2006年05月31日

クール男の燃える報道




ホント最後?チベ旅13
丁青(ディンチン)


チベット東部で火災
お得意人海戦術で延焼食い止める
昌都地区丁青鎮


【5月31日=信通信】 5月31日午前10時45分ごろ、中国チベット自治区東部にある丁青鎮の丁青県動植物検疫站・同県畜牧技術推広站の敷地内から出火、コンクリート建て平屋約100平方メートルを全焼、約1時間後に鎮火した。同施設には「民政福利招待所(一泊20元)」も併設されているが、平屋および招待所でけが人はなかったもよう。


関係者らの話によると、消火にはタンク車一台が出動。現地は水道設備がなく、タンク内の限りある水量で延焼を防げるのか懸念されたものの、それを補ってあまりある活躍を見せたのが同鎮に駐屯する人民解放軍兵士ら約50人。各自洗濯用のタライを手に燃えさかる建物内に飛び込んだかと思うと、手際よく家財道具などを搬出。その後も建物の屋根や壁、窓などを次々と壊すなど見事な人海戦術を展開、延焼を食い止めたのだった。


四方を4、5000m級の山々に囲まれた山あいの集落を襲った今回の火災。いったい何が起こったのか、と興味深げに集まってきた見物客ら200人ほどで現場は一時騒然とした状態に。招待所の女性服務員は消火作業を見守りながら、「本当に火はうちにまでこないんでしょうね。ほんっと驚いた。迷惑な話よ」と困惑顔。同招待所に泊まっていた日本人男性(32)は「こんな平和な山里でこんな大惨事が起きるなんて。こっこれは、すっ、すっ、スクープですよ」と興奮を抑えきれない様子で口からつばを飛ばしていた。



火事現場.jpg

◎参考写真:タライだろうが人海戦術には必須アイテム。すわっ消火っ!



【評】

とにかく評もくそもあったもんじゃないんだけど、まさか自分の泊まっている宿から手の届くような距離で火事が発生しちゃうなんて、まあ、驚きよ。


しかもここはチベット。
おれいったい何してんのっ、てかんじ。


とにかく地元メディアに先んじて速報性にこだわってみました(笑)。




はい、本日またしてもトラックヒッチに失敗。
だんだん要領もよくなって午前10時半には店じまい(あきらめ)モード。

せめてこのクソ丁青の「思い出作り」でも、とパソコンで地図を作製していたときのことでした。


わたしが3泊目お世話になってる部屋は建物2階、ベッドは中庭に面した窓際にあって、


なんか庭からがちゃがちゃ中国語&チベット語まじりのうるさい声がするなぁ


と思いながら、選択範囲を確定しようとしてたところ、それは昔、眠い眼をこすりながら何度も嗅いだ香ばしいかほりが…。


突差に窓の外を見てみるとすでに白い煙が長屋の一角、窓から漏れだしておりまして、すでに初期消火では全然間に合わない状態。


たとえ中庭をはさんでいるとはいえ、直線距離で約20m、さらにぐるりと建物が繋がっていることを考えると、のんびりしていられるわけもなし。急いでその辺に散乱した荷物をまとめ、バックパックに放り込んだのでした。


そのころ、ちょうど時をあわせるように、まずはタンク車、そして解放軍のトラックが到着。


あとは上記のご活躍の通りでございました(笑)。



ホントなら現場に降りてってよりリアルな写真をいっぱい撮りたかったんだけど、現場には解放軍兵士だけじゃなくって地元公安の方々もうじゃうじゃ。そんなとこに行っちゃったらまさに


飛んで火に入る夏の虫


になっちゃうんで、渋々2階からの撮影、見学に終始していたわけ。


にしても、なんたる偶然。

昨日も同じ場所の写真を撮ってたんで、その風景との比較も楽しんでちょうだいな。



う〜ん、でもなぁ。まさかチベットで火事に遭遇するとは…。1日くらいトラックを捕まえられなくっても十分おつりが来るような「おいしい経験」だったんだろうか。

うん、それは後世の歴史家に判断してもらうことにしよう。



丁青地図.jpg

◎参考資料:せっかく作ったんでこれも見てちょうだい。丁青の位置とわたしのルート
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2006年05月30日

正真正銘の丁青な1日




ホント最後?チベ旅13
丁青(ディンチン)


昨晩は甘粛省武威市からの打工(出稼ぎ)おっチャンと相部屋。けっこうチベットの交通事情(ヒッチ事情)に詳しいらしく、


「明日朝早起きすれば絶対にトラックはつかまるから」


と励まされ、実際に朝6時半には荷物をまとめ、ようやく明るくなった通りに出てみることに。


すでに10分ほど前に外に出ていたおっチャン、彼はわたしと逆方向の車を探してるんだけど、わたしを見つけるなり、


「ダメだったよ。交通招待所も糧食招待所も郵便局も」


だって。

昨晩あれだけ胸を張っただけにかなり恥ずかしそう。こういうのを面子がつぶれるというもの。別にそんな知ったかぶりしなくていいと思うんだけど、ねぇ。 



そういうことで、やっぱり持久戦。

東へ向かうおっチャンは町の東ハズレにて、西に向かう気まんまんのわたしは西ハズレにてそれぞれ「お勤め」をスタート。



明け方に若干お湿り程度の雨が降ったものの、本日は基本的に「くもり空」。


もう待つことに離れました。濡れることもないんだし、何時間だろうと大丈夫


というとこなんだけど客観的にいうと、朝にこの丁青の町を出発しない車が、目指す200キロ以上西の巴青や索県にたどり着けるわけもないし、ってことは午前中の早いうちにしか車はないということ。


で、

本日は12時。
西の外れはやっぱりハズレ。

店じまいをさせていただきました。
もっとねばれというなかれ。これでも5時間は「お勤め」したんだから。



2日連続の「ゼロ回答」なんだけど、悔しさでいうとたぶん昨日の方が数倍。それはわたしが通ろうとしている西藏北路、聞いてた以上に交通量が少ないってことに身をもって気づき始めてるというのがその理由でしょう。


ということで、

さあ、おっチャンはどうかな、と町を横切り覗きにいってみると、その姿はなし。まあ彼の場合は東に40キロほど間馴れた町が目的地だったから、近郊トラックでもいいという強みもあったしね。


わたしも二晩連続でお話相手になれるほどネタもないし、何よりおっチャンにとっても1日70元(約1000円)稼げるか、逆に収入なしに加え宿代で持ち金20元減らすか、その90元の違いはとてつもなく大きいはず。

そんなわけで、わがことのように喜ぶわたしなのでした。



で、まるまるフリータイムを頂いた本日午後なんだけど、「ここは日本か」というくらいに完全引き籠もってしまいました。


まずは塾長宅から失敬してきたDVD「時効警察」をじっくり拝見。


「これは○さん(わたし)絶対気に入る。面白いよ」


といわれてただけに興味津々だったんだけど、チベットの外れで見るには十分すぎるほどシュールな笑いがふんだんに盛り込まれてて、確かによろしそうな作品。とりあえず3話でとめてみたんだけど、


「これだったらヒッチ失敗も怖くない」

という恐ろしい考えに取り憑かれそうな予感すら…。


で、次はたまったメールを処理。

こんなチベットの奥に潜り込んだ男にもメールを送ってくれる人がいるもんで、DVD再生に引き続いてマイPowerBookG4が活躍。昨日見つけた丁青のネットバーは当然のごとく日本語入力不可。だから数人へのお便りをまず下書きしてあとは送信するだけの状態に。


これであとはブログのアップと同じ。マイiPodShuffleにデータを詰め込んで、ネットバーにてはき出させるだけ。

それにしても丁青のネットバー。使う前に名前や民族、証明書番号なんかを記入させられるんだよね。


ん、わたし?

もちろん

シーシャンシン(ホントは漢字)/漢族/MR・・・・・・・(パスポート番号)

と記入。


だってネットバーなんて当局さんの目が最も厳しい場所の一つでしょ。しかもここは外国人非開放地区。正直に「日本人(大和族?)」なんて書けませんでしょ。

どっちにしろ日本語のページばかり見てるんで、ホントに締め付けきつけりゃ即バレなんだけど、ね。


とにかく日記もカレンダーに追いつき、メールも出し尽くしたところで、いつのまにか2時間強。1時間4元だから計9元。



どうもインドアにこもりすぎた感のある本日。

夜ご飯にはなぜか絶妙に美味しい青椒肉絲炒飯を、丁青入りした晩以来いただいてもまだ辺りは夕方の真っ最中といった感じ。


「しょうがないな」
「また左手を鍛えに行こう」


ということで昨日たまたまたどり着いて気に入ったボン教の(でもチベ教もいる)ディンチン村
までお散歩。約30分。


天気がまあましになったおかげで昨日は見えなかった雪山を眺めることができ、しかも左手にも適度な刺激を与え、ようやく長い1日も終わりかけ。

暗くなるのと時をあわせるようにやたら元気になり出した犬たちにほえられながら、宿への路についたのでした。



丁青の休日.jpg

◎参考写真:何もしてないとは言いつつ、写真にすればけっこう色々見てるよね
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2006年05月29日

サウスポーにはボンっ




ホント最後?チベ旅12
丁青(ディンチン)


外国人がいてはいけないところを旅行しているってことは、見つかれば怒られる(笑)ってことなんで、見つからないことにこしたことなし。


特に宿なんてチェックイン時に身分証の提示が求められることが多いから、宿から公安さんに通報ってのはよく聞くパターン。だから色んな注意が必要だったりする。


だから、ここ丁青ではそんな手続きすらないような「こぢんまりした」「質素この上ない」宿を選んでみたところ、そう、ここはチベット。


ヤクバターのかほりしみこんだ掛け布団に、3人部屋隣りのお二人の体からも同じくほのか以上のヤクバターのかほり。


こんなんで寝れんのかよ



で朝起きて気付いた完熟睡。でも窓を眺めるまでもなくいやな予感。


ふんだんな水分がお空から降り続いていたりする音。まるで日本の梅雨のよう



これまで特に日記には書かなかったんだけど、嚢謙に入って以降、かなり雨続きだったりしてるのが現実。



チベットについてわたしに問い合わせてきた何人かには、


「雨期は7月くらいからだから旅行するなら早めに来た方がいいよ」


なんて知ったかしちゃいましたが、ごめんなさい。もう間に合わないかも…。



何とか小降りになったところで宿を出て、


本日もヒッチハイク続けましょうか。きょうは隣県の「巴青」までね



なんて午前10時からスタート。


なんて空しく午後2時に本日のお勤め終了。だって巴青までは200キロ強。


今から車を捕まえても本日中にたどり着けない→だからそんな車はない


の図式ですね。
人間諦めも必要でしゅ。



で、余った時間、何をしたのかといえば、分かりにくくいうと「左手の強化(リハビリ)」だったりする。分かりやすくいうと、読んでりゃわかるから省略…



ピンクレディー的にはサウスポー、中村俊輔的にはレフティーなわたし。あいにく箸と文字は右手使いなため、運動をしない限り左手の活躍する機会なし。



それどころか、前回のラサ滞在に始まり今回の旅行もそうなんだけど、とにかく「マニ車」を見つければもう条件反射的に大きいのから小さいのまでぐるぐる回しているわけで、右回りの車を回すのは当然右手。なんか昔より太くなっている感触。


で、対照的に


サウスポーとしての存在感、アイデンティティーがどんどん薄れていってることが人に言えない密かな悩みになりつつある昨今。



運良く、こちら丁青にあるお寺はチベット仏教にあらず。ボン教のお寺「ディンチン・ゴンパ」。九寨溝旅行時に訪れたガメ・ゴンパ(4/27日記参照を)があったんだけど、本日のディンチン・ゴンパもなかなかのものらしい。


丁青周辺は自治区東北部では最もボン教が盛んなエリアで、その中でも西暦1110年に建てられたという長い歴史がある


とはガイド本。


ならば溢れかえるほどのボン版マニ車(→左回り)があるに違いない。
       ↓
回しに回して左手を酷使してサウスポーとしての威厳を回復するしかない
       ↓
ヒッチ失敗もこのための「見えない手(当然左手)」が働いたと思えばいいじゃない



街中から歩き出すとだいたい40分。

山の上にあるゴンパ参拝のため、カーブ続きの車道を通らずにずるをして畑の中を直線に登っていってたら、誰かさんが怒ったみたいで本日一番の雨足に。



斜面にへばりついて僧坊に囲まれて本堂がある


というのは紛らわしいくらいチベット仏教スタイルと同じ。


それどころか、坊さんの衣装だってほとんど変わりなし。それがへろへろになって現れた三十路男を物珍しそうに迎えた坊さんたちを見たときの第一印象。



もちろんお寺参拝の原則。中国人ではありません、「友好的」な日本人であることを早々にカミングアウト。



そうえいば久しぶりに寺の中を参拝することになって、本堂に通されると、ちょうど読経の時間みたいで内部には60人くらいの坊さんの姿。


でもじっと眺めてみると、ちょっと違う。

実はお堂の真ん中部分で若者2人が問答中。彼ら以外に口を開く者はなく、ただ2人のやりとりを聞いている。


これがチベット仏教だったら、緑輝くお外にて数人ずつがグループに分かれて問答を繰り返すというスタイルが有名で、わたしも何回となく見学済み。でも2人のやりとりに他が耳を澄ませるパターンは始めて。


