2005年08月31日

新しい顔も当然毛さま



人民幣「ハイグレードバージョン」今日登場
偽札防止技術向上、1999年版紙幣と同時流通
2005年版第5式紙幣


【31日=華西都市報】

中国中央銀行は昨日(30日)国務院の批准を経て、2005年度版第5式の人民幣100元、50元、20元、10元、5元の各紙幣と一角硬貨を本日から発行・流通させる、と発表した。この第5式人民幣で注目すべきは、単なる新紙幣発行ということだけではなく、印刷技術と偽札防止の面においても改善と進歩が見られるということで、2005年にグレードアップした人民幣ということから「2005年度版第5式人民幣」と名付けられた。現在流通している第5式人民幣はおおよそ1999年式のもので「1999年度版人民幣」と呼ばれている。中央銀行によれば、2005年度版発行以降も1999年度版をあわせて流通させるという。


中央銀行貨幣金銀局の葉英男局長は30日、このたびの2005年度版発行は、偽札予防対策を急務としているもので、「両替率(元の切り上げ)問題とは全くの無関係」と明確に表明した。


同行広報担当者によれば、2005年度版と1999年度版を比較した場合、主に4つの改善点がある。1/全体的な印刷技術の向上2/総合的な偽造防止策の向上3/人民幣の国際化に適応するため、各紙幣の裏面主要デザインの下に中国語の発音記号による「YUAN」を表記4/偽造防止と機械での読み取りを可能にするため、一角硬貨をアルミニウム合金からさびない材質に変更した。


さて、成都市民は今日からこの「レベルアップ紙幣」を手にすることができるのだろうか?本紙が各銀行に「もう新紙幣のサンプル版を目にしたのか」と問い合わせたところ、建設銀行のある責任者は「関係資料はすぐにわれわれの手元に届いたし、この2005年度版の新紙幣の特性と偽造防止の特徴を理解させるべく、担当職員への教育も既に行った」と回答した。この責任者はさらに訓練時の感想として、「2005年度版紙幣は偽造防止のため多くの新技術を用いており、一般市民でも安心して使えるほど真贋の判断がより容易になった」と話した。


人民銀行成都分行のある担当者は、2005年度版新紙幣はすぐに市民の目にも触れるようになると説明。一般的な銀行業務の流れに沿えば、市内の各銀行はまず人民銀行成都分行に新紙幣を受け取りに行く必要があり、それから下部の各支店や備蓄所などに新紙幣が回される。その間は「おおよそ1日か2日」。ということはつまり、一般市民も今日かもしくは明日にも新紙幣にお目にかかることができそうだ。



【評】


新紙幣の発行日に発表する。


これが中国では普通なんでしょうね。


それとも、日本のように発行の何ヶ月も前からデザインが決まっただの、新紙幣はこういう特徴があるだの、そんなことが公にされる国の方がじつは普通じゃなかったりするんでしょうか。


先の一年の大半を中国ですごしたわたしにとって、一時帰国中にようやく英世さんと一葉さんたちの新紙幣にお目にかかったわけですが、やはりなかなか慣れないもんです。



それが中国だと良いですよね。毛さま以上の方はいないわけですから。
ひょっとしてそのうち、中華民族意識の高揚のため、伝説の紅帝、黄帝さんたちの登場はあるのかもしれませんが。


ところで、この新紙幣当日発表。
偽造防止が一番優先されるのであれば、確かにうなずけます。


それくらい紙幣偽造は身近なお話。


スーパーのレジなんかで店員と客が「これは偽札だ」「いや違う」などと言い合うのは当たり前の風景。もし「つかまされた!」と思っても、夜の暗いところで使えば大丈夫だからなんていう「さばけた考え」の日本人なんかもいたりして、本当に珍しくない存在なんです。


でもそれは、あくまで人と人とのやりとりが基本だったこれまでの時代だから続いてきたこと。


たとえば現金読み取り機とかは大丈夫なのだろうか。


偽造防止にかけては世界でもトップレベルとされる紙幣技術のおかげで、かつて日本では偽札の話はほとんど聞きませんでした。


ところが10年くらい前、500円硬貨と形や大きさの似た韓国の500ウォン硬貨が、重さ調節のためにボコボコと穴をあけられ、自動販売機から大量に見つかるという事件が世間を騒がせました。


そして最近では、もちろん見た目では一目瞭然なんだけど、自動販売機やATMの読み取り技術の盲点をついた千円札を使った事件が全国各地で絶え間なく聞かれます。


中国でも自動販売機はまだそれほどありませんが、銀行のATMなんかはどの町でも普通に使われてます。

偽造を防ぐために高度な技術を使うのであれば、それを読み取らせる側の対策も必要となって当然事前に何らかの発表が求められるようになるのは必然。今のような発表、流通のさせ方が、徐々に通用しない時代が近づいているのではないでしょうか。



ところで「ハイグレードバージョン紙幣」などと、見出し的にはよろしくない長ったらしい名前をつけちゃいましたが、原文だと「昇級版」。一緒に漫画喫茶でだべっていた日本語堪能中国人に聞いても要領を得ずに、こんな訳になっちゃいました。その点はご勘弁を★★★☆☆
posted by 牧場主 at 13:07| 北京 | Comment(0) | TrackBack(0) | これは面白ニュース!? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月30日

流浪の果て行き着くは



都合4日間。注文通り6・4・3の「沈没生活」。
行動範囲はネイザンロード沿いに旺角から重慶マンションまで。


重慶マンションより南には行きませんでした。
だから、100万ドルの夜景にも届かず。



う〜ん残念。

しなきゃいけないことは全部このエリアでOKなんですから(侍風)。



香港でしか食えない物は別に香港全土を回らなくても十分に食えます。

スターフェリーで渡った香港島側にあるという日本のご当地ラーメンをそろえた「ラーメン博物館」的施設には、ちょっとだけそそられましたが、日本離れてまだ約半月ということでのどから手が出るほどのことはなし。


わたし的には新聞とビールさえおいてりゃそれでいいコンビニも十数メートルおきにはあるような密集具合。



で、ビザの手配は宿の管理人任せ。

有効期限半年で出入国回数無制限の訪問(F)ビザがHK$550。
  〃 一年で        〃       がHK$900。

わたしは後者を選択。



大陸に戻る足の確保は重慶M向かいの中国旅行社。


香港空港発だとバカ高いんで、一度国境を越えて深セン空港から飛ぶ航空券を購入。さらに来たときとは違うルートで大陸に入ろうと、高速フェリーのチケット(HK$110)も。



ですから高速フェリー「ターボ・ジェット」に乗りました。午前9時発。


博多と韓国・釜山を約3時間で結ぶ高速船「ビートル」のように浮き上がるやつではありませんが、席の配置なんかは若干にてるかも。一番広くて横14席。前後は29席。


2階にはファーストクラスもあるそうで。定員約300人なんですが乗船率4割5分といったところ。定価HK$189を割り引いて買えたわけが分かりました。


幸いなことに席は一番右側。
船は海岸線沿いに目的地に向かってるんで、ずっと陸地の様子が見えます。



いわゆる繁華街は出航後すぐ終わり。何をこんなに積み込むのかと思うほど交通渋滞一歩手前のコンテナターミナル、ついで地震がゆられても台風に吹かれてもぽきっと折れそうなほどの高層マンション群。そして緑の山々しかなくなりました。


たぶんこの辺が国境なのかな


そう思ってたらスピードを緩める「ターボ・ジェット」。そう、客が多くても少なくてもほぼ公言通りの1時間。深セン港に到着の模様。動力は機械でも極めて順風満帆。



ちょっとだけ心配なことがあってね、やっぱり1年マルチってちょっと気になってたんですよ。なんか入国でいちゃもんつけられるんじゃないかって。



でも大丈夫だった。


そしてその分まで思いっきり税関でやられた。


イスラエルからトルコまで飛んだとき。テルアビブの空港で、しっかりと取り調べられて以来。

しかも職員2人から同じ質問。少しでも回答内容が食い違う点を見つけてはねちりとさらに深く聞いてくる執拗さ。荷物はすべてオープン、さらには断りもなくカメラから使用中のフイルムを取り出し(当然写した写真はパー)、このときばかりは出発2時間前には空港ついててよかった。

取り調べが遅れたから出発を待ってくれるような雰囲気はみじんもありませんでした。


それでも、あの時は日本赤軍が銃を乱射して多数の場所を出した場所だし、飛行機搭乗前だから万が一にも危険物を持ち込ませるとやばいから、「仕方ないか」だったんですが、今回はどういう事なんだ。深センの公安さん(男40半ば)よ。


わたしの前にいた約100人の乗客はすべて検査台をスルーパス。
一応仕事をしているというふりをするため、今回は最後にやってきた小汚いバックパック野郎にターゲットを定めたというのではあまりにも短絡的。


よりによって「リュックの一番下にあるのはなんだ」なんて面倒な質問してくださるから、全部取り出さなきゃならなくなったではありませんか。


確かに何かいけない物を持ち込むんだったら一番下に隠すのは一つの手かもしれませんが、あなたが少しでもリュックを背負う旅の経験者だったらこんな質問しないはず。緻密に計算されたこのパッキングを一度ばらしてしまうのが、どれほど面倒になるのかをおもんぱかってくれるはず。



ところが!!

