れの朝。

約20日間行動を共にした4人と旅路を分かつときがやってきてしまいました。


じめっとよりさらっとが好きなんで、ギリのギリまで何も言わずにだまって荷造り。リュックを背負って部屋を出るときになって初めて、


「じゃあ、先に行くから。まぁ地球のどっかでまた会うだろうし、ね」


と70年代ハンサムボーイ並みのさわやかさ。


たぶん頭の中では「カトマンズのピザと冷えたビール」で充ち満ちた4人に熱く、暖かく送り出していただいたのでした。


ところで、

たかが食いもんだけのためにサガからランドクルーザーを飛ばして1日で国境を越え、カトマンズまで行ってしまう予定の彼ら4人組なんだけど、実はわたしのほうがより長距離な移動ををするつもりってことはご存知でしょうか。


わたしの目的地はシガツェ。
サガからの距離は約450キロ。


8時に出発するバスが8時に到着するという、ドラえもんの「どこでもドア」でもない限りは丸々半日12時間かかるという強行日程。


さらにわたしの方にはもう一つ問題があって、ツアーグループの旅行許可証をもつドライバーとも分かれちゃったわけで、検問所があった場合、ここはまだ外国人非開放地区。非常にまずい状況(拘束&罰金)に陥ることだってあるってこと。


ところが招かざるものほど引きつけるフェロモンを身につけてるようで、そのヒヤヒヤポイントはすぐ町外れにあって、バスに乗ってからたった10分後には到来。


「乗客は全員身分証を持って検査場の方に行ってちょうだい」


とバスの運転手が一言。



いい加減な検査だったらいいなぁ、と思いつつ、パスポートじゃなくて西南民族大学の留学生証の方を提出してみたんだけど、あっけなく


「これじゃくてパスポート。あと旅行証も出せ」


だって。小手先は通用せず。
それじゃ仕方ありません、と


「わたしは正規のツアーに参加してたんですが、旅行証はガイドが持って行ってしまいました。彼らはネパール、わたしはラサ方面に行くもんでして…」


正直に申告してみると、どっかに携帯電話をかけ始めたものの、会話はチベット語にて二言三言にて終了。


「行ってよし」

となったのでした。

わたしが根っからの正直者だったからよかったのか、それともラサに戻る方向だったからよかったのか、それとも単に最近のチェックは甘くなってるからなのか


それは神のみぞ知るわけだけど、もし機会のある人、「ガイドが許可証持っていった」は結構使える言い訳かもよ(笑)。



さてさて、その後もチェックポイントは2カ所あったものの、特に厳しい雰囲気はなく余裕の通過。


ただし、移動自体はもう暇を通り越して生き地獄の様相。わたしもあえて生ける屍、冬眠状態に入ってしまい、窓から見える景色も乗客たちの会話もわたしの感情をオールスルー。

唯一感情の起伏があったといえば、検問所でのやりとりを見ていてわたしが中国人ではないと知ったドライバーが


「外国人は中国人の料金の2倍だ。本来なら150×2で300元だが、特別に200元でいい。だから今追加で50元払え。前の外国人は300元払ったんだぞ」



と言ってきたときくらい。

ほんと、よけいなエネルギーを使う価値もないくらいしょうもない「小者チック」なドライバーで、とうぜんそれも


「彼は彼。私は私。バカなこと言うな」

で終了したのでした。


そしてまた休眠状態…



…めでたくのシガツェ到着は予定ちょっと遅れの午後8時半。



サガーシガツェ.jpg

◎参考写真:「まずい(不好吃)!」と主張する店の門をくぐるにはまだ体力回復の道すがら


10年ぶりに訪ねた老舗安宿テンジンホテルは高級感をかなりまし、まさに


シガツェ版「ヤクホテル」を目指しました


というもくろみがありあり。


6人部屋(40元!)にはスイス人と謎の東洋人の2人。


向こうにとってもわたしはかなり謎の東洋人だったようで、ようやくその東洋人さんが声をかけてきたのは夜も11時を過ぎたころ。

東京の超有名中高一貫校の物理教師の職をこの春めでたく捨てて、チベットにやってきてしまったというお方。

見た目はの「課長→部長→取締役」の漫画作者にそっくりな人。


ほぼ同じような日程で別のカイラスツアーに参加。われわれより一足先にラサに帰ってきたんだけど、またシガツェ周辺を攻めたくなったとかで、この町に戻ってきたということ。



彼が教師時代、学生に解かせていたプリント「高3 物理 特別授業U期 補充問題(13)加速度の扱いなど」の裏紙にひまわりの種をてんこ盛りにして、ラサビールで乾杯。


世の多くの人から、かなりの万能選手に思われてるわたしだけど、実は物理と化学の両分野だけは全くの白旗宣言。

裏紙といえど、表紙のバネや滑車の図が透けて見えるだけで、鳥肌立って身の毛がよだって、要するに頭の回転が自動停止状態になっちゃうわけ。


だから、


「いやあ、ラサに来てひまわりの種を食ったら差し歯が欠けましてねぇ」


と、先生がせっかくいいパスくれたというのに、


「前歯にかかる力の物理学的な計算はなされなかったんですか?」


というどうしょうもないシュート。


「何とも。考察が足りませんでした」


…夜は更けていきました。
posted by 牧場主 at 00:00| 北京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | またまた旅に出ました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月26日

最後の晩餐は中国式!?




これで最後?チベ日記39
パヤンーサガ


「オム・マニ・ペメ・フム・マカロニ・チーズ」


強引に訳すなら


「南無阿弥陀仏・銀しゃり・みそ汁」


こんな罰あたりきわまりない合い言葉が最近の我々グループには充満。
原因はわれら5人組の影のリーダーであるスコットランド人・イシュ(トムの嫁さん)。


グゲ遺跡で興奮のあまり半日射病になりながらも6時間近く遺跡の中を歩き回った挙げ句、彼女のチベットへの関心は全て使い果されてしまったようで、その後口から出る言葉といえば、


「早くカトマンズ(に行きたい)」

であり、

「早くピザ、マカロニ(が食べたい)」。


確かに残りの日程にはもう何の見どころもなく、一度通ってきたところを移動移動移動移動…、ただそれだけだから、例えギャネンドラが無念ドラになってるような半崩壊国家の首都であっても、あのツーリスティックな雰囲気が恋しく思えてもしょうがないのかもしれない。


ただ、ラサに戻るわたしだけがのけ者になってるようで心地よくはないんだけど…



彼女の計算(=我々の日程)によれば、ネパールとの国境にある樟木(ジャンムー)まではあと残り2日。で、本日向かうは前回の日記でインド人が異常発生していたサガ県。

走行距離は約250キロだから、尻に火がついてた昨日に比べるとなり楽ちん。



相当な悪路がない限りは平均時速60キロが計算できる驚異の新ランドクルーザーだから、車に座ってるのはたったの4時間強ってことになる。



出発は午前9時半。

さあ、ささっと任務を終わらせちゃいましょう。


と、車内に吹き込んでくる風を受けながら外の風景を眺めていると、


う〜ん、あれはあれですな。
もう何度も見た光景のあれですよ


そう。

本格的な修理のためラサへの道を走っていたはずのわれらが古女房「テンジーナ」がまたしても路傍にストップ、ドライバー・パサンが車の下に入り込んで何やらいじっていらっしゃる。


さすがにばつの悪そうなパサン。


でもただカラのままでラサまで戻るんじゃなくて、3人の乗客を見つけて小遣い稼ぎしてるあたりはなかなかのちゃっかり者。

もちろん、今回のトラブルの責任を全て彼が背負うことになったらそんな数百元じゃ当然の赤字になるんだけど…


その新乗客3人もかわいそうに大変なじゃじゃ馬(車)をつかんじゃったもの。

今度はスペアタイヤの取り付け部分あたりにトラブルが発生した模様で、我々の到着後30分ほどで再起動したんだけど、ラサまではまだまだ1000キロくらいはありそうだし、みなさん、天にも祈るような気持ちなんだろうねぇ(笑)。




そんなミニイベントも楽しみつつ、実際にほぼ予定通りの午後2時サガ着。

今度はインド人のほとんどいないサガ。前回のサガ以来11日ぶりの町らしい町ということで、イシュさまも「チョコレートが買えるわ」「ネットもしましょうね」とかなりご機嫌モード。



ただ、困ったことに元気になったついでに


「このペースだったら明日はジャンムーに泊まるんじゃなくて、国境を越えちゃってカトマンズまで行けるんじゃないの」


なんて言い出しちゃったからさあ大変。


わたし、カトマンズには行けないまでも、ジャンムーを見てみたいって気持ちもあったし、最後の晩を国境の町でみんなと過ごすのもおつなもの、というのもあってそこまでは一行に付き合ってもいいかなって思っていたところ。

あさってにはジャンムーからラサに向かうランドクルーザーに格安で乗れるというあてもあったわけで…。


でも、彼女の計画(ほぼ必ず実現される)だと明日の早朝にサガを出て一気に国境まで7時間。昼過ぎにはネパールに入ってしまうということで、わたしは一人国境の町で宿をとることに。


寂しい、それはかなり寂しい



だから、わたし、この町サガにてみんなと別れることを決定。

明日8時にシガツェ行きのバスがあるのを知ってたんで、一応みなさんに報告した上で、チケットを買ってしまったのでした。



そんなわけでいきなり決まってしまった最後の晩。


「きょうはMakotoが主役なんだからなんでも好きなものを食べてくれ」


とみなにいわれてとっても嬉しいんだけど、メンバーにベジタリアンさんがいらっしゃると、どうも肉肉しい中華は選びにくいもの。


でも、

このツアー中に一度として炒飯と麺料理以外の中華を食べようなかった、そして明日には中国を離れるこの豪蘇(オーストラリア・スコットランド)夫婦に、何とか中華のすばらしさを体験させなければ!


