2005年06月30日

健康診断まさかの秒殺




よりによって6月も終わろうとしています。

かろうじて「学生」やっているわたしですが、刻一刻と「ぷー」への道まっしぐら。授業は7月7日で終了。さらにどうあがいたところで、学生証の有効期限(同28日)を過ぎればただの人というわけです。


おい、どうした?
9月からチベットで遊牧(留学)するんじゃなかったのか?

そんなブーイングが聞こえてきそうです。
だけど、だけど、待てど暮らせど、やっぱり来ません。


西蔵大学からの留学生採用通知書!


現在、ありとあらゆる手を使って対策を講じてるところなのですが、一部情報によれば、「送付は8月中旬になる」とのとんでもない話もあり、落ち着かない日々は当分続きそう…。


泰然自若、太極を極める心をして指をくわえてても良いのですが、くわえすぎてふやけてしまうと日常生活も支障が出てくることだし、突然ですが健康診断に行ってきました。


そうか、齢30も過ぎれば生活習慣病が気になるお年頃。
健康診断で日頃の悪習を見直そうというのですね。


そう直感で思ったあなた。
罰として火鍋を付けだれカキ油なし、辛椒花椒追加盛りで食べてください。


採用通知書さえ届けば即留学ビザが取得できるよう、申請に必要な健康診断書を事前にゲットしておこうという、おいしい牛丼を食べるために○○での朝昼の食事を抜くくらい綿密に計算された健康診断なのです。


さて、この「健康診断」ですが、中国にやってくる留学生(1年以上滞在)にとっては「広辞苑」に記された説明以上の意味があって、「中国側が認める国立かそれに準じる医療機関の検査でないと通用しない」「エイズや梅毒検査も必須」「心電図とX写真をわざわざ留学先の大学まで持参」など、細かい規定がわんさか。

さらには病院での身体検査は保険がきかないため、検査費は2万円以上かかるところがほとんど。要するに「鬼門」なんです。

思い起こせば昨年6月下旬。決してさぼりではなく仕事の合間をうまく見つけて、四川大学から送られてきた専用の診断用紙を片手に、国立病院機構熊本医療センターの門をたたいたものです。結果が出るまで約1週間。費用は2万8千円ほどだったような。


ですから、今回、帰国後にまたどこかの病院で同様の検査を受けるとするなら、約3万円と約1週間が必要になります。まあ100歩、いや1000歩譲って金のことはどーでもいいとしましょう。が、さらにビザ手続きに1週間近い時間が必要なことを考えると、時は金なり。無駄に時間を使うことはすなわち、わたしの壮大なサマートリップ(旅)にまで影響が出てしまうということ。


そんなことを考え始めていた6月のある日。

北京でも健康診断ができるらしい。
検査項目もビザ取得の要件を満たしているらしい。
しかも「お求めやすい価格」らしい。

そんな美味しい情報を地獄耳がキャッチ。
中国で受ける健康診断なら中国側も認めざるを得まい。


ただ一つ条件があって検査は平日午前中(午前8時ー同10時半)のみ。授業出席を旅行の次に大切にするわたしですから、「終業式まで検査はお預け」、やはり指をくわえたまま時が過ぎていたのでした。


ところが、果報は寝て待て。

本日の口語課はテスト前の質問コーナー。参加は自由。なんという朗報。いやあ残念だ。質問があれば是が非でも参加したんだけど、何せまだ復習ゼロ。当然聞くべき所もありゃしない。で、行ってきたわけです。


目指すは「北京市国際旅行衛生保健中心」。

場所は地壇公園の北側。地下鉄環状線の輪の北に位置する安定門駅が最寄りで、ここから安定門外街道を北に徒歩約10分。UFOが脱皮して骨組みだけになったような巨大歩道橋がかかる巨大交差点を右折してさらに徒歩5分。右側にあります4階建ての新しい建物にたどり着けば、まち歩きは終了。


出国予定の中国人もここで検査を受けるらしく、受付はそれこそ黒山。かつて北京の病院で体験した診断手続きの複雑さ、処理する係の効率の悪さが脳裏によみがえるが、外国人は窓口が別。4階に直行すればそこは全くの別世界。「○○クリニック」と名付けてもよさそうなほど静かで落ち着いた雰囲気。

窓口の女性も四六時中眉をつり上げたりしてないし、新参者を見つければ向こうから「体検(ti2jian3)?」と声をかけ、問診を兼ねた登録用紙を渡してくれる。


記入を終え、顔写真一枚を貼り付けて提出する。女性はパソコンに必要事項を入力、さらに据え付けデジカメにてわたしの顔を撮影して最初の手続きは終了。次はとなりの台で検査代を支払う。わたしの前にいた会社員風のオヤジが約670元を払うのを見て、思わず財布の中身を確認してしまったが、「学生価格」なのか、わたしはこみこみで「346元」ですんだ。五千円弱。こりゃ、もう笑いが止まらん。


レシートが渡され、写真付きの登録用紙が戻される。

「どの扉から検査を始めても結構です」

天井から見れば正方形型、ちょうど小ホールのようなこの部屋には、廊下へと続く扉のほか、正方形の二つの辺に3つずつ扉があり、奥の小部屋につながっているようだ。てことは、このスペースで検査は終了することになるのだろう。

むくむく、むくむくむく。


おっ、これは不安がもたげる音ではないか。

そういえば昨年の検査の時は、四川大学から送られてきた専用紙に記入をしてもらわなかったか?手元にある登録用紙とは全くスタイルが違うし、もうこの用紙には結果を書き込む空欄もないではないか。それに検査項目もそんなに少なかったっけ?


と思いつつ、「たのもー」。一つめの扉をたたく。
6畳ほどの小部屋。中には三人の白衣(女2男1)。

血液検査の部屋らしい。
うん。これは必要だ。たかが血液検査とバカにしたおかげで、わたしはこれまでいろいろ嫌な思い出があるが、もう過去のこと。ただ、血液からって色んな情報が分かるから、試験管に何本も取られるんだよなぁ。おぅ、うまいじゃないのおばちゃん。針を刺すとき全く痛くなかったよ。でも、この針を刺したままで試験管を変えるときって、血管の中に空気が入らないかいつも気になっちゃうんだよなあ。ああもう一本目たまっちゃったよ。で注射針を抜き取りました。えっ、で終わりなの?まだ30tくらいだよ。これで必要十分なら、日本の検査はなんだったのよ。


「たのモー」。
2つめの扉は心電図の部屋。

そうだよ。これは必須です。足や手、胸に10カ所くらいぬるぬるのクリーム塗られて、大型洗濯挟みみたいなのや吸盤を貼り付けられたあと、標本みたいに2、3分くらいじっとしてるんだよなあ。服を脱ぎましょうか?あっ、そう。その必要はない、と。左足のくるぶしと左手首に洗濯挟み、あと胸に一カ所吸盤をつけただけ。吸盤が足りないのかなあ、いつ始まるのかなあ。えっ、終わりですか。横になって10秒もたってませんよ。おばちゃんがそういうのなら終わりなのでしょう。検査結果をお土産に持たされましたが、これがA4用紙くらいの大きさ。確か熊本の時は、バラバラと開けば1メートル近い虎の巻みたいになっていたような…。


「たのんますよぉ」。
3つめの扉は「問診」の部屋ときている。

中には50代のオヤジ一人。まずは血圧検査。機械式ではなく御自ら手動ポンプ式。計測後パソコンに向かいカタカタと入力。どうやら情報はコンピューター内で管理しているようだ。


続いて聴診器を取り出す。これはやはり上半身裸でしょう。えーっ、ちがうの?服の上から?これで分かるの?先生まさか聴診器使いの達人?なかなか真剣なお顔、これは信頼できそう。


っておい!
胸ポケットのiPod、再生中のままじゃん!

さっき受付で声かけられたとき、あわててイヤホンをポッケに入れてそのまま。

おっチャンの顔、かなり険しいな。そんなポケットのすぐ横に聴診器あてちゃって。やっぱり音楽にじゃまされて何も聞こえないのかな?聞いてた音楽、多分ロックだったような?でもプライドが許さないから何とか心臓の音を聞き取ろうと、戦っているのかな?こっちから言うべきなのかな?あっ、終わったよ。


「視力はいくつ?」
「はいメガネで1,0です」(パソコンにカタカタと入力)

「特に持病は?」
「ありません」(…カタカタ)

「身長は?」
「180です」(…カタカタ)

申告通り、そのまま入力しちゃうんだ。
わたし信頼されてるのかな?

「体重は」
「はい75キロです」(…カタ。)

「靴を脱いで後ろの体重計に乗りなさい(怒)」

おい!(おもわずツっ込み入れそうになるわたし)


緊迫する時間。

別にサバ読んだつもりはないが、中国に来て以来体重を量っていないのも事実。みんなに痩せた痩せたっていわれるんで、軽々しく申告してしまったが、一年前は80を超していたのもまた事実。おっチャンの意図をいまいちくみ取れないながらも台の上に乗るわたし。結果は「76」。これは敗北を意味するのか?奴の顔を見れば、向こうもいまいち納得できない様子。

「1階でX線検査をすれば終わりだから」
それが最後の言葉だった。


そうですか、えっ終わりですか?
まだ始まったばかりのような気がするのですが…。


1階のレントゲン室も中国人とは別室。極めてスムーズ。被写体がいいからいっぱつOK。


1階受付にて、登録用紙に顔写真2枚を添えて提出すれば、「7月4日(月)午後以降に受け取り」との紙を渡される。土日を挟むから実質3営業日で発行ということになる。


やればできるではないか中国人!一度や二度声を荒げるくらいぐだぐだな展開を覚悟していったのだが、これでちゃんとした用紙にプリントアウトしてくれればほんとに言うことなし。


まさか秒殺を食らうとはなぁ。

この建物に入ってから出るまで、およそ15分間(900秒)の出来事。かなりいい加減だった気がしないでもないけど、妙に感心してしまうわたしでした。
posted by 牧場主 at 21:13| 北京 | Comment(0) | TrackBack(0) | 他にもまだこんなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月29日

大足メジャー化計画



好評(?)につき、実況中継第2弾。

「文化」について発表会@選択講座・中国文化
サブタイトル「急行!湾岸署員。今回現場は会議室」


皆さん、こんにちは。(こんにちわ)

突然ですが、ここで質問。

「DAZU」を知ってますか?(えっ、と周囲を見回す同学たち)


「da?zu2」です。

「da4zu?」です。(目でくれよんしんちゃん先生に助けを求めるわたし)

(「お前の発音おいら分からねぇよ」てな具合で黒板を指さすしんちゃん)


「大(カリカリカリ)足(カリ…中略…リカリ)」


「Oh,大足(da4zu2)」(納得顔のしんちゃん)