リュックの最深部にあったのは、中国的毒物やムフフなあれ。

なんてこったい。

鬼の首を取ったかのような公安オヤジ。
うなだれたまま、しょっ引かれるわたし。


では、ありません。とうぜん。


日本で買ったまっとうなシステムディスクや暇つぶし用プレステソフト。それに寝袋というケチのつけようがない品々ばかり。


「いってもいいぞ」


そう話すと、再び検査台の上で荷造りを始める私を尻目に、オヤジの方がさっさとどっかに行っちゃいました。一人取り残され、検査機械にいたずらしちゃうぞ、と茶目っ気すら芽生えそう。


今回の中国もやっぱり公安さんたちとは相性悪いんだろうな


そう思わせるに十分な旅の始まりでしたね。



深セン空港までは無料バスで5分。空港内到着ロビーのマックは無線LANがタダで使え、それで完全に幸せ感を取り戻したわたしでした。



言い忘れましたが、乗った飛行機は成都行きです。
「やっぱそこか」なんて声があちらこちらから。


すべては聞こえないふりです。

posted by 牧場主 at 16:35| 北京 | Comment(0) | TrackBack(0) | 他にもまだこんなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月29日

自治区40周年ですって




ラサは誕生日パーティーの準備中

【30日=South China Morning Post】


◎北京発各通信社情報まとめ チベット地方政府の成立40周年を祝う式典の準備が昨日行われた。


国営放送が伝えたところでは、中国人民政治協商会議の賈慶林主席はチベット自治区成立を祝う記念の日を前に、代表団を引き連れてラサを訪問した。


木曜日夜に全中国に放映される式典のリハーサルに余念がない着飾った歌い手や踊り手たちの姿もあわせて伝えた。


ある地元政府関係者は賈主席の他にも、チベット仏教界ではダライ・ラマに次ぐ地位にあるパンチェン・ラマ11世も当日の来賓に含まれるだろうとの見方を示した。


北京政府はダライ・ラマが1995年、パンチェン・ラマの転成として認めたチョエキ・ニマではなく、ギャルツェン・ノルブという名の少年(現在15歳)を転成ラマとして認定。一方で、ニマ少年は十数年間に渡って失踪状態にあり、この件について北京政府はニマ少年が「過程で幸せに暮らしている」との主張を続けている。



先週金曜日に開かれた会議で胡錦涛国家主席は、チベットの安定性を保つことの重要性に賛同の意を示した。


新華社通信によると、この会議では「チベット自治区の情勢は中国国家の統合と安定に『深刻な影響』を与えうることが強調された」と説明。


また、チベットはさらなる発展が求められる一方で、地域独自の「現実的な状況」にあわせることを優先する事の重要性、「エネルギー保護と自然保護」の観点も考慮することの必要性にも言及。チベットは、宗教的な活動においても「分裂主義的で破壊的な運動」には毅然とした態度をとり続ける必要がある、とした。


新華社は「チベットが長く平和と繁栄を享受し、人々の生活水準が安定的に上昇するため、開発と安定という二つの重要事項を適切に扱う必要がある」と論評。



北京政府によるチベット統治は、常に政府が人権の侵害と抑圧を続けていると主張する海外の活動家の批判に晒されている。


国連における犯罪者への拷問問題に取り組む専門家、マンフレッド・ノワックは11月に中国大陸を訪れて拷問の状況についての報告の事実関係を確かめるために収容施設などを視察する予定で、調査の間にはチベットも訪れることになっている。


AP通信、AFP通信、新華社通信

◎写真説明:木曜日のチベット自治区40周年記念式典に向けてポタラ宮前でリハーサルを行う僧侶たち/式典参加のためにラサを訪れた国家人民議会常任委員会のライディ副議長を迎えるチベット族の女性




【評】

さあて、これですよ。

前代未聞ではないでしょうが、西藏大学入学拒否事件の背景。
少なくとも主要な原因の一つにはなっているはずです。間違いなく


この40周年式典と国連査察官の収容所視察が、ね。


一般旅行者のチベット入域も厳しくなっていると聞いてますんで、被害者はわたしというより、チベットに向かおうとするまっとうな外国人すべてといってもいいんじゃないでしょうか。


そこまで心が狭い人たちではないと思ってたんですが、実際に心が狭い人たちだった大学の人たちには確かめるまでもない話です。


状況は状況で、向こうさんの立場を理解できない訳じゃないんだけれど、8月20日も過ぎて、しかもこっちの何回目かの問い合わせにようやくメールで返事を送ってくるなんて、さらに一般PCでは文字化けで読めなかったりするなんて、仁義の道から外れてます。



さてこの記事一本を読んだだけですが、香港のチベット報道の基本はさすがに中国の「完全な一部」ということで、台湾ほどあからさまではなし。今のところ中立というか、そうであることをPRするのが一番大切であると言わんかのように、国内と海外の論調を両論併記している、そんな立場のようです。


大陸(中国本土)の新聞でも、「本紙総合報道」みたいな形で、各通信社の原稿を切り貼りして記事を作り上げるということはよくおめにかかります。

でも、さすがに人の土俵で相撲を取るのは恥ずかしいのか、彼の国のプライドが許さないのか、どこのをどう使ったのかなんてのは分からず終い。

それが香港の場合、そのネタ元をきちんと原稿の最後に掲載しているあたりも、それが当然といや当然なんですが、逆にちょっと「リベラルさ」を装っているみたいで嫌らしさを感じてしまいます。


まあそれでも、「世界最年少の政治犯』と呼ばれ、失踪したままとなっているニマ少年のことなんてのは大陸の新聞やテレビでは絶対にお目にかかれない話ですから、そのくだりを実際に記事で見るだけでもやっぱり新鮮な感想を持ちました。



「中国政府は外国人のチベット入域の制限を強めている。特に留学希望者の前途ある希望と未来をつぶしてまで」なんてことまで触れていた日には、もう間違いなく私情を挟んで五つ星だったのですが、まあ北京への毒も一応は忘れていたなかったということで★★★★☆
posted by 牧場主 at 16:32| 北京 | Comment(0) | TrackBack(0) | これは面白ニュース!? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月28日

在香港的我生日快楽!




今日は誕生日


32才になりました。

四捨五入すれば25才の人たちと同(30歳)という計算も可能です。


今まで生きてきた中で一番、これから先一年の見通しが立たないままで迎える誕生日として後世に記録されることになりましょう。




さて、この誕生日。

大した不満ではないのですが、非情に時期が悪いんです。


そう。夏休みの終わり。



小学校の頃まではまあ、お友だちを招いて誕生パーティーなんかも家で開いてもらってました。


でも、中学に入ってからは校区外に出たため、同級生の家は各地域にバラバラ。とうぜん宴は消滅。


大学生となって東京に出てからも、長期休みは寸暇を惜しんで海外をうろついてたんでこれまた×。


就職してからは、「誕生日だし、さあ飲もうか」なんて思ったらすでに日付変更線が超えていてやる気が萎えてしまったことも…。


中国留学してからも、9月の新学期前と言うことで知り合いは日本帰国組、中国国内旅行組がほとんど。



要するに20年間も誕生日らしい誕生日を祝ってもらってない寂しい男なんです(笑)。



で、今回は香港。
ラッキーハウス。


無駄話する友だちはできました。
一緒に飯を食いに行く友だちもできました。

でもまだ来て2日目。
はたから見れば30を過ぎたような渋い大人。


「俺きょう誕生日。祝って」


とはいえません。
でも寂しく過ごすのもなんなので、三食とも彼らと楽しく食事することを密かに決定。



朝ご飯は宿近くの食堂で飲茶。エビ焼売、豚肉団子最高。香りも味豊かなプーアル茶も久しぶりで、


香港飲茶.jpg

◎写真説明:こんなオヤジたちも日がな飲茶ってます。わたしら粘り負け



昼は近くの弁当屋から珈哩牛肉。日本語訳すれば(ビーフカレー)なんだけど、ココナッツミルクを使った東南アジア風味で、唐辛子のきかせ方なんかもかなりタイ料理チック。デザートのマンゴープリンも肉厚で、カレーでほてった口内を静めてくれるまさにデザートの本道を行く味わいでした。


最後は重慶マンションでインド料理。客引きたちの間をすり抜け、五回までエレベーターで上って、次は階段で4階に降りて(エレベーター停止は奇数階のみ)。まさに現代の立体迷路たる重慶マンションをさまよったすえに味わったマトンカリーとベジタブルマサラ。もっと辛いのがよかったけれど、人と一緒じゃわがままは言えません。


そして消灯時間までは宿のだべりスペース。

ビールは2本でほどほどに。



我的生日。

陶芸家や投資家、ゲイ(バイ?)などなど相変わらず多人種が集まる宿の住人たちと、下らない話をしながら、香港的うまいもんを堪能したから、まっいいか。

posted by 牧場主 at 16:25| 北京 | Comment(0) | TrackBack(0) | ちょっと思ったこと。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月27日

今度は南へと2100キロ




留学や旅行、ビジネスなど正式な理由でビザを取得しなかった場合、中国に滞在できるのは15日間。


台湾旅行以降、ばたばたとした日々を送っていたわたしはこのノービザ状態で入国してたんで、本日が最後の一日。時限となってしまいます。


今でも相当デンジャラスな存在なのに、これ以上中国に滞在しちゃうと本当に違法な状態になってしまうってこと。



とにもかくにも「出て行け」と怒られる前に自主的な出国が必要なんですが、今後のこともあるから遠くへ行くと逆に戻るのが面倒。日本帰国なんてもってのほか。で、選んだのは南へ下る道。


香港への一時避難。租界です(笑)。



ズーシュンさんを午前8時半発の中国国際航空機で福岡へ送り出し後、わたしもそのまま北京空港で香港の北にある深セン行き便の搭乗手続き。



いつまでになるかは分かりませんが、とりあえず北京とはお別れです。
前にも同じようなことをちょっと感傷的っぽく書いたんですが、うーん本当に次の上京はいつになることやら。



中国南方航空便は8時45分発。
機内アナウンスによれば、飛行時間は2時間50分。
昨日は大陸を西から東に2200キロの移動だったけど、今日はその大移動の締めとして北から南に2100キロの移動になる。


つくづく今回はよく飛行機を利用してます。
おかげで半月の間に中国大陸を端から端までかなり舐めまわすことができました。




昔はどうしようもなく広いイメージがあったこの国


実際、多くの地域では交通機関は「陸のもの」しかなくて、それこそ何日も何日もかけて訪ねるしかなかったわけだけど、今は広いことは広いながらも航空路線が縦横に張り巡らされちゃったんで、飛行機に乗れるお金持ちにだったらある程度は国の大きさを把握できるというか、中国というまとまりを実感しやすいようになりました。


新彊自治区などの少数民族地域は「西部大開発」の大号令のおかげもあって、漢民族が居住する内陸部の未開発地域に比べてかなり交通網などに優先的に資金を投じられてます。今回の旅行でわたしも実感したところ。


だって、パキスタンの国境付近までの道路を全舗装にしようとがんばっていたし、さらにもっと大変なタクラマカン砂漠を南北につききる道路を何年も前に完成させ、チベットでは標高5000メートル近い永久表土の上に鉄道を開通させようとしてるんですから。



そんな現状なんですが、子どもや老人たちが全く普通語をしゃべれないまったくの少数民族エリアも確かにまだあって、私たち外国人より面食らってた中国人が多くてそれはそれで興味深い見物ではありました。