と中国人でもないのに妙な使命感に駆られたわたし。


街中にあふれる中華料理店から、2年間の経験で培った「匂い」を頼りに、一軒の汚らしい四川料理店の門をくぐることに。


そしてセレクトしたのが、


魚香茄子
麻辣豆腐
蒜苔肉絲
回鍋肉
西柿子鶏蛋湯


分かる人は感じてちょうだい。この組み合わせ。何とか西洋人でもベジタリアンでも食べれるんじゃないか、それでいてちゃんと四川っぽいところも押さえているんじゃないか。


もちろん、チベットの更に奥地にある川菜の店のように四川の名前をかりるだけで、料理の腕が「テンでダメ男」だったら元も子もない。


それこそわたしの「嗅覚」が頼りだったんだけど、まあ、何とか自己採点で80点はクリア。

沸騰中のご飯のふたを平気で開け、冷水を注ぎ込むなど、日頃から味覚には「???」マークだった彼ら彼女らには満点以上のようでした。



最後の晩餐.jpg

◎参考写真:どうでしょう。うまいもんくった後の幸せ感が伝わるでしょうかね


さて中国式の「食事」といえば、お会計も重要。メニューをすべて任された手前、


「お会計もわたしでしょう。でも西チベに比べて安いからいいっか」


と中国式に89元払いました。

でも、西洋人たちにはそんな中国式は通用しないみたい。
どうしてもっていうから「おごり返し」受けちゃいました。


久しぶりにうまい中華くって、自腹きったのはたったの9元。


ありがとう、みんなに出会えてほんとよかったよ。これだけで!
posted by 牧場主 at 00:00| 北京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | またまた旅に出ました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月25日

乗り換えてノリ変えて




これで最後?チベ日記38
門士—パヤン



ようやく幹線道路(国道219号)までたどり着いたわたしら。


新しいランドクルーザーはエンジンも足回りもバッチグーだし、このまま一気に遅れた日程を取り戻しましょうぜ!


と意気込んで宿の部屋を出てみると、そこには昨夜遊牧民のテント前で分かれたはずの古女房「テンジーナ」の姿。


「あのガタガタ山道、峠道を中国トラックにえっちらおっちら引かれ、一晩のうちにここまでやって来てしまったか」


と感心してしまうグループ一行。

しかもボルトがはずれて空回りを続けていた右後輪には、あらたなボルトをしめる代わりに回転軸とタイヤを溶接で固定するという応急処置まで施されている始末。



ってことはひょっとして今日はふたたびテンジーナさんのお世話になるの?


と疑問が湧いたところで、満を持してドライバー・パサンの登場。


「おう。昨日はよく眠れたかい」


だって。



「僕らはよく眠れたけど…。パサン、いつの間に門士ついて、いつのまに修理までしちゃったの?まず寝てないでしょ」


2時間だって。

とにかくそんなムリしてまで現れたってことは、やっぱこの翼の折れたクイーンにまた乗らなきゃいけないってことでしょう。せっかく生きのいい若い娘の味をしめちゃったというのに(笑)。



でも、パサンの徹夜のがんばりを認めないわけにもいかない。


しょうがないや。荷物を移さなきゃいけないね。もうあんなこと(故障→立ち往生)になるのはごめんよ


なんて思いながら荷台のトランクを開けようとすると、どこからともなく現れて烈火のごとく怒り始めたオーストラリア人・トムさん。


「もうこのツアーは2日も予定より遅れてるんだ。さらにまたこの車に乗ってトラブルが発生したらどうやって解決するというんだ。すでに新しい車、安全な車、スピーディーな車があるんだからそれに乗るのは当然の権利だろう」


なんて調子。

わざわざラサの旅行代理店にまで電話して直接話をつけようとする積極さ加減。


とうていわたしにゃできない芸当なんだけど、おかげをもちまして、荷物の移動もせずにすみまして、予定通りにいいほうのランクル(≒若い娘)で旅を続けることになった次第。

それより何より、そんな「ごり押し」こそ、このチベットの荒野で生き抜くための必須条件だということをまざまざと教えられたのでした。



そんなごたごたのおかげで門士を出発したのは午前11時すぎ。



本日は、西チベットの聖地中の聖地「マナサロワール湖」を拝んだ上で、門士からは400キロ近く離れたパヤンの町まで来た道を戻るというかなりの長丁場。



このマナサロワール。


カイラス山、ティルタブリとともにチベット仏教徒にとって西チベット巡礼の最大のハイライトで、「無抵抗主義」でおなじみマハトマ・ガンジーさんの遺灰もここにまかれたというくらい、インドのヒンドゥー教徒にとってもまた聖地。


そんなポイントであるからして、ゆっくりじっくり眺めてみたいのが「チベット☆OK牧場」的な本音なんだけど、なにせ我々は尻に火がついたツアーグループ。


ちょっとした不自由(笑)に遭遇してからというもの、都会の文明、便利さ、うまいもんを求める気風が急激に高まり、特にわたし以外の4人の目的地はネパールの首都カトマンズということもあって、


「もうこんなところはすぐにでも脱出したいわ。カトマンでピザとマカロニよ」


モードが全開。


「(たとえ聖地中の聖地であろうが)1時間もいれば上等よね」


と罰当たりとすら思えるような特に女性陣。



天気さえよけりゃもうちょっと彼女らの気を引くことができたかもしれないんだけど、とにかく、1時間の予定は本当に1時間ほどで切り上げられることに…。


わたしも湖の周辺で最も有名な寺院「チウ・ゴンパ」を参拝し、ぬかるみの中をようやく湖の畔までたどり着くだけでほぼタイムアップ。



マナサロワールjpg.jpg

◎参考写真:もうちょっとはゆっくりしたかったマナサロワール。写真で楽しむだけ?



まあ、確かに女性陣の判断は正しかったのかもしれない。


というのも、本日の宿泊予定地パヤンまではさらに250キロ以上も先。途中には5200mを越える例の峠「マユム・ラ」もあるようなハードな道のりなんだから。先のこと考えるとやっぱ…


到着はまたしても午前様になるのかな。まさに日本のサラリーマン並みね


と思いながら、新しいランドクルーザーにゆられ、「ちょっくら一休み」と目を閉じていると、車内にはただならぬ雰囲気が充満。


「ちょっと、ドライバー半分眠ってるわよっ」


だって。


わたしは新ドライバー・ロプサンの後ろに座ってたんで直接彼の顔を見ることはできなかったんだけど、確かに彼の首は「こくり、こくり」と夢の行き先への運転を開始してるみたい。



これはたまらん。


昨日の午後になっていきなりパサンに呼びつけられて阿里地区から駆けつけ、そのまま我々を救出、さらに午前1時まで運転を続けたのが昨日。

さらに本日もすでに5時間近くハンドルを握ってるわけで、そりゃあ披露も相当なもんでしょう。



と同情はしても、残りたぶん4時間くらい。
眠りながら運転されるのはやはりたまらん。



ということで、今まで静かだった車内は一変。

ロプサンに積極的に話しかけたり、一緒に歌を歌ったり、あめ玉をあげたり。さらに車を止めて小休止の際はわざわざリュックからストーブを取り出して「特製眠らないでねコーヒー」を作ってあげたりetc。


とにかく中国版一人っ子過保護の親以上に気をつかって妙なハイテンション。ロプサンから悪霊退散ならぬ睡魔を「とんでけ、飛んでけ」させようと必死になったわれわれ。


そんなおかげをもちまして、崖下に転落することなく無事、何もない町パヤンを拝むことができたのでした。
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2006年06月24日

一番長い日は二度続く




これで最後?チベ日記37
???—テント—門士


放射冷却現象で零度近くまで温度が下がったテントの中。



「ああ、今日も晴天なんだなぁ」


と思って寝袋の中でごごそごそ。もうライトもいらないくらいにテント内も明るくなったし、とりあえず目覚めのいっぱいでも、と携帯ストーブでお湯を沸かし、コーヒーを一杯。う〜ん、すばらしい。


で、

今日こそは救われるといいんだけど…


と優雅な気持ちになった難民生活2日目のスタート。


実は昨晩9時ごろ、われらのいる谷間の野営地そばを久しぶりに巡礼バスがとおり、それに乗ってツァンダに戻っていったドライバー・パサン。


彼がツァンダにてうまいこと動き回っていたとすれば、朗報は午前中にも届くはず。


そう思いながら、昨日のまずい飯を再び温めなおし、「生きるため」に胃袋に放り込んでいると、久しぶりにツァンダ方面からランドクルーザーの登場。さらにわれわれの近くにとまると、その車のドライバー、


「パサンはもうすぐくるから。これでは彼からの差し入れだから。食べながら待ってな」


と包子と油条、泡菜の差し入れ。うれしいじゃないの。で、よく働くじゃないの。

まあ「すぐくる」ってのは信頼度50%くらいにしても、まあ、希望は見えたってこと。どうやらテントはたたんでもよさそうやね。



そしてほんとうに30分たったかたたないか。

一台のランドクルーザーに乗って登場したパサン。同じ運転会社の同僚が別のツアーのドライバーとしてツァンダの町にいたため、彼に協力を求めたという仕組み。別のツアーの目的地もわれわれと同じで、彼がそういう方法をとるであろうこと、じつはわたしも昨日のうちから知ってたりして…。

だからこそ「もう一泊テント箔ができる」と気楽なもんだったんだけど(笑)。



そんなわけで始まったランドクルーザーによるランドクルーザーによる牽引作業。

目的地は標高5100mの峠を越えた先、約45キロ地点にある門士の町。
そこまで行けば何とか代替部品が手に入るだろうのが大方の予想。



なんとか、後ろ髪を引かれながらも、野営地を出発。

でも、定員6人ぎっしりのランクルが定員6人ぎっしりの自力走行不能なランクルを引っ張るのって、そりゃあ大変。時速だと5キロ、うん歩いてるのとおんなじくらい?