そう大足。四川省と重慶市の境界付近にある街。
重慶からはバスで2時間。石窟寺院で有名なところです。


石窟寺院といえば「龍門」。皆さん覚えてますね。

(「Dui,Longmen shiku!」とアメリカ同学)


先の修学旅行、いや失礼、語言実践活動で訪れた中でも留学生人気アンケートで、「抱(いだ)かれたい観光地」ナンバーワンの地位を兵馬俑と争ったと噂の「龍門石窟」。あの様な石窟が大足にもあります。


先学期は四川大学で中国語を勉強していたわたし。

ですから知り合った四川人によく、

「大足に行ったことがある?えっ、ない?あの『中国4大石窟』の一つで、世界遺産にも指定されているんだぞ」

とたびたび諭されるんで、実際に足を運んでみました。


すると、これがなんとまあ。
感動もんでした。


ですから、龍門石窟参観のときにも、わたしは大足との共通点、相違点を丹念に比較しながら、大変「高級」な文化的な学習をしていたのです。


ところがです。

四川では、中国人から嫌になるほど聞かされ、耳にたこだった「四大石窟」ですが、旅行中、ガイドの口からも地元の人たちからも、この言葉、一度も聞きませんでした。

そう、「三大石窟」こそ普通語(標準語)で、「四大石窟」はただの四川方言だったことをようやくこのときわたしは初めて知らされたのです。(さすがわたしの信じるしんちゃん。ひとり大うけ)


四大石窟を制覇したわたし的には大足も「三大」に負けず劣らずというか、ある面では完全に勝っていると思ってますから、がっかり度はいかほどのものだったでしょう。


では大足の何が「三大」に勝っているのでしょう?


それは「モロ中国的なところ」。


大足が坊さんたちによって掘られ始めたのは、唐末期だとされてます。それから宋の時代まで。西暦でいうと800年代末から1200年代半ばでしょうか。

他の三大に比べてじゃっかんの時差があり、すなわち前座の後に満を持して登場したため、仏教以外、儒教や道教、その他民間信仰の要素もふんだんに取り入れています。インド由来の仏教が完全に中国バージョンの「新興宗教」に変わり果てた、と言ってもよろしいでしょう。

生活習慣病一歩手前なほどふっくら、デフォルメの効き過ぎた仏さんの隣には、口げんかにいそしむ夫婦像や殴り合いをする子供たち、閻魔大王や地獄絵図も登場、とにかく信仰という信仰のオンパレードです。


これでも一応世界遺産として認められていること自体、審査員の博識、ユーモアセンスに敬意を表します。


そんなわけですから、もうすぐ終業式を迎えます。
文化を学んだ皆さんですから、中国思想の集大成、大足に行きましょう。


ただひとつ気をつけてほしいこと。
旅の中継地、重慶は中国三大かまどの一つです。

こっちはほんとの「三大」です。


北京で30度後半の熱さを経験したからといって、おごりは禁物。あちらさんは「熱い」ではありません。とにかく「蒸し暑苦しい」のでその心の準備だけはお忘れなく。


とはいっても、大足でしか見られない物が大足にはあります。

一度行けば、虜になることは間違いありません。
後はもう知り合いにどんどん大足を紹介していきましょう。
ネズミ算式に知名度をアップさせましょう。

そうこれこそ、私が密かに進める「『四大石窟』普通語化計画」。
実現の日は近いぞ皆の衆。夜露死苦!


(ふぅ、また独りかっ飛ばしてしまったと反省しながら席に戻るわたし)

posted by 牧場主 at 06:46| 北京 | Comment(0) | TrackBack(0) | エンジョイ!学生生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月28日

大学入試オメデタ違い




女子高生30人余、大学入試の身体検査で妊娠発覚?
浙江省泰順県は噂で持ちきり、入試事務局デマと説明

【6月28日=新京報】


「高考(全国高等院校招生統一考試)時の身体検査で、県内中学校2校の女子生徒数十人の妊娠が発覚したらしい」

ここ数日、泰順県ではこうした情報が世間を騒がせ、また少なからぬ保護者たちが娘を厳しく問い詰める姿が見られている。同県の入学事務局の担当者は前日、記者の質問に対し、「全県下1665人の受験生を検査したが『女子生徒の妊娠』の話は全くのデマ」であると断言した。


 ◇生徒30余人が妊娠?

この驚くべき「高三女子生徒妊娠」については、これまでいろいろなタイプの情報が流れており、「妊娠した生徒」の具体的な数字についてもバラバラ。ただ、すべての噂で共通するのは、生徒が通うのは泰順の2カ所の中学校、泰順一中と泰順育才中学だという。

記者が街頭で無作為に訪ねた数名の市民は皆、「学校側はすでに情報流出の食い止めにかかっている。ある生徒によれば、高考の検査で30人を超す女子生徒の妊娠が発覚し、うち一中の生徒が6人、育才からは20人以上が見つかったらしい」と真顔で説明。

泰順一中の正門で取材に応じた同校2年女子生徒によれば、学校内で行われた女子生徒身体検査で妊娠が発覚したという話を聞いたことがあるという。しかしなぜ妊娠したのか、どのクラスの生徒なのか、この女子生徒口を閉ざしたままで、「こうしたことは軽々しく話してはいけないことだし…」と、はにかみながら去っていった。


 ◇学校側は否定

泰順一中の曽汝芝校長は記者に対し、一週間前にこうした風聞を耳にした際には校長もまた驚き、慌てて入試の担当局に事態を確認したという。「当時、担当者も訳が分からないという雰囲気でしたが、基本的に検査でなんの問題もなかったと説明を受けた」という。

曽校長はまた、「当校では毎学期身体検査を行っており、このような事例は一度も起こっていない。ましてや高考の検査で、そもそも妊娠の有無を調べる検査があるだろうか。例え現代の生徒たちの考えがどんどん『すすんでいる』といったところで、さらには、大変まれなケースとして生徒の妊娠が全くなかったとは言わないが、こんなに多数の妊娠が一度に発覚するというのは全く非現実的だ」

記者がある関係者の話として理解したところでは、一方の育才高級中学は7年前に創立した地元では最大の私立中学。妊娠の噂が出た理由について、同校の周寒副校長は、我が校に対して悪意を持った人物が、学校のイメージを壊そうと意図的に流したデマである、とはっきり断言したという。


 ◇「妊娠は一人もなし」と事務局

泰順県の入試事務局の陳主任は「今年の高考は泰順県内で1665人が受験。身体検査を受けた生徒のうち、芸術系への進学を希望していた生徒10人が専門科目の点数が基準を満たさなかったために試験自体を放棄した以外は、すべては基本的に高考を受けた」と説明。

「提出された検査結果によれば、生徒の誰からも妊娠の検査結果は出ていない」と陳主任。「世間に流れている『生徒妊娠』は間違いなくデマです」と続けた。

受験生の身体検査の責任者である周悦文武医師もまた、検査の過程で身ごもった女子生徒は見なかったという。

≪今日早報≫供稿



【評】

自分の娘を疑い、厳しい追及の言葉を投げつける親御さんたちの姿、ああ目に浮かびます。


もちろん、火のないところに煙は立たないわけでして。

一中の2年生女子生徒の「これ以上はもうわたし、はなせない…」という話、また曽校長の「大変まれなケースとして生徒の妊娠が全くなかったとは言わないが」というちょっと含みを持たせた答え方など、基ネタになった話があったとしてもおかしくありません。


ただ今回はまれに見る壮大な尾びれの付き方になってしまい、それこそ「噂の真相」などそっちのけで町中大盛り上がり大会になったことでしょう。ああ、目に浮かびます。


ところで、基本的なことですが中国には高校はありません。
日本の中学(初中)と高校(高中)を合わせて中等学校(中学)です。

で、発端となった大学と高等専門学校の統一入学試験である全国高等院校招生統一考試(高考)。この高考については、さすがは科挙以来の伝統を持つ「元祖学歴社会」の中国、6月7、8両日の本試験前後から、


▲子供の遅刻を気遣う家族に当て込み会場近くに一泊1万円の臨時ホテル出現
▽マークシート用鉛筆(2B)で粗悪品が見つかり採点が行われなかった悲劇
▼北京市内で最高得点をマークした女子高生3人への単独インタビュー


など全国各地から悲喜こもごも様々なニュースが伝わってきましたが、今回のニュースはその「最後っ屁」という感じですな。

夏草や兵共がゆめの跡(芭)★★★★☆
posted by 牧場主 at 19:36| 北京 | Comment(0) | TrackBack(0) | これは面白ニュース!? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月27日

火鍋は○でも火炉は×




武漢、千余の納涼地点一般開放
大半は地下駐車場、防空壕、活動室など

【6月27日=新京報】


本誌総合報道

昨日、武漢の最低気温がセ氏30度を上回ったことに伴い、同市内の三地区にある納涼地点1183カ所の24時間一般開放が始まった。

近頃、中国の伝統的な四大「火炉(かまど)」都市の一つで長江沿いの都市・武漢は、最高気温こそ(北京など)北部の各都市に及ばないものの、集中豪雨に悩まされている中国南部と晴天続きの同北部との境界上に位置することから、異常に蒸し暑い日々が続いている。このため、武漢市各町内の事務所は、市政府の要求に従って地区内の納涼地点を緊急開放、涼を求める市民を24時間態勢で応対することになった。

大部分の納涼地点は地下駐車場、防空壕、活動室などにある。屋外が耐えられないほどの酷暑であっても、大型扇風機や空調施設を備えたこれら納涼地点は清潔で、さわやかな風がそよぎ、周辺住民や大粒の汗を流し通りを歩く人たちの多くが次々と涼を求めて中に入る姿が見られた。少なからぬ人たちが酸梅湯や緑豆湯、スイカやアイスキャンデー、飲料水など体温を下げる効果のある食べ物を含みながら、将棋やトランプに興じ、世間話に花を咲かせていた。

武漢市関係部門の担当者によると、同市は2004年に200万元(約2600万円)あまりを計上して「納涼計画」を策定、すでに法制化も終えている。最低気温がセ氏30度を超え、最高気温が同35度を上回った場合、自動的に「納涼計画」が発動することになるという。各納涼地点にはすべて担当者が配置され、低所得者層や障害者、特に災害などにあった貧困層の人たちを優先して、彼らが安全に夏を越せるよう任務にあたる。



【評】

涼を求められるところであれば、交通量すさまじい立体交差の日陰部分であってもぞろぞろと集まってはばくちなどに興じる中国人。納涼地点のにぎわいぶりが目に浮かびます。

武漢の名誉(?)のために申しておきますと、当該市、「中国三大かまど」にも堂々のランクイン。

ちなみに「三大」の残りは重慶と南京、「四大」になると長沙が加わり、「七大」まで広げれば杭州、南昌、上海も名が挙がるというのは、中国維基百科(wikipedia)の説明。