でも彼ら面食らった中国人たちが、逆に妙なコンプレックスを抱いたり、固有の文化を尊重しないような思いに駆られちゃったりして、「理想的な少数民族政策とは『同化政策』である」などと勘違いしてしまわないことだけは、お願いしておきたいですね。




窓の外はとにかく雲ばっかり。
じめーっ、ぬわぁーっとした南方の空気がシートからも十分感じられます。


そんな物思いをするしかなく、深センに着陸しました。



到着ホールでは香港中心部までの直通バスチケットを販売してました。荷物受け取りから1分後にはバス乗車。そして30分後には国境。そして一時間後にはもう九龍地区の繁華街旺角に降り立ったわたし。


しめて110元。便利な時代になったものです。でもアホはいつの時代にもバカな目を見てしまいます。このときになってようやく香港ドルを一銭も持ってないことに気づいちゃってちょっとあせるわたし。


まあ言いたかったのは、それほどぽんぽんとスムーズに事が運んでしまった、ということ。



見渡せばあれです、あれ。
テレビで見慣れた看板だらけの繁華街です。


でも現在地はちと不明。どこにいるか分からないんで、とりあえずメーンのネーザンロードを探し出して後は歩き。南北の方向感覚くらいは大丈夫なので、バックパックの横幅を気にしながら、これでもかと向かってくる人並みを一人ひとりと交わしながら約20分。


背中のシャツがじっとり汗でしめったのを感じた頃、見覚えのある公園、見覚えのある弁当屋などが徐々に増えてきて、とうとう見慣れた看板「ラッキーハウス」の前に到着。


体を洗って洗濯して、待ってましたのお持ち帰り香港料理(チャーシュー飯)にビールで舌鼓。


今日は土曜日。
月曜日からしかビザの手続きはできません。
どうしよう。もうやることがない。困ったなあ。困った。


これじゃあとは沈没、ですね(喜)。

posted by 牧場主 at 16:18| 北京 | Comment(0) | TrackBack(0) | ちょっと思ったこと。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月26日

すなと羊肉とわたし9




◇2200キロ飛んでも瑠璃廠で精力的な一日


敦煌ー北京     宿:LEO HOSTEL2



はい、最終回です。


ホテル内のJohn's Information Cafe(旧John's Cafe)で朝ご飯。



Johnには新彊のカシュガル、ウルムチでもお世話になりました。


決して美味くはありません。でもこのチェーンが旅行ガイドにも載っているのは、メニューの善し悪しではなくて情報とそれを提供してくれる人が集まってくるから。


若かりしわたしもこういう風な事をやってたんですよ、とズーシェンさんに見せるのも「旅のイベント」なんで、三店ともお連れしました。


でもインターネットが普及ちゃった今、じっさいカフェを拠り所にする必要はあまりなくなってしまったのこと。時代を先取りして外国人専用カフェを開いた人たちなのに、なぜかネット接続できるパソコンは置かれてません。とうぜん日本人の集まりも悪いです。


でもどうにかして「わたしてき旅」の一端でも知ってもらえたら、と思っていたときにかろうじてその雰囲気を漂わせてたのが、敦煌にあったその名も「敦煌料理店」。


日本語を操る中国人の隋さんが経営する小さな食堂だけど、旅の有力情報から単なる感想文、はては意味不明なイラストまでを書き記した情報ノートはかろうじて現役。日付変更線を超えるまで毎晩旅行者が無駄話に花を咲かせるという、いわゆる「古き良き」なセピア色なんです。


さあズーシェン、どんな反応するのかな?


なんとなんと。ようやく日本語の通じる相手にうれしかったのか、自分の息子よりも若い連中を御しやすいと判断したのか、とにかく圧倒的パワーを発揮して店内の日本の「おばちゃん的井戸端会議場」に換えてしまいました。

当然身内ネタも暴露しまくりで、わたしもネタに使われる始末。
ああ、完全な計算違い…。



ああ、いつものごとく筋が逸れました。

作り方はあっているんだけど、他のメニューと同じでどうしてもどこか一歩抜けているフレンチトースト(この場合は卵牛乳につける時間をけちりすぎ)を食べ終えてあとは出発を残すのみ。


敦煌空港までは12キロ。

口裏合わせのタクシー業者どもに何とか一泡吹かせてやろうと、言い値30元から交渉をはじめるも、背後から「数十円で粘るな。早く決めろ」的光線を感じたんで20元で手打ち式。もうシルクロードお別れカウントダウンですね。



敦煌空港.jpg

◎参考写真:おそらく世界遺産に最も近い空港。飛行機までは当然歩いて



砂→砂→はげ山→はげ山→若干畑→畑ちょい増え(眼下景色30分毎)


さあて都会だ、都会。


北京の浅草、前門ちかくの大柵欄に戻ってまいりました。
実は今回の旅行で最安、でも四合院造を再現した宿にチェックイン。



でもこれで終わらないのが昨日しめの「まだ続く」たる所以。


まもなく日本に帰れる喜びと、まもなく旅が終わってしまう焦りとで、上がることはあっても決して下がることないズーシェンさんのテンション。



休む間もなく。宿から西に10分歩いた芸術とアンティークの密集エリア「瑠璃廠」に討ち入りです。




この世界はやはりすごい。



お茶の世界については、本当に好きな人やら何かとご託を並べる人に話を合わせるくらいはできるようになったんですが、中国画の世界はまだわたしにとっては平均年齢の高い魑魅魍魎が跋扈するアナザー・ワールド。


客観的な作品のすばらしさかなんて全く分からなければ、値段のつけようもないし、自分的には「気に入った!」と思える作品に出会えても、それを所有したいという欲は生まれてこの方持ったことがないんで、購入することはありえず。

それこそ客引きの「観るだけ、見るるだけ、タダね。タダ」で十分なんです。



でもこれが本当に好きな人、実際に書く方の人だと全く違う反応。通りに立ち並ぶどのギャラリーにも足を運び、特にお気に入りの水墨画を丹念に見て回るし、ちょっとでも気に入った画があれば「ちょっとこれ、写真撮れないの」なんて堂々と考えてしまうタイプ。

んなもんだから、本屋などに入っても大変。当然芸術館経書書籍ばかりだから、有名画家の作品集から、山水画や花鳥画などテーマ別の指導書、果ては色んな動物を色んな角度から撮した写真集まで、とにかく立ち読みまくるはまくる。

カシュガルやトルファンでは、ちょっとサスペンションが悪いタクシーに数十分座っただけで、もう文句のたれ流し状態だった人と同一人物とは思えない。立ったままで書物群を堪能されること約2時間。閉店時間(6時半)に救われました。


おかげで西域よりもだいぶん日の落ちるのが早い北京なんですが、それよりさらにお腹と背中がくっついたみたいで完全夕食モード。全聚徳の北京ダックをがっついてもらいました。



宿に帰ればようやく今回の旅のイベント終了。初めての導遊(ガイド)だったんですが、犯罪やトラブルに巻き込まれるような大きなミスもなく、変な物を食わせて体調を崩させることもなく、かなり「秘境」的なところまでお連れすることもでき、顧客満足度85%はいったのではないでしょうか。


そういうわけで客商売をされてる方、やっぱり尊敬します。
仕事でやるって事は「好き+α」の「α部分」がかなり重要。


やはり素人なわたしは一年に一回、気の知れた人を案内するくらいがちょうどいいようです。でも中国語はよく話したなあ。たぶん日頃に比べたら単純計算で二人分以上に浸かったのではないでしょうか。

これはもちろん、いろいろこき使ってくれたズーシェンさんのおかげ。子どもの語学力向上を願う「家族の愛」だと思っていいのでしょうか、ね?


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2005年08月25日

すなと羊肉とわたし8




◇買い物買い物買い物。もちろんわたしではない一日


敦煌             宿:飛天賓宿



波瀾万丈。実際旅はまだ続いてます。


でも果たして今日は旅だといえるんだろうか。


一応は気合いを入れて歩き回りましたよ。


成果はこのとおり。


絹のテーブルクロス2枚(一枚30元)
絹の刺繍入りハンカチ5枚(一枚40元)
名前を彫ってもらうはんこ7個(計180元)
水墨画の画集一冊(40元)
敦煌綿で作った半袖シャツ(130元)
敦煌名物夜光杯のペア湯のみ(100元)


そうです。

気分的にはお腹一杯歩いたといっても行動範囲は敦煌市中心部の約1キロ四方内限定。

朝、大抵の観光客が遺跡見物なんかに出発した時分から、夜市がにギヤ佐野ピークを迎える頃まで、起きてた時間の半分以上を買い物及びその下準備(価格リサーチ)に割かれてしまったんです。



敦煌夜市.jpg

◎参考写真:土産物たち。夜な夜な夜〜な夜〜な、売られてゆ〜く〜よ




いくらスポンサーの「ご意向」こそがこの旅行の金科玉条だとしても、こんなの耐えられないんです。わたし。


はっきり言って買い物は「面倒くさい」。で、要するに『嫌い』



とくに「定価のない国」の場合は、値段交渉に時間がかかってしまうし、絶対にぼられたくないから、1回の交渉で神経をかなりすり減らせてしまうのがおち。


上の品々の購入価格は一応交渉で粘ってみた結果です。


ほとんどズーシェンさんが衝動的にほしいと思って購入されたものなんで、価格リサーチを十分にできなかったのがほとんど。

でも頑張ってる姿を見せるのがいちばん大事だったりするし、それなりにはしぶとくやってみせたんですよ。だから「わたしもっと安く買ったよ」なんていう不幸のメールは丁重にお断りさせていただきます。



そんなわけもあって、わたしの場合は旅行中どんなに期間が長かろうと、お土産なんて自分のためにが絶対一個だけ。べつに売りもんじゃなくて、綺麗な山や湖に落ちているものでもお構いはなし。


他人には絵葉書ですませることを信条にしてます。せこい奴だとは思わないように。お手軽メールが氾濫する今こそ、そのありがたみはますというもの。決して国際郵便愛好者連合(偽組織)の回し者ではありません。



さて、わたしにだって「旅行者」的な一抹のくだらぬ意地もありますんで、日がな帰りの際の手荷物増やしに手を貸していたわけではありません。鼻息荒くギャラリーや土産物店しか見えない視野狭窄状態に陥ったズーシェンさんをに全精力の約85%投入でかろうじて丸め込み、博物館参観にねじり込むことミッション・コンプリート。


これがせめてもの救いだった、です。


この地域が栄華を誇った前漢と唐の時代の出土品を中心に集めた展示は見どころ多し。莫高窟
ものはごく一部の埋蔵橋などくらいだったけれど、それでも当時の暮らしを垣間見せるリルな記述が満載だけあって、参観じっくり派には長居をおすすめできる場所です。


あと、来館者が少ないのもよいところ◎


悠久の歴史に身を浸せば、現世の買い物なんてまさに下らないものに思えてほしいんですが、残念ながらそれにはすずめの涙ほどの効果もなかったようで、結果はご存知のごとく誰もがベッドを恋しく思える時間帯まで連れ回しが続くのでした。

そしてつづく。



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2005年08月24日

すなと羊肉とわたし7






◇気持ち的には鳴沙山を転げ落ちたような一日



ー敦煌ー莫高窟ー鳴沙山        宿:飛天賓館




「あなたの入学は許可されませんでした」




これも携帯電話が普及したおかげ。

とんでもないところで、こんなとんでもない話を聞かされることになろうとは…。



甘粛省の敦煌で、莫高窟とともに内外からお客さんをくさるほど集める超メジャー観光地「鳴沙山」でのできごと。9月からを予定していた西藏大学の留学がほんと直前になって「拒否」されてしまったのです。

100メートル走なら、クラウチングスタイルに入ろうとスタートライン付近に両手をあわせようとしたところで、主催者側に出場資格を取り消されたようなもの。




それって今ごろ言ってきていいお話なの?