こんなんじゃ何時間かかるかわかったもんじゃないね、まったく。


と思えど、とにかく状況が打開されたことに喜びを感じるわれわれ5人組み。


一方で、


おいおい、どうなってしまうんだ。こんなんじゃ今日の目的地、約150キロ先のマナサロワール湖にはいつ到着するんだ。面倒なもんしょいこんじゃったなぁ


と思ってるかもしれないのが、引っ張ってる側のランクルに乗ったツアー客5人組(日本人3人、フィンランド人、ブラジル人)。


最初は、暖かい目をわれわれ難民に向けてくれていたものの、どうやらそこまで運転手と意思の疎通ができてないらしく、当然状況の把握もいまいち。


勾配がひどいときには車をおろされ、坂道を延々と歩かされることが2度続き、自分たちの車からもなんだかエンジンあたりに不穏なにおいがたちこめはじめ、


まさかこのペースでのこれからの40数キロが進むのか



という疑念が確信に変わってしまったとき、やってきましたリーダー格の日本人男性。



「このままじゃ共倒れになっちゃうと思うんですよね。だから…」



そうでしょう。おっしゃる意味はわかります。
リーダーとしてのその発言。すべては他のメンバーのことを思ってのつらい発言。
そのつらい立場、わたしも痛いほどわかります。


どうぞ、われわれをあたりに水もない坂道の途中に見捨てて旅行を楽しんでください


とはいくらカイラス巡礼を終えて寛容になったわたしであろうと、決して口にしてはいけない言葉だってことくらいは合点しょうちのすけ。


単に困った顔のふりをして、こっち側のドライバーに訳してあげると



「なんだ。おまえら日本人同士だろ。日本人はそんなに白状なのか」


とアンビリーバボーな様子。


そうなのよ、われわれ日本人は所詮コンクリートジャングルのなかでうごめく生きもの。発展の末に失った代価ってのは、あなたたちチベット人が想像もできないほど大きなものだったのよ


と人生論、近代資本主義論を語り始めるはずもなく、


とりあえあずは最大の峠を越えた先にある数キロ先のテントまで牽引を続けさせてもらう


ってことで大人の妥結。
すでに時間は午後2時を過ぎたころ。



われわれ5人を遊牧民が再度ビジネスで営業するテント型喫茶店「大草原の小さな家(通称)」に残し、またしても別ツアーグループ車の荷台に乗り込んだドライバー・パサン。新たな5人+一台の救援策を求め、門士方面に消えていったのでした。



あ〜ぁ、パサンにいつ帰ってくるか聞いときゃよかったよ


テントの天井を見ながら思ったこと数十回。


でも、聞いてもそのとおりに帰ってくるとも限らんし…


テントの天井にあいた穴から青空を眺めること数十回。


夜飯はカップラーメンを食うことになるんだろうか


テント天井近くのつぎはぎ部分が右と左で微妙にずれていることに気になりながら思うこと数十回。


今度成都に帰って火鍋を食べたときはまたおなかを壊すんだろうか


頻繁に出入りする娘さんとガキを見ながら、遊牧民の変わり行く食生活について考えること数十回。



めくるめくどうどう巡りりの思考から抜けきれず、中と外を行ったり来たりしてる他のメンバーとは対象的にテント内でのひきこもり生活を続けるわたし。



暗くなったらどこに寝るんだろう。多分今座ってるソファーには彼らが寝るだろうし…


とあたらしい思考段階に入ったのは、さすがにあたりも暗くなり始めた午後9時すぎ。


テントのそばにとまったランクルの中に入り、はるかかなたを眺めていると、満を辞して砂塵を巻き上げ一台の「東風トラック」の登場。

もちろんドライバー・パサンの差し金で、これは片足の折れたバレリーナ「テンジーナ」を救うためのトラック。

さらにわれわれに対しての救援策としては、たまたまこの阿里地区にいた同じ会社の別のランドクルーザーが手配できたってことで、約20分後に現れたニュードライバーと共に一足先に門士に向けて出発することができたという、黄金手配ぶり。



レスキュー.jpg

◎参考写真:強気なこと書いてても「助かったはぁ」って気持ちもそれなりに…

いやぁ、この車の快適なこと快適なこと


どんな坂道であろうとスピードを落とすことなく突き進む。

どんな凸凹道であろうと、わたしのお尻には何も響かない。そんな深夜のドライブは約2時間。日付変更線も過ぎて午前1時近くの到着となったわれわれ。


疲れ果てて、そのままベッドで死んだように眠ったわけもなく、町の夜ふかし連中が集まる食堂にて、とうぜん、中華とラサビールで祝杯をあげたのでした。
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2006年06月23日

一年で一番長い日とは




これで最後?チベ日記36
ツァンダ—???



まさに今日のような日のことをいうのにぴったり。


だって夏至だもん、あたりまえじゃない


ってクイズ王並みに即答しちゃうあなたは、ただの常識的日本人。
この西チベットの地ではかる〜く干からびちゃってちょうだい。


あなたのような方にわたしらの愛するランクル「テンジーナ」の右後輪が壊滅、右も左も山に囲まれた谷間に立ち往生を食らってるわれわれの気持ちなんてわかるわけないんだから。


そう。

わたしたち動けなくなっちゃったのね。


町長超いい感じ、みじんの問題もなく進んでいた昨日までがうそみたい。またくもってそのツケがすべて回ってまいりました。


標高4750m。
最寄りの町までは多分100キロ近く。
交通量は2時間に一台くらいという立ち往生するには最も理想的な場所にて、


「ぱきっ」


というある意味かわいらしい音。

でもただこれだけを聞いてしまったがゆえに、エンジンは動けど動力はタイヤに伝わらず。


勇ましい音だけを谷間に響かせ、何が不満なのかテンジーナ、無期限ストライキに入ってしまったのでした。



「もうだめだ。先に進めなくなった」


そんなパサン(ドライバー)のせりふ、最初は単なる冗談だと思ってたんだけど、よおく、よおく後輪を眺めてみると、確かに中央の軸の部分が空周るばかりでタイヤは一ミリだって動かず。。

さらによおおく、よおおく、みてみるとタイヤと軸を固定するボルト6本がすべて外れちゃってるじゃないの。これじゃ動かないはずよ。カラ周り。カラ周り。



さあ、どうしましょう。


とあたりを見渡す。


小川も流れている。飲み水の心配いらない
地面には程よく草も茂ってる。寝床にもぴったり。


こりゃぁテント箔にぴったりじゃぁないか。


米とコーヒーだけはたんまりあることだし、食料の心配もいらず。



ランクルって四輪駆動車なんだけど、なぜか前輪だけで動くことはできないみたいで、どうやらパサンも修理はあきらめたもよう。


一応頼まれたんで近くの山のいただきまで上って(4900mの無名峰登頂成功!)、遠くツァンダあたりの基地局まで携帯電波が届くかどうか確かめてみたものの、表示ではアンテナ2〜3本くらいたつのに実際の通話はできず。


これはもう、通りかかった車に助けを求めるしかないな


と思うものの、前述のように交通量は超まばら。



いやおうなくチベットの荒野にて野宿せざるを得ない状況になってしまったのでした。


といいつつ、われわれ日本人2人組みはかなり楽観的、頬からもれる笑みを隠すのが大変なくらいキャンプ生活ウェルカムだったりしてしまう。だってなんか楽しいじゃん。



それにしても自称「ライス・エキスパート」のトムさんよぉ。

あなたのたかれたご飯、エベレストBCにつづいて今日も最高においしかったです。

「腹こわす。食べない」

といって一口だけで去っていったドライバー・パサンがどれだけうらやましかったことでしょう(苦笑)


スタック.jpg

◎そんなこんなでくれていった一年で一番長い日。楽しそうでしょ?
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2006年06月22日

久しぶり超級遺跡堪能




これで最後?チベ日記35
ツァンダーグゲ遺跡ーツァンダ

昨日の日記にてさんざん紹介したんだけど、あんたやっぱり異次元の町だよ「ツァンダ」さん。


西部劇に出てくる風景、いやいやドラゴンボールの決闘の舞台。あっそうだ、インディージョーンズ「最後の聖戦」のクライマックスシーン!