どれも民間の伝承によるもので、科学的な裏付けはないのですが、とにかく長江沿いは「暑い」ということが言い伝えの趣旨のようです。


で、今回の記事で目を惹いたのは、「集中豪雨に悩まされている中国南部と晴天続きの同北部との境界上に位置することから、異常に蒸し暑い日々が続いている」という現状。片や南部6省区において2000万人近い避難民が発生、片やセ氏40度を超えるバカ暑い日々続きの北方、その境目にある武漢の蒸し暑さは、ほんと想像に難くありません。

この「納涼計画」、多くは扇風機やクーラーの購入費だと思われますが、地方政府にとっては少なくない金額を投じただけに、どれほど効果があり、市民の反応はどうなのか、この目で確かめてみたくなります。ただ実際のところ、火鍋の熱さは得意でも悶熱(蒸し暑さ)にはてんで弱いわたしではありますが…。


行政のお話はどうも堅苦しい印象が先立ちますが、こういう地方色をにじませた独自の政策となれば、なかなか面白いものです。★★★☆☆
posted by 牧場主 at 22:35| 北京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | これは面白ニュース!? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月26日

四川を思い出した一日




へたれ闘牛士になって牛に追いかけられる夢を見ることもなく、胸焼けも免れたサンデー・モーニング。


日曜の朝というものは「ちょっぴり物憂げ」と相場が決まっているのだが、朝飯のパンを買ってなかったことに気づき、ほんとにブルージーになってしまう。


ただ、本日は昨日ほど落ち着かずに室内を挙動不審に歩き回ったりはしておらず、なぜならスケジュールはもう決まっておりまして。郭沫若の故居に向かうことになっております。


郭沫若?

1892〜1978。四川省楽山出身。
歴史家にして詩人にして革命文学家。で副総理なんかもしてた人。


で、強引に私との関係で申しますと、

郭沫弱は四川人。私、四川大学に留学
郭沫若は九州大学医学部に留学。私、九州人。


多分高校の歴史でも名前が出てきた人かもしれないけど、恥ずかしながら彼の名を本格的に意識するようになったのは昨年12月頃。シアンツェンという四川大学外国語学部日本語学科のかなり賢く、ちょっと色気づき始めた楽山人に教えてもらいました。。

わたしの部屋で二人で話してたとき、

「九州出身だったら郭沫若知ってますよね」

「だれそれ?」

「えっ、知らないんですか」


どうやらシアンツェン。郷土の英雄をけなされたと思ったのか、その当時染めたばかり、ちょっと赤みがかった髪の毛と同じくらいに頬を赤らめながら、ちょっとムッとしたような面構えに一変。わたしの方もほんとに郭沫若を知らないのは非常識人なような気がしてきて、その晩ネットでそれなりに情報収集した記憶があります。


まあ、めでたく9月から日本留学を決め、正式にわたしの後輩となるシアンツェンへの「ごめんなさい」の意味も込めて、残り本当に少なくなった北京生活の一日を使い、現在は記念館として公開されている彼の家に出向こうというのです。


ですが、腹が減っては戦はできないでしょう。


何事にも形から入らないと気が済まないのがわたしのよいところ。
郭沫若をルーツから理解するには、まず彼が20歳になるまで毎日食って育った四川料理で腹ごしらえしてこそなんぼ、との仮説が浮上。五道口駅近くの「成都小吃」に直行です。


炒蛋柿子飯套餐(セット)を注文。
辛いばかりが四川料理だと思っている人たち、あなた方は二重に間違いを犯しています。
一つは最近ちょっとは知られてきましたが、痺れる花椒の味こそ四川の神髄。軽々しく「四川料理って辛いよねー」と言っちゃう人をわたしは信用しません。さらに2つめ。四川料理は、豊かな天府の地で育った野菜の味が絶妙なのです。だから野菜を生かすため、薄味の料理もたくさんあります。この炒蛋柿子だって、地元ではもっぱら「番茄炒鶏蛋」という名前ですが、卵とトマトだけを使った炒め物。トマトの酸味と塩味の効いた、極めてさわやかな味なのです。

それが北京にきたらどうしたことか。
とにかくどこの炒蛋柿子も「甘〜〜った〜〜るぅい」。

美味しいトマトが手に入らないからなのか、味付けにトマトケチャップか砂糖を使っているため、ご飯にまったく合いません。オムライスだって同じ材料を使っているじゃないか。お前はオムライス食べないのか?という指摘もあるかもしれませんが、四川の「番茄炒鶏蛋」の味を知ってしまったら、もう他の類似料理との比較はできません。


套餐には菜湯(野菜スープ)と泡菜(漬け物)もついて9元。

さあさあ、大盛りのそれが運ばれてきました。

大盛りにあまりいいイメージがないのは事実ですが、そこは四川料理。一口一口、口に運べば運ぶほど、食欲が増していくのは間違いなし。


で、結論。

北京人にこびるな四川人よ。

郷土の味を忘れてしまったのか。
味覚を失った四川人に存在価値はあるのか。


結局、泡菜だけが、まだ落ち着かれる前の魔王が「腐っている」と最高のほめ言葉を授けた、伝説の食堂「没有」の泡菜と同じ味でした。



郭沫若故居にはバスで一元。


とは言っても、ドア・トゥー・ドアにはほど遠く、最寄りのバス停「新街口」からは、例の後海西側の「胡同」を突っ切って約2キロ。

「やっぱり」帰ってきたぜ。そうわたしは胡°同人」

と一人悦に入りながら、おもしろ胡同人たちを写真に収めながら楽しむ散歩。朝方雨が降ったおかげで、12時半という時間帯にもかかわらず、この前の文化講座の時の「出エジプト記」と異なり、涼しさすら漂う心地よい道のり。上機嫌になるのも無理はないというところ。


そうこうして、到着しました。
そしてすぐに目に入りました。「北京市愛国主義教育基地」と大きな看板。
ひっそり掲げられた「郭沫若故居」の看板よりもだんぜん目立っております。


まあ、教育基地ってことで当然ながら半額の5元で、学割入場。
勉強してもらったからには、わたしもしっかり勉強しようではありませんか。


ほほーぅ。彼がここに住んでいたのは1963年11月からのこと。中華民国時代に建てられた伝統的に四合院造りで、63年より前は在中国モンゴル大使館。孫文夫人で国家副主席だった宋慶齢が住んでたこともあるとか。


胡同巡りの観光客を乗せたバスで日中は四六時中渋滞、そんな周りの喧噪から壁一枚を挟むと、いたって静かな緑の世界。館内に入れば、当然ながら生まれてから亡くなるまで多くの資料が展示してある。自然と足が向かったのは、九州大学留学中のできごと。医学の道を捨てて文学者としての道を歩み始めた、彼にとって一大転機となる時期だけに、どのように紹介しているのか。興味は尽きない。


九大時代については、2枚の紀念写真と一枚の文献資料。
少なすぎると言えなくもないが、内容はこれが、

その年(1919年)の6月、福岡の友人たち数人が集まって、夏社という小団体を組織した。…中略…。我々の目的は抗日であって、もっぱら日本の各種の新聞雑誌中の、中国侵略の言論と資料とを捜し集め、それを中国語に訳して国内の各学校、各新聞社に送付しようとしたのである(郭沫若自伝「創造十年」より)。


なかなか心に響くところがありました。


何せわたしも、遅ればせながら「抗中」いやいや、中日友好のため、中国の新聞中の、日本バッシングも含めて「面白い」と思った言論やニュースを捜し集め、それを日本語に翻訳し、日本人向けにブログで公開しておりますところでございまして…。

さすがにわたしは血気盛んなお年ごろは過ぎたわけですが、「言葉の力を信じて伝えたい」という思いは相通じるところで、彼に対する親近感も一気にアップしたのでありました。


で、感慨にふけっていたところ、携帯がぶるぶると震える感覚。


「誰だ、こんな時。ほんと間の悪い」


仕方なくポケットから携帯を取り出し、メールを確認。


そこには思いもよらぬメッセージが!!!


「火鍋マニア隊、集合!ひまあったら、いらっしゃいよ。南門6:30。隊長:○○(ティエンゴンの実名)!返答は必要なし」


おーっ。これは「火鍋の夕べ」へのお誘いではございませんか。

ティエンゴン。若いのに気が利く奴だ。ヒマがあったらなんて、当然行くに決まってるでしょうが。火鍋より大事なものなどこの世に何があるというのですか。鍋を囲みながら、今日わたしがどれだけすばらしい一日を過ごしたか、よくよく語ってあげましょう。


寮に帰り着いたのは午後4時のこと。
ゆっくり休憩し、シャワーも浴び、純真無垢な体になっていざ出発。


6時25分。はやる心を抑えきれず集合場所「南門」に到着。

6時30分。集合時間。まだ誰もいない。ほんとみんな中国流に慣れちゃってしょうがないんだから。

6時35分。どしゃ降りの雨。傘をさし、「南門」の脇に一人たち続けるわたし。

6時40分。そうさ、分かっていたさ。もうそろそろいいだろう。

成都のある南西の方角に向き直すわたし。
大きく息を吸い込み、腹式呼吸で一声。


「北京じゃねーのかよ!」


誰にも知られることなく、ここまで高等な「一人遠距離時間差ノリ突っ込み」をやることになろうとは。


ティエンゴンめ。覚えていやがれ。いくら一斉メールが楽だと言ったところで、四川大学留学生連中に混じって、北京で真面目に勉強しているわたしにまでお誘いメールを送ることはないでしょう。しかも南門集合という曖昧な書き方。ちゃんと川大南門と書きなさい。あと「返事は不要」。これもいただけません。この自信に満ちた表現、ひょっとして1%くらいの確率でまた北京にきているのかも、なんて期待を持たせるじゃありませんか。


いずれにせよ、火鍋に対しては赤ちゃんよりもピュアでノーガードなわたしを貶めた罪は重いですよ。


いつの日か必ず夜中あなたの部屋に侵入して、重慶産10回以上は使い回した火鍋スープをあなたの体の穴という穴に塗り込んでやりますから。


よくよく覚えておきましょうね。
posted by 牧場主 at 23:36| 北京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | まちかど歩けば新発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月25日

「伝説」はモー結構!




この一週間、何事もなく落ち着いて過ごせたような気になっていたのだが、いざ週末を迎えてみると、何か落ち着かない。


旅行に出なかったから?


ハルピン行き列車の寝台がとれなかったのだから仕方がない。
新幹線開通前の日本じゃないんだから、あの硬座(さすがに無座ではないが)に乗って、直線距離で東京から鹿児島を上回るあの距離を、しかも約150元も出して行こうとは思わない。
来週以降、万全の準備を持って北の大地に繰り出すことで自分自身も納得済み。


ではいったい何故?