ただ、ところどころで2人が言葉に詰まったりすると一番そばにいるだいぶお年を召した坊さんが助け船を出してあげてる様子などは結構ほほえましかったり…

あと、実際のところ、突然現れた日本人にだいぶ気を取られてる坊さんたちの方が間違いなく多かったりも(笑)



このゴンパには百数十人が修行しているらしく、更に別のお堂、ここには歴代活仏の“何か”を納めてるらしき塔などが飾ってあって現在の「活仏」らしき5,6才の子ども2人が、いっちょまえに経典をすらすら読んでたりして、本格ゴンパの名に恥じない充実ぶり。



でも、何かが足りない。


そう、いくらお堂を左回りに回っても肝心のマニ車が「ひとつも」ないから、左手を通じた有酸素運動も完全なほどにゼロ。



久しぶりの満足感もこの一点において、高波が浜辺の一切合切をさらっていくがごとく、すべて無に帰してしまいそうな脱力感に支配されそうになるも、ここにも捨てる神あれば何とやら。


ゴンパを離れ、尾根沿いに約500mほど丁青方面に向かった高台にある丁青村。



およそ50世帯くらいがこの高台に暮らしてるみたいで、そのほぼ中心部にあったのがお経などを彫ったマニ石を無数に積み上げた巨大なマニ塚。当然その塚の周りには数百個のマニ車。


場所が場所だけに村民の集会所みたいになっていて、子どもからお年寄りまでがみんな左回りを基本におしゃべりったり、遊んだり。


もちろんわたしは好奇の目線を十二分に感じながらも本日のテーマには忠実に「左手の強化(リハビリ)」をスタート。


下がぬかるんで歩きにくい。
撮りたい写真も取り終えた。


4周。


もう大丈夫、心のサウスポーを取り戻したみたいから。


で、塚から直線距離で約50m。もう一つマニ塚があったんでこちらにも足を運んでみると、先ほどのにぎわいとは天と地。


たった2人のじいちゃんばあちゃんがよろよろ(失礼)と徳を積んでいる最中。しかもこっちは右回り。

そうか、これはチベット仏教のマニ塚だったのね。


あちらのにぎわいに比べてこちらの静けさ。
同じ村民でもボンとチベ仏で悪かったりするんかな。



それにしても右回りか、左回りかということ以外、石に刻まれている経文を見ない限り、とにかく見分けがつきません。まったく持って紛らわしいったらありゃしない。面倒な限りさ。



でも、どうせ大した信心深さのないわたしだから、左利きの一員としてもう少しは「ボンっ」をおしていこうかとも心に決めたわけ。もちろん、単なる思いつきだけど…。


丁青寺.jpg

◎参考写真:本日はシェフお薦め、ボンづくしでまとめてみました(含:関連もの)
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2006年05月28日

ヒッチ即決でも移動は




ホント最後?チベ旅11
類烏斉ー丁青(ディンチン)


昨日は無事チベット入りを果たした「荒野の7人」ならぬ「高原の7人」。


甘粛からの5人は東の昌都(チャムド)へ、ドライバーはまた北の嚢謙(ナンチェン)へとそれぞれの道を歩み出すことになる本日。


で、わたくしなのですが、


とにかく西にいけるだけ行こう


が今後数日間、いや一週間、とにかくどれくらいかかるか分からないけどラサにたどり着くまでのテーマになってるわけ。



かといってやみくもに進めばいいというわけでもなく、類烏斉ー嚢謙間のように公共交通機関はほとんどないという土地柄、ようするによほど目的を同じとする輩が勢揃わない限りは移動手段としてヒッチハイクしかないわけで、それこそ無鉄砲に車を拾っていては、日も暮れてわけ分からぬ草原で降ろされるということだってないわけじゃなし。


だから、地図とにらめっこ。


決して欲張らずに、50代をすぎた消化器系に例えるのが相応しい内燃機関のトラックたちが1日でたどり着ける町までがその日の最大の移動可能距離だったりするわけ。



そんな条件をもとにマイコンピューター(我的電脳)がはじき出した本日の目的地こそ、現在の類烏斉県の西隣りに位置する丁青(ディンチン)県。およそ150キロの道のり。



当初、甘粛5人組が「丁青までは午後にバスがあるよ」


なんて美味しい話をいってたのを真に受けてしまっては、前日から何の成長もしてないってことになるわけで、実際にわたしも現地調査。


もちろん(失礼?)そんなバスはなかったわけで、早速町はずれまで移動。ガソリンスタンドをすぎたあたりにバックパックを降ろして丁青方面の車を待つことに。



ものの数分で1台目、ランドクルーザー(雲南ナンバー)の登場。座席には西洋人の姿。くそう、ツアー客か。手を挙げてみるもののスピードを落とす気配すらなし。2台目も同じツアーだをおぼしき西洋人連中。どうせ彼らには中国人が手を上げているようにしか見えんのだろうなぁ
、なんてひとりちょっと悲しい眼をしてみました。



ところが3台目。

バリバリの中国トラック(中型)のお出まし。
手を上げたわたしを見るなりスピードを緩め、


「どこに行くんだぃ?」


だって。嬉しすぎるし優しすぎる。


中国の場合、特に公共交通機関がないような山間部、僻地の場合、ヒッチハイクとはいっても基本は有料制。料金交渉で50元(約700円)はちと高いような気がしたけど、すぐに停まってくれた運ちゃんに感謝の意を込めてOK牧場。



早速走り出してはみたものの、この雲南からのトラック。


とにかくパンク、パンク、パンクの連続。


峠越えなんかは何とかがんばってクリアしたんだけど、もったのは約2時間。その後、ちょっとした溝や段差を越えようとしたとき、


「ばふっ」「がたっ」


と乗客にも伝わる嫌な感覚。


そのたびに、運ちゃん、そのサポート役、ヒッチの人民解放軍兵士(階級2つ星)、よく分かんないおばちゃん、そしてわたしの総勢5人は共同作業。


ジャッキで車を上げたり、タイヤを外したり、スペアタイヤ取り出したり、車止めになる大きめの石を調達したり…


そしてわたし


その奮闘の記録を後世に残すため、写真をパチパチやったり…



ところで、途中までは何とか中国人のふりをしていたんだけど、バリバリの四川弁(かその兄弟)がひびきわたる車内、やっぱり


「えっ?」
「もう一回いって」


なんてことが続いちゃって、もうめんどくさくて日本人であることをカミングアウト。


するといきなり元気になったのが解放軍兵士(階級2つ星)。小学校の時のあだ名は95%の確率で「宇宙人」、声のバカでか高い彼。やっぱ


「シャオチュアン(小泉)は…」

で始まったんだけど、


「はい、彼はもうすぐ下台だからね」


「それはよかった」

「(後任問題までは知らないんだ、じゃあ触れない)そうよかった」


「それにしても日本は韓国、北朝鮮、中国と…。どうしてなかよくできないものか」

「おっ、それはいい意見。どうしてなんだろうね」


2つ星がどういう階級か知らないけど、年齢がまあ二十歳半ばくらいだからまあ、これが解放軍兵士一般階級の一般的な考えと言っていいような話。


ついでに彼の実家はわれらが西南民族大学から歩いて「7分」の近さらしく、結局移動時間7時間超、すっかり暗くなった丁青到着。町のちょっと手前にある解放軍基地前で降りていく彼と、


「今度会ったら火鍋食いに行こうね」


で仲よくなれたのでした。



嚢謙ー類烏斉.jpg

◎参考写真:移動の楽しさも苦しさも、そしてはかなさもすべてがこの4枚に凝縮…
posted by 牧場主 at 00:00| 北京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | またまた旅に出ました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月27日

自治区潜入ニ成功セリ




ホント最後?チベ旅10
嚢謙ー類烏斉(リウォチェ)


今わたしがいる嚢謙は青海省のどん詰まり。これより先、道はチベット自治区にしか続いておりません。


そんなわけで、このブログの純然たるホームグランド(その割に全体の1割にも満たないけど…)に戻るべく、とうとう山を越えることにしました。


とうぜん4000m級の峠を何本も超える訳なんだけど、それより別のヤマ


「密入境」


ああ、なんていけない響きなのっ!


これまでどんなに中国政府に嫌な目にあわされながらも「法治国家」のお題目に従い、外国人であるわたくしは「入域料」という名のバカ高い追加料金(約500元)を払って成都からの飛行機入りを旨としておりました。



が、西藏自治区がもう目の前っ!という場所までやって来たのはこれで3度目。


1度目は四川省の徳格。
2度目は雲南省の徳欽。


3度目となった今回の青海省の嚢謙、こんどこそ「3度目の正直」。


「なんでそげん何回もくそんごたっ中国にお金ばやらにゃいかんとね」


そう自分の心にも正直になりましょう(笑)。



ところで密入境といっても、なにも宵闇に紛れ、黒の全身タイツを穿き、行き交うサーチライトのすきまを「するりするり」とひるがえるわけじゃないので、あしからず。

あくまでどっかの旅行代理店を通じてどっかの旅行局が発行する「外国人旅行証」を申請せず、中国人と同じような方法で自治区に入ろうとしているだけですからね、誤解のないよう。



そういうことで、ここ嚢謙から中国人が自治区に入る方法。それはヒッチハイク。言葉の問題、料金交渉、何より同じ目的地の車を見つけることなどなど、面倒なことは山積み。



ところが、なんと昨日、嚢謙にやってくるとき同乗してたあるチベ人が


「俺も明日類烏斉に行くから12時くらいに連絡するよ」


ああラッキー、超面倒なヒッチをせずに彼の見つけた車に乗り込めばいいだけなのね。

わたし携帯電話の番号を教えておりました。


ということで、本日は朝10時頃まで爆睡。

もちろんここに大きな落とし穴があるわけで、中国生活にて学んだ教訓


中国では他人の好意に甘えてもいいが、だからといって自分の努力を怠るな


を完全に忘れてたのね。


12時…    何の連絡もなし
12時10分… 一応はホテルをチェックアウト。町の中心部に出てみる
13時…    「いくら時間に鷹揚なチベ人でも1時間遅れはないよな」と思う
13時01分… 相手の携帯を聞かなかった自分を悔やむ
13時02分… 自分でヒッチハイクをしなきゃいけない現状に青ざめる


だいたいヒッチハイクが必要ような町には、それに適した場所ってのがあるんだけど、そんな情報収集は何もしてないからそれがどこなのかも分からない。


とりあえず「藏(チベット)ナンバー」の車だったらチベット方面に行くだろう、と行き交う車両に目を凝らしてみるも、はっきり言って「藏ナンバー」少なすぎ。だいたい30分に一台くらいしか通らず、しかもどれもチベットとは逆、玉樹方面に走り去っていくからなすすべなし。



字路.jpg

◎参考写真1:わたしがじぃっと見つめ続けてた嚢謙の交差点の風景。右がチベット


ただ、

捨てる神(あのクソチベ人っ!)があれば拾う神があるのも事実。


人通りの一番多い町の十字路で何時間も突っ立ってる人間を見れば興味を持つ人物も結構いるもんで、


「どこに行くんだ?」

から始まり、

「自治区行きの車は朝7時、8時くらいならたくさんあるぞ」

「ならば、この坂を下ったガソリンスタンドの前で待て」


などなど、昨日のうちに聞いていたら間違いなく、クソチベ人を頼ることなく早起きをしていたような情報をどんどん教えてくれたりする。ありがたや、ありがたや。


で、すでに待ち始めて4時間。


1時間くらい前に会話していた香港かフィリピンのインチキブローカー(小物)風の長髪ちょびひげオヤジが再びあらわれ、


「類烏斉行きの車を見つけたぞ。彼らの車に同乗しろ」


だって。
嬉しいじゃありませんか。

どうやら甘粛省から成都に向かう一行5人がミニバン型タクシーをチャーターしたんだけど、乗客は7人までOK。できるだけ人を集めて一人あたりの出費を抑えたがっていたとかで、向こうさんにとってもわたしの出現は大歓迎ということらしい。



午後4時20分、ようやく嚢謙の町を出発。


料金は120元。地図上では昨日乗った玉樹ー嚢謙の距離の多くて1,5倍くらい何だけど料金は3倍。まあ、文句は言いませんよ。



ただ、これですべて難関がクリアされたのかといえばとんでもなし。青海省とチベット自治区の境界エリアには文字通りの「難関」、もとい関所、いやもとい検問所が待ち受けているはずなのだから。


ただし中国の場合、一口に検問といってもわたしたち旅行者が忌み嫌う非開放地域での「外国人狩り」以外に、「麻薬密輸」「森林伐採」「過剰積載」「住民の不法移動」から、この前の「冬虫夏草」摘発まで様々な目的で検問があり、縦割りお役所主義が徹底されているおかげ(笑)で、畑違いの違法行為にはまったく関心がなかったりする。