などなど。

とにかくイマジネーションとこれまでの記憶をフル稼働させ、相変わらずこの超絶風景を楽しんでいるわたし。



もちろんその気持ちの高ぶりは、とうぜん、3時のおやつ以上にとっておきの「グゲ遺跡」に到着してからも収まることを知らず。



ペトラ(ヨルダン)、カッパドキア(トルコ)、アルゲ・バム(イラン)に勝るとも劣らない


とにかくそんなベタ過ぎる形容がばっち当てはまるような大自然の造詣美に囲まれたとこにたたずむグゲ遺跡。ツァンダの町からは西に約20キロ。


中心は高さ約300mの山に15世紀ころ築かれた王宮、砦跡で、周辺の遺跡群まで含めると総面積はなんと18万平方メートル。



ああ、そうだ。

山を上っていきながら遺跡を楽しむって言えば最近(2月25日)の日記じゃあ、オシュ@キルギスタンにおけるバザール以外唯一の見所といってもいい、今ではイスラム教の聖地「Solomon's Throne(ソロモンの王座)」というたいそうな名前の丘も似てなくもないかもしれない。


もちろん、スケールは5段違い平行棒くらい。




単に廃墟を楽しむ遺跡めぐりと大きく違うのは、このグゲ遺跡の場合だと、「ラカン・カルポ(白堂)」「ラカン・マルポ(赤堂)」といった建物内に入れば、500年前の芸術作品も多く鑑賞できるってこと。


それも完璧な保存状態ってわけじゃなく、かなりの程度、


たった数十年前に起こった「文化運動」で加えられた「破壊」という新たな表現活動を通して…


ってところが世の無常感、わたしの批判スピリットをかきたててくれる。



入場料は106元(約1500円)。


高いと思えば高いけど、遺跡遊びが好きな人、中央アジア史をマニアックに体感したい人、中世仏教芸術に興味がある人、荒涼とした風景の中にぽつんとたたずみたい人、現代中国批判が好きな人、すべてをひっくるめて面倒見てくれるこのグゲ遺跡。



グゲ遺跡.jpg

◎参考写真:魅力はかなり複合的なアトラクションとして楽しめるところなんだよねぇ



で、ワンポイントアドバイス

ぎらつきすぎる直射日光と滞在時間との関係にはかなりの注意が必要でしょう。


上記の興味分野の項目、複数個当てはまるような人だったら数時間の準備は必要。


たとえば、わたしのような全方位主義人間だったら軽く5時間以上かかっちゃいました。
時間を忘れるくらいって表現をとおり越えて、フルタイム好奇心モード120%の状態で…


だから、全部当てはまる人。


干からびて、グゲ王国の兵士と同じくミイラになる覚悟をして行きましょう(笑)。
グゲの過酷な自然条件はあなたを永遠にかの地にとどめてくれることでしょう。



要するに、水を忘れず、己を忘れず。それだけで大丈夫。

もともと西チベットを訪れるつもりの人だけじゃなく、この阿里地区にもそろそろ空港ができちゃうって話だし、チベットに興味のある人だったらすべてに行ってほしい場所、グゲ遺跡の紹介でした。
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2006年06月21日

ここはどこの惑星だ?





これで最後?チベ日記34
門士ーツァンダ


さあ完全にカイラスモードから気分も一新ってなわけでまだまだ西へと進む我々5人組。



えぁ、みぃなぁさま〜、

次なる目的地はおよそ1000年前、アジアの真ん中に花開いた仏教王国「古格(グゲ)」の面影をたどる「歴史の旅」になっております(バスガイド風)。



高校で世界史を選択した人でもたぶん聞く機会のなかったような、テスト的にはちぃっとも重要でなく、チェックペンも蛍光ペンも引かれないような王国なんだけど、かといって見る価値がないかというと、それはもっと大変なお門違い。


このグゲ王国こそ、チベット中央部(ラサ中心ね)で一時すたれてしまった仏教が新たなパワーを経てホップ・ステップ・ジャンプしたという、まさにチベ仏復興運動(ルネサンス)の場所。


このグゲ王国。数百年の栄華を誇った間に版図をもりもりと拡大、インドまで約100キロという地政学的な状況もあって今のラダック、スピティ地方まで広がるチベット仏教圏の基礎を築いたと言ってもいい、わたしたち旅行者にとってもありがた〜い存在。


そんな場所である限りは、歴史好きとして行かないわけにはいかないではないか



実際のところ本日はそのグゲ遺跡近郊の町「ツァンダ」までの移動だけしかなく、それだって「明日のグゲのためには1日くらいがまんしてもいいよ」ってな心持ちだったんだけど、何をおっしゃるウサギさん(古)。


本日も素晴らしいコース料理が用意されてるじゃございませんか。


峠を越えるとそこには富士山よりも富士山らしい雪山がぽっかり。

うん。「チベット富士と名付けよう」。


さらに峠を越えると、サトレジ河に沿って一面に広がる奇岩をパノラマチックに見渡す展望台。



「うわぁ〜、なんじゃこりゃぁ〜!」


まさに神様のイタズラとしか言いようのない複雑怪奇な世界。

写真を撮ることも忘れて数分間、ただただ呆然と立ちつくして眼下の風景を眺めるばかり。自分の中での効果音楽はやはり「未知との遭遇」。



今回の旅では色んな光景を眼にすることができて、特に美しい山々にはこれ以上ないくらい幸運な出会いをしてきたんだけど、悪いけど感動の度合いは今この瞬間が最高かもしれない。



さらに車は谷へと下っていき、その奇岩の中をくねくねと進んでいくから「たまらないモード」はとうに沸点を超えちゃったみたい。



土林.jpg

◎参考写真:灰色の岩に囲まれた世界と見上げれば真っ青な空。ただそれだけ


「これは完全に惑星探索疑似体験の屋外博物館やね」


わがiPod Shuffleから突如流れてきた「思えば遠くへ来たもんだ(by海援隊)」も異次元的にいい味を出して「遠くに来すぎでしょう(笑)」と、わたしの心に響いてきたのでした。



そんな感動の余韻に120%浸りながらツァンダの町入り。


でもやっぱりございましたよ、町に入る一本道を封じる「検査站」の看板。
車を止めると隣接する小屋から漢族とチベット族の警官計2人が登場。


形式だけの取り締まりかと思えば、この上司らしき漢族のしつこいことしつこいこと。


与えられただけの権力を傘に少しのミスも見つけてやろうとするあら探しモード120%の小役人。

色々難癖をつけた挙げ句、検査小屋にパサン(ドライバー)を連れ込んだり、わざわざ再び外に出てきて携帯電話でどこかに連絡を取ってる姿を我々にもPRしたり、とにかく30分くらいの足止め。


やりとりはよく分からなかったんだけど、「免許証」「期限」「忘れた」なんて単語はわたしの耳にも届いたんで、免許証の期限が切れてるわけはないんだけど、どうやら旅行に関する運転の何かが足りなかった模様。



ようやく30分ほどたって解放されたんだけど、


「200元(約3000円)もとられちゃったよ」

と半べそなパサン。


せっかくのコスモポリタン、コスメティック、コスモティックになってた気分を害された我々も、


チベットの端っこにまできてなんでこんなくだらん茶番を見なきゃいかんのか


と半怒り、思わずさっきの検査小屋に戻って小役人の角刈りをぐりぐり、ぐりぐりしてやりたくなる衝動に駆られたのでした。
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2006年06月20日

カイラスの垢は温泉で




これで最後?チベ日記33
カイラス山—ティルタブリ(門士)



「だ〜れだぁ、こんなとこでキャンプなんてしようていったのわぁ」

「…わたしでしたね」



と一人ボケ一人つっこみをしてももう遅いカイラスコルラの最終日。

すかっパレの初日、曇り&粉雪まじりの2日目。そして一面の雪景色にて3日目が始まってしまったのね。



昨晩。

ゴンパに隣接する宿に寝床を確保した他の三人と袂を分かち、


「せっかく最後の晩なんだから、大自然に抱かれてやる」


と意気込みあまって近くの河原にテントを張ったわれら日本人2人組。


別に男2人狭い空間に体を接して寝ようが、なんかの動物にテントのロープとかをしばしばかじられようが大して気にならなかったんだけど、


テントに降り積もる雪の音で目が覚めたのが午前3時ごろ。


「う〜ん。すぐ止むだろう。お休み」


しんしん、しんしん。


(…えっ、まだ降ってる?)


しんしん、しんしん、どさっ!


(もしかして、かなり積もってらっしゃるの?)



雪でテントがつぶれるかも

とか

明日1日このテントに缶詰かも

とか、

最悪ダルチェンまでの途中で誰か遭難するかも



いろいろイマジネーションはわくんだけど、それもなんか夢心地風味。

実際に外に出てみて降り具合、積もり具合を実確かめてみればいいって話なんだけど、暖かい寝袋を出るほどのモチベーションにはならず。まいっか。再び、お休みなさい。



夜が明けてみると、雪は降り続いていたものの、積もり具合は5センチ程度だったし、添い寝してた山の専門家によれば


「道が消えて見えないことはないし、標高が下がれば自然と雪はやむはず」


という何とも力強いお言葉。


ああ、それはありがたい。
それでは脈絡ないけど、みそ汁でもどうぞ。

二人っきりなのをいいこと(≒メンバー4人にあげるのはちともったいない)に、秘蔵していたレトルトみそ汁を取り出し、日本的に体を温めたところで、コルラフィニッシュに向けて最後の山歩きをスタートさせたのでした。



考えてみりゃ本日は全行程ほぼ下り坂、しかも10キロもないくらいなんで、天候くらいはアクセントがあってよかったのかもしれない。



結局、舞いふる雪の中をちょっと気合いを入れて歩いていたのって実質1時間くらい。

その後はSHUHEIさんの言葉通りに雪雲のエリアを脱け、歩を停めて振り返るたび、悠然と霞に包まれた雪山や青空に映える美しい雪景色なんかを堪能できたりしたんで、こりゃこれで儲けもんでしょう。



コルラ最終日.jpg

◎参考写真1:こんなにいろんな光景を数時間のうちに堪能。ほんと、ぜいたくですな


最後の方なんて実に軽快、「もうこれで終わりなの」なんて余裕も出てくるくらい。


で気が軽くなると口も軽くなって、言いたくなったことが一つ。


こらっインド人。せっかく聖地にゴミは捨てるなっ!


このカイラスコルラ中、「バックパッカー」といわれる人種には洋の東西を問わず一人にも会わなかったんだけど、その分何十人と出会ったのがサガ県にて初めて登場したインド、ネパールからのグループ。

彼らのマナーの悪さといったらもう最悪。

お金持ちなのは知ってますよ。
ポーターを雇ったりコックを連れ回すのはそちらの自由。

でも、巡礼路のいたるところにわたしの大好きなマンゴージュースの紙パックを放り投げているのはいただけないでしょう。


とにかく目立つのよ、このマンゴー紙パックは。
毎数百メートルに落ちてりゃ、マンゴー好き以外だって気付くっちゅうねん、しかし。


巡礼路が終わる4キロほど手前に大量のランドクルーザーを待たせ、颯爽とマナサロワール湖方面に消えていく彼ら(インド隊)を見届けながら、そんな小言を口にしまうのは、やっぱりカイラス巡礼を終えて罪を清めきっても、性格までは変えられなかったかもしれないっすね。



で、とにもかくにも我々5人組も「自力」にてコルラを終了。


おめでとう。コングラッチュレーション!