どうやら元来安っぽいわたしの胃袋、味覚を認識する脳みそ、そしてそれを吸収する体全体が、例のジャンクフードを求めているらしいのです。

そう、あれは一週間前(5月18日参照)。
屈辱続きの承徳旅行で唯一、くじけそうだったわたしの心を支えてくれた「モー吉牛」。
北京に戻ってイトーヨーカ堂西直門店の吉野家で自分へのご褒美「大盛り牛丼セット」を食べるはずが、帰りのバスにて、運転手連中のわがままから一字違いの「東」直門に降ろされ、泣く泣くセブンイレブンのコンビニおにぎりでごまかしたあの悲劇。

本人は忘れていても、体は忘れていなかった。


今日の予定はモー決まり。
吉野家に行きます。大盛りを食べます。
日本の方には心苦しい限りですが、北京にはこういう「自由」はあるのです。


でも、でも、せっかく行くのだから、それだけじゃあおもしろくない。
またしても本能とも言うべき貧乏性がむくむくとこうべをもたげてきました。

そこで、最新トランジスタを搭載したわたしの脳みそがフル回転。
導いた結論こそ、

 「どうせならブログにも書きたい」から始まり、

  →ブログは「チベット」かつ「OK牧場」
  →OK牧場といえばガッツ石松
  →ガッツといえば伝説の男
  →伝説の男ははなわの作品
  →はなわは佐賀県出身
  →佐賀の県歌はS・A・G・A(嘘)
  →歌の中で牛丼屋「よしだや」


よし決まった。


吉野家の後は吉田屋に行こう。
究極対至高の食べ比べを行うのだ。

冗談ではありません。
北京にはれっきとした牛丼屋「吉田屋」があるのです。
しかも大学から歩いて約10分。
でも行ったことはなし。


幸いにしてわたしもはなわくん(さん?)と同じ佐賀出身。
こりゃあもう、コンセプトの勝利。
わたしにしかできない、まさに適材適所なミッション。

後世、あまたの歴史家がわたしの北京滞在を検証したとき、10大ニュースのかなり上位に位置づけるであろう、伝説の対決が展開されることは十中八九、間違いありません。


てなわけでヨーカ堂5階。

高級ペットフードなどが置かれているコーナーの隣。
純正マグロ肉を使った猫用の缶詰(150グラム)とほぼ同じ値段(24.9元)の牛肉飯大椀套餐(牛丼大盛りセット)を注文するわたし。

牛丼大盛りはたぶん日本の大盛りと同じサイズ。これにサラダ(2日前の日付)がつき、みそ汁またはペプシコーラ(M)などの飲み物のどちらかを選べる。

幸せでしたね。厳格には日本の吉野家とは系列になるのでしょうが、安心して食べられるあの味です。口の中がちょっと脂っこくなっても、中国ではお茶でなくコーラを口に含めば十分にリフレッシュできちゃうから不思議です。

しかし問題も発生。
勢い勇んで寮を出てきたせいか、まだ11時をすぎたばかり。
朝飯からまだ3時間。さらにわたしの体は旅行モード継続中で胃袋は財政再建団体転落寸前の○○県のように緊縮しており、まだどんぶりの底が見えていないのに、満腹モードに突入。

一応食べ終わりましたが、このままでは公平な審査は無理。

後攻めの吉田屋に不利な展開にはならないか。
でも夜飯まで待ったり日を改めたりすると、今度は吉野家の感動を忘れてしまう。


てなわけで急遽、腹ごなしの運動をすることに。

ただしここは町なか中の町なかのなので、路上で腹が空くまで太極拳を舞い続けるわけにも行きません。
結局、歩きまくることにしました。



まず訪れたのは、ヨーカ堂から約3キロ離れた白塔寺。
元の時代に建てられたネパール式の仏塔が有名なチベット寺でござる。
学割が効いて20元が10元。でも高さ約51メートル、北京最大の仏塔は改修中で近寄ることすらできず、またしても「倒迷蛋(ついてない君)」の3文字が頭をよぎるが、わたしはもう昔のわたしではありません。

チベット風に参拝していたら何故か最後に入ることになった正門をくぐって2つめの建物「大覚宝殿」。
明と清の時代に北京、チベット、モンゴルなどで作られた、監視員のおばちゃん曰く一万体もの仏像がフィギア・マニアの隠れ部屋宜しく、整然と並べられ、しかもライトアップも絶妙なおかげで黄金に輝いています。

一見の価値ありです。感動もんです。時の流れが止まります。
もちろん仏像マニアに限りますが…。



さらに腹ごなしの散歩は続き、白塔寺周りの胡同では生活臭を漂わせるよさげな雰囲気の人民をぱしゃぱしゃ撮影。


西単までたどり着くと、北京図書大厦に直行。
5階の自然科学のコーナーで「Black Neck Crane」は「黒首鶴」ではなく、「黒頚鶴」と訳すのだと確認する(→すぐ訂正)。さらには149元もする「中国野生哺乳動物」という図鑑がどうしようもなく欲しくなってしまう。



で、バスに乗って戻ってきましたわれらが五道口。

伝説の「吉田屋」があるのは、大学東側を南北に走る学院路を約500メートル南下したところ。
これまではバスの車窓からしか見たことがなかったのだが、実際歩いて近寄ってみると、ほんとうに元祖を意識した店構えをしている。

店のカラーはあの赤に近いだいだい色。屋号は黒。

ただ牛飯(牛丼)以外にもサイドメニュー(?)は豊富のようで、入り口付近にはでかでかと「カレー」「麺類」「アイスクリーム」、そしてついには「火鍋」とまで…。この辺は「吉野家」というより「松屋」路線を継承しているのだろうか。


さらに店内に入ると「日本のドンブリもの紹介」と題した説明がでかでか登場。

「日本のドンブリものは明治期に現れ、まずは『親子丼』から始まった」に始まり、「カツ丼はその読みが『勝利』の発音と似てることから、受験生は皆勝利(合格)のためにカツ丼を食べる習慣がある」との驚きの事実を紹介。さらには「吉田屋は日本が百年間にわたって培ってきた牛丼、鰻丼、東坡丼(日本にある?)の味わいを各メニューの中に忠実に盛り込んでおります」と、まるで牛丼一筋○十年の「吉野家」を意識するような文句がまとめとして綴られていた。


ここで問題発生。
やっぱりというか、まだ十分におなかがすいていないのです。

でもこれは伝説として語り継がれるべき究極と至高の対決。

心の60%、体の80%は中盛りを求めていることは十分承知しながら、どこまでも審査は公正に行わねば、と言い聞かせるわたし。カウンターに向かい、

「牛丼セット。大盛りの方でお願いします(泣)」

こちらでも湯(スープ)かジュースを選ぶ方式ながら、さすがにこの状態で炭酸ものはお腹に最後の一撃を与えそうで、厳密に同条件といえなくなるものの湯を選んでしまう。

「大牛肉湯套餐ですね。18、9元になります」

この何も知らずのんきな従業員め。
思わず恨み節がゲップとともに漏れそうになりました。


牛肉とご飯はそれぞれ別々に盛られており、吉野屋で言うところの「牛飯定食」風でしょうか。サラダは付きませんが、かわりのおつけもの盛りは、「紅ショウガ」「たくわん」などなかなか豊富。スープはカニカマボコなどが入ったチープな海鮮風味。あと何故か粉を溶いて作ったようなオレンジ汁も付きました。

でも、ここの特徴は「牛肉の量」に尽きました。

うっかり一度にすべてをドンブリの上にかけてしまったんで、超山盛り状態。固体だけど表面張力だけで現状を維持しているようで、ちょっと箸でつついただけで、テーブルの上に肉が落ちてしまいそう。

そう、恨めしいほどに大盛りなんです。

味も悪くはないほどのレベルには達していたと思いますが、お腹の方がもうSOS。
究極対至高を裁く伝説の審査員としての任務を知りながら、中国にきて初めて、音を出してご飯を掻き込むあのはしたない動作をやってしまいました。後半戦になると、かむ気力すら湧かないので、スープと一緒にとにかく流し込みまくりました。


やっとのこと食事は終了。

判定?

わたしも含めて三者痛み分けということでいかがでしょうか。
ただし再戦は必要なし。もうすぐ日本ですが牛丼も当分結構。


吉田屋さん、ぜひ佐賀に出店してください。
純粋な佐賀県民に判定してもらってこそ吉田屋伝説は始まります。

わたしはもう、……伝説などいりません。
posted by 牧場主 at 22:48| 北京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 食い物、飲み物腹一杯 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月24日

拳と剣のお話最終章?




いきなりですが、「武術家」として人生の岐路に立たされてしまいました。


そのわけは追々お話するとして、太極に迫ろうと毎週、太極拳、太極剣の授業に出席していることはみなさんご存じの通り。

それこそ中国語の授業よりも熱心なもんだから、一部の老師からはやっかみの声が出ているとか出ていないとか。


そんな武術の授業ですが、7月上旬の終業式を待たずに本日で授業は終了。ただ終了するだけでは芸がない、というわけで「修了式兼お披露目会」が開かれたのでした。。


その名も「武術課結業儀式」。


儀式……。

血を見るのか?

いくら何でもそこまでは…ないでしょう。


いやいや、厳かでよろしいじゃあありませんか。


こういう中国の仰々しいところ、嫌いじゃありません。


ところが、困ったことに開始時刻は午後2時半。


ぜんぜんわれら短期強化班、授業中じゃん。

何をおっしゃいますか。
授業と太極どっちが大事かなんて比べるまでもありません。
前言撤回。困ったことなんて何もありゃしない。


午前中、しかも授業中、堂々と老師に向かって挙手&発言。


「太極を極める物語は最終章を迎えています。授業なんて出ている隙はみじんもありません(一部誇張)」


なんて言っちゃったものだから、老師ちょっとふくれ面。
でも午後からの語言実践活動「お遊戯会の練習」不参加の免罪符をスマートにゲット。これはこれで面白い見せ物になりそうですから、また折を見て。


そんなわけで、午後2時半。

英雄物語の舞台となる運動場に参上。


おります。おります。
棒術やヌンチャク、散打の連中も含め約50人。

おっ。みんなカンフー服。


ってことはわたしも…?