そういうわけで車に乗った際、ドライバーに「身分証はあるか」とは聞かれたんだけど、学生証を見せればそれでOK。とりあえず乗車拒否にはあわなかったのでした。


さあ、あとは

当たるも八卦当たらぬも八卦

やね。


嚢謙の町から検問所までは峠2つを超えた約3時間強の道のり。たぶん境界線は2つめの峠なんだろうけど、そんなとこで24時間張りつきたくないのはまったく理解できる人情というもの。


峠の下り路が終わったところにまず青海省の検問所。

まずドライバーと5人組のリーダー格が木造の小屋に入って約3分。ドライバーだけ戻ってきて、


「お前もいけ」


だって。
さあ、どうなんでしょう。

チベットに入るときにチベット側で見つかるんだったら理屈が通るんだけど、厳密に言えば青海省内を旅行する分には何の問題もないはずだから、出省も大丈夫かなぁとも思っていたんだけど、小屋の中に入ってみてなんか安心。


公安の方々、毛布にくるまり横になって、感動の大作「少林寺」のVCDをみてました。


さすがに学生証だけでは誤魔化しきれず、パスポートも提出。
ただ、聞かれるのは


「日本語で『ニーハオ』は何という」

「日本語で1から10までいってみろ」

「日本語の『バカ』は何の意味だ」


そのへんの老百姓(一般ピーポー)と何ら変わらず。
もちろん、約5分で無罪放免でしたよ。


その帰りしな、警察から移動許可証を返してもらえなかった5人組のリーダー格が

「次の検問でどうやって移動許可の証明すりゃいいんですか」

対して警官、

「チベット側の検問はないから安心しろ」


という会話を聞き逃さず、思わずガッツポーズなわたし。


実際、そこから1キロもないところにあったチベット側の検問所。建物だけは立派なコンクリ3階建てくらいなのに、人の気配はなし。ゲートも開けっ放し。



ただ、想定外だったのはそこからの道。車も見つかり、チベット入境も済んで、完全に気分がゆるんでしまっただけにその後類烏斉までが本当に長かった。


嚢謙ー類烏斉.jpg

◎参考写真2:とにかくこんな道をどんどん進んでいく。ずっと雨模様なんっすよ
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2006年05月26日

旅すりゃ何かに出会う




ホント最後?チベ旅9
玉樹ー嚢謙(ナンチェン)


昨日から青海省最南端に位置する嚢謙県までのバスがあるかないかでかなり汗をかかされてたんだけど、結局のところ路線バスはなし。今朝も午前7時から動き出した末、ようやくたどり着いたのがミニバン型タクシー。


バスターミナル前を午前9時出発したのでした。



玉樹と嚢謙の間には4000m級の峠が3つもある約180キロの道のりながら、道路状態はかなりよく、それこそ3時間半で到着。


お決まりの草原の風景、空を飛んでるかのような峠近くのハイウエーなんかもなかなか目を楽しませてくれたんだけど、本日の一等賞はやはり扎曲(ざちゅ=メコン上流)との感動の出会いでしょう。


景色の変化に気付いたのは、峡谷の底を川の流れに沿って蛇行しながら進んでいたとき。孫時は何となく、


デルゲ(四川省最西部)に入ったときと似たような光景だなあ


ってな感想だったんだけど、その後が全くの大違い。



いきなり視界が開けたかと思うと、広大な河原が現れて、その中心部を澄んだ流れが優しい音を立てながらせせらいでおりまして。


両岸にもそれほど高い山があるわけではなく、やはりこの光景の主人公はメコン以外になし。


雲南省維西あたりの深い青のすさまじい勢いでもなく、西双版納からベトナムまでに共通する性格まで東南アジアに売り渡してしまったかのような、ゆぅ〜ったりとした黄色い流れでもなし。


とにかく、全長4000kmを越えるメコンの流れの中でも、わたし的には最も感動しちゃった光景。


だからごめんなさい、写真撮るのも忘れるほど見とれてしまいました(謝)




ところで車内で隣りに座ったのが、青海民族学院で藏漢通訳を専攻、現在は嚢謙の小学校で先生をしているという20代後半風のチベ族男性。



普通語をしゃべれる人はわたしの中国語も理解してくれる人のようで、車窓の風景を色々解説してくれるから、まあありがたし。



「嚢謙県には72の寺院があってこれはチベットの中でも一番多いんだ」


「へぇ、そりゃまたなんでっすかねぇ」


「信仰心が一番あついからに違いないよ」



実際ガイドブックにもそれに似たようなことが書かれているわけで、素直にうなずくわたし。先生は町に入るちょい前で降りちゃったんだけど、


やはりそんなアツイ(篤い)んなら寺院に行くしかないな


と思ったわけ。



ところがどうよ。

地図もなく「におい」だけを頼りに歩き出し、探し出した町周辺の寺院3カ所。


結果3戦0勝3敗。いや3戦全部無効試合か。


2カ所は超大がかりな建築中で、もう一カ所は規模だけならたぶん前者とも引けを取らない大きさながら何故か建物だけがあるだけで、坊さんの姿もなし。


嚢謙.jpg

◎参考写真:こんな感じだから、ある意味、賑やかといえば賑やか(工事音で)



かろうじて町の中に巨大な仏塔とマニ車堂のある場所を見つけたんだけど、そこは確かに熱かったですよ。


直径2m高さ3mくらいはあろうかという巨大なマニ車の納められたマニ堂。

わたしもちょっくら回してみましょうかね、


と中に入ろうとしたんだけど、マニ車の周りにはすでに椅子を持ち込んで世間話をしながらぐるぐる回している地ピー高齢者たち8人ほどの姿。完全にいすに座った状態だから、そう広くないお堂の中、こっちが入り込む余地はなく車を回そうとしてもそれは無理な話。


っていうか、わたしの姿を見ても誰も譲ってくれるようなほほえましい動きもなく、


ヨソ者は入いってくんなよ


みたいな雰囲気まであったりして…


ところで、


一番最初に訪ねたゴンパの裏山、町を一望しようと200mくらい登って汗かいて、山頂では思わず上半身裸になって風に当たっていたら突然雷が鳴り出して、急いで山を下りる準備始めてもまったく間に合わずパーカーを思い切り濡らし、ところが20分でまた強烈な太陽が照り始めたもんだから、新聞紙をひいて草原にねていたらいつのまにか熟睡モードになって、目覚めたら、いつもは近寄っても逃げてしまうヤクが「目の上」まで近寄ってきてたりして、ちょっと嬉しくなりながらもその後近寄ってきた地元チベタン男(推定30才)が、「チャン、チャン」というんで、最初まったく何のことか分からず、「唱、唱(歌え、歌え)」なのかとのどに潤いを与えようとしたところ、何のことない「チエン(金くれ)」だってことが分かってにこやかに退席いただき、ガン乾きになったパーカーをまたはおり、2カ所目のゴンパへの道を歩き始めたのでした。


と、読んでる方は疲れるだけのような(笑)一連の小イベントも目白押しで、


期待したことがいい方にも悪い方にもとにかく裏切られ続ける


これはこれで旅の典型的な1日でしょうかね。
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2006年05月24日

アムド蔵族の芯の強さ




ホント最後?チベ旅7
西寧ータール寺ー西寧ー


「私がいくつだと思うかね。当ててみたまえ…」


「へぇっ?」
「えっ、うぅ、あのぅ…」


その声自体は中尾彬に似てるような気もしないこともないんだけど、顔つきは元関取「戦闘竜」そっくりのお坊さんと、酒の席にて知りたくもない女の子からに限って聞かれるような、こんなお茶目な会話。


もちろんここが某居酒屋チェーンの8人くらいで囲む座敷席なわけもなし。

チベット仏教最大宗派「ゲルク派」の6大寺院を訪ねるミニクエストの第2弾。本日の目的地は青海省にあるタール寺。


同派の開祖ツォンカパ大師の生まれた場所に建てられたお寺なだけに、他の5寺院とも違った趣きを期待していったんだけど、まず最初に驚いたのはその入場料。


あんた、一人80元って寺の入場料じゃないよ、まったく。


でもこれは学割半額でわたしの憤りも文字通り50%OFFに。ほんと昨年9月、一年間有効の学生証をくれた西南民族大学に感謝、感謝。



もちろん80元をぼったくるだけあってそれなりの場所には入らせてくれるもんで、チケットを見せることで参観可能な場所はタール(塔尓)寺の由来になった大きな塔があるお堂や大経殿など計11カ所。


でも入り口にもぎりのいない建物もあったりしていまいちその境界も分かりにくし。結局見て回った場所を記録していたら15カ所くらいはうろついた結果になっておりました。だから、まともに回ってりゃだれでも4時間くらいはかかるはず。



で、2番目の期待の裏切り方ってのが、参拝も最後の最後。「度母殿」という場所で参拝というか、見物をしていたときのこと。


せっかく高い金払ったんだし、そこにいた坊さんとも色々とおしゃべり。


「なんで緑度母なのに体が緑じゃないんっすか?」
「ホントにここは千体も度母菩薩がいるんっすか?」

とか真面目チックに質問してたのに、この戦闘竜チックな坊さん。


「日本人か?日本のどこだ」
「グアンダオ(広島)の近くか」


などなど日本に興味があるらしい。それはそれで日藏交流のお役に立てば、と話を合わせていると次第に質問も個人攻撃に。中国語はどこで学んだかとか、中国のどこに行ったことがあるか、なんて具合。そして


「お前は何歳だ?」


「へぇ、32になりました。まだこんな風に遊んでますが、ね。お坊さんの方はもうかなり修行されてるんでしょ?この寺にはおいくつの時から?」


と聞いたあとに出たのが冒頭のせりふ。


「私がいくつだと思うかね。当ててみたまえ…」


わたしの意図が正確にが伝わらなかったのか、坊さんの方にもちょっとくらい力業で強引だろうと、自分の年を私に聞いて貰いたいほど見た目とのブギャップがあって、しかも、そのギャップが自分としては誇らしいようなギャップだから聞き間違えのふりをしたのか。


とにかくそんな色んな想いが絡み合っての、わたしの



「へぇっ?」
「えっ、うぅ、あのぅ…」


というせりふだったわけ。



「29才ですか?」


「何をいっとる。もう40才だよ。お前のように髭は濃くないがな、はっはっ」



そりゃどうも。満足していただけたようで…



それはそうと、ここタール寺。写真撮影禁止の場所が多すぎ。上記の坊さん(戦闘竜)だってその警戒のために配置されていたのがたぶんホントの話。


しかも他の観光地と違い、場所ごとに違反したときの罰金が100元〜300元まで幅のあるところがまたリアル。


偶然というか何というか、わたしがカメラを手にするのは基本的にすべて周りに人のいないときばかり。だから意図的な「盗撮」なんて言う人がいたら、出るとこ出ることだけは勘弁してあげますからどうかお上にはご内密に。



タール寺.jpg

◎参考写真;これ全部寺の中で取った写真。これだけでしめて500元になりま〜す



それでもとにかく、ファインダー越しだろうと、直に目で見た物であろうと、色んな考えが思い浮かんでくるわけで、例えば建物。


屋根に瑠璃瓦が使われているのが半数近くあって、こうなるともう純粋チベット建築とは呼べず。

ゲルク派の場合、清朝皇帝から莫大な保護を受けて発展した歴史があるだけに、さらにはチベット「本土」と比較するとこのタール寺は下界に近い場所にあるだけに、その建築も見事なほどに藏漢折衷型。


分かりやすく言うと、これまでに承徳や五台山の「チベット風寺」で目にしてきた「煮え切らない」建築群たちとの再会。



もちろん今回の場合、それほどもどかしさを感じなくなったのは、自分がまたちょっとだけ大人の階段を上ったからなのか、フレンドリー(すぎる)お坊さんに出会ったからなのか。


いやいや、表面的な体裁にはこだわらないアムドチベット人のしたたかさを感じたから、というのが一番の理由みたい。


例えばこれだけ影響力の大きな寺だというのに、わたしが見つけただけでも例のお方の写真がちゃっかり3カ所ほどにまつられていたりする。


流れ作業的にやってくるツアー参加者たち、同行する現地チベット人ガイドがどんな風に説明しているのか、と興味深く聞いてみれば、


「ダライラマ14世もアムド地方の出身です」
「このタール寺にも滞在したことがあります」


と差し障りのない説明で…。

たぶん中国人たちだってもともと彼についての情報を知っているはずもないから、聞いたとしても「14世が今何歳か」くらい。大した意味を感じている風もなし。


それよりもチベット人がこの寺を訪れて「こうした写真」を目にした場合の衝撃はたぶん相当大きいものか、と。


そういえば、昨日のロンウォ・ゴンパでももっとやばい物がひっそりたたずんでいたりしたし、


「譲れないところは譲れない」


その心意気だけは十分に感じさせてもらったここ数日のチベ寺参観およびアムドチベット人観察でしたな。

それにしてもやっぱタールのアムドも金持ちやったよ、お布施置き場に100元札もちらほら。もう白旗ですわ。
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2006年05月23日

芸術が先か、金が先か




ホント最後?チベ旅6
夏河ー同仁ー西寧


イタリア・ルネサンスを支えたのはメディチ家。北山、東山文化も「将軍さま(by新右衛門さん)」のご意向あってのこと。

今の中国現代美術界だって小金持ち以上大金持ち未満の投機目的野郎どもが「芸術バブル」を盛り上げてるというし、とにかく何が言いたいのかというと、


芸術と銭は切っても切れない関係にある、


ってこと。


でも、ニワトリと卵論争と同じで、芸術と金のどちらが先にあったのか?