旅のアカは温泉で落としましょうね、とあえてこの日もさらに50キロほど移動。


門士の町近くにある聖地「ティルタブリ」に赴き、霊験あらたかな温泉に疲れを癒そうかと意気込んでみたんだけど、それがしっかり本日のオチになってくれるからありがたいのありがたくないのって(悲)。


再び小雪の舞い始めたチベット高原。



ティルタブリ.jpg

◎参考写真2:目の前には直径2メートル、深さ40センチほどの小さな池。

底の方は若干ヘドロっぽい緑色。周りには洗濯石けんの袋なんかも墜ちていて、最大のセールスポイントは35度くらいとぬるめの温度。


誰も入ろうとしない…

それどころか今にでも車に戻ろうとする態勢…


だから、わたしだけが荒野にオールヌードをさらけ出すこともできず。


…せっかくここまできたんだから、せめて足湯だけども。


って思うのが普通なのにね。


まあ、そんなこんなで旅の垢は落とせなかったけど、性格も直せなかったけど、「カイラスコルラ」は無事終了。これまでの罪は見事に消えきったことだけは大声でみなさんに報告させてもらいますわ(善人宣言)。
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2006年06月19日

下を向いて歩こ〜う♪





これで最後?チベ日記32
カイラス山コルラ


カイラスを一周すればそれまで犯したすべての罪が清められる



マニ車をまわせば経典を読んだことになる、人は死ぬと魂だけが輪廻の世界に戻って残された肉体に意味はなくなるのだから鳥に食わせる(鳥葬)、なんてのと同じ。

この「カイラスみそぎ」説も実に合理的なチベタンらしい考え方だけど、さすがにすべての悪行三昧がご破算にするためにはそれなりの苦労が必要なようで…


カイラスコルラ前半が山の神々しい姿に感動する旅だとしたら、後半戦はまさに巡礼路らしく「苦行」がちゃんと手ぐすね。


実質コルラ2日目となる本日、ルート半ばに待ち受ける標高約5670mの峠「ドルマ・ラ」越えこそ、もっとも大きな試練だと思われがち、言われがちなんだけど、はっきり申しますとその通り。


でもそれ以外だってなかなかおつなもの。
要するに、本日はすべてが試練のようなものでしたな。

こんなに明らかになった部分じゃ悪行の少ないわたしなのに…。



実はさ、別にそう苦しいわけじゃないのよ。
もう平たく歩く分にはね。


思った以上に高度順化に成功したみたいで、たとえ5000m以上のエリアであっても平たい場所であれば20キロの荷物を担いでも何とか大丈夫。



ただし、やっぱり合い言葉は「下を向いて歩こう」。


「上を向いて歩こう」は絶望につながるのみ。



見上げればほら、とっぺんがどこにあるのか分からない急峻な坂道。

こんなもん見上げ続けてたらどんなMVPプレイヤーだって恐ろしくなってべそかきながら家に帰ろうかというもの。


凡人は凡人らしく自分の足下、常に一歩先だけを見続けて生きていきましょう。
それだったらどんなけわしい坂道でも大変だとは思えないものっすから。


そんな無言の合意があったかどうかは分からないけど、とにかく我々5人はゆっくりゆっくりと「胸突き八丁」までの道を歩き続け、無情にも舞い始めた雪にも負けず、そして無事、「胸突き八丁」のてっぺんに到達してしまったのでした。



ドルマ・ラ.jpg

◎参考写真:地元チベタンだって結構気合いはいるみたいね、このドルマ・ラは



はぁ、終わったね。後は今晩の宿泊予定地まで楽しいハイキングを楽しみましょ



ってスムーズに行くわけないよね。


ドルマ・ラを越えてすぐに始まる急な下り坂。


ちょうど降りきったところでひとまず休憩しましょうか、とリュックを降ろしたわたしを含めた先行隊3人組。


で、いつまでたっても降りてこないSHUHEIとSONIAの日韓コンビ。

これまでも一番高地順応がうまくいってなかったSONIAがはぐれないよう、常に彼女の後ろ、つまり最後尾から隊を見守ってきたSHUHEIさん。


「それにしても遅いよね」


なんて話していたら、ようやく見上げる岩の影に2人の姿。


「Hey,いったい何やってたんだい?」


そんな気楽な質問なんてとうていできないほどに険悪な雰囲気がぷんぷん。


「ねぇ。きいてよ。SHUHEIはわたしを子ども扱いにして、ずっと後ろをついてくるの。ホントほっといてほしいのに。別に私がどうなって死のうと他人には関係ないじゃないの。それなのに『まだ休むな』『もう少し歩いてから』とか、まったく面倒だわ」


と誰もが反対意見を述べる気になれないくらいの堂々とした爆弾発言。
もちろん、超困り顔のSHUHEIさん。


あらあら。ドルマ・ラ越えちゃった途端ここまで本能剥き出しにしちゃって


と珍しいものをみるときの超興味津々モードに入っちゃったわたし。


最大の難所こそ越えちゃったものの、その後も目的地までは10キロ以上の道のりが残ってるってことで、状況を素早く察知。後続常連組の2人+わたしを待つことなく、一目散に出発してっしまったオーストラリア&スコットランドカップル。


まあなんて賢いこと


さらに雪も本格的に舞いだしたりしたから、われわれ、この超マイペース韓国人お姉ちゃんを置いてはいけないけど近づいてもいけない。

まさに腫れ物に触る、いやさわれないくらいの微妙な距離感で彼女をエスコートし続けなければいけないという状況。


「後どれくらいでつくの」


というかなり大きいこれ見よがしの独り言が聞こえれば、先乗りして地元チベタンに残りの距離を尋ね、


「まだなの。ホント疲れたわ」


というかなり大きいこれ見よがしの独り言が聞こえれば、先乗りして地元チベタンが開いているテント式喫茶店でミルクティーをオーダー。



うん。これこそ過去の罪を帳消しにする巡礼に相応しい苦難の道なんだ


と思ったわけ、分かってもらえるでしょう(笑)。



それにしてもまるまる10時間を歩くことになった本日の巡礼。


人生とはなんぞや、段対抗とはなんぞや、国際交流とはなんぞや


こんな三点セットをまともに考える機会を与えてくれたカイラスにはとにかく感謝、感謝。
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2006年06月18日

豪華カイラスざんまい




これで最後?チベ日記31
カイラス山コルラ(一周トレッキング)


「アジア最強の聖地巡礼」


チベット仏教の聖地、ヒンドゥー教の聖地、ボン教、ジャイナ教でもこれまた聖地と、とにかくいろんな宗教の人たちがあやかりたがるほどに神々しいのがカイラス山(チベット名:カンリンポチェ)。

チベット自治区西部、インド国境からも程近い{アジアのへそ」にあって標高は6656m。



だからこそ、宗教的にさほど熱心でないわれわれにとっても、その山を訪れるのはいわば上記のように「アジア最強の聖地巡礼」という大人のミッションに「済」マークをつけるための大きな壁。

特にわたしにとっては一般大衆にもわかりやすく説明してあげるなら「越すに越されぬ大井川」だったというのは先日の日記のとおり。



そんなよこしまな心を持つ旅人たちにもこの聖山は懐の深さを見せてくれるもの、身をもって知らせていただきました。

カイラスでは山の周り時計回りに巡礼「コルラ」するため、その巡礼路が用意されてまして、走行距離約52キロで標高4670〜5670m。


本日は「山見物」がメーだったんだけど、まるで某スーパーの懐かしき「閉店間際の大セール」なみ、過去数千年間にわたって各宗教関係者も魅了してやまなかったその神々しい姿を惜しげもなく披露してくれたのでした。もうとにかくいろんなカイラススポットを堪能よ。



カイラス初日.jpg

◎参考写真:ど〜だ〜っ!山好きも海好きも、インドア派だろうがカイラスには白旗



まずはコルラをスタートして2時間。

昨日のうちにたどり着いてたタルボチェ。つい数日前のサガダワの際に張りかえられたばかりのタルチョがおびただしく風にゆられているようすは荘厳。

残念ながら曇り空のためにカイラスは拝めなかったんだけど、それはあくまで昨日の話。

…無人の小屋の中にテントを張らせてもらって迎えた朝。


のっけからの120%のカイラス西面。
とりあえずのスーパーサイヤ人どころか、いきなりフュージョン済で登場するくらいの圧倒的パワー。



その西面を少しずつ角度を変えていき、なめまわすように眺めながら巡礼ルートを北上。



おおよそ8時間で、もっとも偉大な北面に到着。


もちろんこの間の天候は著しくはれ。


カイラス北面を真正面に眺めるゴンパ(お寺)に宿をとり、



「ふう。なんて充実した一日だったんだ」


と思うのはまだ早い。

すでに午後6時を過ぎているとはいえ、地理的にはインドのニューデリーの真上に近い場所。体感時間はまだ午後3時を回ったくらい。


「もう一暴れしてもよろしいんじゃないんでしょうか」


と向かった先は、ずばりカイラス北面。

眺めてるだけじゃ満足できないって?