くさりたくなるのはこっちの方。
言いたいことがとめどなくあふれてきそう。



電話をかけてきた男性曰く、


「我々は最後まで入学を許可するつもりだったのだが、上司の判断で去年から一年間待っている人の入学を優先した。一学期の間に学生数をこれ以上増やすことはできない。申し訳ないが」



あまりにのんきに構えていたのがいけなかったのではないか。いえいえ、正直に履歴書を埋めてしまった時点で勝負はついていたのです。もちろん向こうさんはそのことには一言も触れませんでしたが…


思えば、5月の黄金週間の時にも四川省のある地区で巨大チベット寺に入ろうとして公安さんに署までしょっぴかれちゃったし、今回の「不合格」も含めて、チベットとは相性が宜しくありません。あまりひねくれ者にこういう仕打ちをしない方がいいと思うんですがねぇ。



午前中は莫高窟で美しき「飛天」たちを堪能してわたしも有頂天でした。


ところが日もかげり始めた午後5時頃、約20分かけて流れる砂に足を取られながら上った鳴沙山の山頂。幽体離脱した魂が、遙か数百メートル下の月牙泉まで転げ落ちていく姿を、腑抜けになった抜け殻から眺めているわたしでした。実際転げてみても楽しそうなんですけど、ね。



月の砂漠.jpg

◎参考写真:「月の〜さばくを〜」なんて歌ってる場合じゃないんだけど



波瀾万丈。でも旅はもう少し続きます。

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2005年08月23日

すなと羊肉とわたし6




◇「気持ちだけでいい」にはまいった一日


トルファンー吐峪溝ー    宿:蘭洲行きK296




金儲けのタネがあればそこに群がるのが観光業者。


ここトルファンでも、毎日のように市場にデビューする新種のインスタントラーメンよろしく、次はから次へと新しい観光スポットが誕生しています。



市内から火焔山に沿って東に約80キロ。


おおよそ300〜400年前のイスラム様式の古い建築物が今までも残るという集落「吐峪溝(tu3yu4gou1)」が今一番注目を集めているというのです。



わたしのガイドブック、及び地元の旅行社連中の説明にはもう美辞麗句のオンパレード。


小民居だけではなく、中国では最も有名なイスラム教聖職者のお墓があるため、「中国のメッカ」とも呼ばれ、新彊、甘粛、青海など国内地域やさらに周辺のタジキスタン、キルギスタンなどからも巡礼者を集めるという。


さらには集落の上流部には高昌国(ウイグル人)系の石窟があって、この千仏洞は昨日見学したベゼクリク千仏洞などよりも年代物ですとこのと。


それからもう一つ、この火焔山の山懐に暮らす人たちは最も「イスラムらしい」穏やかな心を持った人たちで、訪れた旅人たちには気軽に声をかけて篤くもてなしてくれる、という駄目押し付きです。


イスラム教徒がもてなし好きってのはかなりホントのこと。これまでもつい数分前までまったく知らなかった人の家に結局何泊もお世話になったこともあったし、イスラムの古い伝統が残る場所ならば、旅人をもてなすという美徳も受け継がれている可能性は高い。



ですから、この「吐峪溝」


かなり期待していいんじゃないかという希望的観測から訪れてみたんだけど、結論は「95%の確率で無茶苦茶いいところ」です。



幸いこの季節は名産のブドウが収穫の時期を迎えているため、トルファン周辺のどの集落に行ってもブドウがたわわ。もちろんこの吐峪溝もご多分に漏れず一面ブドウ畑で、道ばたにまで甘い香りが漂ってきそう。

実際、おそらく人口100人程度のこの集落の人たちは、旅人をみるとまずは「こっちにこい」。あとは「さあ座れ」「お茶を飲め」「さあブドウもあるぞ」という黄金パターン。


だいたいが年老いたおじいちゃんが口火を切り、お茶をつぐのはおばあちゃんで、ブドウも勧めてくれます。飲み尽くし、食べ尽くした場合のどっかからおかわりを調達してくるのは、子どもか孫の役目でした。



高齢者や中学生以下の世代は中国語が十分に話せないため、彼らとのやりとりでは働き盛り世代の誰かが通訳するのですが、そのことがさらにのんびりした雰囲気を醸し出してまたグッド。ゆっくりした時間を過ごすことができます。



じゃあ「95%いいところ」ってどういうこと?



そうなるんでしょうが、ちょっと腑に落ちないというか、完全には信じられない一抹の疑念があることにはあるんです。


この吐峪溝入場にはお金を払います。30元。まあ規模は小さいながらも美しい仏教壁画がのこる千仏洞もあるわけだし、これは仕方ないんですが、このチケット売り場から少しばかり集落を歩いたところに町で唯一の食堂があるわけです。


食堂といっても、地元の人がわざわざ食べにくるはずもなく、間違いなく観光客用。でもメニューすらないから拌麺(ウイグル風うどん)を作ってもらい、ナン(パン)とともに食べるくらい。あとは何も言わずにテーブルに出てくるブドウとスイカをどんどんつまんでいきます。



こちらから拌面とナンを注文してた以外、基本的に民家に招かれたときと状況はそう変わりません。飯を作っているおばちゃん以外はみな私たちの隣に座っておしゃべり。「もういい。お腹一杯」というのにさらに「くえ。もっと食え」とまるで押し売りのよう。


「でも、こういうのっていいよね。ずっとゆっくりしてたい気分」


なんて思えちゃうんだけど、一応入場券も払った手前、集落探検も必要。名残惜しくも、おいとませねばなりません。



吐峪溝.jpg

◎参考写真:いい人率が高い吐峪溝。これは羊たちのえさを運ぶおとなたち



「すいませんが、お会計おねがいします」


「あなたの気持ちだけで結構です」とおばちゃん。
 傍らでうなずくおじちゃん。


(おいおい。こんなのあり?)
(注文した拌麺とナンだけなら町中だと5元がいいとこでしょう)
(でも果物たらふく食ったしな。茶もお代わり何杯したんだっけ)

(要するにこれってわたしの男としての器量を試されてるみたいじゃん)


笑顔で見守る彼らを前に、声を荒げる事なんてできるはずもありません。


(もしかしてホスピタリティーを武器にした新胤のぼったくりかも)


そういう気持ちがどうしても心の片隅から消し去ることができないんです。でも男としての「器」も大切。だから見積り価格で市価のたぶん4杯に相当する20元の毛主席を渡してしまいました。



それにしても「気持ちだけでいい」ほど気持ち悪いことはありません。



見どころ満載、半日費やしても十分価値のあるこの「吐峪溝」。ぜひ足を運んで、禅問答より難しい人間としての試練に挑戦してもらいたいものです。



彼らのお店に「値段付きメニュー」が登場したとしたら、その時は「この集落の魅力が一つなくなった」と言えなくもないのでしょうから。

posted by 牧場主 at 12:33| 北京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | またまた旅に出ました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月22日

すなと羊肉とわたし5


◇体温よりも熱いあつい風に吹かれた一日


トルファン周辺観光   宿:緑洲賓館



歴史、民族、宗教、自然と見どころ満載のトルファン観光。



効率よくそしてお安く見どころを回るには現地ツアーに現地で参加するのが一番。前日のうち宿にこびりついて存在するコバンザメ的旅行会社に「吐魯番一日遊」を申し込み。一人80元也。

ところが、当日になってみれば「人数調整ができなかった」ということでバスに乗ってのツアーから、タクシーによる観光地巡りにちょっぴりグレードアップしてしまいました。



そこはまあ、我々二人だけというわけにもいかず、別の2人と相客。

その2人というのはパキ人。ウルムチで医学を勉強している留学生ということなんで、中国語は何とか。英語はこちらが何とかなので、シルクロードのオアシス都市で出会った「パンジャビー」と「やまとんちゅ」という東西両民族が、絹の道というシチュエーションに相応しい高尚な会話を交わすのかと言えば……。


もちろん現地で会うパキ人ほどパキ人指数は高くないので、まっとうな会話はできました。母国に隣接したこの新彊地区だけでなく、桂林や西安にも行ったという旅好きなパキ人は初めてなんで、日巴交流という美しい花をオアシスのほとりに開かせたわけです(←アホ)。




1/西遊記で一躍有名になった燃え上がるような火焔山

2/西域にて1000年以上も栄華を誇った高昌国の城市跡



観光地を見ては、その後の移動で互いの感想をはなしあう。
ああ、何とも麗しい交流。でもほとりに咲いた花はどうやら朝顔だったみたいで、太陽が燃え始める前までしかもたない何ともはかない命だったのでした。



私たちが乗っているのはタクシーですが、クーラーなんて品物はとうの昔に故障したまま、修理した痕跡すら見あたらず。そうそう。ホテルのフロントにあった本日の天候表。最高気温の欄には「39度」と表示されてたのを思い出しました。


そして隣に座ったパキ人オスマンの体臭を感じながら、徐々にあの時の記憶が思い出されてきたのでした。



パキスタン中央部にどでんと広がるバルチスタン沙漠。
鉄道で西へ西へと向かっていた9年前の6月のこと。


クーラーどころか扇風機すらない車内は、日本で言えば罰ゲーム同然。ただただ水をちびちび飲みながら、西部辺境の交易都市クエッタを目指すだけ。温度計付の腕時計を車外に出せば、デジタル数字は48度超。車内に時計を戻せば、直射日光を避けたおかげで表示温度は下降を開始。でも44度3分で停止。