おっ、老師こんにちは。
あっ、これを着ろと。
青ですか。ラッキーカラー、望むところです。


すべすべの生地は当然シルクではなく、てれてれのナイロン素材。

10個くらいボタンがあるから、着終わるまでは面倒だけど、一度着ちゃうと、自分でもなかなか様になってる気になります。


…ゴクン。
この得も言われぬ感情こそがコスプレにはまる人たちの理由なのか。


いやいやわたしは身も心も武術家。
当然まとうべき衣装をまとったまでのこと。

今日こそは「無我」の気持ちでいこうではありませんか。


そう、思い起こせばかれこれ2週間前。
へんしゅうちょう(→編集長)を廬溝橋に接待したあの日。
6日の日記に「さあて、どうなることやら」、と思わせぶった「早起き表演会」
夕方からもBe-Bloggerの設立総会があったし、何か忙しくなる予感がして、結果…どうにもなりませんでした。単なるさぼりです。


そう、だからこそ今日こそは、なんです。


太極拳は10人。
太極剣は5人。

それぞれわたしとともにこの4ヶ月汗を流した面々。
さあ、いいとこ見せてあげましょう。


儀式は始まりました。
でも式次第を聞かされ、唖然。

拳が1番、剣は2番。

これでは3時のおやつ(文明堂)前に、出番はすべて終わってしまう。
まさか、わたしたちって「前座」?

よし、皆の者。
この屈辱、怒りに変えてみせようぞ。


で、演舞スタート。まずは太極拳。
気の抜けた超スローモーな曲が流れるなか、5倍速くらいにすれば、「ドラゴン怒りの鉄拳」よろしく、仮想敵をばったばったと倒していくわたし。皆の者と若干動きが違うという指摘もありましたが、そこは主人公の特権でしょう。曲の終了とともにぴたりと動作を終えるあたりは、調整主義者の面目躍如でした。


で、はやくも結業儀式究極にして至高の見せ場がやって参りました。
6本の剣(読音「つるぎ」)が乱れ舞います。太極剣。
演じますは、「わたしと5人のみなのもの」でございます。
さあ、とくとご覧あれ。


(わたし的には瞬く間に終了)


見てた?
見てなかった?
見てなかったって言ってちょーだい。おねがいします。

だって剣をもつの久しぶりなんだもーん?
太極拳のスピードが遅すぎるから、どうしても引きずられちゃって…。

結果、音楽が終わる間に演舞をまとめきれず、その後も10秒ほど剣を振り回していた「みなものとわたし」


Fu、Hu、フ、ふ、不完全燃焼すぎーる!

こんなんで終わっていいのか?
かといって、この場でもう一度やり直すのも格好悪さの上塗りをするだけ。


この次またお披露目会があるのなら、そのときにリベンジを、という気にもなるのだが、わたしの北京は今学期で終了。入学許可証が届かない(しつこくアピール)けれど、行く気は満々のチベット大学に「太極」を学ぶ場があるとは思えない。さあ、どうしよう。

もしかすると、ラサのどこかには教えてくれるところがあるかもしれない。いや、あれだけ漢族が増えたんだ。町の西側には絶対あるに違いない。


日本で暮らしてきた30年間、凝り固まった脳みそとからだ。中国にきてからというもの、何とか柔らかく柔らかく、と気をつけてきたのだが、若干だれすぎとの見方もある「おつむ」の方はともかく、体の方はまだまだ理想とするところの20%位までしかほぐれていない。何よりこのまま「太極」と疎遠になるのはもったいなさすぎる。


あまたの「武術家」はこうした窮地を何度も乗り越えてきたのだろう。
冒頭にもふれた「岐路」を迎え、結論までにはしばし時間がかかりそうなわたしでした。
posted by 牧場主 at 00:30| 北京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | エンジョイ!学生生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月23日

開通前から難儀やねえ




温暖化、世界最高地の鉄道脅かす

【6月23日=CHINA DAILY】


青海、西藏(青蔵)高原の気温の上昇が、世界最高地を走る鉄道として来年にも試験運行を始めるに青蔵鉄道に脅威を与えることになりそうだ。

「過去10年間に観測されたペースで気温が上昇したとすれば、2050年には、青藏鉄道の安全運行に影響が出るだろう」。三江源地域、すなわち揚子江、黄河、瀾滄江(メコン川)の源流地域における気候の変化をテーマに北京で開かれたシンポジウムで、ある気象学者は警告した。

青蔵高原は気温の変化に対し極めて敏感な地域であるため、地球温暖化の影響を観察する顕微鏡、中国および東アジア地域に警告を促す指針になるとして、多くの気象学者に認識されている。

国立気候研究所(National Climate Center)の羅副所長は火曜日に開かれたシンポジウムで、「2050年には高原における夏、冬の気温がそれぞれ3.4度上昇するだろう」と述べた。

このような警告は、「永久凍土を溶かし線路に影響を与えうる」と羅副所長は指摘。「1986年より中国は18年間連続で暖冬が続いている」と続けた。

さらに1960年代より、青海西藏公路の両端にある凍土は5〜9キロメートルにわたって後退、全体として12,3%減少しているという。

今後50年間においても、青蔵高原の北側部分に位置する青海省の気温は2,2〜2,6度上昇、これは隣接する他のエリアに比べても高い数字となっている。

シンポジウムでは、「こうした気温の上昇に伴い、高原地帯の凍った土壌は今後30〜40年のうちに30〜40%は減少する」との観測も報告された。

羅副所長によれば、気候の変化は氷河の大幅な後退、凍土の溶解を促進を招き、さらには以前に比べ春の早い時期における雪解けを促すという。


◇厳しい注意が必要

青蔵高原、特に「三大大河の源」である三江源地域の気候の変化に対処するため、羅副所長および専門家は、このような観測と関連して引き起こる重大な影響について当局側が重大な関心を示すことを促した。

彼らはまた、科学者に対しても、この地域における生態系を守り、将来にわたって維持するための研究を進めることを求めた。

総面積36万平方キロメートルにも及び、平均高度が海抜4000メートルを超える青蔵高原は、チベタン・アンテロープ(チベット羚羊)、黒頚鶴など希少野生動物、チベタン・スノー・ロータスなど漢方薬の宝庫となっている。

世界自然保護基金によれば、高原地帯の約半分は中国最大の自然保護区に属しているが、世界的な温暖化現象と過去数十年間における人間の侵入によって、環境や生態系の悪化が続いている。

遊牧民などの入植や過度な放牧はこの草原地帯に大きなダメージを与え、深刻な土壌の浸食、肥沃な土壌の質を低下などを引き起こしている、と専門家は指摘した。



【評】

せっかく見出しにもとっている「青藏鉄道」ですが、会議の出席者による「永久凍土を溶かし線路に影響を与えうる」との発言を引用しているだけで、さらに「影響」について詳しく掘り下げた説明がないのは残念です。


ちょっと考えれば分かることではありますが、凍土が解けたらどう鉄道に影響が出るのか、説明があってもいいような気がします。


日本のどこかの大手新聞社のように政治部や社会部など部間の「縄張り意識」が強いようなところだと、たとえばこのシンポジウムを取材した科学部の記者に、チベット高原の事情やこれまでの鉄道建設の苦労などまでふまえて記事を仕立てよ、という要求はないのかも。


「チベット☆OK牧場」なので、喜び勇んで取り上げてみましたが、よくよく読んでみれば、発言の羅列が大半で、記者の目が見えてきません。当局に早急な対策の必要性を説き、専門家にさらなる研究を求めるのであれば、一般読者に情報を提供することが最重要任務である新聞で書く意味はそうないと思うのですが。



ただ今後もチベット関係の記事を積極的に載せてほしいので、この手の話を取材していたということだけでも評価して★★☆☆☆
posted by 牧場主 at 21:47| 北京 | Comment(0) | TrackBack(0) | これは面白ニュース!? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月22日

こんな結婚あんな結婚




今週もやって参りました文化の薫り高き水曜日。
選択授業の中国文化講座、今週のテーマは「婚俗(婚姻習俗)」


ここ数日、北京は日中40度にも迫らんとする「激烈サマーデイズ」が続いているため、さすがの青島巡査、室井管理官、そしてわたしも今週は「現場なし」と判断。エアコンの効いた会議室(教室)でおとなしく証拠ビデオ(市販VCD)を検証する運びとなりました。(意味不明?→5月30日参照)


まず証拠品一発目は「紅高梁(紅いコーリャン)」(1987年・中国)。
張芸謀(チャン・イーモー)監督の出世作と一般にはいわれてますが、見る側をドキドキさせる「赤」の使い方、動的なカメラワークもさることながら、何より略奪愛などの内容を含むことから、「北京市青少年健全育成保護条例(仮)」違反の疑いがもたれている作品であります。


冒頭シーン。

花轎(フアジャオ≠花椒)を中心とした花嫁行列が果てしないコーリャン畑を進みます。


花嫁は鞏俐(コン・リー)。
駕籠をかつぐ男の一人は姜文(チャン・ウェン)。


鞏俐は若く美しいです。そして姜文は怖いくらいに野性的。


月曜日、婚姻についての座学が行われたとき、わたしのイメージに浮かんだ漢族の嫁入りシーンこそこの冒頭の一幕でして、けっこういい線いってたわけです。


この作品を見たのは2年ほど前。夏。
熊本の超高級住宅地に忘れ去られたように残る6畳一間のアパートで真っ昼間、クーラーもつけず、画面上の姜文と似たり寄ったりの格好でラム酒か泡盛を飲みながら、汗だらだらに鑑賞していたようです。そんなあやふやな状態のあやふや記憶。


そういえば、この後ちょっとエッチなシーンになだれ込まなかったっけ?