「いやぁ、ぼく、カイラス北面に触ってきましたよ」


とかつて自慢気に話していたレンイエン(日本の大学復学中?)の言葉をずっとうらやましく思っていたんだもん、だって。


おなじくどうしてもカイラスの氷河が見たいと無言のダダをこねていた氷河研究家のSHUHEIさんといっしょに、今度は南に方向転換、さらに約300mの上りに挑戦したのでした。



すでに標高は5000mを超えていると思われるエリアまでやってきてるわれら。


本当だったら一歩も歩けないくらいに疲れているか、高地の影響で容易に動けないような状態にあってもいいんだけど、なぜかとってもアドレナリンとから元気が体からあふれておりまして、


勾配が40度くらいありそうな斜面を上ったり、氷の川をわたったり…


とにかくひたすらでかくなっていくカイラス山を見るのを心の支えにちんたらちんたら登ってただわけだけど、いかんせん、手前にある丘陵や山の稜線が邪魔をして肝心なカイラス氷河の姿がなかなか拝めない。


「ここいらは完全に氷河が作った地形なんだけど温暖化の影響でどんどん後退してるみたいだね」


とは専門家のご意見。
とにかく、


「つぎのモレーン(堆石)を越えるまで。あの丘の上にたどり着くまで」


と三十路男と五十路男がけなげに互いを励ましながら、とうとう、やってまいりました。

目の前に広がるはカイラス氷河。


カイラスの北面からこんもり、どでんと突き出したその姿は目の前まで迫ってみるとやはり途方もないでかさ。


とりあえず山男の血が騒いでか氷河に上ろうとするSHUHEI
とりあえず酒飲みの血が騒いで缶ビールをあけるMAKOTO


とにかく標高約5300m、あとから到着したTOMも加わって、聖地のなかのこれまた最高の聖地にて、思い思いの時間をすごすことに成功したわれわれだったのでした。
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2006年06月17日

10年ぶりリベンジ達成




これで最後?チベ日記30
パヤン—カイラス山


とうとうここまできてしまいました。

本日は念願のカイラス山入り。


でもさ、

その前にどうしても越さなきゃ壁があるってこと、たぶん誰もご存知ないことでしょう。


実は10年前の5月、今と同じようにカイラス山を目指し、旅行者をトラックの荷台に詰め込んだだけの超いいかげんツアーに参加したわたし。


とても道路と呼べないようなでこぼこ道に尻を痛めながら
ズボンを三枚重ねばいても底冷えのする寒さに凍えながら、
当然荷台まで侵入してくる砂ぼこりに外の景色を楽しむ余裕もなく


とにかく修行のような4日間をすごしてでも、「アジア最高の聖地」というネームバリューだけにひかれてカイラスを目指したというのに、その結末こそ、パヤンの集落を出発して百数十キロ。


橋もかかっていない凍り付いた川に行く手を阻まれ、そこで丸一日粘ったものの、単なるぼろトラックには氷解を待ってわたるには水量が多すぎ、氷の上をわたれるほど頑丈な厚さでもなし


ってなわけで、カイラス山を前にした約100数十キロ地点にて泣く泣くラサに引き返したのでした。


もちろんそのときの十人すべてが引き返したわけじゃなく、強引に徒歩で川をわたったアメリカ人とオランダ人の2人がいて、


「あの人たち大丈夫だったかなぁ。それともおだぶつさんになっちゃったかなぁ」


なんて思ってた新彊ウイグル自治区はカシュガルにて、無事カイラス参りを果たした彼らと再会。

だからこそ余計に、このカイラス行きは悔やまれる思い出、のどの奥に引っかかってた魚の小骨として、わたしの華麗な経歴にきざまれた唯一屈辱の傷。

ネクタイをしめて仕事に精をだしてるときも、一周り近く年のはなれた同学(クラスメート)たちと机を並べて中国語をゼロからはじめたときも、


「この無念、けっして晴らさずにおくべきか」


というのは当たり前のめりの野望だったわけね。



まあ、昔話に花を咲かせるのはそのくらいにして…



本日も「あの時」のようにパヤンを出発したのは夜もあけきらない午前7時。


で、何度かのスタックを経てようやく夕方にたどり着いた「あの時」に比べるとそうとう早く、10時半にはあの川べりに到着。何せランクル「テンジーナ」すっから。


10年前のことなんだし、記憶なんてあいまいなわけなんだから分かるだろうか



なんてことはまったくの杞憂。鮮烈によみがえってくるさまざまなシーンを経て、あっさり例の場所にたどり着いたんだけど、なんと、あの川には豪華な橋がかかっておりました。



だから懐かしの風景をゆっくり眺める余裕もなく、同乗者の誰に思い出話を吹聴するひまもなく、「テンジーナ」はわたしにとって未知の世界に突入。


まず、橋を超えて2、3キロの場所に公安の検問所発見。
かなり厳しい旅行許可証のチェックがあって「ここを抜けるのはちょっと厳しいかな」という印象。


さらにそこからは上りが始まって、それはラサ—カイラス間でもっとも高い峠「マユム・ラ(約5220m)」への道。



マユム・ラ.jpg

◎参考写真1:思い出の川、新しい検問所。そしてマユム・ラ…が過ぎていく



もちろんそれまでも4500以上の高原を突っ走っていたわけだから、それほど高い峠を超えたという印象はなし。



いよいよ「カイラスエリア」に突入してしまったね


という満足感&高揚感に浸りっぱなしだったんだけど、ここまで天候には95%以上恵まれてきたわれわれの行程にももっとも肝心な段階に入って文字どおりの「暗雲」。

峠の上から眺めるカイラス方面、超高級じゅうたんも驚くくらいのふかふか分厚い雲におおわれておりました。


これだけボリュームある雲だとちょっとやそっとの風じゃ吹き流せないらしく、その後約3時間のドライブを経て、とうとうカイラスの懐まで到着したてもまだ、まわりはドンよりした雰囲気。

当然山の全景など拝めるはずもなし。雲も向こうにかすかなシルエットが見えるだけ。



「おいおい、ここまできてそんな『ちらりズム』はいりません。

リベンジは一度で結構。もう3度目の正直はないってのに…。これから3日間のカイラス一周トレッキング、どうなるの?」


さあ、いったいどうなるんでしょうねぇ(他人事風)。



ファーストカイラス.jpg

◎参考写真2:とにかく第一インプレッションはこんな感じでありまして…
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2006年06月16日

通訳ってどっちの味方




これで最後?チベ日記29
サガ—パヤン


パサン(以降パ):俺はもう6年間ドライバーをやってきているが、どんなグループだっておまえたちほど時間を守らないやつらはいなかった。あの中国人だって遅れることはなかったんだ。なぜ出発が送れるのがいけないのか。もし途中で車が故障したらどうなる。無人の荒野じゃ行きかう車もなくそこで夜を明かすことにだってなりかねない。早く出発できりゃその分交通量もまだ多いんだ。分かるか。じゃあここまで訳せ


わたし(以降わ):6年間のドライバー生活でわれわれほど時間を守らないグループははじめてだっていってる。何でそんなに時間を気にするかっていうと…


トム(以降ト):オゥ・マイ・ガッ!よりによって俺たちが最低のグループだってさ。一番言っちゃいけない事をいっちゃったよ。たった10分や20分の遅れたグループがほかにまったくいないって?それよりこのドライバーだって出発に遅れたことなかったっけ?


わ:(だからわたしの説明はまだ途中でしょ。その10分20分っていう数字の問題よりも、遅れても何も気にしないっていう気持ちの問題を言ってるんだと思うんだけどねぇ)


ツアーも始まってから一週間近くがたてば、グループ(代表:オーストラリア人トム)とチベット人ドライバー(パサン)との間にはいろいろ不満やうっぷんも積もるわけで、それがとうとう爆発してしまったのが昨夜のこと。


サガの町に到着したもののなかなか宿が見つからない。


「町の中を車で流してくれ。その間に宿を探すから」


というトムに対して、パサンは「そんなのはオイル代がかかるから追加料金を払え」とまあ、ありえないお答え。


それまでも両者間の通訳を務めてきたわたしとしては


「あああ、とうとういっちゃいましたね」


だったんだけど、ほかのツアーグループには寝耳に水だった模様。


そんなわけで、何とかありついた宿の一室では、


「なぜドライバーはあんなに怒ってているのか」


とわたしにいろいろ逆取材攻勢。

こちらもいろいろと考えられる要素、遅刻の常習のことや運転中に写真撮影のために何度も車をとめさせること、ちょっとした意思疎通の食い違いからドライバーは昼飯を韓国人女性に譲ってあげたのにその女性は「ありがとう」の一言もなく当然のように振舞ったこと、などを説明したんだけど、それはどれもグループメンバーにとって驚天動地の事実。


もうほんと、周りに気を遣いすぎる自分がまるで異質な存在みたいに思えて、逆に反省しそうになっちゃうんだけど、



とにかくツアーは残り10日以上あるわけで、このままではいけない


というまあ妥当な結論に達し、本日朝、ドライバーを交えて「腹の底を見せあった話し合い」が開かれることになったのでした。



ところがとにもかくにも話し合いは冒頭のような調子。

感情の高ぶりを抑えられないもの同士、ただでさえつたないわたしの通訳(中→英、英→中)をすべて聞き終えるよりも早く、さらに火に油を注ぐような発言をしちゃうわけだから、まとまる話もなかなかまとまらず。



サガ-パヤン.jpg

◎参考写真:閑話休題。チベットののどかな風景にてささくれだった心を癒しておくんなまし


パ:俺はおまえたちの命を預かっているんだ。だから安全な運転をするためにも早めに目的地について翌日に備えて休憩をとる必要があるんだ。


わ:早く目的地につけば休憩をとることができるわけで、翌日も安全に運転できる、といってるけど…


ト:何言ってんだ。昨日夜中までほっつき歩いて1時前に帰ってきたのはどこのどいつだ。そんなんで十分休憩が取れたって言うのか!