そう、本来なら心地よく浴びていたいはずの窓から吹き込んでくる風が、ただの拷問熱風にしか感じられなかったあの地獄のような一幕。



一方、パキの彼らは酷暑の時期になれば摂氏45度を超えるラホール近郊の出身。「暑い」ことが話題にも挙がらず、平然そのもの。


水すら持ってません。



3/夫婦で埋葬されたミイラで有名なアスターナ古墳群


ミイラ.jpg

◎参考写真:熱風に晒されること数時間。で、干からびちゃいました


4/盗掘ドイツ人がかなり悪役となったベゼクリク千仏洞


NHKがCGで復元した石窟などが無惨な姿で残されています。
ドイツ人がその緻密な性分のすべてを発揮して、目ぼしい壁画部分は5ミリくらいの厚さで均一にぺらーっと綺麗さっぱり持って行ってしまってます。せっかく現場まで来てもそこにはテレビが置かれ、NHKの映像が流れてるんだからお笑いです。



5/中国人ならば知的好奇心より食い気が優先、葡萄谷


「7、8月は新彊旅行の黄金季節。吐魯番で葡萄、波密でハミ瓜が旬だから」
中国で中国語を学ぶ留学生だったら、8割9割の確率でご存知なはず。そのくらいどのクラスの教科書にも出てくる話。中国人が新彊に何を期待するのかもよく分かります。


ですから、トルファンに来る中国人観光客はほぼ間違いなくここに立ち寄ります。わたしが前日旅行社でツアーの説明を聞いているとき、「葡萄谷はまあなくてもいいんだよね」なんていっちゃったんで、係のお姉さんに3分ほど厳しい指導を受けてしまいました。「あなたは何のためにトルファンにきたの」という感じです。


このお姉ちゃんの言葉は正しい!


葡萄谷に来てみて分かりました。ちょうど昼食時間帯。
タクシー運ちゃんとグルのある食堂に半ば連れ込まれたのですが、テーブルには薄緑色の葡萄がフリードリンク状態。
上を見上げても葡萄棚が強烈日差しを遮ってくれて雰囲気もばっちり。


チョコボールを体積3倍にしたくらいの一粒一粒はどれも体験したことない甘みにあふれいて、舌の先から脳に情報が送られ、後は全身くまなく疲れをいやす信号が伝わっていくのが分かります。この間コンマ数秒の世界。葡萄を食べてうれしさがこみ上げてくるなんて、ほんと想像したことすらありませんでした。


さすがにパキ人も感動した風。約2時間ぶりにまともな交流が再開されたのでした。


でも食堂はぼったくり。麺料理が一皿10元。羊肉串が一本2元。これでもか、というくらいに入場料(80元)を払っているというのに、この価格です。


6/中国三大土木工事に数え上げられる地下水脈カレーズ


トルファンの北側、天山山脈の雪解け水を利用するため、地下に水路を造成してトルファンまで水を通したというオアシスの民たちによる知恵と努力の血しょう。

三大土木工事の他の二つは、万里の長城ともう一つは揚子江水系から黄河水系までを通した運河建設(名前ど忘れ)。わたし的な提案なんですがカレーズさん、三大孤児の地位を都江堰(四川省都江堰市)に譲ってはどうでしょう。向こうは世界遺産ですし、カレーズさんも中国三大なんてふさわしくないし、「身軽」な方がいいんじゃありません?


賢明な方ならおわかりでしょうが、いくら「ごますり旅行」という非常時とはいえ、一日に6カ所も観光地を巡るなんて、一日1イベント主義のわたしにはオーバーフロー。ズーシェンさんも体験したことない暑さに当然グロッキー。これが中途半端な暑さだったら文句の余地もあったのでしょうが、その点は太陽に感謝していいのかも。


最後に報告。パキ人は最後まで水を飲みませんでした。


う〜ん、ホテルに戻って、ばたん。

posted by 牧場主 at 21:16| 北京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | またまた旅に出ました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月21日

すなと羊肉とわたし4



◇海から一番遠い日本食屋に立ち寄った一日


カシュガルーウルムチートルファン    宿:緑洲賓館



本当にいい迷惑です。
漢民族の漢民族による漢民族のための西域人気。


ついこの間までは、ほとんど見向きもしなかった場所だというのに…。すべて西域風情を歌い上げる刀郎がいけないというのか。


これでもかつては、「中国人の特に若者たちには地方、なにより少数民族エリアに足を運んでほしい。国内といいながら海外旅行以上の異文化体験ができるんだから、自分たちの国の多様性と現実を知ってほしい」なんてことを考えてたわけです。


が、実際にふところ豊かになった彼ら彼女らが訪れるようになると、「うんうん」とうなずくよりも、数のパワーにもううんざり。


交通手段の確保もままならず、当初の予定では、カシュガルの「見どころ・オブ・見どころ」としていた本日日・日開催、新彊一の規模を誇るサンデーマーケット見学の目論見が海の藻屑。


泣く泣く大枚をはたいて買わざるを得なかったのは、マーケット始まる午前中にカシュガルを飛び立つウルムチ行きの航空券。午後以降の飛行機も、その日の夜の夜行列車もすべてだれかに購入されちゃってました。



ウルムチで泊まることなく、一気に移籍とブドウの郷トルファンまで行ってしまうつもりなんですが、そうなればまたしても移動だけの一日になりそう。

今回はファーストクラスでもないわけだし、人生においても一日のスケジュールにおいてもどこかで盛り上がるポイントを作らないと心落ち着かないイベント好きなわたし。



何かしなければ、と前日から思い悩んだ上にひねり出したのが、お昼ごはん。



今日こそは、噂に聞いていた「西安以西で初めての本格的日本料理屋がウルムチにオープン」に行く絶好のチャンス。


ウルムチは世界で最も海から離れた都市なんだから、海の幸こそ肝心かなめの日本料理にあって「海から一番遠い日本食屋」なんてどんなものか。はたして「ありえていいものか」。この目で確かめてみようではありませんか。


場所は前日にもう調査済み。ウルムチ市内の一流ホテル「城市大酒店」にタクシーを乗り付け、ドアマンの手助けを慇懃に断って25キロのバックパックを自ら背負った人間がやってまいりました。


平政.jpg

◎参考写真:目指すはホテル3階に入る日本食料理「平政」


思えば海外で初めて日本食屋に行ったのは、第2回目の海外となったマレー半島南下の旅ではなかったでしょうか。

どこかの安宿で知り合った旅行者(日本人)から、「バンコクにある花屋の昼定食だったら120バーツ(当時の480円)で旨いのが食える。新聞もあってお茶もお代わり自由。米はタイ米だけど」と聞かされ、バンコクに戻った後に早速出向いたことがありました。


ちょうどそんなことを思い出すくらい「平政」は、「花屋」のように古き良き日本食屋@海外の雰囲気。やっぱりどこか似合わない着物姿の現地人が給仕係。決して気取りすぎない店作りで、テーブルが基本だけど、お座敷もいくらか。店内には本棚もあって長時間ねばって読み込めんでもOKといわんばかりに文庫本などもかなりそろっておりました。


オーナーは日本人ということだったのですが、「まだ来店しておりません。ごめんなさい」という事なので、詳しいことは聞けず終い。でも、冷やしざる豆腐(18元?)、自分で巻けちゃう手巻き寿司セットB(30元)、ウナギご飯小(22元)、お好み焼き(18元)などを食べてみて分かりました。


えっ、海の魚は食わなかったのかって?


玄界灘の美味しいお魚を毎日食べていたわたしは魚に対して無駄に贅沢に育てられてしまったこともあり、海外においては食べないことが「がっかりもしない」最も賢いやり方だと身に付いちゃってます。寿司なんかだと一種類ずつ個別に頼めるようでしたが、やはり数十元はかかってしまうわけで…。


でも味は十分に日本人の舌にも合うレベルに達しています。今のところ口に出していないまでも羊系にちょっとうんざり気味バレバレのズーシェンにだって効果てきめん。笑顔の回数がいきなり増えました。



海を離れて数千キロ。はるか西の土地で生活する日本人、またはここまでたどり着いた日本人の「オアシス」として、この日本食屋は毎度毎度こころの安らぎを与えているのでしょう。



posted by 牧場主 at 21:01| 北京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | またまた旅に出ました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月20日

すなと羊肉とわたし3




◇7000M級の山々に囲まれ神秘の湖に遊んだ一日


カシュガルーカラクリ湖ーカシュガル   宿:色満賓館



シルクロードといえば砂漠



確かにそれが第一印象、それが〜いっちばん大事♪なんですが、絹や陶器、果ては文化そのものまで東西をがっちり結びつけたキャラバンたちは、その灼熱地獄以外にも色々と難所をくぐり抜けながら旅を続けてきたわけです。


それは世界の屋根を越えるカラコルム、ヒンズークシ山脈を越えるという大層厳しいルートもありました、とさ。



で、そうした所も見ようじゃありませんか。
せっかくのシルクロードなんだし。
高山病もリアルに体験してもらいながら(笑)。



実質カシュガル2日目となる本日は南に約200メートルほど下った、でも実際にはかなり上った場所にあるカラクリ湖までちょっとお出かけ。タクシー1日チャーターでしめて500元となります。



カシュガルから南に延びる国道314号線は、標高4900メートル超のフンジュラーブ峠を越えてパキスタン北部へと通じる道。


いよいよもって民族の十字路。実際何がある訳じゃないけど、地理的には民族混交地帯のそのまた中心点のような場所です。


北からキルギスタン、タジキスタン、アフガニスタン、パキスタンがすべて最寄りのバス停みたいに身近なところにあるわけで、やっぱりここは東○○○スタンでしょう、おっと失言はこのくらいでSTOPストップ。



こんな辺境のそのまた辺境にあるエリアなんですが、西部大開発、漢民族の観光熱の高まりのおかげで、湖まで約200キロの道のりのうちなんと約8割は舗装済み。目的地まで約3時間半のインド映画一回分です。


またしても回顧モードで申し訳ありませんが、湖のさらに先約50キロにあるタシュクルガンという町まで、カシュガルからだと約10時間を要していたというのに、ですよ。



ところで今更ながら、「カラクリ湖」とはなんぞや


標高3600メートル地点にある、地元タジク族には聖なる場所としてもあがめられているそれはそれは美しい湖、とさ。ちなみに湖面の総面積約10平方キロメートル。


さらにその南側には標高7548メートルのムスターグア峰、北西側は最高7719メートルのコンガール連峰というともに登山家垂ぜんの両峰。その二つの峰の間にも5000〜6000メートル級の俊峰が幾重にも連なった、これは登山家でなくても普通の感覚の持ち主ならば天国にも等しいと思えるような素晴らしい場所なんです。


ムスターグア峰.jpg

◎参考写真:参考にならないのは承知の上。感動の百分の1でも伝われば…



湖畔には、観光タジク族の女性連中が伝統的なテント「ユルグ」を出して商売に夢中。でも、まだまだ低地ほど観光客慣れしていないから、ネックレスや髪飾りなんかのぼり方も可愛いもの。

値段交渉も終始こちらのペースで進みます。


さらに商売が終われば、ユルグに招かれ、お茶を飲めだの、干しアンズ食べろだの、楽しいおしゃべりの始まり。中国語があまり話せない彼女らとの会話ではすべて運転手のウイグル族おっちゃんが通訳。


「ところでウイグル族とタジク族がどうやって話してるの?」


「なあに、わしらの言葉は90%が同じだから互いの言葉で通じるのさ」


うーん、なるほど。ともにトルコ語の方言みたいなものなんですね。
やっぱり東○○○スタン?