普通考えりゃ、芸術でしょうよ。


なんで唐突にこんなことをほざき始めたのにはわけがあって、本日バスで夏河から北西に約3時間半、とうとう青海省に足を踏み入れた同仁という町にある隆務寺(ロンウォ・ゴンパ)に参拝したから。


隆務寺自体700年以上の歴史をもつこの地域では中心的な寺院。周辺のゴマルやセンゲションには仏画師や彫刻家などが集まって暮らしており、チベット文化圏全域を見渡しても「レゴン芸術」という音に聞こえたブランド名をもつ芸術家密集エリアを形成。


この「レゴン」なんていう、槌音じゃなくてガムランの響きが聞こえてきそうな芸術の場合は間違いなく、卵(芸術家)よりも先にこの地域にお寺が密集していたからこそ絵師や工芸師、宮大工の需要が掘り起こされ、その技術を高めていったはず。


このようにわたしは本日、ロンウォ・ゴンパにてかなり「レベルの高いチベット芸術」に触れてみたはずなので、こんなことを考えなきゃ、と思ってみた次第。




で、実際に寺にたどり着いてみてまず一発目の感想は


700年の歴史をもつという割にその古さがまったく感じられない


というもの。理由は簡単で、建物自体もそこの壁画も、中の仏像などもすべてが「超新し物づくし」だっかたら。


それはやっぱり「例の時期」にことごとく被害を受けたからなのかもしれないんだけど、寺院のあちこちにクンドゥンの写真、さらにもっとやばいであろうニマ君の写真を飾ってあるような要領のよい寺なら当時の災難も要領よく逃れることもできたはずだし…。


とにかく、寺は昨日のラプラン寺にもそう引けを取らないくらいに広いというのに、どれもこれも「昨日完成したようにピカピカ」。



それこそ「レゴン芸術」のアーティストたちがその筆やのみをふるった結果だと言えるわけで、分厚く金箔の塗られた仏画やこれまでのチベット寺院ではほとんど見たことないような精巧な細工の施された柱なんかはかなり新鮮。



レゴン芸術.jpg

◎参考写真:あと、なんか迫力がありました。ありません?ありますよね



またしても坊さんたちにあまり中国語が通じないという「嬉し&もどかし」状況に出くわしてしまって、


「どの芸術家に発注するのか」「これも完全にお布施扱いで寺はまったく金を払わないのか」


など詳しいことを聞けなかったのが残念なところ。



ところで本日のテーマが芸術なのは分かったけど、どうして「金」をからめちゃったのか。別に「芸術と歴史」でも「芸術と人材育成」でもいいのに、ね。


実は、チベット寺院を参拝するときには日本のお寺にはない便利なシステムがあって、


「お布施を勝手に取って(×盗って)両替ができる」


たとえば「1元札を10角札10枚」といった具合。普通、寺の中に置かれた仏や菩薩、聖人たちの像の前にはだいたい小銭の札の山ができているんで、わたしもよく利用しておりました。



ところがこのロンウォ・ゴンパの場合、ほとんどのお堂でお布施の最低価格が1元札という超インフレお寺。


1角札をちょこちょこばらまこうと思ってたわたしのせこい心を見透かし、あざけるかのよう。

両替できずに固まってしまったわたしを尻目に、これまでの寺だったら手の届かないところに貼り付けてあるような10元札、20元札まで目の前に無造作に置かれていたりする。


ここの寺は参拝者も金持ちばかりなのか?
だからこそあんな新しいもんがバンバン作れんのか?


要するに嫉妬ですな。


これでいいんです。

芸術と金が切っても切れないように、文学とジェラシーもこれ以上ないカップリングで数千年の歴史を刻んでいるわけですから(笑)。
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2006年05月22日

何にびっくりしたって




ホント最後?チベ旅5
夏河(ラブラン寺)


それは最後まで読んでくれた人たちだけのお楽しみに取っておくとして、本日はこれまでの移動また移動の連続で疲れた○○、汚れた△△、たまった××のすべてを処理するため、夏河でじっくり休養デー。


問:上述の文にあるそれぞれの空欄に当てはまる言葉を答えなさい(制限時間3分)。


…さあて残り時間もわずか。


ちっ、ちっ、ちっ、ちっ、、、坊さんダ〜イブ!


はもう昨日の話。

 
そんなに長く引っ張るネタじゃないんで、答えは以下参照で。

百点回答=身体/衣服/日記
50点回答=精神/身体/性欲
0点回答=エスパー伊東/大人社会/少年ジャンプ



もちろん休養するとはいってもラブラン寺見学は当然の助動詞「べし」。



まずは午前中に出かけてみたんだけど、どうしたことかこのお寺さん。個人客の自由な参拝を許してくれないみたいで、坊さんがガイド役になって主要なお堂を案内、個人客もそれにくっついていくシステムになってるとのこと。


逆を言うと、お堂の中にさえ入らなければ敷地内を自由に歩き回れるし、チベット人の好きなお堂の周りを左回りにぐるぐる回る「コルラ」なんかは何百周しようが全くのフリーで、例え溶けてバターになったとしても誰に怒られることもないらしい。


つまりガイドと一緒に回るのは参拝じゃなく、純粋な「観光」って位置づけなんだろうね。一人40元。


ガイドには中国語と英語があるんだけど、英語の部(午前)はすでに終わっちゃったらしく、わたしも敷地内およびその周辺をぶらぶら散策。


ラブラン寺2.jpg

◎参考写真1:それだけで結構お腹いっぱいになってしまうのが聖地たる所以か



で午後3時。

英語をこなす坊さんガイドに連れらて寺周りを始めたのは、わたし以外にイギリスからやって来たバックパッカー女子2人。このうち一人はインド系の血がハーフかクオーターくらいのエスニック美人で更にインド人らしくなく超スリム。さらにさらに今回の旅では成都にも行ったというので、

「仲よくなっちゃおうかなぁ」


とわたしにしては珍しくお話に応じてたんだけど、


「四川の食べ物はだいたいOKだったけど、HOT POT(火鍋)はダメね。オー、ジーザス。あれを食べるのは人間じゃないわ」


といった時点でわたしの好気の糸はぷっつん。

チベット人ガイドには愛想よく「ツァンパは美味しいわね」というくせ、あの「鮮烈にして滋味あふれる辛さ、極限まで素材の味を生かした」味に対してなんたる暴言。


わたし的には固定観念に縛られることが大、大、大嫌いなことなんだけど、イギリス人が味覚音痴というのはやっぱりウソではないみたい。


っていうか美人の姉ちゃん、よぉ。


インドの血が入っとるんやったら、あれくらいの辛さ、意地でも


「甘すぎて食べられなかったわ」


くらいのことはも言わんかい(笑)。



で、ラブラン寺参拝はまだまだ続く。
合計でお堂や放物展示館など5カ所を参観。


文殊菩薩やゲルク派(チベット仏教最大宗派)創始者のツォンカパなどをまつった巨大像、本堂にも弥勒仏をまつった巨大像。やっぱこのラブラン寺、それなり以上のお寺であることは間違いなし。


更にその仏像たちの様子も、チベット自治区内ラサで見慣れたような珊瑚、トルコ石、琥珀バリバリの、例えるなら超とんこつラーメン風味とは対照的。宝石類は極めて少なく、更に表情も若干こちらの方が豊か(≒ぶさいく)に見えなくもなし。


ただ残念なことに坊さんガイドのマンツーマン。得意(!?)の隠し撮りもその機会を得るにいたらず、その特異なお姿は、わたしの心の中だけでしばらくは生き続けることになりそう。



もちろん、このラブラン寺のある夏河の町自体はそう簡単に忘れることはないはず。

ぜったいに…。


ということで、ここに来ましてようやく冒頭の「驚いたネタ」を披露。皆さんどうも、ここまでおつきあいありがとうございます。


2元拉面.jpg

◎参考写真:ますはご覧くだされ。これがわたしの驚き&感動の発生源


そう、なんてことはない蘭州ラーメン(牛肉面)。

実はここ最近のマイブームこそこの蘭州拉面だったりして、他の店に比べて客が多かったという何気ない理由でこの店「海香牛肉面館」に入ってみたんだけど、


やはり高度の影響、せっかくの手延ばしなのに万全の「こし」には至っていない
牛肉がホント申し訳程度。10円玉くらいの奴が数枚確認されたのみ

さらにはお茶を出さない、ニンニクの生片がテーブルにない


など、不満な点は多いんだけど、スープの美味しさがかなり上級者レベル。で実際のところは、


まあ合格点かな

という程度。


ところが「大将、お会計!」という段になって、


「2塊銭っ!」


と威勢のいいお言葉。
しばし信じられないわたし。


だってよ、ラーメン一杯が「2元(約28元)」って、どいうこと?


決してわんこそばみたいな一口サイズではなし。麺はだいたい3量(150グラム)はあろうかという堂々とした分量。


成都の場合、どんなに安い食堂で食べても牛肉面は最低3元。しかもこの店はメンからちゃんと手延ばしで作っている。


中国に初めてやってきた11年前でもあり得なかったような値段設定。客の側から


「本当にこれでやっていけるのか。もう少し払ってやろうか」


思わせてし待った時点でもう間違いなく店側の勝ち。みなさんもぜひ行っててみて下さいな。わざわざ2元のために、甘粛省の山奥まで、ね。
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2006年05月21日

坊さんダイブ警報発令




ホント最後?チベ旅4
若尓蓋ー合作ー夏河


大草原の大きな町、若尓蓋には夜の楽しみ「焼火考(シャオカオ)」がなかったんで、昨晩のビールのお相手はポテトチップス。こんな悲しい町に長居は無用と、さっそくながら町を離れることに。


若尓蓋バスターミナルから隣接する甘粛省へのバスは合作、臨夏行きの2路線あって、わたし的には「ミラレパラカン」で有名なツォェ・ゴンパ(合作寺)のある合作をチョイス。


やっぱ少しでもチベットの香りする方にたなびくのが「チベット☆OK牧場」というものでしょう。例えバスが


午前6時発!


でもね(悲)。普通の旅行者だったらルート路線変更すら考えちゃうような時間だよね。まあ、わたしは超朝型おじいちゃん体質なんで全然大丈夫なんだけど…


6時前のチェックアウトは宿の保安員を起こさなきゃいけないのがちょっと気の毒に思いつつ、正味滞在12時間弱の若尓蓋自体には何の未練もなくお別れ。

もう来ないだろうけど、次までには街角に香ばしい串焼きの匂いを漂わせておくれ


それが最後のメッセージやね。



さてさて、北上を続けるバス。

乗客は座席数の半分程度なんで快適かと思いきや、昨日とはうってかわって道路状況がso bad。峠らしい峠は一度だけでほとんどは草原を突っ切って走ってるんだけど、


「なんでわたしがやってきた今の時期じゃなきゃダメなんだ」


というくらい道路改修中。特に甘粛省との省境までが悲しいくらいで、対向車とすれ違うたびに路肩に一時停車、建設中の橋があるたびに迂回ルート、なんて具合にまったく平均スピードが上がらない。


じゃあ、甘粛省に入ればもう大丈夫なのか


というわけでもなく、省境を超えたのが出発約3時間後。標高は若尓蓋周辺と変わらないはずなのに、若干草原の起伏が激しくなったくらいなのに、周囲は一面の雪景色に。バス車内にも容赦なく寒気が入り込んできて、そりゃあ寒いは寒いは。


そりゃ確かにちょっとは北に上がってきたわけだけど、ここまで気温が変わるものなのかい。


相変わらず透き通った青色の空を眺めながらそんな愚痴もこぼしたくなるような甘粛省の第一印象。


でも、木々の緑と白銀が織りなす牧場の風景もまた初冬のアルプスみたいで、柄もなくロマンチックな気分に浸っていると、そんなときに限って、


「子どもは一人が最適。先進的な性教育を進めよう」
「少数民族は男子20才、女子18才から結婚できる」


なんていう超中国的なスローガンが目に入ってきたりして、見ないふりをするのが大変ですよ、まったく。



合作は若尓蓋よりも大草原にある大きな町。

ターミナル内にある荷物置き場にバックパックを預け、早速お寺参拝に。


北におよそ15分歩けば目的のミラレパラカンに到着したんだけど、まあ、確かに何ともでかい建物でした。

9階建てで、下の階から弥勒殿や菩薩殿などのほか、ゲルク派やサキャ派、ニンマ派など各宗派の仏殿もあって、最上階の9回には「喜楽金剛壇城」。


なんだか、成都なんかによくあるカラオケとか足マッサージとかお茶なんかが楽しめる総合娯楽施設みたいな名前だけど、そこにチベット密教の奥義が隠されているはずの場所。


実際お坊さんにそこには何があるのか聞きたいのは山々だったんだけど、チケットを買わずに参拝しちゃってたことがばれないように、だまって1階の弥勒殿を見物しただけでそそくさとミラレパラカンを後にしたわたし。