わ:昨日あなたは夜の一時前に帰ってきた、といってる…


パ:俺が酒でも飲んでたというのか。そんな真夜中まで車のメンテナンスをしてたというのに…。いったい誰のためを思ってやってるというんだ


わ:車の修理をしてたそうだけど…


ト:…まあそういうことなら。けどわれわれにはまだ半分以上のツアーが残っているわけだし、俺たちもそう態度を帰るつもりもない。このままドライバーを続ける気があるのかどうかを確認してくれ


わ:Hey,They want you to make sure...


ってな具合で多分正味20分。

かなり頭の中が混乱してきちゃったわたし。中国語を話さなきゃいけないドライバーに対して思わず英語で語りかけてしまったところで、一同大爆笑。


そんな強引な力技で落しどころにもたどり着き、わたしの初会議通訳の仕事は幕を閉じたのでした。


当然ながら、もうこんなこと二度とごめんでござる。
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2006年06月15日

印度人あふれるサガ県




これで最後?チベ日記28
ディンリ—サガ

この数日間、われわれがたどってきたのは主にネパールへと続く中尼公蕗とその周辺の道だったんだけど、


そのまま進んでちゃ当然ネパールに抜けちゃうわけで、西へ西へ進むにも若干の工夫が必要。


ってなわけで、ラツェを出発した日に別れを告げた新蔵公路(ウイグル自治区へと続く道)へと軌道修正するのが本日のご予定。


1時間半ほど最後の中尼公路をドライブしたわれわれはランドクルーザー「テンジーナ」を右折させ、新たな8000m峰「シシャパンマ」を左手にのぞみながらとにかく突き進む大高原ルートに突入


したとこまではよかったんだけど…


なぜかここにきて不穏な動き。


見渡す限りの大平原、孤独に渋く滑走するランドクルーザー「TENZINA」


のまわりには同じく砂塵を巻き上げながら走る豪快四輪駆動車の姿。まるで限られエリアせわしく動き回るアリんこのよう。


確かに風景だけだったら超一級品とはいえ、中尼、新蔵両公路をつなぐだけのような日本でいう県道級の道路をこれだけのランクルがどしどし行き交っってるのは、どうも腑に落ちない。



しかもどのランクルもわれわれの「テンジーナ」よりも性能が上らしく、いつのまにか大平原に取り残されたのはわたしらだけ。



でもそれはある意味、ほっとしながら神秘の湖「ペンクン・ツォ」のターコイズブルーを堪能。



ディンリーサガ.jpg

◎参考写真:3方向から眺めたシシャパンマ。そして美しいペンクン・ツォなどなど


さらに湖畔ではシシャパンマ降ろしの強風にカップ面の袋を飛ばされながらも愉快なランチを終え、


「なかなかアウトドアっぽくない?」


などと再び車内にて余韻を楽しみながら、今晩の宿泊地「サガ」に到着したのが午後6時ごろ。


このサガって町は、シガツェ地区東部にあるサガ県の中心地。こんな中国のはしっこの県とわれらが佐賀県との間に何の関係もあるわきゃないんだけど、やはり県民としては気になるところ。



だから、街中の様子も特に目を凝らして眺めてたんだけど、な〜んか異常。



「あのぅ、歩いてる人たち半分ちかく。妙にほりが深くないっすか、そうインド人のように」


確かに超田舎の都市だから通行量自体も両手両足の合わせ技で数えられるくらいってこともある。


でも、こんな多くのインドっぽい人たち、インド以外で見たことありまっせん。もちろん佐賀県でも見たことはなし。


いったい何が起こってるんだ。間違ってインドに迷いこんだのか。はたまたインド人の強制移住が始まったのか。


想像力はいろいろ働くんだけど、実際のところ彼らはわれわれと目的を同じくする同志。仏教の聖地であると同時にヒンズー教の超メジャー神様「シバ」の住まいでもあるカイラス山を詣ようとする連中、つまりは純然たるインド人たちなのでした。


そんな聖地カイラス巡礼は現在の印度・ネパールブルジョワたちにとってステータスであるらしく、昼間に目にした多数のランクルたちもみな、南方面からカイラスを目指すインド人たちであったというからくり。



おかげさんでサガの町は完全な宿不足。5、6軒をたずねた挙句にようやく町はずれにベッドを確保できたわれわれ。


それにしても中国でこんなにインド人を見るなんて、ねぇ。


中国とインドのミクスチャーが始まればどんな強烈な化学反応が起こるのか、ってのはわたしにとってかなり興味深いテーマなだけに、この日の光景はかなり新鮮な経験でしたよ。
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2006年06月14日

バイバイでエベレスト




これで最後?チベ日記27
ロンプク・ゴンパーディンリ


ちょっと長居しずぎちゃった感はいなめないチョモランマとも今日でお別れ。


そのお姿を十分にまぶたに焼き付けたところで、次の目的地はマクロ(この先数日)的に言っちゃうと西チベットにあるカイラス山。

で、ミクロ(本日)的にだと、とりあえず中尼(中国ーネパール)公路に戻らなきゃ、ってことでエベレストからほぼ北上した位置にある中尼公路上の町ディンリ。



だから、要するに、短的に、はっきり言っちゃうと


本日は移動、移動、移動、ただそれだけでございます。


もちろん、車にゆられながら目的地につくのをぼけぇ〜っと待ってるだけじゃ明日にも老化現象が始まりそうなんで、外の風景にはいつだって警戒体勢。さらに地図ともにらめっこを続けながら、現在の位置確認も怠らず。


そうやって気を配ってりゃいろんなものが見えてくるもんで、3日連続の快晴という天からのプレゼントもいきなりの登場。


ぜひ見てみたかった「ラプチ・カン(標高7367m)」らしき秀峰の姿もばっちり。


なかなかギザギザにとんがったスタイルがエベレストの優しげなプロポーションと比べても男性的でグー。


いよいよエベレストは終わり、次のミッションに入ってきたな


っていう気持ちになった移動でした。

ついでに言うと午後3時前には本日の宿泊地、ディンリにも到着。

体洗って髪洗って、ビール飲んで、久々に川菜つまんで…


とにかくこれからどんどん僻地に向かう私たちにとっては結構な休日になったのでした。



ルンブク寺ーディンリjpg.jpg

◎参考写真:少しずつ風景が変わっていく。旅情もまたかき立てられるわね
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2006年06月13日

どこよりも高みの見物




これで最後?チベ日記26
ロンプク・ゴンパーエベレストBC−ロンプク・ゴンパ


昨日一日だけで枚数にして軽く三ケタ、もう十分見飽きた、撮り飽きたはずなのに人間ってのはどこまでも貪欲な生きもの。とくに4万円やそこらでチベットの見所洗いざらいしてやろうという5人組ならばなおさらのこと。


TPOさえ変えたなら、噛めば噛むほどに味が出るのがサキイカとチョモランマ。


本日も世界最高峰の麗しき姿をゲップガ出るまが拝見しようではないか



と、宿泊地のロンプク・ゴンパからさらに標高で200メートル、走行距離で約6,7キロ離れたエベレストBC(ベースキャンプ)へと出発したのが午前11時前。



幸いなことに朝起きたころには全身もやに覆われていたチョモランマもこのころにはほぼオールヌード。


さらに昨日到着したとき思い切りアゲインストだった「チョモランマ降ろし」も今は強烈な追い風となって聖域入りを後押ししてくれる。


女神のサポートを得てさっそうと出発したわれらが5人組み。


歩くのはエベレスト氷河から溶けだす流れにそった比較的緩やかな行程なんだけど、この流れが曲者で、氷河か削ったエベレストの岩盤がパウダー状になって大量に混じっているから、水は完全なミルク色。

しかも我々の歩く道とは対象的にまったく穏やかじゃない号音響かせた濁流だから、よほどのバカモノ、カブキモノでない限りガンジス川で泳ごうとしないのと同じ。いくら霊験あらたかそうな「チョモランマのおいしい水」であっても、


ちょっと口にふくんでみようかな


なんておちゃめ心は万分の一も起こらず。



ただしそんな本日のルート上にも一ヶ所だけ、金の斧と銀の斧をなくした女神様が出てきそうなくらいに澄んだ池があったりして、数メートル離れた濁流と水源は同じはずなのにほんと不思議なくらいの透明度。


わたしにとっては、ぐうたら&金満観光客をBCまで運び終え疲れたお馬さんと一緒にのどを潤す最高のご休憩に。


ほかにも道すがらにはマニア(だけ)をうならすオモシロポイントがちゃっんとちりばめているようすはかなりキュート。


おそらくは世界最高地点で文化大革命の被害を受けた寺院跡
巨人が使うさいころのように巨大な立方体の石がぼこぼこ落ちてる岩場
まるでバンコクの外国人ゲットー「カオサンロード」のように宿(テント)の並んだBC手前入り口付近


などなど。
約2時間半のお散歩にまったく飽きることはなし。


で、一般人がチョモランマに最も近づけるポイントであるエベレストBCがどうだってのかっていうと、


「昨日のポイントから、角度、大きさ、ほとんど変わりませんね」


という見事なオチ。

もういいですよ。
おなかいっぱいになったのは間違いないんだから…。



エベレストBC.jpg

◎参考写真:BCに近づいていく様子。少しでも体感してちょうだいな
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2006年06月12日

世界最高峰の日豪対決




これで最後?チベ日記25
ラツェールンプク・ゴンパ


世界最高峰ってやつがいかがなものか、見てやろう


それが本日のルート。


通りと呼べるものは一本しかないけど、シャワー屋とネット屋が一応あるからにはそれなりに町っぽくもあるラツェの町を出たのがなんと午前7時前。

それから先は西に進んで南に進む。


ランドクルーザーが調子のいい音を立ててまだ暗がりのラツェを離れ、10分後には検問所で止まってパスポートチェック。が、何をか恐れん。こちとら「正規のツアー」なので問題なし。