それにしても、わたしよりも中国語がしゃべれない中国人に会ったのは実は初めて。決してわたしの語学力が向上しているわけじゃないんですが、それでもちょっとうれしくなってしまいました。でもしゃべれないままでいてほしいな、とこっちの身勝手な思いです。



ところで、5月に同じく3000メートル超のチベットを旅した際の「貯金」がまだ残っていたのか、終始息切れすることもなく湖沿いを走り回っていたわたし。

「ガイド」の身分をかなり逸脱したかなりのエンジョイぶりだったんですが、一方で主役でもありますズーシェンさんは基本的にずっと「綺麗なところ。でも頭痛い」を連発。ある意味、ガイド冥利に尽きるほどこちらの思惑にはまっていただいたわけです。


満足。満足。あー楽しうございました!

posted by 牧場主 at 22:29| 北京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | またまた旅に出ました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月19日

すなと羊肉とわたし2




◇とりあえずカシュガルの町を見てみましょう的一日


カシュガル    宿:色満賓館



新彊に来てもカシュガルにこなければ本当に新彊を訪れたとはいえない



ということが真しやかにささやかれ、大っぴらにも宣伝されているらしいです。人に色々言われようと結構、嘘か誠かは本人の感じるところが一番重要なんですが、わたし的にもよりピュアな新彊を見たいんだったらカシュガルを初めとする「南彊」まで足を伸ばすべきだと思いますね。


なにより漢民族がいません。省都ウルムチなどと比べると、もうウイグルを中心とした少数民族率バリ高です。



シルクロードの歴史に興味あって、ラクダのキャラバン行き交う中央アジアのオアシス都市にタイムトリップしたければ、やっぱカシュガルでしょう



初めてこの町を訪れた1996年以降、あう旅行者あう旅行者にこう焚きつけてきたのですが、今回の再訪で若干トーンダウンが必要かな、と思うようになりました。


まずは町全体が「オアシス都市」ではなくなってしまってます。

主要な通りはすべて整備拡幅、通り沿いの建物もだいたい上にも横にも建て増しされてるから、面影がなくて初めての所にきたような感覚。いくら町をうろうろしても、「ああ、ここここ。あの時も通ったよね」なんて具合に当時の記憶がフラッシュバックすることがありません。かろうじて

「やっぱりカシュガルだよ、ここは」

と確認できるくらい。



でもね、これから旅人に会ったとしてもやっぱりカシュガルを進め続けるだろう、と思うのは旧市街はまだ昔の面影を残していたから。


くねくねした路沿いには2階建ての土壁の商店などが軒を連ね、通り全体から羊肉の煙油がただよってます。


何することなくたむろっているしわの深く刻まれた白ヒゲおじいちゃんたち。その前を小学生以下であれば男の子だって非常にかわいいウイグルの子どもたちが元気に駆け回る姿。さらに商店と商店の間には奥の民家へと続く怪しく暗い路地があり、全身ベールに包まれた敬虔なイスラム教徒の成人女性が現れたりもする。


こんな場所にきた場合、地元の人と仲良くなるにはちょっとしたこつがあって、まずは子どもたちを「仲間」につけること。文明の利器も巧みに利用。腰を下ろしてデジカメでもいじくっていればものの五分で奴らはやってきます。


ウイグル少年.jpg

◎参考写真:幼い頃だとほら、非常可愛なウイグル人の子どもたち


あとは写真を撮ってやったり、その画像を見せたりしてちょっとした騒動を引き起こせば、実は興味津々、遠巻きに観ていた大人たちも徐々に寄ってきて、あとは「大人の話」をスタートできます。


だいたい少数民族世界的な常識でいうと、客人は家でもてなすのが礼儀ですから、さらに友好を深めるために招待されることもしばしば。そうなれば、さらにつっこんだイスラム世界も堪能できるというわけです。



残念ながら今回わたしの身分はあくまで「ガイド」なものですから、そこまで時間をかけて旧市街を楽しむことはできませんでした。でもその方法が今も十分使えるであろう事は、通りをくねくね歩いているだけでもプンプン感じました。漢民族の影響もほとんどここには及んでません。



やっぱり新彊いくならカシュガルでしょう!
posted by 牧場主 at 22:27| 北京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | またまた旅に出ました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

暫時ばっくれ宣言です


やってきました中国の西の端。カシュガル。


ネット接続などが面倒なんで、ブロク更新はしばらくの間お預けになります。


もちろん、復活の時を虎視眈々うかがっております。


あしからず。
posted by 牧場主 at 12:25| 北京 | Comment(0) | TrackBack(0) | 他にもまだこんなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月18日

すなと羊肉とわたし1




◇太陽を追いかけるよう西に西にと向かった、とにかく移動だけの一日



北京ーウルムチーカシュガル     宿:色満賓館



正味移動だけでも都合6時間、あの飛行機の2時間前チェックインというおぞましい慣習と、別にお願いしているわけでもないのに必ず遅延する中国系エアラインの慣習まであわせれば軽く半日以上は費やしてしまいました。


ところで、

1・辛抱強さにかけてはだるまさんでも転ばないほどじっとがまんのわたし
2・辛抱強さに欠けてはすぐに机を離れてその辺をうろうろしていたわたし


ちなみに1は旅行中、2はかつての仕事中の生態系。もちろん今回はいつもの移動とは根本的に違うもんで、かなりへっちゃらでした。


そうです。ファーストクラス

エコノミー定価の3割引で購入したといっても、モノホンはモノホン。誰に文句も言わせません。


偉い人が大嫌い、身分社会には断固反対のわたしですが、これまでずっと関心ない風に薄目でのぞいていた隣の芝生はやっぱり青く、甘い汁はやはり甘かった。もうとろけるように。



チェックインカウンターが違うのは当たり前。国内線では中国特有のパスポート(人民は身分証)チェックと身体検査も、赤絨毯に導かれるままに隠し通路を進み、こっそり終了。そして目の前には、まず最初のお楽しみ「ファーストクラス・ラウンジ」でございます。


正確には中国南方航空専用のラウンジ。合計100席ほどのソファー。


見た目からして「ファーストざます」みたいな金ぴか装身具まみれのおばちゃん、ウオールストリート・ジャーナル片手にノートパソコンをいじくっているスーツ姿のエグゼクティブな白人なんかがいなかったのはちょっと拍子抜け。メンツだけだったら、火鍋屋にでもいそうな面子がちらほら20人程度。



飛行機のテイクオフが1時間遅れたことも、穏やかなわたしの心にはさざ波一つたつことなし。
自由にお楽しみください的なビール(バド&カールスバーグ)やエスプレッソ、果ては味付けのりまでを紳士的にいただいておりました。


チャーハンやスープ、パンなどの食べ物類もありましたが、超豪華機内食のイメージが頭から離れず、決して手を出さなかった。これも賢明な選択。


「大変お待たせをいたしました。そろそろご出発のお時刻でございます」


日本語だったらたぶんそんな変な敬語を使ってそうな空中小姐・オン・ザ・グラウンドがやってきて、緩やかなひとときは終了。


約4時間のフライトの始まりです。



国内線ということもあって一昔前の機体だし、残念ながらいすが179度くらいリクライニングするようなシートではありませんでした。でも座席の幅はさすが。身長6尺のわたしがあぐらをかけるほど(短足というなかれ)ですから、ゆうに50センチはあります。



ファーストあぐら.jpg

◎参考写真:強引とも言うなかれ。これがファーストあぐらの証拠写真


計8席のうち我々2人をのぞいてのこりは4人。ちょっと学者っぽい風(助教授クラス)と密貿易を手がける中央アジア人風、最後は新婚風カップル風。



ウエルカムドリンクはオレンジジュースか礦泉水。


前菜はスモークサーモンとフォアグラ風。


メーンはウナギの焼き物か、北京ダック、牛肉ステーキから一品。空中小姐のボス格がシートを回って注文を取りに来るんだけど、前菜をねっちりじっくりたべていたせいか、もうダック以外は「申し訳ございません」。


まだダックデビューしていない隣のズーシェンにはこれでもいいかなとも思ったんだけど、「甘すぎ」とばっさり切り捨て。確かにこれでご飯を食べるのは地と厳しいかな。


あとは、普通の野菜サラダ。焼きたてとはいわないけれど、一応甘くないパンが数種類。デザートは菱形のスポンジケーキコーヒークリームソースがけとフルーツ盛り合わせ。



思うんですが、前菜以外はエコノミーさんたちと同じなんではないでしょうか。


もちろん陶器の皿に盛ってはありますよ。でも味がそんな飛び抜けて、というわけではありません。


一番美味しかったのは「お茶」でした。凍頂ウーロン系の分厚い茶っ葉が入った湯飲みで出されるんですが、4回ぐらい湯をつぎ足しても味はそのまま。中国系エアラインの面目躍如。このサービスはぜひ続けてほしいものです。次いつ乗るのかなんて分かりませんが、ね。