ツォェ・ゴンパには他にも色んなお堂があるんだけど、基本どのお堂にも鍵がかかっていて参拝できず。あと、相当のお堂や僧坊が例の時期に壊されちゃったようで、まだ半分廃虚のような状態。


だれか世界文化遺産に登録申請しないかな。これこそ「文化」の名にふさわしいでしょう


なんて思いながら、約1時間のゴンパ内散策。


合作寺jpg.jpg

◎参考写真1:ゴンパの全景を横からパチリ。中央右の建物がミラレパラカン



さてさて、ここで終わらないのが本日の旅日程。
再びバスターミナルに戻ると夏河行きのチケットを購入。


今回の旅のメーンテーマの一つに「ゲルク派メジャー寺参拝」という野望(笑)を掲げてて、夏河にはそのゲルク派6大寺に数えられる「ラブラン寺」があるため、絶対に避けては通れない場所。


合作からは頻繁にバスが出ていてしかもチケット9元、約2時間の小旅行。ほとんど寝ておりまして、途中何があるのかは知りません。とにかく午後4時すぎにらプラン寺の門前町「夏河」に到着していたのでした。


早速ホテルに荷物を降ろし、明日の正式参拝に備えて、ついでによる飯前の腹ごなしのため、散歩を兼ねたラブラン寺の偵察に。


すでに境内に入ったころ、どこからともなく大勢の男どもが騒ぎ立てる声が聞こえて来るではないですか。


何ごとか、とある敷地内に入ってみると巨大なテントの中には200人くらいはいようかという坊さんs。


遠くからはタダ騒いでるだけにしか聞こえなかった声も、実際には


「ちぇっ、ちぇっ」「ちぇっ、ちぇっ」


といってにぎわっております。


坊さんハッスル.jpg

◎参考写真2:この光景が何度も何度も繰り返されました。意味?…知りません


要するに、お盛んなロックバンドのライブ会場とかでよくある「ダイブ」ですな。

そんな光景を地元チベタンやわたしのように声にひかれてやって来た観光客、さらにはちょっと偉そう高僧チックな70,80才くらいのお坊さんまでほほえましそうに眺めていたりする。


これこそがゲルク派6大寺院につたわるなんかの極意なのか。

んな訳なかろうけど、楽しそうなんで楽しくないよりもいいんかな。

でも、はしゃぎすぎには気をつけようね


そう思った次第でした。
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2006年05月20日

本物の大草原に大感動




ホント最後?チベ旅3
成都ー若尓蓋


バファリンの半分は優しさでできています
天才は1%の才能と99%の努力から作られる


とするなら、わたしのライフワークになっちゃった「せこくどん欲な旅」の場合、そのちょうど中間地点。ほぼ80%くらいが「移動」の要素で構成されてるのが現実。


最大で6連休もいただけた(変な日本語)社会人時代や前回の「節操なしの旅」、また今回も同じ。とにかく先(お尻)の日程が決まった旅行だと、目的地に行くためには手段を選ばす。だから移動にはお金をかけるし、どっちにしろ現地でゆっくりとできないから移動の時間が旅の大半を占めてたってことも珍しくなかったりする。


そういうことで、きのうなぜ成都に戻ってきたのか?


早くも火鍋が恋しくなったのか。
メイニュウたちが恋しくなったのか。


残念ながら(何が?)、移動時間を何とか節約するため、というのが正解。



とにかく北上を続けなければならないわたしにとって、次の目的地は四川省最北部にある「若尓蓋(ゾルゲ)」という町。


日隆にて今後の方針決定を迫られていた昨日正午ごろを起点にすると、

  当日   2日目   3日目
→ 小金 → 馬尓康 → 若尓蓋
→ 成都 → 若尓蓋


というチャート図が成り立つというわけ。

四川省の交通機関はすべて成都が起点。たとえ距離的には遠回りになろうとも、効率を考えると断然後者に魅力があるわけで、恥ずかしながらもこっそり「2日目の出戻り」をしちゃったというのが実情。



でも、やっぱり大変は大変。


まずは朝の早さ。

若尓蓋行きバスは毎日午前6時半発と同7時発の2便があって、6時にはチェックアウトして切符を買いにいったんだけど、危うく7時の便でさえ売り切れカウントダウン残り10人くらいの状況。でもわたしより後の座席番号の乗客(=後に切符を買った)は3人くらいしかいなくて、


「あら?中国人も結構計画的なのね」

なんて感心しちゃったりもする。



で、もう一つ大変だったのがその移動距離。実は若尓蓋までは570キロはあろうかという長丁場。


なんだ、高速だったら6時間も必要ないじゃん


と思った輩よ。わたしの前で反省のヒンズースクワット1000回をお願いします。


チベット文化圏での旅の移動を計画するとき、白地図で旅行を想像してはなりません。
ちゃんと高低差の色分けされた地図を見てちょうだい。全行程のうちの約500キロは「茶色、しかも濃い茶色」のエリアになってるでしょ。つまり高速なんて最初の都江堰までの50キロ弱ということ。


わたしの乗った7時発のバス。いったい何時に若尓蓋着になるのか。



まあ、こんな移動は今回に始まったわけじゃなし。

だからこそわたしの旅の80%もの存在感を示しているわけで、移動中には乗客とのやりとりや車窓からの景色なんかを楽しんだり、一人じゃなきゃできないような考え事に浸れるのも当然重要な旅の一部。


米亜羅.jpg

◎参考写真1:これは昼飯休憩時に米亜羅付近で見つけた伝統的チベット族住居


ところでこの米亜羅は中国人にとって「中国で最も紅葉の美しい場所の一つ」と言われているらしく、確かに渓谷沿いには約10キロくらいに渡って、葉を青々と茂らせた落葉樹っぽい木々がびっしり。成都から6時間くらいかかっちゃう場所だけど、もし秋に時間がある人だったら1泊2日かけても行ってみる価値あるかも。


そんなことより、出発して6時間経ってもここは米亜羅。残り距離はまだ300キロほどあるってことはいったい到着、いつになるの?


と若干の不安も生じかけたんだけど、これがもう、あっと驚く急転直下。


馬尓康のちょっと手前、1年くらい前にできたらしいトンネルを抜けると、それまで延々続いていた峡谷沿いくねくね道、しかも道路工事も多発地帯、がウソみたい。

何キロか下りの道を走るとあとは一気に草原地帯。


しかも標高3000mの場所にこんな広い草原があっていいのか


と突っ込みたくなるくらいに見渡す限りの大草原。最高でも100mくらいの起伏がある程度で、当然その山(丘)も草に覆われているからのんびりとヤクがお食事を楽しんでいらっしゃったりする。


チベットの他のエリアでも広大な「荒れ地」は何度となく見たことあったんだけど、こんなに美しくて広い草原はテレビで見たモンゴルの草原くらい。


「チベット☆OK牧場」もこんなに「美しく」あらねばいけないのではないか


そんな思いにすら駆られるアムドの大草原。


おかげで道も最後まで平坦。平均速度もそれこそ高速道路なみにかっ飛ばすことができて、目的の若尓蓋には午後6時過ぎに到着したのでした。


若尓蓋.jpg

◎参考写真2:若尓蓋の丘の上から見た景色。こんな草原を駆け抜けました


明日はまた成都?
いえいえ、北上を続けますよ。
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2006年05月19日

2日目の宿泊場所は?




ホント最後?チベ旅2
四姑娘山ー日隆ー成都



やはり標高3400mでのテント&自炊をなめるもんじゃなし。


朝起きてみるとテントの外側には薄い氷の膜がびっしり。テントの中と外気温との差があるから凍ってしまうわけだし、その外気温も零下にならないと当然氷はできません。

昼間はあんなに温かい姿を見せておいて、夜になりゃ平気でマイナスですか。

こんな時、


やっぱチベットは富士山の8合目だなぁ


なんて思ったりしてしまう。


ところで、この氷を払い落とすのがつらいのなんのって。

すぐに手の感覚がなくなってしまい、息を吹きかけるだけじゃ何の慰めにもならず、何度指を直にくわえこんだことか。



でも、その寒さも睡眠を妨げるほどじゃなかったことを考えれば、まあよろし。もうひとつわたし的には耐えられなかったこと、それは朝ご飯。



昨晩はインスタントうどんを温めただけですませたんだけど、やはり「一日の計は朝食にあり」ということで、日本人の力の源、ご飯とみそ汁をいただくことに。


小型ガスストーブで炊くご飯は初めてだったんだけど、ようは鍋で炊くのと同じ要領。焦げたら火を止めればいい。



で、その通りにやりました。十分に蒸らしました。お待ち兼ねふたをあけました、


米炊けた.jpg

◎参考写真1:どうよ見てごらんよ。ちゃんと米粒も立ってるっしょ



やっぱ日本人は米と味噌汁だよ。ついでにのりたまふりかけちゃうけど…


なんて思いながら「かぷり」とひとくち。



…なんじゃこりゃぁ!


どの米粒もどの米粒も、芯は残っているのにその周辺部分は気持ちが悪いくらいに歯ごたえがなくなっている。こんなまずい食べ物は久しぶり。うまく炊けたと思っていただけにそのショックもでかかったということ。


原因は間違いなく気圧の状態。

気圧が低いせいで沸点も下がり、こんな「この世のものとは思えないご飯」が炊けてしまったわけ。これをクリアーするにはおそらく圧力鍋を使うしか方法がないはず。


うーん、せっかくこれからのチベットでは自炊@キャンプ生活も楽しんでやろうと思ってたのに、これじゃおいしいものはあまり食べれそうにないかもしれない。


そんなこんなで高地の影響はいろんなところに現れるんだってことを実感。高山病に適応できりゃいいだけじゃないのね、ほんと。



さて、もう帰ります。

だって山も見たし、十分歩いたし、野営もしたし。


ただ、帰るといっても誰かが迎えにきてくれるわけもなく、当然来た道を引き返すお仕事が待っておりまして、またてくてく。


四姑娘山最後jpg.jpg

◎参考写真2:凍えてた明け方が信じられないくらい今日も山はビューチフル



往路よりも若干ゆっくり目、約3時間かけて日隆までもどってきたの午前11時半。さっそくキップ売り場にてバスチケットを買おうとしたんだけど、


「バスは1日三本しかなくてどれも小金(日隆の更に奥約60キロ)が始発。そのうち2本はすでに日隆を通過済みで、残りの一本のチケットもすでに売り切れ」


と容赦ないお言葉。さらには、


「今日はここの宿に泊まれば。明日のチケットを手配してやるから」


という商売至上主義的な言葉を聞いたからには、否応なしに強烈な反骨感情が芽生え、どんなことをしてもこの「山しかないド田舎」を離れる決意をしたわたし。


実際に午後1時半、その日3本目のバスが日隆を通過。

定員オーバーを理由にいたいけな日本人旅行者に情けの一つもかけてもらえず、とういうことはほんとにヒッチを始めるしかない状況に追い込まれてしまいました。



ところが捨てる中国人あれば広う中国人あり。

運良く10分後には最大の難所、巴朗山峠を越えた先にある映秀鎮までいくミニバンが停車。車内に漂う白酒の匂いに堪え忍びながらの約5時間。


続いて映秀鎮からと都江堰からはともに交渉タクシーをゲット。


結局バス一本だったら70元のところをほぼ同額の75元。時間も7時間かかるところを午後10時前の到着だったから、まあ8時間程度。



で、あんたいったいどこに到着したのさ?


はい。成都です。
帰って来ちゃいました。

理由は明日の日記で説明しますから…。



とりあえず夜も遅いし、明日のこともあって旅のスタート地点でもあった茶店子バスターミナルに宿を取ることに。もちろん、なんか恥ずかしいから成都のみんなにはナイショ。



部屋にはベッドが4つ。
寝るだけなのに一泊50元。


どっかで見たことある造りだよなぁ。あっ、そうだ。塾長が腹痛でお世話になった西南民族大学医院の入院部屋にそっくりだ


これならよく寝れそうだ。




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2006年05月18日

チベットにて初テント




ホント最後?チベ旅1
成都ー日隆ー四姑娘山


早く成都を離れなきゃ、離れなきゃとばかり思いながらも、

はてさて、どこにいけばいいんだろう?


という状態が続いていたここ1週間。最終目的地は当然チベット方面。なら成都から手っ取り早いカム(西へ)かアバ(西北へ)のどっちか、でも、それ以外のおきて破りとして瑞麗(雲南省)にワープしてそっから北上、という手もありだよなぁ…

と浮気心も芽生えつつ。


だからね、火鍋のことばっか考えてたわけじゃないんっすよ、まったく。



で、成都の石羊場バスターミナルからカム最深部「玉樹(ジェクンド)」行きの寝台バス(隔日発、約350元)を見つけたときは、


もうこれっきゃない。やるっきゃない!