そう思った途端、何げにリモコンの停止ボタンを押すくれよんしんちゃん先生。


おいおいしんちゃん。
そんなP○Aみたいなことしなくてもいいじゃない。
しんちゃんだって「子どもに見せたくない番組」の上位常連組じゃあありませんか。ここはひとつ「同類哀れみの令」でいきましょうぜ。



2本目の証拠VTRは、これまた難儀な一本。
「中国」17民族の結婚にまつわる風俗・習慣を紹介したVCD。


違法ビデオ店から押収した数百数千本のHビデオすべてに目を通し、「冷静」に違法シーンを探し出す生活安全課の刑事さんよろしく、これだけ笑える珍場面の中から「民族分裂主義者」の疑いのある人物を探し出すのは、われわれ湾岸署五道口派出所の特命捜査員にとっても一苦労。


▼婚礼の席にて、相手を思いきりつねればつねるほど、その愛情は深さを増すとされる「海南ミャオ族」(海南島)。

▽結婚が決まった娘さんのために「泣き家」を作り、嫁入りまでの半年、一年であろうとも関係者が集まって終始泣きながら別れを惜しむというトウチャ族(湖南、湖北etc)。

△関係者に守られながら新郎宅に向かう新婦。迎えに現れた新郎はなぜか新郎関係者にボコボコにされながらも、どうにかして新婦の耳に手が触れるまで頑張るイ族(四川、雲南etc)。

▲14、5才になった娘さんには親から小屋が与えられ、彼女に興味を持った男がいれば「入ってもいいかい♪」から始まり、「座ってもいいわよ♪」「一緒になってくれ♪」「ごめんなさい♪」など、互いに愛の一部始終を歌ってすませる東洋版「サウンド・オブ・ミュージック」な海南リ族(海南島)。


30分ほどの内容ですが、腹がよじれてよじれて死にそうでした。


おいおいどうした。
われらがチベット族さんよお。
紹介はされましたがインパクトはまるでなし。


サポーターとしてちょっと複雑な気持ちではありますが「やっぱ中国は広いなぁ」と感慨ひとしお。ただ、今回の証拠VTRはどうやら1990年前後のものと見受けられ、この十数年の中国の変化を考えれば「時効」を迎えている(=現在では途絶えてしまった)ものも残念ながら少なくなさそう。彼らにはぜひ漢族観光客目当ての金儲けなどには走らず、これら珍習こそが真の「文化遺産」であるとの誇りをもって後世に伝えてもらいたいものです。
posted by 牧場主 at 20:23| 北京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | エンジョイ!学生生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月21日

茶っぱの国のPRIDE




《生活提示》
2品目で鉛の標準値超える
衛生部門、撤去と販売停止を指示
北京市、茶葉検査合格率は98%

【6月21日=新京報】


北京市衛生局は、昨日付けで発した市内の茶葉市場で行った製品抜き取り検査に関する公告で、福建産「一品得緑茶」と常州産「開古袋泡茶」に含まれる鉛の量が標準値を上回っているため、市民に購買を慎むよう注意を促した。

同局は最近、飲食業者、デパート、スーパー、茶葉専門店など市内47カ所で袋詰め、または量り売りされていた異なる銘柄の計100種類について抜き取り方式で衛生監督検査を実施。検測の結果、茶葉の合格率は98%に達していた。

今回の検査で不合格となった二品目について、衛生部門はすでに製品の撤去および販売の停止を命じており、同時に行政処分も行った。



【評】

読んだとおりの記事です。
タネも仕掛けも、邪推や裏読みの付け入る隙もありません。

でもこの13(民生)面に小さく載っていた記事、何となく新鮮に映りました。


「茶っぱの国のプライド」とでもいうのでしょうか。
日常生活において、特に几帳面すぎる日本人の感覚からは、いい加減さばかりに目がいってしまう中国人ですが、お茶に対するこだわりは若干ほかの食品とは違うようです。「におい」でそう感じました。

もちろん、食品の抜き取り検査は日本と同じように当然他の物についても行っているかもしれませんし、さらにはこの合格率98%という数字もどう評価してよいものなのか。何せこの種の記事をまともに読むのは初めてなんで、全く分からなかったりします。


あとお茶好きな自分にとっては、「鉛が多い」ってどういうこと?
鉄分が多いのは体に良さそうだし、亜鉛も体には必要な物質じゃなかったっけ、なんて思ったりもします。

とはいいつつ、この販売停止になった商品の製造元が購買者のためを思って意図的に鉛を増量していたはずもなく、製品管理のずさんさの一面を垣間見せる結果でありますから、例えすでに市場から「ぶつ」が撤去されているとはいえ、名前の公表は当該会社、および同業他社に対しても一定の効果があるのでしょう。


ほんと単なる「べた記事」ですが、なにごとにも新鮮感は大事なので★★☆☆☆
posted by 牧場主 at 13:45| 北京 | Comment(0) | TrackBack(0) | これは面白ニュース!? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月20日

さあて運気↑のきざし




承徳旅行で一生分の悪運を使い果たしたこと信じて疑わなかった日曜日。


悠然と漢語水平考試(HSK)の会場に乗り込みました。


おります。をります。
もともとHSKは語言大学の主宰で、しかも今回は同大学生だけが受験可能という特別な催し。しかもわが速成学院短期強化半の面々は法外な授業料を納めていることもあって、通常の受験料250元が打2,4折の60元で受験できるため、会場のあちこちに同学們の見慣れた顔。



しょっぱなは聴力の試験。


まるで「別の国の言葉」を聞いているかのような新鮮な感覚。


えっ、それっておかしくない?

いくら中国語は別の国の言葉だといっても、北京にきて以来、ここまで別の国の言葉っぽく聞こえたことは「記憶にございません」


…終わりました。
まだ始まったばっかりですが…


まだついていない君のままでした。


なんの準備もせずに試験に臨んで「分からない」というのを、果たして「ついていない」というジャンルに含めていいものかどうか。皆さん議論が分かれるかもしれませんが、わたしがルールブック。力業でそのように認定しました。

疫病神はまだわたしに後ろ髪を引かれているようですね。



で、今日のことです。今日のこと。


そうです。ようやく思い出しました。
重要なのは7月の全世界統一HSKなのです。


以前、四川の悪友たちと交わした「賭けHSK」こそがわたしの目標。

今のところ、主だったメンツは成都以外にも散らばってしまったこともあり、口約束はぐだぐだになってますが、いつまた話が復活するか分からず、準備を怠るなどもってのほか。


賭けはたった一回ですが、成都だったら学生飯屋「没有」の一日貸し切り、北京だったら「四海楽」で餃子を夢にまで出てくるほど食べまくれるくらいの金が動き、さらにはここでは書けないような恥ずかしい仕打ちが待ち受けているのは間違いなし。


てなわけで、気分を入れかえ、問題集を買いに行きました。

決して
「不勉強を反省して」
なんて書きませんよ。


反省するとろくなことが起きませんから。


今学期が始まった頃に3回ほど足を運んだ図書館に向かいました。2階の本屋には大学出版社の本がたらふく並べてあるので、じっくり吟味。前日の感触をふまえ、聴力専門の問題集を買うつもりでしたが、唯一の条件は「CDのやつしか買わない。」。


カセットプレーヤー持ってないし、iPodに落としてオシャレに「ティンリー(聴力)」したいから。


都合よく目に入った一冊を手にとって、お手並みを拝見。
「8級精解(聴力)」という問題集。幸い別売りでCD5枚。

裏面に記された定価を見ると、問題集だけで29元。
CD込みだと116元。


116元?

まさか、思いも寄らない3ケタ代。

それでも、思いを寄り切りました。


ほかの問題集はすべてカセットとのペア。
今、手の内にあるこれこそが

「いちばんナウいやつに違いない」と。

自らを千尋の谷に突き落とした気分でレジに向かいました。



(バーコードを機械で読み取らせる店員)
「63,2元」


えっ。

やっぱ聴力悪いから聞き間違えたのかな。


どう計算したら116元が63,2元になるんだ。


でも分からないふりしてこのまま払うのが良いかも。


息の詰まる神経戦。
何気ない風を装って100元札を渡すわたし。
みごと無言のまま、レジを切り抜けるわたし。


50元以上も浮いちゃいました。
もう「倒黴蛋(なんてついてないんだ君)」にはおさらばです。

実際のところ本の割引販売はそう珍しくもないのですが、これだけでもう勝った、儲かった気になっちゃいます。



気分は上々。
今日は喜びに浸るため、勉強は明日以降にお預けしましょう。そうしましょう
posted by 牧場主 at 00:19| 北京 | Comment(0) | TrackBack(0) | 他にもまだこんなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月19日

バレないでこそ手抜き




ココシリのチベット羚羊5万頭超まで増加
保護は適切、密猟者には厳しい打撃

【6月19日=新京報】


新華社6月18日電(記者陳新洲 陳暁虎 銭栄 )

適切な保護で密猟者に大打撃、ココシリ地区でのチベット羚羊の生活は良好ー。青海省可可西里国家級自然保護区の才戛局長は先日記者の取材に応じ、2004年と05年初めに行った2回の調査によって、世界的に絶滅の危機にひんしている羚羊の生存数が5万頭を超えるまでに回復したことが分かった、と述べた。

モンゴル語で「美しい少女」、チベット語では「鮮やかな緑の尾根」を意味するココシリ(可可西里)。総面積4万5000平方キロメートルにも及ぶ可可西里国家級自然保護区は平均海抜が4500メートル、チベット羚羊の主要な生存地帯であり繁殖地となっている。このチベット羚羊は青藏高原の特有種であり、その独特な生存環境と生活習慣から、今に至るまで世界のいかなる動物園や施設においても人工飼育の成功例がない動物になっている。

チベット羚羊の喉から胸に至る毛は細く柔らかく保温性にも優れることから、「ビロードの王」と称されており、「沙図甚」と呼ばれる高級スカーフの原料として、世界各国の高級ブランド店などでは一枚約2万ドルの高値で売り出されている。この法外な価格が引き金となって、チベット羚羊は前世紀の80年代から密猟者による乱獲の対象となり、絶滅の危機になるまで減少した。

「一枚のスカーフを作るはチベット羚羊5頭ものビロードが必要だ」。才戛局長はチベット羚羊がこれまで被ってきた大規模な猟殺に非情に心を痛めている。



【評】

最初に言っときます。ここまでいい加減な記事、久しぶりです。


私はまだ残念ながら見てないのですが、映画「可可西里」でも有名になったチベット羚羊(チベタン・アンテロープ)の保護にまつわるお話。この映画のおかげで、2008年の北京オリンピックの大会マスコットとして、あの永遠のアイドル熊猫(ジャイアント・パンダ)を押さえ今のところ候補第一位に君臨しているとの報道もある、中国では今最もホットな動物です。


で、この記事の何がいただけないのか。


どれくらい増えたのか、具体的な数字がありません。
なぜ増えたのか、具体的な密猟者対策も示されてません。

何より、ネットで調べた限りでも、南方日報が似た内容の記事を約2ヶ月も前に報道しています。さらにこっちの方がずいぶんと具体的で正確。他社の記事のスクラップを基に電話取材をすれば、一時間で書ける内容です。


ではなぜこの時期に新華社はこの記事を出したのでしょうか。

わたしの知る限りでもここ数日、新華社電として数本同地区の記事を目にしました。
その一つは以下のような内容でした。
可可西里国家級自然保護区はその厳しすぎる自然環境から別名「可可西里無人区」とも呼ばれているが、その無人区に最近遊牧民が数十世帯が入り込み、ヤクや羊がチベット羚羊の重要なえさである草を食べ尽くして問題になっている、という趣旨。


なんだか本日の記事と矛盾しているような気がしません?