さてウルムチは飛行機乗り換えのみ。


元々遅いフライトなのにさらに出発が1時間遅れ、カシュガル行きの飛行機が離陸したのは北京時間午後9時半。これじゃ到着後どうなるものか、と思ってみたけど、どうにかなるもんです。まもなく午前様だというのにネオンの光まばゆい中心部。9年前とは変わり果てた町の様子にとまどいながらも、当時泊まった「色満賓館」にたどり着いたのでした。


モスク風青いドームが印象的、戦前はロシア領事館だったという建物。


標準2人部屋は「小便臭い」という、またしても切り捨てズーシェン発言によって、豪華2人部屋に落ち着くことになったのでした。ああ快適。

posted by 牧場主 at 20:31| 北京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ちょっと思ったこと。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

すなと羊肉とわたし0



まかり間違っても明るく晴れやかにはできなかった「終戦記念日in北京ツアー」の日々も過ぎ去り、太陽が容赦なくまぶしい新彊にやってきました。


のんべんだらりした現在の生活をもう少し続けるための「おとなの根回し」として、シルクロードに興味があるとのたまう母親ズーシェンをつれて歩く「接待おともごますりの旅」というのが実情なんですが、それじゃあまりに美しくないので、新彊シリーズは「すなと羊肉とわたし」で通すことにします。


もちろん羊肉は「ヤンロウ(yang3rou4)」と読んでいただかなければ、語呂もあわずにどこかに転げて行っちゃいそうなので、以後宜しく。


posted by 牧場主 at 20:27| 北京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | またまた旅に出ました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月17日

安宿キープ今から急げ

11のホテル「☆」を剥奪
2008年北京の星級ホテル800カ所に
6万から13万の客室不足の見込み



【17日=新京報】

本紙訊(記者郭安) 改装のために営業停止、各種設備が基準に達していない、経営状況の悪化などの理由から、田園庄飯店など11のホテルが☆の資格を取り消された。北京旅遊局は昨日の、2004年度市内に613店あった一つ星以上のホテルを対象に今年2月から7月にかけて行った再検査の結果を発表した。


ある予測によれば、2008年8月の北京オリンピック開催期間中、外国から北京を訪れる関係者や観光客はのべ50万人に達するとみられ、さらに国内客も同100万人を超えるとされている。すべての観光客が平均一週間北京に滞在したと仮定すると、一つ星以上のホテルの客室は毎日計26万室が必要とされる。5日間滞在したとしても、必要客室数は19万室。


「北京オリンピック旅遊行動規画」によれば、2008年、北京の星級ホテルは800カ所まで増え、総客室数は13万にのぼると見込んでいる。オリンピック関係者および海外からの旅客には十分な数字だとしても、さらに6万から13満室の客室が不足、国内客の需要にまでは応えられないことになりそうだ。



【評】


記事で名前の挙がったのはかわいそうに田園庄飯店(三つ星)だけですが、傍らには公平に全11店名を網羅した表付きです。それによれば、三つ星が2店、二つ星8店、一つ星1店。


中国の星級ホテルの基準は、客室数や客室内の電化製品、アメニティのたぐい、果てはロビーにグランドピアノがあるかどうか、まであくまで国内スタンダードによって定められているはず。


ですから、あくまで語言実践活動(http://itoyama.seesaa.net/article/3988433.html)の際にわたしたちが泊まったホテルでさえ、三つ星および最後の西安の一日は四つ星だったりしたのでした。朝飯に中国粥と包子、漬け物しか出せないような貧弱レストランしいかないくせに(毒)。


ちなみに語言大の語学留学生のうちブルジョワだけが滞在するという大学横の西郊賓館だってたぶん三つ星くらいはあったような気がします。


一つ星なんていうのはまあ、かろうじて部屋にテレビとエアコンがあるくらい必要最低限のホテルでしょうが、この記事によれば、それまで含めてオリンピックの際は最低でも日々6満室足りなくなるというのです。


もちろん北京市内の至る所にある招待所のたぐいは当然一つ星以下だし、「伝説の安宿」ながら星級客室も併せ持つ京華飯店だってドミトリー部分はも統計に入ってないはず。ようするに雨後のたけのこ状態で増えつつある一泊70,80元以下の外人御用達YHなんかも含めて、北京オリンピックを銭もうけの絶好の機会として手ぐすね引いている宿まで換算すれば、旅遊局の統計以外に数万室ぶんはあるでしょう。


とは言いつつ、わたしもせっかく中国語を勉強している身なものですから、この期間はずっと北京にいてやろうかともくろんでおりまして、安いくて近くて心地よい居場所の確保は当然ながら至上命題でございます。


競争相手は国外からの旅客ではなく、タフな中国人観戦客になるのはほぼ間違いでしょうから、今のうちより宿の兄ちゃん姉ちゃんたちと仲良くなるだけでなく、何とかその上層部にまで食い込んでおきたいものです。



この記事自体の評価はといえば、わたし的には「はちゃめちゃ」。リード(第一段落)の「星剥奪」についてのことが2段落目以降に何も反映してません。


中小ホテルの「星剥奪」よりもオリンピック時の客室不足の方が大きなニュースだと思うんですが、それだったらそこまで踏み込んでリードをまとめるのが日本の記事のスタイルです。まあ主見出しは「資格取り消し」を取っているから、やはりニュースはこちらなんでしょう。どうもちぐはぐ感はぬぐえません。★★☆☆☆


posted by 牧場主 at 20:23| 北京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | これは面白ニュース!? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月16日

豪雨の北京で右往左往




北京時間午前10時頃から降り始めた雨。


わかりやすく例えるならば、日本の梅雨のように絶え間なく降り続け、時として日本の台風のように集中豪雨の暴風警報くらいに荒れまくるお天気。けっきょく寝るときまで雨音がとぎれることはありませんでした。


下水施設など当然あってないようなこの国ですから、ちょっとまとまった雨が降れば、すぐに道路は水浸し。


でも大丈夫だもんねぇ。わたしサンダルだし。ジャバジャバ道路を突き進みます。


でもちょっと待って。


中国の道路って間違っても清潔じゃないよね。地べたに座ってもズボンに汚れがつかないような日本とちがって。


無造作に投げ捨てられたゴミに始まり、油や食べかす、人民たちの痰やつば、あの尻開きズボンから放出されるお子様たちの糞尿の数々。これらすべてが路上にあります。


サンダル履きだから当然裸足のわたし。こんな場所で雨水というか、雨水の皮をかぶった汚水に直肌浸かるようにして歩いていいもんだろうか。バイ菌だらけは決して紙幣だけではないはずでしょう。このお国。


食い物に対してはちょっとした不潔さには何とか耐えられるんですが、果たして肌にしみこんできた魑魅魍魎たちに対してはどうなんでしょう。長風呂に入った後のように白くふやけてしまった足指たちを見て、そう思ってしまいました。



さてそんな雨の中、懐かしの語言大まで出かけてきました。


目的は2つ。

(甲)7月に受けたHSK(漢語水平考試)の結果を受け取るため。
(乙)18日から出かける新彊行きのため航空券を手配するため。


ともに驚愕の事実が発覚。


(甲)は事務所が閉鎖していたため、成績表は受け取れず。
どうやら受験者は10日か11日しか受領できないらしく、12日からは「夏休み」ということ。


いつまでかというとたったの8月一杯。


おいおい、わたしもう北京にいません。
たぶん、おそらく、ひょっとしてチベットです。
次に北京に来るのは多分1月の冬休み時分。
そのときまで彼らがわたしの成績を保管しているかははなはだ疑問。
あーあー、成績が分からないならしょうがない。
こうなったら「自称8級」で通すことにしましょう。
理由も手応えもありませんが、急に何となく8級とれたような気がしたもんですから。
成績表が手元にない限りは言ったもんがちですよ。こんなもの。



(乙)の方は、北京ーウルムチ、ウルムチーカシュガルを手配。

今は新彊は旅のベストシーズンらしく国内格安航空券の割引率もかなり控えめ。そんな遠慮しなくてもいいんだよ、といいたくもなるほどお高く止まっている。定価約2500元(約3万4千円)が約3割引きの約1800元が関の山。


それならばと中国国際旅行社(CITS)語言大学出張所の兄ちゃんが教えてくれた裏技(上上下下左右左右BA)を使って、ファーストクラスをほぼ同額にて購入してしまいました。


やったね、ラッキー!


実際に乗ってみないことには分かりませんが、初ファーストです。4時間のフライトをめい一杯堪能してあげましょう。


ちなみにウルムチーカシュガル間は約1200元(約1万6千円)を880元で購入。


しめて約4万1千円の出費となりましたが、今回は「時は金なり」。午後1時に北京を発ってその日のうちにカシュガルまで到着できるなんて事は一昔前なら夢のまた夢と割り切ってしまいます。



ところで1ヶ月ぶりの語言大。おんぼろい中国人女子学生寮が建物ごと跡形もなく壊され、消え去ってました。


男子禁制のこの寮。夜の10時11時ごろになれば、入り口前で人目をはばかることなく別れを惜しみ抱き合う中国学生カップルの姿は、わたし的語言大の風物詩だっただけに、あの独り者の神経を逆なでする光景がもう見れなくなるのかと思うと、実はちょっぴり寂しいような気がしてしまったりもするのでした。
posted by 牧場主 at 08:10| 台北 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 他にもまだこんなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月15日

曖昧リベンジで大団円




胡錦涛《偉大な勝利》展覧会を参観
「歴史を心に刻んで過去を忘れず、平和を尊び未来を切り開く」強調
《銅壁鉄壁》の群像前で頭下げ



【15日=新京報】

◎新華社北京8月14日電(記者孫承斌 沈路涛)

中国共産党中央書記、国家主席、中央軍委員会主席胡錦涛は14日、「偉大勝利ーー紀念中国人民抗日戦争曁世界反法西斯戦争勝利60周年大型主題展覧」を参観。「われわれが抗日戦争の偉大な勝利を記念するのは、歴史を心に刻んで過去を忘れず、平和を尊び未来を切り開くためだ」と強調した。


廬溝橋のほとりの宛平集落内にある中国人民抗日戦争紀念館は厳粛で落ち着いた雰囲気に包まれていた。夕方ごろ、胡錦涛は紀念館を訪れ、現在開催中の大型企画展を参観した。中国人民解放軍の兵隊たちの団結を表現した大型群像「銅壁鉄壁」の前では花籠を捧げて深々と頭を下げ、抗日戦争を戦い犠牲となった烈士たちを追想した。