とナツカシのフレーズも浮かんだんだけど、窓口のおねえちゃん。


「バスが壊れてて復旧の見通しなし」


だって。


おとなしく、成都の西北(なんか聞きなれたフレーズ)、チベット文化圏では東北地方にあたる「アムド」地方から攻め入ることに決定したのでした。


相変わらず前置きが長すぎだよなあ(まず反省)。
この一年、何の成長もありゃしない(更に反省)。
いいじゃん、自分の日記なんだから(開き直り)。



アムドは中国の行政区分でいうなら四川省北部、甘粛省、青海省にまたがるエリア。これまで拙ブログでは九寨溝、黄龍が登場したくらい。


実際あまり縁のなかった地域なんだけど、「最後?のチベ旅」と銘打ったからには目をつぶってばかりもいられない、ということなのだよ。


アムド専用ターミナルといってもいいくらいたくさんのアムド行きバスが出ている成都の茶店子バスターミナル。


時刻表とにらめっこの末に購入したのが、5000〜6000m級の山が4つ連なる壮麗な姿と「東洋のアルプス」にたとえられる周囲の風景で中国人に大人気の観光スポット「四姑娘山」登山の出発点となる日隆行きチケット。


はい、ここまでが昨日までのお話。


それでも前置きを続けててたんかよ(また反省)。
この数分、何の成長もありゃしない(更に反省)。
いいじゃん、自分の日記なんだから(開き直り)。




ところでみなさん。とくに茶店子を使うみなさん。
このバスターミナルはとんでもない曲者です。


6時半とか7時とか、とにかく早朝発のバスがたくさんあるくせに、市内のはるか西北。外国人がよく泊まる安宿からだと公共バスでは始発でも間に合わないケース多し。やむなくタクシーを使うしかないからお気をつけて。


わたしが乗ったバスは日隆の先にある小金という町行きで、これが思った以上の長丁場。非高島ででも軽く7時間の行程。


というのは本日もルート上にはチベット文化圏に入るときのお決まり「峠越え」があって、今回超える巴朗山峠は標高約4300m。


だいたい1500mくらいはくねくねしながら上っていくんで、車に酔いやすい人は窓際に座って下さい。ただし、天気さえよければ峠から見る四姑娘山が4つの山々の全貌を見渡せる一番のポイントなんで、ぜひ窓際は右側にどうぞ(笑)。


四姑娘山.jpg

◎参考写真1:これが峠近くからの風景。まあ、美しいわ(娘風)。



四姑娘山には3つのトレッキングルートがあるらしく、わたしが選んだのは最も山の近くを歩くというルート。


日隆でバスを降りると早速客引きがよってきて、


「入場料を払わないですむ方法があるぞ。俺の車に乗っていけ」


だって。

これでもわたし、「極悪人のつくうそ」「チンピラのいうホント」の見分けくらいはつくつもりなんで、50元。このチンピラ君の言葉に乗って、車に乗って、トレッキングのスタート地点とされる「ラマ寺」に。チェックポストは本当に何事もなかったかのように通過しちゃいました。



さてさて、ここから先はもう本当に歩くだけ。


標高は3400m前後。金持ち中国人が馬を雇って遊歩道をさくさく進むなか、肩身の狭い思いをしながら道の端っこを歩く姿は1年半前の秋、四川省南部にある四川版シャングリラ「亜丁」をたずねたときとまったく同じ。


ただし今回は到着した時間が遅かったせいもあるのか、ラマ寺から約4キロ地点にある絶景ポイントより先に観光客の姿はほとんどなし。ときたま奥地まで散策を楽しんだ数人にすれ違うくらい。


ぶっちゃけちゃうと四姑娘山は「近すぎる」ためなのか、ほとんど見えず。ただ、綺麗な川のせせらぎとか、四姑娘山とは川をはさんで向かいにある山だとか、放牧されてる馬やヤクなんかを眺めるだけでも相当な満足感。



向かいの山.jpg
◎参考写真2:こんな景色がたくさんあるわけだし「アルプス」と名乗ってもOK



実をいうと、ガイドブックも読まずにただ四姑娘山という名前に引かれただけでここまできちゃったわたし。この先に何があるのか、どこまで行けばいいものか、などなど何も知らなかったりする。


1ヶ月間のラサ滞在のおかげか途中で息が切れることはなく、3時間ほどの間に歩いた距離は多分15キロ前後。ただ、さすがに夕方がだいぶ夜に近づいたころになると、リュックの重みも肩に染み入るようになり、本日のお休みポイントとなる川べりにテントを設置。



実はこれまでチャンスがあるようでまったく使う機会がなく、リュック内の粗大ゴミ状態だったテント。

この旅も中、後半戦にさしかかれば、つまり自治区内に入ってからは間違いなく「野宿」るしかないケースが出てくるだろうから、その準備という意味合いもあっての本日あえて「独り寝」。


日ごろだって独り寝なんだけど、しみじみ感じられるのは、


たぶん周囲数キロ圏内に誰ひとりいない自分だけの満足感。


途中でチベット人に薦めれて買った酒「大丈夫牌」(38度)がもどしそうになるくらいまずくてくじけそうになったけど、いつも口にしているネスカフェゴールドブレンドもアンデルセンのパンも舞台装置が変わればまったく違った味。


あとはサプリ系を使わずにどうビタミン類を摂るかが今後の課題だな


そう思いながら眠りについた夜でした。


posted by 牧場主 at 00:00| 北京 | Comment(0) | TrackBack(0) | またまた旅に出ました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月17日

またもやばっくれ宣言




いつのまにか成都滞在も一ヶ月超。


その間、


火鍋(含:串串香)4回
高級飲茶     3回
日本式焼肉    5回

誕生日     2回
どっきり    1回

そのほか日本式ラーメンやホテルバイキング、新疆拌麺などなど。生徒にて食べられるあらゆる美味を食べ尽くした気になりまして、お腹は限りなく満杯に近し。



さらには、「恋愛相談」だの「結婚」だの「男はマメであるべき」だの、「W杯まであと2○日」だの、とにかく下界にはわたしの心をかき乱すことがおおすぎっ。



久しぶりに何の混じりッ気もないチベットの空気が吸いたいなぁ



と思ったこともあって、一部読者にはごぶさた。暫時ばっくれ宣言をさせていただきます。



とりあえず明日の目的地は四姑娘山、2週間後の目的地はチベット自治区のラサ。その間は甘粛、青海両省をさまよう予定。



ブログの更新は滞ると思うんだけど、日記自体は毎日つけてるはずなんで、来るべき時にはチベット世界の横っ面を往復びんたするような激烈かつ思いやりに溢れたドキュメントがアップロードされるはず。



期待しないで、でも忘れないで待っておいて下さいな
posted by 牧場主 at 00:00| 北京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 他にもまだこんなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月16日

発表!火鍋隊日本代表




う〜ん、何とも壮観ですな。


現在は河北省保定に潜伏、2月にはどら息子などとタイの小島でバカンスを楽しんだ火鍋隊背番号「冬瓜」こと、KATO氏が久しぶりに成都に戻ってきたというんで、わたしに「部活」のお誘いがあったのが3日前。その後はあれよあれよの火鍋好き芋づる方式で、駆けつけたのは総勢10人。


四川大学西門近くから西に延びる領事館路、俗称「高級火鍋屋ストリート」にある「玉龍」が本日の活動の舞台。


「わたしユィロン(玉龍)に行きたいわ」

というmingxizi大姐のお言葉に逆らえるはずもありませんからね。



火鍋好きの集いなら当たり前なんだけど、参加者による全会一致決議によって運ばれてきたのは2つとも紅鍋。つい10日ほど前、火鍋愚弄隊の暴挙になすすべなかった状態(→http://itoyama.exblog.jp/2059080)から比べれば、ほんと


「報われない苦労はない」「やまない雨はない」「正義は勝つ」「最後に(火鍋)愛は勝つ」

だよね。


あっいけない、涙がこぼれそう。
っていうか、もう、うるうるかも(笑)。



そういやわれわれ新歓活動継続中。

せっかくなんでこいつら全て隊(チーム)に取り込んじゃいましょう、と大姐にお願いしてみんなの火鍋的好物を事情聴取。それぞれ勝手に与えた背番号は


ウインナー
鴨腸
エノキ
肥肉
根昆布
香菜
レンコン


これに白菜(わたし)、粉絲(mingxizi)、KATO氏(冬瓜)および本日は参加できなかった「豆腐干」を加えれば、まさに純日本人だけで構成された11人が勢揃いすることに。



そこで

祝!W杯日本代表決定

ということにあやかって、わたしら火鍋隊も急きょ、「炎のイレブン」(懐古主義)を発表しちゃいます。基本4−4−2のシステムなんだけど、フォントサイズの違いによる文字ずれずれなどはどうかご勘弁を。



   鴨腸    肥肉       FW

     ウインナー

  香菜     エノキ      MF
 
      粉絲 
        
白菜 レンコン 豆腐干 根昆布   DF

      冬瓜          GK


火鍋フィールド.jpg

◎参考写真1:ぐつぐつ煮えたぎる地獄のフィールドを縦横に駆け回るのが我々の使命


〈解説〉

攻撃陣は肉好きな面々で構成、その野獣のような攻撃性が期待される。若さと勢いにあふれる両トップに絶妙な球出しをするのはベテラン「ウインナー」。フランス代表ジダンよろしく変幻自在に攻撃のタクトをふるってもらおう。


中盤には「香菜」「エノキ」の中堅コンビをしたがえ、底に御座ましますmingxizi大姐。攻守の切り替えにはいつもこの人の姿。一年近い超遠距離恋愛で磨き上げられたロングフィードはピンポイント。自軍のピンチもいつの間にかチャンスに早変わり。


平均年齢若干高めの守備陣だが、その安定感は抜群。新人の右サイド「根昆布」には積極的なあがりを期待。世界のレフティー、おなじみ「白菜」の伝家の宝刀が煌めいたとき、フィールド上に軌跡が起きるかも(笑)。


ゴールマウスを守るのはプレイングマネージャー「冬瓜」。その一声で9人を集めた人望はゆるぎなく、安定感(安心感)も日系四川人内で比類するものなし。相手FWとの一対一があろうともそのトリッキーな動きで敵を翻弄、チームの窮地を救うのは間違いなし。


火鍋隊総登場.jpg

◎参考写真2:背番号「鴨腸」の前のめり方が何とも頼もしく得点王の期待も高まる



本番でのパフォーマンスを暗示するかのように、この日のウオームアップでは10人で食いも食ったり370数元。飲みも飲んだり雪花(精制)ビール約20本。

特に後半終了間近、両FWによる肉類の追加注文あたりは、古参隊員として「目からうろこ」な出来事。「これこそ勝ちにいける戦力だ」。そう感じましたね。




さて、玉龍スタジアムからおおくりしました本日の「日本代表発表イベント」実況生中継。そろそろお別れの時が来たようです。


解説のソンベン育夫さん、最後に一言。


「老若男女をバランスよく織り交ぜた今回の布陣。まさに世界レベルにあると思われます。はなくそ火鍋愚弄隊など論外。各国留学生代表チームを蹴散らすのはもちろんのこと、火鍋王国『成都』『重慶』の2強時代に終止符を打ち、『三国時代鼎立』のような展開、活躍を期待したいものです」



ありがとうございました

こちらこそ、どうもありがとうございました(大団円)
posted by 牧場主 at 12:48| 北京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 食い物、飲み物腹一杯 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月15日

美人秘書にも春が来た




「肉っ!」


とあるやんごとなき事情にて、先日の塾長的生日に参加できなかった民族大学日本語科4年生の美人秘書。


塾長もわたしも共々、とってもお世話になり続けてる姐さんなだけに、罪滅ぼし&日頃のご愛顧に応えるため、本日はお食事をご馳走するこにに。


「で、何が食べたいの?」


と尋ねてみれば、やっぱりのこの回答。

昨年12月16日の日記「美人秘書よ。お前もか」(→http://itoyama.seesaa.net/article/10765897.html)をご記憶の方も多いでしょう。


そうです。

春節(中国の旧正月)の際には豚や牛、鶏に飽きたらずに「ji3zi(ジイズ)」まで食べてしまう美人秘書。


「鹿 =「保護動物ね」「左足だけで200元もするね」
 几」


などなど名言も残してくれました。


昔だったら例の低いトーンで「肉が食べたいね」と言ってくるんだろうけど、就職内定後はずっと成都郊外の日系企業にて「研修」の名のもとほぼフルタイムで働いておりまして、日本語もだいぶこなれてました。

さらに久しぶりに出会ってみると、その身なりもOLのアフターファイブっぽい雰囲気で、何となくにあってらっしゃいます。



お腹の弱い塾長をかかえてるんで、四川人が喜んで食べるような「いろんな肉」を楽しめないのがちと残念なところ。また、忙しい美人秘書のスケジュールも考えて、民族大学から一環路を渡ってすぐ、例の高級焼肉店「牛牛福」に出かけることに。