新華社としては記者を3人も派遣しているのだから、彼らには最低一日1本の原稿を出すよう上がノルマを課しているのではないでしょうか。だから記者さんたちも多少は脈絡がないことは自認しながら、原稿を送り続けているのかも。


夏とはいえ厳しい自然環境のなか何日も取材を続けるのは大変なことでしょう。でもここまで手抜きが読者にばれるようでは記者も、原稿を通した新華社のデスクも、転載した新京報もその見識を疑ってしまいます。
よって当然ながら★☆☆☆☆
posted by 牧場主 at 23:29| 北京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | これは面白ニュース!? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月18日

なんてついてないんだ




「週末=旅行」の図式は、永遠の不文律。

いよいよもって北京生活は残りわずかとなっただけに、華北一帯にすべからくわたしの足跡を残すため、一週すら空白を作るわけにはいきません。


で、目的地は河北省北部、清の時代皇帝の夏の離宮が置かれ、チベット仏教を保護した皇帝の気まぐれ(?)のおかげで、豪勢なチベット寺院も建てられた承徳。


ただ今回はこれまでと少し話が違ってます。
弁論試合でちょっと「ふにゃっ」となってしくじった自分に、「守りに入るとはなにごとぢゃ。頭を冷やせ。昔を思い出せ」と科した罰ゲーム。


初めての中国、ベトナム国境から昆明に向かったあのときのように。
敦煌観光を終え、遙かシルクロード・ウルムチに向かったあのときのように。
チベット行きを控え、高ぶる気持ちで成都に向かったあのときのように。


そう、「無座」で行ってもらいましょう。



夜行列車で目的地に向かうのに寝台車両に乗るのではなく、しかも座席すら確保されてません。人が多けりゃはいおしまい。そのへんにいてください、という「無座」です。

決して「無我」ではありません。「無我」の気持ちでも良いのですが、トランクスもシューズも黒という最も古典的レスラースタイルのオヤジたちにドラゴンスリーパーをかけられそうなので、やっぱり「無座」で行くことにしました。



ひょっとして後に伝説として語り継がれることがないこともないかもしれない、「もっともついてない一日」が始まりです。

あまりに記録的なことなんで、ドキュメント方式で綴ってみました。


凾O0:10
すでに日付は18日土曜日。列車の到着時間はもう過ぎているし、ていうかもう発車時刻。見た目は1980年代の雰囲気漂う、実際は鶏小屋のようなにおいの充満した北京南駅の待合室でもう30分間、四方八方を中国人に挟まれ、汗をだらだら流している


凾O0:20
ようやく石家荘発承徳行き4453次普通快速列車が到着。すでにひよっていたわたし。すぐさま寝台車両に行き、車両長に空きベッドの有無を確かめるが、「補票売りの係員に聞け」と一辺倒。同係員を探すため、乗車率推定132%の2等座席(硬座)車両を8両ほどさまよい、捕まえた挙げ句が「あるわけないだろう」の一言。
この間、座席下に潜り込み熟睡するオヤジや床に無造作に捨てられたたばこの灰、ゴミ、痰、その他汚物など、硬座の地獄絵図もまざまざと目にし、人民は10年前と何も変わってないことを肌で感じる


凾O1:00すぎ
都合3度ほど空席を見つけ、そのたびいっときの幸福が訪れる。しかし毎度のこと嫌がらせのように「俺の席だ」と主張する中国人が現れ、流浪生活が再開される。結局車両の連結部分にスペースを確保、愛読してます「新京報」をしいて腰を下ろすことに


凾O2:15
パスポートにデジカメetc。貴重品には当然気をつけているつもり。でも、さすがに疲れて目を閉じていたら、胸ポケットに入れていたiPodが何やらもぞもぞと動き出し、すぅーっと持ち上げられる感覚が…。
とっさに手で押さえようとすると、目の前にいたのは車両に同乗している警察官のオヤジ。北京弁まるだしのレロレロ口調で「こんな目に遭うからこんなところで寝るな。盗まれても誰も取り返してはくれないんだ」だと。
「きさんがいっちゃん怪しかっちゃろーが」


凾O3:00すぎ
外は雨が降り始めたらしく、乗降扉の隙間からエアコンの1,5倍くらい寒い風が吹き込んでくるようになった。こっちは半袖シャツの下にTシャツ、チノパン姿。汚くてもにおいがきつくても人混みのおかげでむんむんした座席側が恋しくなる。夜が明けても雨降ってたらそれこそ最悪だ


凾O4:20
列車は30分おきくらいで、わたしにとっては名もなき駅に停車する。そのたび若干の客の乗り降りがあるため、ある駅に止まった際、いちるの望みを託して座席側を見に行ったところ、地獄の中にぽっかり浮かぶ小島、空席を一つ発見。ようやく「無座」から開放されることに。すでに車窓からの景色は深夜の色から明け方のそれに変わり始めていた


凾O6:05
せっかく席を確保したのだからゆっくりしたかったのに、列車は遅れを取り戻して承徳には定刻着。今回は日帰りの予定だし、雨も収まり、寒さも「涼しい」程度に落ち着いていたので、早速観光を始めることに。
駅前広場で最初の目的地「避暑山荘」行きのバスに乗り込もうとしたら、我先にと押し寄せる中国人の混雑にまじって、わたしの右側に密着してくるあるオヤジ。見た目40過ぎ。髪はスポーツ刈りをちょっと長めにした感じで、スラックスに無地の白半袖シャツという典型的なオヤジスタイルだが、肌の色は結構白く、一見して「田舎から出てきました」みたいな感じはしない。
左に少し離れようとしてもまた寄ってくる×2回。これは、と思った瞬間、彼の左手は見事わたしのチノパンの右ポケットに進入。その手をひねり出しておやじの腹を軽く突き放すも、このお方動じる気配もない。
「警察に行きたいのですか」と質問をしたところで、背を向けてくてく歩き始めた。3メートル離れたところで、早足になり、さらに5メートル進むと駆け足でどこかに消えていった。
多分乗車前、わたしが右ポケットから小銭の束を取り出して乗車賃一元を準備していたのを見ていたのだろう。ほかにポケット内には携帯電話とアーミーナイフも入ったことを思えば、ついてないながらもついていたといっていいのだろうか


凾O6:15
避暑山荘は清代歴代皇帝の夏の離宮。皇帝が建造した中では世界最大の公園らしく世界遺産に認定されている。入場料は92元となかなかものだが、ここは中国、わたしは留学生。当然のように学生証を提示するものの「学割はありません」と非情な一言が心にグサリ突き刺さる。
この国を評価する最大のポイントであった学割神話の崩壊。
わたし、わたし初体験です。こんなむごい仕打ちを受けたのは。学生に約1200円の出費はでかすぎよ


凾O9:20
でかすぎはこの山荘も同じ。太極拳と健康体操、バトミントン、合唱に余念がないじじばばさまたちの間を縫って、園内をうろつくが、手元にある地図は「在りし日の山荘の姿」をイラストで紹介しているため、実際には柱、礎石の跡だけ残っている「○○園」「□□亭」などが結構多く、目の前はただの原っぱだということもしばしば。自分が今どこにいるのかも分かりにくい。
折を見て切り上げ、朝飯にありつくつもりだったのだが、気が付けば自分がいるのは園の最深部。すでに1時間半が経過している。ほぼ同じ時間をかけて入口まで戻ってくると、もう朝飯とはいえない時間帯。この山荘、緑は確かに豊富なんでマイナスイオンだけはたらふく吸収した気になれるのだが、空腹にはいっさい効果なし


凾O9:35
わたしにとって皇帝がどうこうというのはあまり重要でない話。
それよりチベットでしょう、ということで最も楽しみにしていたチベ寺見学を始めることに。まだ完全には五台山ショックから抜けきっていないだけに、期待と不安が相混じるなか、普寧寺(大仏寺)の門をたたく。ここでも学割は問答無用、しかもガイド情報(30元)から大幅値上げの50元


凾O9:50
チベット高原から遠く離れ、バター油が常温で溶けるような所にあるチベ寺は、あの良くも悪くもおおらかな雰囲気を忘れてしまうのだろうか。とにかく何をするにも金、金、金。完全に金儲け主義に走ってしまっているようだ。ここは世界最大とされる木造の千手千眼観音菩薩(高さ22,38m)が売り物の一つで、確かにでかい。でも菩薩の顔をちゃんと見ようと思ったら2階より上へ。金の亡者はここでも10元を要求。
ほとけと聞いたら黙ってられない性分なので、大盤振る舞い。出しました。喜び勇んであがってみると、菩薩を取り巻く回廊があるのは顔の高さにはほど遠いまだへそのあたり。一応3階もあるらしいのだがこれ以上はあがれないらしく、暗いの手ぶれするだろうなとは思いつつ、10元(燕京ビール5本或パンク修理10回分)の元を取るべく、意地になってシャッターを押す


承徳.jpg

◎参考写真:意地になってみたって被写体はこんなんばっかりなんだけど…


凾P0:00すぎ
おみくじがあった。一応チベット系の僧衣をまとった若者2人が、組立工場で流れ作業をこなすようなかんじで、並んでいる大勢を裁いていた。
占い方はこんなかんじ。
希望者はまず「王様ゲーム」みたいに50本ほどの棒の中から一本を選んで坊さんに見せる。次に大きさも形も冷凍餃子(三日月形)のような2つの木塊を台の上に投げ入れ、それぞれ裏が出たか表が出たかを見る。棒に記された数字と裏表の組み合わせによって、坊さんは後ろの棚に約100種類ほど用意してある占い結果から一つを選び出し、希望者に与えるというもの。
よくよく観察すると、餃子を転がして同じ目(裏なら裏、表なら表)が出たら、ふり直し。おっとろしーいことには、3回同じだと「はいさよーなら」。占ってもらえません。お金(10元!)も戻りません。
果たしてチベットにこんな占いあったかな、と根本的な疑問が頭をよぎるがすでに記録的に災難続きの一日。どういう具合に占われるのか、興味があり、わたしも参戦する。
前に並んだ2人が連続して「却下」となる64分の1の光景を目の当たりにして、「今日の私だったら512分の1の奇跡も可能か」と、10元棒に振ることが脳裏をかすめるが、健全な労使関係の上にこそ成り立つ一発回答。
おみくじの内容?
「漢字が難しくてよく分からない」ということにしておきましょう。
ちょっと運が向いてきたかな、と


凾P0:40〜11:10
ガイドブックに書かれた情報を丸飲みしてはいけないことなど旅人の大原則。先の五台山旅行でも体験しました。でも、またしても歩かされました。普寧寺から次、私にとって承徳観光の最大の目玉である「普陀宗乗之廟(小ポタラ宮)」までは「15分」。結果はご想像通り、その倍30分は歩きました


凾P1:15
どうしてもこの全てが撮りたいのだ。ラサのポタラ級を3分の1のスケールで再現した普陀宗乗之廟はそれでもかなりのでかさ、見た目もなかなかの代物。奥に進むにつれて坂を上っていく建築様式なのだが、登りが急すぎるのと入山後すぐにある「中国風」の建物がでかすぎるため、どんなに入り口付近をうろちょろうろちょろしても、雄壮な全景を収めるポイントが見つからない。もちろん学割はここでも役立たず。ガイド本通りの入場券50元だっただけで若干うれしかった自分が悲しい