参観の間、胡錦涛は一枚一枚の写真、一つ一つの文物、一体一体の復元模型を注意深く眺め、解説員たちの説明に真剣に耳を傾けていた。129運動を西安事変を伝える写真の前で、中共七大会場の写真の前で、(これら含め原文は計7カ所すべて列記)、胡錦涛は足を止めて展示を眺め、当時の状況について事細かに質問した。


参観終了後、胡錦涛は「中国人民が抗日勝利60年を紀念するにあたって、このような展示を行うことは大変意義のあることだ」と表示。「中国人民たちが日本の侵略者たちとどのように勇ましく戦ったかという偉大な功績について、豊富な歴史的資料を用いて再現しており、あらゆる世代の中国人民に、とくに青少年に対して愛国主義教育の生きた教材となる」と話した。


胡錦涛は「こんにち我々が抗日戦争の偉大な勝利を記念するのは、歴史を心に刻んで過去を忘れず、平和を尊び未来を切り開くためだ。中華民族の偉大な民族精神を大いに発揮して、そのチャンスをつかみ、やる気を高め、精神を集中して建設に取り組んで、一意専心に発展をはかる必要がある。われわれは人類の平和と発展という崇高な事業を進めるため世界人民とともに、揺らぐことなき平和と発展、協力の旗印を高く掲げ、確固不動に平和と発展の道のりを歩まなければならない」と強調した。



銅?鉄壁.jpg

◎写真説明:群像《銅壁鉄壁》と胡錦涛がたむけたお花(多分)



【評】

ぼーしっと


わたしもネイティブ並みに寝言で口走りたくなるような○○らない原稿です。
内容じゃありませんよ。あくまで記事の書き方が、という意味ですからね。


外から内へは共産党の情報機関、内から外には共産党の広報機関という新華社の役割を改めて再認識できる記事です。


これが日本の新聞記者が書いたとしたなら、デスクに「なんだこれは。せりふも単語もだぶりばかりじゃないか」と怒鳴られ、元原稿の3分の1くらいに削られるのが目に見えちゃうような冗長ぶりです。

これでも翻訳の段階で、自分の中の類義語辞典をフル活用して気を使ったつもりなんですが…。



ちなみに、胡錦涛が訪れたのは14日夕方とのこと。


そういえば、今日15日も入り口にはまだ「人民には申し訳ありませんが、14日午後は展示物の点検のため急遽閉館します」という立て札が残ってました。胡錦涛来館は急遽決まったのでしょう。もっと自信を持ちなよ、と言いたくなります。



思えば6月11日に始まった廬溝橋との腐れ縁。

1度目(http://itoyama.seesaa.net/article/4293895.html)は「試合会場消滅」。
2度目(http://itoyama.seesaa.net/article/4912006.html)は「試合不成立」。



ようやく3度目の正直で、一応リベンジは果たしました。
しかも昨日の「南京」と同じでキャンペーン期間中。やっぱりタダでした。


でも内容といい、見せ方といい、ほとんど同じ。
若干こちら廬溝橋の方が、一部コンピューターを使った映像などがあった点でわかりやすい展示ではありますが。

あと、A級戦犯たちもこちらではちゃんと壁に掲げられてました。


さんざんどぎついのを見せた後の中日友好のフォローアップも、こちらの方が常設展ということで洗練されてました。

書類で送られちゃった村山富市元首相の直筆書なんかや、今年春にインドネシアで行われた小泉・胡錦涛階段の写真もあったりして。


大急ぎで改装を行った分、展示品もリアルタイムに近いものまで網羅していた感じです。


それにしても村山トンちゃんの首相就任は、自社対立の消滅という国内政治的に大きな転機となっただけでなく、東アジア外交的にも「堂々頭を下げる」というその後の自民党首相にとってはありがたい先例を作ったという点で大きな一歩を踏み出したんですねぇ。今こういう状況になって改めてそう思います。


面白い記事を取り上げるという趣旨からは大きく逸れてしまいましたが、時期も時期ということと、これも中国の新聞の一面(一部分)ということで、ここは黙って。★☆☆☆☆
posted by 牧場主 at 09:42| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | これは面白ニュース!? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月14日

再会はなかったけれど



午前0時からのことを話すと、ちょうど空中小姐(女性フライトアテンダント)による救命胴衣付け方のデモンストレーションが始まりました。あのやる気ないやつね。


北京行きの中国国際航空機は青島流亭国際空港を約1時間の遅れ


これじゃいったい到着は何時になるの、なんてもう考えるたくもないけど、現実はやはり現実で北京空港のターンテーブルでバックパックを受け取ったのが午前1時30分。


終飛行機までは走ってるエアポートバスのおかげで、タクシー代がセーブできてちょっぴりうれしい北京市内。予約なしで飛び込んだ北京駅前60元ユースのベッドに潜り込んだのは同2時30分を過ぎたころだったのでした。もうほんの3時間で夜明けだよ。



夢うつつな、多分3時か4時の頃。



「しあとー、しあとー。あ・うぉ・ぼーぬぃ・にあとー」



ほんとこれだけ。

まだ人生経験未熟なわたしですから、白人ねーチャンの寝言はこれが初めてです。隣の部屋まで聞こえそうなボリュームでしたが、中学1年の頃に聞いていたラジオの基礎英話みたいに見事な発音でした。


8人住まいの大部屋。しかも他人を起こさないよう真っ暗の部屋に入って真っ暗のまま横になったんで、ほかの7人の素性はまったく分かりません。寝言の彼女は多分シアトル出身の人なんでしょう。いったいどんな夢を見てたんでしょう。


続けて多分4時か5時の頃、また美しい発音の寝言が部屋中に響き渡ったのですが、もう1回目ほどのインパクトはなく、そのときは一応覚えておこう覚えておこうと思ってたんだけど、眠りとともに脳みそからdeleteされちゃいました。



こんな疲れたときでも起床は7時前。ほんと年寄りに近づいてるな、と思いつつもまずは汚れきった体をシャワー。北京駅周辺でバス停探しをかねた散歩。朝飯は北京駅だったらこれしかない、と吉野家(本物)。初めて食ったけれど、ここ泡菜(キムチ)は絶品。牛丼を食べるときに口の中を満たすあの牛肉とたれとご飯の絶妙なバランスは確かに崩れてしてしまうものの、それでも受け入れざるをえないほど人騒がせな美味しいキムチでした。


北京駅前はだいたいこんなところでしょう



駅前ユース、場所は良いけど宿代高い。北京で外国人宿最安値の地位を十数年はキープしている伝説の「京華飯店」に移動です。ちなみに京華は半額30元(約400円)です。




これで一日を終わっても十分有意義だったと老後に思えるのがわれわれ(どこに仲間がいるの?)「一日1イベント」主義者なんですが、今は非常事態。北京にきちゃうと旅行というより生活モードに戻っちゃうようで、ちょっくら中国国家博物館までおでかけ。



わたしの尊敬するおかまチャン「鄭和」の記念展やっていたのは7月のある一時期。そんな穏やかなものは影も形も消え失せて今は抗日の夏中国の夏。保守本流バリバリの「侵華日軍南京大虐殺史実展」(入場無料、30日まで)でございます。



基本的に展示品は江蘇省にある南京大虐殺紀念館の資料を持ち運んだもの。



本来ならば中華民国の首都だった南京が陥落した12月13日にあわせて展示をするのが常道では、と思ったりもしますが、今年の12月13日はすでに発生から68年を数えちゃうわけで、数字にこだわる人たちにとってはイベント的な価値はそこまで。


「日本軍最大の蛮行」をということからも、抗日勝利60周年にあわせて、中国一のおのぼりさん密集地帯(天安門広場前)に面したこの博物館で記念展を行う方が愛国主義教育的効果はいかほどか、という賢明な選択でしょうね。



展示は、第一部分の「南京滄陥(陥落)」から「歴史的啓迪(啓発)」までの全7部構成。


南京については主に前半の4部分で紹介。


実はわたしは大学5年目の1996年4月、世界ぶらぶら旅に出かけたのですが、まず訪れたのがこの南京の虐殺記念館だったわけで、そのときの記憶に残ってるようなものから新聞などで繰り返し使われるようなものまで、たくさんの資料が並んでました。


この南京での記念館参観では心に焼き付いて忘れられない一枚の写真と出会いました。


慰安所をのぞき込む日本兵の後ろ姿の写真だったのですが、つま先立ちまでして中をのぞき込もうとする兵隊さんのそのつま先の伸び具合とかかかとの立ち具合といったものが、直接戦争の悲惨さとかと関係あるかどうか分かりませんが、なぜかもの凄くいやぁな思いとして心に刻まれたのでした。


実は今回の展示を訪れた理由として、この写真をまた見れるかな、ということもあったのですが残念にも再会は果たせず。

社会に出て何をしていいのか分からずにぶらぶらしていた当時と、世の中の仕組みを少しだけ分かるようになって、でもぶらぶらすることがある種の生き方になってしまった10年後の今とでは多分違った受け止め方ができるだろうに。そういう興味もあったんですがね。


結局、いちばんがつんとキたのは「歴史的審判」(第五部)内のあるコーナー。極東軍事裁判について大々的に紹介してたんですが、あろうことか、東条英機を初めとするA級戦犯14人の写真を「床」に並べてました。


こんな大胆な展示方法は、なかなか現代美術に通じるところがあります。足を伸ばせばすぐ届くところにあるいい大人たちの写真。まさか来館者の誰かが踏みつけるというハプニングを期待してのことではないんでしょうが…。


時期が時期と言うこともあって来館者は絶えず黒山の人だかり。

メモを取る学生風情、孫に当時のはなしを聞かせるおじいちゃん、革命烈士の写真の前であれこれ討論している軍事マニアさんたち。色んな人がいましたが、入場前に知り合いの日本人にあったきり外国人らしきは…、どこかに何人かはいたんでしょうかね。



出口には壁一面がメッセージボード。
いろいろと聞いたような見たような文言が並ぶなか、


「不要譲這様可悲的歴史発生!」
(こんな悲しいことが二度と起こりませんように)


色んな理屈をこねるより、この原則を守る方がどれほど分かり易いか。でも、どれだけ難しいか。書いたのは字体からみて若い人なんでしょうが、これからもずっとこういう考えを持ち続けてほしいな、自分もそうしなきゃな、と素直になれるメッセージでした。

posted by 牧場主 at 19:10| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ちょっと思ったこと。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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