チベットから成都に下りてきて以降、この一ヶ月でもう5回目。
やっぱうまいよ、ここは。


レモンで牛タンを食べられる幸せ。
「思い切った肉」でなくても十分な霜降りの牛さんたち。
それでいてビールはなぜか一本4元。


牛牛福.jpg

◎参考写真:これが日系四川人を魅了してやまない牛牛福の焼き肉たち



でも、本日のお話は美人秘書の近況レポート。


塾長的生日の話をできるだけ避ける必要もあって、こっちからどんどん質問攻め。


「会社の上司ってどんな人?」


「社長と副社長と部長の3人」


「社長さんたち中国語は分かるの?」


「もう中国5年だし、話せるね。家庭教師がいるから」


「それって若い美人教師だったりするの?」


「(にやり)…そうね」


「でも中国に単身赴任5年って大変だよね」


「一人でくらしてる訳ないでしょ(笑)」


「うわっほーい。あいや〜。ねえさんも大人になりましたね」


「でさ、職場の日本人たちはオヤジギャグとか言ってこないの?」


「毎日、『パンツ何色?』って聞かれるね」


「うわっほーい。それってギャグ通り越して直球ど真ん中のセクハラだよね」


「でも冗談って分かってますから(笑)」


「そんなときは『はいてません』って驚かせりゃいいんだよ」と言おうかと思いつつ、すんでのところ。セクハラど真ん中発言になりそうな自分に急ブレーキをかけるわたし。



という風に焼き肉屋にふさわしい会話を楽しんでたんだけど、「焼き肉屋に来るカップルはすでにかなり親しい間柄だ」という日本の常識を彼女にたたき込んでいたとき、美人秘書の方から



「先生(=塾長)、○○さん(=わたし)、わたしもとうとう彼氏ができたね」だって。


「ほう。そりゃめでたい。あれだけ塾長をじらしておいてその肩すかしぶり。さすが大人になりましたな。で、どんな人なの?」


「幼なじみ。子どもの頃から『お兄ちゃん』と呼んでいた人」


「で、何やってる人?何歳?」

「地方政府の旅遊局で働いてる。23歳。向こうから告白されました」


「またいいの捕まえたね。安泰じゃないですか。将来がっぽがっぽ金が入ってくるね」

「で、どういうプロポーズだったわけ?」


「私を幸せにする」
「家族を幸せにする」
「悪い人たちとは付き合わない」


だって。

くぅ〜。鳥肌が出るようですな。それにしても中国人って国家主席から美人女子大生まで「三個〜(3つの〜)」が好きだよなぁ。



ところで美人秘書には成都にも「弟」と称する年下の仲良さげな人物がおりました。

中国では血のつながりに関係なく、兄、弟、姉、妹と呼ぶ習慣があって、日本人にはとにかく面倒な限りなんだけど、わたし&塾長は美人秘書とその血のつながりのない「弟」がひっつくんじゃないかと思ってた時期があり、とうぜん


「じゃあ、『弟』はどうすんのさ」


と問題の核心にズバリ。



「それ、ホント困ってるね」

「…どうやって弟を傷つけないようにあきらめてもらうか。ずっと考えてるよ」

たって。


「完全無欠の三角関係じゃん」
「兄と弟から好かれるなんて、『タッチ』の南ちゃん状態だよ」(塾長)



「とにかく彼にどう打ち明けたらいいのか、分からないね」


「とにかくなるべく早いこと正直に話してあげなきゃ、どんどん大変なことになるよ」


「はい。がんばります(ちょい意味不明)」



こんな感じで接待ディナーは終了。

会計時、美人秘書にはど真ん中に命中すれば食事代がタダになる無料ダーツに挑戦してもらい、さすがに中心は外したものの、我々の身内では初めてダーツ版に突き刺すことができました。しかも刺さった先はラッキーセブン。


「来年には結婚するかも。彼のプロポーズに答えた『5月8日』かもしれないね。航空券送るからぜひ結婚式には来てね」


だって。最近、人の幸せに過剰な「拒否反応」を示すようになったわたしですから


「インドの住所にまでちゃんと招待状送れたら来てあげますよ。ふんっ」


と言って祝福してあげました。
posted by 牧場主 at 16:22| 北京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | いろんな交流してます | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月14日

マスチフ犬愛する方へ




喝采する者の姿なし 100万元はお流れ
全国初チベタンマスチフオークション
19頭のうち17頭は売れず


【5月14日=華西都市報】 昨日、各方面の関心を集めて全国初となるチベタンマスチフのオークションが開かれた。会場は多くの人出でにぎわったものの、60数人のオークション参加者たちの動きは鈍く、最終的に19頭のうち17頭は買い手がつかない状況に。価格があまりに高すぎだという声が大半を占めた。


∬熱狂!
記念撮影の嵐 チベタンマスチフは“スター”

午前9時、オークション会場につながる道路には数十メートルわたってベンツやフェラーリなどの高級車が連なり、歩道も行き交う人たちで大変賑やかな状態。彼らはすべて今回のオークションのためにやってきた人たち。会場には生後50日から2年というチベタンマスチフがあわせて19頭集まり、その周りには好奇の目で眺める観客の姿。「ちょっと写真とって!」。オシャレな洋服をまとったある女性は、となりのマスチフ犬にまったく畏れる様子もなくが満面の笑みでそう話していた。「私もお願い」「私も、私も」子どもたちもの多くも集まりだし、犬の周りは黒山の人だかりに。多くの人間に囲まれて犬たちももまったく落ち着いた様子で、飼育員によれば、生後4カ月に満たないチベタンマスチフは一般的に攻撃性を持たないという。


∬冷淡!
19頭のうち売れたのはたった2頭

オークションは11時30分にスタート。会場はオークション参加者といえど座りたくても席が見つからずに立ったままで参加することになるほどの混雑ぶり。はじめに登場したのは開始値がともに2万元(約30万円)から売り出された1号、2号の幼犬。150号と136号の競売人がそれぞれ20800元(31万2000円)と21200元(31万8000円)で順調に競り落とされた。


ところが後が続かず。3万元から始まった3号の幼犬、1万元からの4号は共にお流れに。約30分後、今回のオークションで一番の関心を集める、最も高値の「小金龍」が登場。競売人が高らかに「開始値100万元っ」と宣言すると、会場からは驚きの声が上がり、その高貴なお姿を一目見ようと、観客たちはどっとステージ近くに押し寄せたのだった。

この熱狂ぶりとは対照的にオークション参加者の方は至って冷静で、誰一人競りに応じる姿はなし。4分後、会場の期待を一身に集めたこの犬もまた、観客をがっかりさせる「お流れ」の場面を作るしかなかった。結局、オークション終了時、19頭のうち売れたのは2頭の幼犬だけという結果に終わった。


∬買い手:
値段高すぎて“買う気”になれず

「一匹の犬に100万元だって?ばかばかしい。フェラーリを買った方がましだよ」チベタンマスチフを愛する鄭さんは、マスチフ犬を好きであることに変わりはないが、この価格はまったく受け入れられない、とこぼした。「成都のどこにそんな値段を出せる人がいるんだ?幼犬で5000元くらいがちょうどいいよ」。ある関係者によれば、オークションの参加者には2種類あって、投機目的の人と純粋な愛好家。ただこの2種類の人たちの感想は今回のオークションの値段設定が高すぎるという点で一致。さらにマスチフ犬は莫大な飼育費が必要となるため、購入には慎重にならざるをえないという声も聞かれた。


∬売り方:
お流れ多く、目を覆うような損失

今回、大部分のマスチフ犬に買い手がつかず、主催者側はもはや呆然とした状態。ある関係者は、今回の犬はすべてチベット自治区から運んできたもので、現地での価格とは相当の差があるという。成犬一等を運んで来るにはおよそ4けたの輸送費が必要で、そのほかにも会場の費用、えさ代などの必要経費も。今回のオークション結果は主催者側に多大の損失を与えたようだ。


マスチフ展 360.jpg

◎参考写真:右のお犬さまが100万元でございます。ほしいかい?



【評】


我がブログ(元祖seesaa版)ではなぜがこの2日、チベタンマスチフブームが起きているようで、3月23日の日記「チベタンマスチフと私」(→http://itoyama.exblog.jp/1404504)が飛ぶようにアクセス数をあげております。


14日がページビュー21(訪問者21人)。さらに15日になってからは日本時間午後5時現在でページビュー33(訪問者31人)までカウントされてて、トップページの閲覧数をも上回りそうな勢い。


愛犬家の名かりた中国政府の新たな妨害工作か?


と思わなくもないんだけど、もしまるで宇宙のように広大なネット上の片隅にひっそりたたずむわたしの日記にまでたどり着き、ご熱心に何度も何度も何十度も読み返していただけるような、そんな強烈マスチフ好きがいるんだったら


きょうはその人のためだけに汗をかいてみようじゃないか


そう思って訳してみたのが本日の記事。

決してネタに困ったからじゃないからね。
引き出しは腐るほどあります(←中は空っぽ)。




さて、今の中国、資本主義諸国以上に拝金主義のご時世だから貴重なもの、珍しいものが全て投機対象になるのはしょうがないか、と思うんだけど、愛好家ならばチベタンマスチフを絶対に平地で飼ってほしくないし、飼うべきではないことは分かってほしいもんです。


やっぱチベタンマスチフはチベット高原をオオカミのように走り回ってなんぼ


でしょう。

そのどう猛な攻撃性も都会の生活では厄介者扱いされるだけ。むやみに噛みつかないように口にマスクをされたマスチフ犬なんてだれも見たくはありませぬ。



わたしのブログを見て下さってる熱烈マスチフ愛好者の方、今回はこんな感じですが、満足していただけたでしょうか?

犬ネタでよかったらほかに「るろけん売られていく」(→http://itoyama.seesaa.net/article/9328967.html)なんてのもありますんで、ご一読くだされば中国人の本性が分かっていただけると思いますよ(笑)。



さあて記事としては最後に「主催者側の無念さ」をちゃんと押さえてるあたりで、一応の仕事はこなしてます。うん、合格点。もう少し投機バブルに踊る中国人を皮肉ってくれれば最高評価だったんだけど★★★★☆。
posted by 牧場主 at 16:22| 北京 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | これは面白ニュース!? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月13日

母の日ネタで2紙比較




高齢者施設で5つ星ホテルの料理堪能
お年寄りに愛の贈り物 ブキャナンも大喜び


【5月13日=成都商報】 明日は母の日。成都市内にある五つ星ホテルの総支配人が自ら腕によりをかけて馳走をふるまった。母の日を2日後に控え、成都シェラトンホテルの新支配人蒲克南(ブキャナン?)さんが市内漿洗街轄区にある高齢者福祉施設を訪れ、その愛のプレゼントを贈った。


≫外国人支配人「ボーイ」料理プレゼント

ドイツ人のブキャナン支配人がホテルスタッフと共に漿洗街轄区にある敬老院(高齢者福祉施設)を訪れたのは昨日午前11時頃。そこで生活する34人のうち26人は女性で、平均年齢は83才。ブキャナンさんはほおえみながら中国語で「ニーハオ」とあいさつ。「老人樹(?)」の鉢を一人ひとりに手渡し、入所者の健康と長寿を祝った。

このとき施設の厨房からはすでにおいしそうな香りが…。シェラトンホテルのシェフ3人が高齢者のために豪華料理の準備を始めており、母の日のお祝いメニューは「竹孫蟹黄豆腐」「清蒸桂魚」「龍眼焼白」の3品。さらには牛肉スープもつけられた。

正午、ボーイ役になったブキャナンさんが手際よく入所者たちに配膳。さらに帽子をかぶってエプロンをしめ、ケーキを切り分けていた。84歳の王書華さんは、こんな経験をしたのは初めてだと興奮した様子。ブキャナンシャンは「間もなく母の日。ここの人たちにこんなに楽しんでもらい、自然に自分の母親のことが思い出されます」と話した。



≫新支配人はインド洋大津波を経験

ブキャナンさんが成都シェラトンの総支配人になってすでに3カ月。前任者のハンチントン支配人は深センシェラトンの総支配人に。

ブキャナンさんはかつてタイのアイメイ(艾美)ホテルの総支配人としてインド洋大津波を経験した。津波は同ホテルをさら地にするほどの被害をもたらしたものの、ブキャナンさんの適切な指示が功を奏して従業員は誰一人として被害が出なかった。

今回初めて中国で働くことになったブキャナンさんだが、「就任前に成都についてある調査を行った。その結果は非常に満足できるもので、この街は現代的な高層ビル、飛行場があるだけでなく、人々はとても友好的だということ。そして同僚もとても熱心」と語った。同僚の話によれば、見た目は厳しそうなブキャナンさんは実はバトミントンが好きで、ビールを飲みながらのサッカー観戦もお気に入り。今回のワールドカップでドイツチームが優勝できるかどうか質問してみたところ、笑いながら「何か問題あったっけ?当たり前ですよ」と答えたのだった。



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母の日 ドイツ人の“息子”が厨房から中国の“母”にプレゼント


【5月13日=華西都市報】 西湖牛肉羹、西芹百合炒蝦球、火倉炒小唐菜、そしてお手製のケーキ…。成都市漿洗街轄区にある高齢者福祉施設の80〜90歳のおばあちゃんたち20数人のは昨日、ドイツ人の“息子”から特別な母の日のプレゼントを受け取った。現在成都のある五つ星ホテルのブキャナン総支配人は手作りのケーキをプレゼントしただけでなく、中国の“ママ”たちのため、同行させたホテルのシェフ3人に現場で星級の料理を作ってあげたのだった。