そして約一時間後、


川沿いにあきれるくらいに曲がりくねった中尼公路(中国ーネパール)を何回目かわからないくらい曲がったところで、いきなりのチョモランマさん初見参。


まだまだ直線距離で150キロくらい離れた場所なんで、その世界最高峰ぶりはいまいちぴんとこなかったんだけど、単なるでかいだけじゃない形のよさ、思った以上のべっぴんさんぶり。決して20年前の中国女子バレーボールチームを想像してはいけません(笑)。



その後はエベレストベースキャンプの入場料(一人65元)を払った後、いよいよ中尼公路に別れを告げてエベレストの山懐へと方向転換。


もちろんここにいたっても天気の快晴ぶりは冗談じゃないくらい。
上を見上げればチベット入りしてこの方最高に360度青空だし、崩れる気配もなし。


そうしてとうとうヒマラヤを眺める絶好のビューポイントと断言してもいい5000m超の峠(パン・ラ)にさしかかってしまい、チョモランマ以外にチョーオユー、マカルー、シシャパンマなど壮々たる8000m級のエリートたちがズラリ勢ぞろい。


さすがにまったくのノークラウドってわけにはいきません。とくに向かって左側のマカルーにはかなりの雲がたまってたんだけど、それに文句をつけるのは愚の骨頂ってもの。

これだけの景色を一望にできる幸福感は何事にも変えがたし


でしょうよ。


ただしこれくらいで満足してもいけないわけで、本日の目的地、ベースキャンプ手前にあるルンプク・ゴンパまではさらに60キロほどの道のり。

いったんは低地(といっても4000mは切らないんだけど)に下って雪山たちとさよならなわけだけど、そんなもんはひと眠りもすればOKな時間。


気がつけばこれまでの二倍くらいの大きさで迫りくるエベレストの姿。

わが愛用の広角カメラ「caplioGX8」では最大望遠サイズを駆使したところでちときつかった(ちいさくし写せなかった)のが本音なんだけど、もう全身をなめるように写しこめるような近さ。


もうわれを忘れてとりまくってしまったのはいうに及ばず。

ただ、エベレストに近づくってことはそれだけ極地の気候に近づくってことで、このルンプク・ゴンパ付近。標高5000mに位置するにふさわしくエベレスト降ろしの風のなんと強烈なことか。

わたしのこれまでの行いのよさを如実に示すようなこんなに晴れわたった最高のお天気であっても、吹きすさぶ風はかる〜くフィリピン東方で発生したばかりの超大型台風並み。


ちょっと見晴らしのいい丘に立ってカメラを構えようもんなら自分が吹き飛ばされかねない勢い。マジで、マジで。だから足腰の粘りがかなり鍛えられた感触でしたね。



エベレスト.jpg

◎参考写真:その高さだけに気を取られがちだけどなかなか美しいお姿



そんな、こんなで終了しちゃっても十分にお釣りのくる一日だったんだけど、これで終われないのが本日が6月12日たる所以。


ワールドカップの日本対オーストラリア戦がはかったように午後9時から開催されてしまうのです。

ちょうどわがグループにはオーストラリア人とその彼女でなかばオージー化したスコットランド人、対して日本人も二人いるわけで、数日前からちょっとした日豪サポーター前鞘戦が始まっていたりしてて、


これは本戦の結果で白黒つけるしかない
それが今後のグループ内の力関係にも重大な影響を与えるかも


とテレビも電気もないルンプク・ゴンパの宿にて試合経過を固唾を飲んで見守ったわけ。


どうやって?


たしかにテレビも電気もないこのルンプク・ゴンパ周辺なんだけど、この国の携帯電話会社「中国移動」がテレビCMでもやってるとおり、携帯の信号だけはバリバリに入ってしまうありがたさ。

成都におわします塾長に、ご迷惑にも携帯メールにて実況をお願いしてしまいした。


やはり持つべきものは塾長。ありがたや、ありがたや。


で、

だいたいご飯を炊く最中に鍋のふたをあけるだけでは満足できず、「水が少ない」などといって冷水を大量に注ぎ足すようなオーストラリア人に負けるわけがない


とか思いながら試合の約80%を楽しみぬいてたところが、ヤクビーフどころかオージービーフを狂喜乱舞させるあのような結果になろうとは。


「相手にぬか喜びさせるだけさせといておいしいところをかっさらっていく。それが最高のフィニッシュさ」


そんな悔しすぎるキメの言葉を聞くにいたって、おそらくは世界高地点での日豪サポーター対決は終了したのでした。
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2006年06月11日

パンコルはエぇーでぇ




ホント最後?チベ旅24
ギャンツェーシガツェーラツェ



本日はかなり観光モードに浸りきれる日程。


眠け眼をこするか、朝イチの濃いションベンを出しにかかるか、くらいのタイミングでいきなりのメーンイベンター「白居寺(パンコル・チューデ)」がご登場あそばすからもうたまらない。



このギャンツェを象徴するお寺。


1400年代初頭に当時のギャンツェ王が建設を始めたという超宗派(もちろんチベット仏教だけど)の一大仏教センター。


最も象徴的な建物である8階建ての塔「パンコル・チョルテン」には77の大部屋小部屋があって、例の文化大革命の際にも破壊の被害を逃れたおかげで、内部には仏像や壁画などが当時のままに残されており、まさに600年前にさかのぼる仏教芸術、仏教思想のタイムカプセル、現代によみがえる博物館になってるわけ。


わたし的にはギャンツェは2度目なんだけど、前回は10年前のぺーぺー。ただ町に立ち寄っただけ、パンコル・チョルテンなどその存在も知らずに「グッバイ青春」という悲しみのメモリー。


その後、様々な形でギャンツェやパンコル・チューデのことを耳にする、目にするたびに当時の「若さ」を嘆いていたんだけど、とうとうそのリベンジの時が襲来したってこと。


ただし、全てが思い通りに行くほどこの世界は甘くないようで、本日、次の目的地であるシガツェに出発するまでのタイムリミットは2時間ほど。それなれば、と息継ぎなしの「面かぶりクロール」で25mプールを乗り切るくらいの覚悟で寺の門をくぐったのでした。



まずは礼儀として本堂に入ってみたんだけど、いきなりなようでこちらもなかなか。

それほど自己主張の強くない、日本人好みしそうな「渋め」の仏さんたちが各部屋に陣取っていられて、わたしの感性にストレート&ビビッドな攻撃を開始。


「こりゃぁ、そうとうハイレベルでいらっしゃる」


そうつぶやいたかとおもうと、準備運動の予定があっという間のトップギア。時間が経つのも忘れそうになるくらいの危うさがぷんぷん、実際あっという間の約30分でしたのよ。



で、いよいよパンコル・チョルテンに。


入り口で10元払えば写真も撮り放題という「太っ腹さ」も心地よく、1時間77本勝負をスタート。



いやあ、あります。あります。



パンコル.jpg

◎参考写真1:もちろんこれらは一部の一部。でもその多様性は感じられるよね



残念なことに8階建ての7,8階には上ることができず。だから訪ねたお堂(部屋)も70前後だったと思うんだけど、


「なんなんだ、この爽快感は」


というくらいの気持ちよさ。相手が申し出るより前にこちらからユニフォーム交換したいくらいのフェアープレー精神に浸れた後味のよさ。



たんにいつもの「注意されるまでは人に迷惑にならないようにして写真を撮る(≒盗撮)」ではなく、ちゃんと撮影代10元を払ってたから、という効果もゼロとはいいませんが…。



とにかく、そんなこんなであっという間の2時間。

バラバラに参拝していた5人組の残りに聞いてみても各々に好印象だったらしく、良質の映画を見終えあとに美味しいお酒をのむような幸せな気分で第一訪問地、ギャンツェを後にしたのでした。




で、今度もあっという間の2時間弱で次の訪問地、シガツェに到着。



「なんですかぁ、この大都会はぁ?」


ギャンツェの町が昔(10年前)に比べてその雰囲気を残しながら開発されていたとするなら、シガツェの方はまったくラサの新市街(西部)的な開発のされ方。


ただ広いだけで何もなかった三叉路に巨大電光スクリーン付きの巨大広場が建設されてたり、単なる裏びれた通りだったところが土産物屋などが建ち並ぶ派手派手しい旅遊街になっていたり、その他もろもろ。

さすがは中国政府期待の星「パンチェン・ラマ11世」のお膝元。お金のかけ方も半端じゃありません。



もちろん、そんなこんなだからそのパンチェン・ラマ11世のお寺「タシルンポ・ゴンパ」なんてそりゃあすごいもんでした。


今回の旅でたびたび紹介してきた「ゲルク派6大寺院」というもともとハイレベルな位置づけから、更に中共の後ろ盾を追い風にホップ・ステップ・ジャンプ。


坊さんの数もお堂や僧坊の数も他の寺院に比べて格段に多けりゃ、仏塔や壁画の豪勢さも折り紙付き。



タシルンポ.jpg

◎参考写真2:タシルンポの色んな風景。真ん中下は先代10世の霊塔、ミイラ入り


ただ、このタシルンポ。

お寺としては十分に機能してんだけど、なんか居心地の良さは感じない。とくにビビッドな白居寺をみた後だけにそう感じるのかもしれない。


だいたい11世が自分のホームタウンであるタシルンポにいれずに北京で「お勉強」してるっていうこと自体、すっきりと晴れた気持ちになれない原因なんだよね。もちろん11世のことだって100歩ゆずっての感想なんだけど…。


まあ、よい1日だったと思いますよ。チベットの聖なる「サガダワ」の日にこの2寺を訪ねられたことを考えれば、ね。


さあて、これからは町を離れて一路、ヒマラヤの山懐に飛び込むことに。問題は天気だけなんだけど、果たしてどうなることやら。
posted by 牧場主 at 00:00| 北京 | Comment(0) | TrackBack(0) | またまた旅に出ました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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