「ママ、おいしいかい。母の日おめでとう」ドイツ人の“息子”、ブキャナンさんがそう優しく尋ねると、92才の徐士英おばあちゃんは目頭をあつくしながら、「本当に美味しいよ、こんな母の日の過ごし方はホントいいねぇ」と感動した様子。99才の付君恵さんはさらに喜びのあまり口がとじる暇もないほど。彼女の娘は遠く福建省で暮らしており、長いこと成都に戻ってはいないという。西洋人の口から「ママ」という声を聞くと、ことのほか驚いていた。


昨日西洋人のブキャナンさんはコック用の帽子と手袋をはめ、さらにエプロンをしめ、なれた手つきで自らケーキを制作。さらに80〜90歳の中国の“ママ”たち20数人に慌ただしく料理を運んだのだった。五つ星ホテルの味を中国の“ママ”たちに楽しんでもらおうと、総支配人の地位にあるドイツ人の“息子”は一週間前から準備をスタート、施設を通じて入所者の意見を訊ねたりキッチンの条件を確認するなどしてメニューを決めた。


中国の“ママ”たちが美味しそうに自分の作った料理を食べる姿を眺め、ついつい遠くドイツに暮らす母親のことを思い出したブキャナンさん。「母の日にはいつも料理とケーキを作ってあげていました。今日ドイツに帰って母親を祝ってやることはできませんが、こんなに多くの中国の“ママ”たちと一緒に彼女たちを祝うことができる。まるで実家に帰ったのと同じ感覚です」と話した。


ブキャナン.jpg

◎参考写真:かなり「かりあげ」なブキャナン。左が成都商報、右が華西都市報ね


【評】

同じ母の日ネタが成都のライバル紙2紙に同時掲載されたので、比較する意味で両方紹介してみました。


新聞記事って、同じ取材現場にいたとしてもそれぞれの記者の感性、ひらめき、聞き方、書き方によって色んな風に加工できてしまうものなんだけど、日本だったらここまでの違いが出てしまうようなネタではない、と思うのはわたしだけでしょうか(笑)。


ちょっとでも新聞に興味を持って読んでる人なら分かると思うんだけど、華西都市報が一般的なイベントありました原稿。気になったのは、なんで20数人をちゃんと数えないのか、くらい。


対して成都商報の方は、ブキャナン総支配人の人柄に焦点を当てて、インド洋大津波出の経験や日ごろの趣味のことまで紹介。さらに前任の支配人の名前まで出しちゃって。


おいおい、そこまで提灯もつか


と感じなくないところもなし。


だってホテル名が出ちゃえば、もろ企業(ホテル)の宣伝になっちゃうわけでしょ。
成都商報の記者はひょっとしてシェラトンに知り合いがいるんじゃないか。それとも今後同ホテルと仲よくおつきあいしたいんじゃないか。


それが、喜来登(シェラトン)ホテルの実名か、単なる「五星級飯店」かの違いになったのかもしれない。


新聞はもちろん実名報道が基本とはいいながら、素直になれない大人なもんですから「売名行為」というキーワードがちらちら。気分的には華西都市報サイドなわけね。



わたし的にはばあちゃんたちに食わせたメニューも気になるところ。

さすがにぎときとな洋食をふるまうこともなく、基本は中華。でもそのメニューは牛肉のスープ以外、「竹孫蟹黄豆腐」「清蒸桂魚」「龍眼焼白」の成都商報に対して、都市報は「西芹百合炒蝦球」「火倉炒小唐菜」。どうして同じ取材をしてこうなってしまうのか…


まあ、評価としては実名報道にちょっといやらしさにじます成都商報に★★☆☆☆。あまりの一般原稿ぶりにこれ以外の評価が見あたらない華西都市報に★★★☆☆。

posted by 牧場主 at 00:00| 北京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | これは面白ニュース!? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月12日

最初で最後民族大食堂




「中国と日本の関係は重慶火鍋に例えられると思います」

「ぐつぐつと煮えたぎる鍋の様子は発展する中国経済を象徴しているみたい」

「火鍋にはビールが欠かせませんが中国経済にも日本の存在が欠かせません」


今週土曜日に重慶市で開かれる中国西南地方の大学生を対象にした日本語スピーチコンテスト。西南民族大学からも日本語科の学生2人が参加、そのうちの一人にはちょくちょく飯食ったりだべったりしてる朝鮮族の3年生春ちゃんが選ばれました。


この日は本番直前の最終テスト。

塾長たち日本人教師2人に混じって、いったいどんなことを話すのか興味津々なわたしも急遽、その練習を覗かせてもらうことに。



冒頭に並べたのはその春ちゃんの演説内容。

スピーチコンテスト的には少々くだけすぎな感があるものの、開催都市である重慶の「ご当地ネタ」でウケを取ろうというこの狙い。

実は塾長のアイデアがだいぶまぶされておりまして、日ごろ「火鍋愚弄隊」として火鍋への罵詈雑言を並べ立てるあの男に火鍋を「ネタ」として使われたと思うと、内心忸怩たる思いがないわけじゃなし。



でも重慶大会を勝ち抜けば、相変わらず太っ腹な外務省さんの考えることは分かりません。全国大会はなぜか@東京。もちろん交通費は全部日本大使館もち。


「火鍋」をネタに東京行きの栄冠を手にしたならそれは火鍋隊冥利に尽きるというもの。ということで、わたしも場外乱闘は差し控え、愚弄隊とは一時停戦協定。



「ついつい、『おねえさん、ビールもう一本ね』と言いたくなってしまいます」

とか、

「というわけで、コンテストが終わったらみなさん、火鍋を食べにいきましょう」


真面目な内容をだいぶ削って以上のコメントを付け加えてもらうことにしました。もちろんちゃんとした日本語の修正もしてあげましたよ(笑)。



さあ、春ちゃん。重慶では火鍋隊背番号「泡菜(キムチ)」としてその実力を十分披露してきておくれっ!朗報を期待してます。



まあ昼前から、そんな火鍋のことばかり考えてたら当然お腹がぐうぐう鳴り始めちゃうわけで、胃袋は完全赤色カプサイチンモード。



昼ご飯は前日から三遊亭あほ陳に学食をゴチになることになってて学食前で待ち合わせ。

あほ陳については今さら多くを語らず。なぜか今もってアクセス数が減らない「マジボケレディー復活(→http://itoyama.seesaa.net/article/10326112.html)」を参照あれ。

そういや彼女には以前「ウサギの頭」をご馳走になりました。そんな女の子。




ところで先学期、丸4ヶ月間、この大学で学んだわたし。学食にはほんっと大変お世話になりま………………………、せんでした。


食堂めし=安かろう、まずかろう


という固定観念があるし、だいたいメシ時に押し寄せる一般学生と仲よく列に並んで、作り置きの肉系、野菜系メニューをぶっかけて飯を食う気にはとうていなれず。

学校の門を出ればいくらでも安メシ屋があるわけで、一食100円と学食50円だったら100円をえらぶのが社会人経験者というもの(意味不明)。



それでも今回あほ陳さんの誘いを受けたのは、久しぶりにアホな会話を楽しみたかったことと、「いちどくらい食っとかないと…」という思い出作りモード。


塾長と2人、あほ陳に連れて行かれたのは食堂2階。

これまで1階しか見たことがなかったんで知らなかったんだけど、この階には注文に応じて料理を作ってくれるコーナーもあって一品4元(60元)から。


お腹の弱い塾長はマイルドな糖酢里脊(酢豚)を、お腹が辛いわたしはどす黒い水煮牛肉をそれぞれ注文。共に6元もする食堂内で最も高価なメニューなんだけど、それでも大学周辺食堂の半額。


「安いからどんどんたのんで下さい」


と正直なあほ陳。「別にこれ以上いらないよ」と言ってたのにテーブルには結局、彼女のアレンジも加わって計5品。


食堂飯.jpg

◎参考写真:多分この昼学食で最も豪勢なテーブル。こげん食えるわけなかろ〜もん



重慶火鍋には及ばないものの「水煮牛肉」はやはり四川料理の代表格。惜しげもなく唐辛子と山椒をふりかけた外面に騙されちゃった塾長&あほ陳。一度も箸をつけることなく、頼みもしないのに水煮牛肉はわたしの独り占め状態。


肉料理と思わせておいて表面以外は全て安上がりなセリやネギ、モヤシ、レンコンなどの野菜類がぎっしり。汗もかけたしバランスよい食事もできたと一人満足。

旨いか、旨くないかではなく、辛いものが食べたいときに辛いものが食べられたことに満足したわたしでした。


しめて28元(約400円)。あほ陳、ゴチになったね。
posted by 牧場主 at 16:22| 北京 | Comment(0) | TrackBack(0) | 食い物、飲み物腹一杯 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月11日

石の上にも祝1周年!




ラサはやっぱり… 変わっていた



すべての人々を引きつけて止まない軽快な文章とその奥に潜む深淵なプロット。この名文句にて、ちょうど黎明期から発展期へ飛躍せんとする日本語ブログ界に颯爽と粋にクールにつや〜にシュワイに登場した「チベット☆OK牧場」。


2006年5月11日、スタートから一ちょうど周年を迎えました。




継続は力なり


ということで、時に1ヶ月近く更新を怠りつつも、何とか1日も欠かさずにネタを提供できた自分にまずはパチパチ。


継続は力なり

ということで、そんな三十路男の戯言に執念深く付き合ってくれている読者のみなさんにパチパチパチ、よっ、もひとつパチパチ。



こちらから宣伝してまで人に読ませるような内容じゃないと思ってるんで、あえて宣伝とかはしてないんだけど、読んで下さってる方はだいぶ増えちゃいました。

いつの間にかアクセス数は元祖seesaaブログ版が訪問者数1日平均200人前後、ページビュー同400人前後。さらに後発のexblog版も訪問者数同40人くらいあるわけで、かとチャンにならって



あんたらほンと、好きねぇ


といってやりたい気分。



お礼といってちゃなんだけど、ちょっぴり普通じゃない名前なのに、オヤジギャグを相手にされない中間管理職のように誰にも尋ねてもらえずさみしい思いをし、逆に聞かれたとしたらとても哲学的な意味があるのかと勘違いされるケースばかりで返答に困ってしまうような、ブログタイトルの由来でも紹介します。


あれは一年ちょい前の中国的ゴールデンウイーク。まだ北京語言大学で真面目に中国を勉強していたんだけど、長期休暇ということで四川省内の東チベット旅行をしてました。


どこまでも続く山道、峠道、標高3000〜4000mを上下左右にくねくね、くねくね。ヤクが草をはむ車窓からの景色を眺めながら



「中国語の勉強にも限界が見えたし、これまで勉強に使ってた時間を利用してブログでも始めようか」


なんて考え始めるともう後はあれよ、あれよ。



何はともあれ、食い物、飲み物は世界の中心。
中国語をどう学び、極めたのか、留学生活も書き留めねば。
こんなに多様な旅行資源に囲まれているんだから旅のことは外せんだろう。
中国新聞もその記事内容、記述内容あわせてアホらしさは日本輸出の必要あり。
中国人たちとの交流だっておもろいことがあるに違いない。



と、熟考のかけらもなく現在のカテゴリーが決定。



さあ、これだけ多岐にわたる内容。一言で表現できるタイトルを決めしょうか


その時やっぱり目に入ってきたのが、草原で草をはむヤクたち。お前らそんなものホントにうまいのか?


うん。

チベットの牧場だからチベット牧場。



が、笑いが足りない。


ならば、こうするしか…
天然の笑いの神様の力を借りよう。


チベットOK牧場



でもまだ、キレがない。
伝説の笑いの伝道師(画太郎)の力を借りよう。


チベット☆OK牧場



いったんこの名前が浮かんじゃうと、不思議なことに


「もうあなた以外は何も考えられないのっ!」


状態。すべての思考がストップしてしまい、そのまま今に至っちゃった次第。



もちろん、その後一年間の牧場生活を支えてくれたのはコメディアン顔負け、美人女優顔負け、中国人顔負けな登場人物の方々。



塾長、mingxizi大姐、ジエジュンジュさん、美人秘書、三遊亭アホ陳、レンイエン&燕ちゃん、塾長的女朋友、火鍋隊(大王)、同(丞相)、同(西家)、炎のカンパ教師レンチンワンジャ、母親&弟(ともに仮称)、石川のどら息子、シャンフイシャオ、yashizi、漫漫来新店長…



とにかくOK牧場は色んな人物が集まり語らい、交差していくキャラのワンダーランド。みなさんあっての楽しい牧場でございます。



ときに

seesaaブログの中国内アクセス禁止(継続中)、西藏大学入学拒否などなど、単なる日記のアップロードの方法から今後の人生設計まで色んな「変更」を迫られる経験をして、


やっぱこの国との相性悪いのかな、嫌われてるのかな


と思うこともあったんだけど、ネタになりさえすれば


いつでも何でもOK牧場!


この精神でいけば大丈夫でしょうよ。

みなさん、今後ともどうぞよろしゅう、もうちょっとくらいおつきあいください。



祝一年.jpg

◎参考写真:別に怒ってるわけじゃないよ。恥ずかしがり屋なので露出はここまでで
posted by 牧場主 at 00:00| 北京 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | ちょっと思ったこと。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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