凾P2:45
ハコものはご立派、中身はスッカラカンという近年日本の地方自治体で雨後のたけのこのように現れた生涯教育センター「○○ふれあい館」に例えるのが最も適当みたい。小ポタラ宮こと普陀宗乗之廟の現状は。時間はかかりましたが、見学はあっけなく、薄っぺらく終わりました。
ほとんど坊さんの姿が見あたりませんでした。蔵族だかモンゴル族だか、はたまたカザフかドゥーロンか、とにかく「民族っぽい」ことだけを強調した衣装を着た売店売り子ねーちゃんはごまんといます。純白のカタはみました。五色のタルチョはありましたが、蔵文字の経典は記されず。何故か漢字で願い事を書き入れるタイプで、七夕の短冊みたいです。ヤクバターは皆無。お堂の中はすべてもくもくと線香の香りが立ちこめてます。
一応敷地内には僧坊が散見されるので、坊さんがいないわけではないのでしょうが、誰かが意図的に本来の拉嘛教信仰の場としての役割と観光産業振興の場としての役割を切り離そうとしているかのようです。
同じく主のいなくなったポタラ宮はまだ体裁だけは保っていますが、歴史の流れというものはどういう気まぐれを起こすのか誰も想像できません。本体がこうなってしまわないことを切に望みます


凾P3:15
もう帰ることにしました。小ポタラ宮からは118番バスで山荘前へ。北京へはバスに乗ろうと決めていたので、汽車站(長距離バスターミナル)に向かうという5路バスに乗り換えました。
なぜバスで帰るのか。それは承徳発北京行きのバスはすべて西直門汽車站に着くと誰もが言っているし、どのガイド本にもそう書いていたから。なぜ西直門に行きたいのか。おなかがへっているから。おなかがへったのなら今すぐ何か食えばいいじゃないか。もうかなりの空腹、こんなおなかすいた状態、自分への「ご苦労さま」を込めて美味しい物でいやしてあげたい。それじゃ西直門に行きたい説明になっていない。そこにはイトーヨーカ堂がある。ヨーカ堂で何を食うのか。あなたはほんと勘の鈍い人ですね。吉牛にきまっとるでしょうが、モー。いったん吉牛モードになってしまえば、波のように押し寄せる窮地、悲劇、困難だって「モー吉牛」を心の支えに乗り切ってきたのです。
結局5番のバスは「汽車站に行かない」、という理不尽な理由から途中でおろされちゃいましたが、歩きましょう。べつにへこたれませんよ。ゴールは間近なんだし


凾P3:55まで
バスターミナルが見つからず承徳市内をとにかく歩いてさまようわたし。地図に示されたところにないのだからどうしようもない。汽車站の移転は、再開発が進む中国のあらゆる町で想定しなければ行けない問題だ。結局火車站前からバスに乗り込むことになった。ほんとへこたれませんよ。ゴールはたぶん間近なんだし。


凾P4:05
北京行きミニバスはすぐに発車した。定員約25人のうちまだ空席が半分。どこかで客を拾うため再停車するのは間違いない。30分ほど市内をさまよう。わたしの居場所は進行方向右側の席で、前の席までは約20センチ。両膝が座席の金具に当たって痛い。クーラーはない。太陽の光をもろに浴びる。まぶしい。日よけをおろすと何を考えているのか真っ黒の日よけ。直射日光は避けられたが思い切り太陽光線を吸い込んで、サウナのように暑い。修業だ。いじめだ。拷問だ。まだまだへこたれませんよ。ゴールの方には進んでるんだし。


凾P8:30
「ふにゃふにゃが終点だ」。3月に語言実践活動で万里の長城に行ったとき通った懐かしい北京北部のバイパス道路を走行中、突然運ちゃんがそう叫んだ。相変わらずの北京なまりとそれ以上にヒューズが切れる寸前のわたしの意識のおかげで、うまく聞き取れなかったが、その後の乗客からの反応で事態は容易に飲み込めた。「西直門に行くんじゃないのか!話が違うじゃないか(怒)」。
「話が違うじゃないか」とわたしも蚊のような声を絞り出し、かぼそく抗議。最後の最後になってまた面倒が発生してしまった。運ちゃんたち、多分市中心部の渋滞が嫌なもんだから、適当な場所で乗客を降ろすつもりに違いない。
これだけ広い北京の町。とんでもないところで降ろされたならば、住み処に帰るだけでもまた小旅行になってしまう。なにより不運続きの今日一日、心の拠りどころにしてきた「吉牛」への道が閉ざされてしまったのが、どうしようもなく痛い。


「なんてついてないんだ」


高校時代の愛読書「ちょっとヨロシク」(吉田聡(C)小学館)の影の主人公花田くんの名せりふですが、あれから10数年、とうとう自分の口からこの言葉が出てしまいました。



凾P9:00
知らないバス停で下車。停留所にある路線表を見ると東直門に近い場所らしい。西と東。一文字の違いがこれほど人間を絶望のふちに追い込めるとは。もちろん東直門近くにも探せば「吉牛」はあるのだろうが、これほど疲れ切った心と体では、開拓する気力などみじんも湧いてこない。しかたなく東直門のセブンイレブンにて、中国にきて初めてコンビニおにぎりを購入。鮭おにぎりと豚肉キムチおにぎりの二種類。さらには三得利(サントリー)烏龍茶、せめて日本のジャンクっぽい食べ物で自分を慰める


凾Q0:05
とにかく何もかもを振り絞って宿舎に到着。



「マイナスかけるマイナスはプラスなんだからプラス思考でいきましょう」

そう声をかけてくれる人がいるのなら、ありがとうございます。

でもこれだけ不運の連続。全体でマイナスの出来事をいくつ経験したのか、果たしてそれは奇数なのか偶数なのか、数えるだけで一苦労。面倒です。それよりも、これだけ色々あれば当分ネタには困らないな。シャワーを浴び、冷えたビールをちびちび。アルコールが乾ききった細胞の隅々までしみわたっていくのを全身で感じながら、最後の最後は笑顔が漏れちゃうわたしでした。



明日はHSKの試験じゃなかった?
ふん。知ったことじゃありませんね。
posted by 牧場主 at 19:41| 北京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | またまた旅に出ました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月17日

反省だけなら○ルでも



このブログでは旅行の隠れみのとして一躍名を馳せてしまった「言語実践活動」ですが、実のところは毎週金曜午後に行われる授業(2時間)が基になっておりまして…。


で、本日も金曜日。
今週はわれわれC2班と近くのC1班による弁論試合が開かれました。


題目は、「ネット上の恋愛は真実の愛情か」。


数日前から両クラスには弁論を進める上で賛否どちらを主張すべきか示されており、我々はこのテーマを一貫して擁護する「正方」。対する悪の巣窟、魑魅魍魎の温床C1班(言葉のあやです、ごめんなさい)はこれでもか、とネット恋愛をけなし、さげすみ、おとしめる「対方」。

中国語の「弁論」は「ディベート」と訳すべきなのが分かってもらえたでしょうか。


天下分け目の関ヶ原か、赤壁かというくらい、にぎにぎしく、目の色を変えて開かれるものかと思えば、相手方の参加者は定員15人中7人。こちとら同19人中16人。


戦う前から勝利は決まったようなものですから、あえて伝家の宝刀(=わたし)は必要ないな、と思いまして、中国語で言うところの「黒馬」(ダークホース)でいくことにきめました 。


誰です。

「またさぼりやがって」なんていっているのは?


数の上では絶対的な劣勢にもかかわらず果敢に挑んできたC1班の面々だというのに、ダイヤモンドのように完璧で美しい理論を展開するわたしを間近に見たらどうなります?

絶望のふちに追いやらないため、あえて忍んだのです。


まあ、ゆっくりとみなの意見を聞かせてもらおうじゃあないの(余裕)。


討論の式次第は、両チーム各人が1分ずつ考えを述べる個人発表、相手方への質問も含めた自由討論。そして最後に各チームの代表がそれまでの意見をまとめ、チームの立場を改めて発表(総結)する、という流れ。


さあ始まりました。まずは毀誉褒貶でジャブの応酬、それから右往左往、七転八倒、時に五里霧中、時に一触即発、暗中模索もあれば艱難辛苦。月下老人はいませんでしたが、以心伝心でわがC1班の心は一つ。

盛り上がった女性陣が間髪入れずに発言して我々の士気を盛り上げ、男性陣はスパイスのきいた指摘で相手をうならせる。なんともよろしいチームワーク。世は満足ぢぁ。


おーまかにいっちゃうと、

いくら男女がネット上で知り合ってもいずれ面と向かって会う必要があるのだから、本当の愛情は実際に出会ったときから始まるはずだ、と主張するC1班。


C2の理論は一貫して、すでにネット上でのやりとりで双方が愛情を感じているのなら、その時点で愛情は成立している。愛情とはその先に社会的な何らかの結果(結婚、交際)などが必ずしも伴うものではない。


どうです?
なかなか双方の意見をよく把握してるでしょう。


実は、、、、討論中に発言をしなかったというとことん罰ゲーム的な理由から、チームの総括を担当することになっちゃったんです。

わたしが。


なもんで、急遽、頭の中に残っていたキーワードをかき集めただけのこと。


ほんとバカをみました。
指名を食らったときには頭の中が半分くらい白くなっちゃいました。
当然総括で何を言ったのか、筋は通っていたのか、ほとんど覚えてません。


最終的に勝ち負けをつけるわけではないこともあり、終了後、同学們の私を見る目が変わってなかったことがせめてもの救いでしょうか。


仕事は早めに終わらすに越したことはない。社会人時代、幾度となく「痛い目」を見てきたというのに…。ちょっと反省のわたしでした。



この珍しくもピュアな「反省」がこの後、ろくでもないことを引き起こすことになろうとは…(続く)

posted by 牧場主 at 23:56| 北京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | エンジョイ!学生生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月16日

あわやタイガース観戦



中天門に轟くトラの咆哮
追跡「泰山トラ騒動」
減少続く観光客
「捜虎隊」、捜索範囲しぼるもみだりな発砲禁じられ


【6月16日=新京報】


15日午前10時ごろ、泰山風景区中天門慈恩亭付近の山並みから突如トラのほえる声が聞こえ、近くにいた観光客が直ちに通報した。聞くところによれば、武装警察などによって組織された泰山「捜虎隊」は昨日から捜索範囲を縮小、すでに泰山の主要観光エリアである中天門付近に重点を絞っているという。

15日21時の原稿締め切り時点において、当初確認された2頭のトラ(大型1頭、小型一頭)の捜索は依然続いており、あらかじめ見つかっていたトラの毛、ふんおよび足跡はすでに化学検査に送られた。泰山内のいくつかの風景区はトラ捜索のため、すでに「立ち入り禁止」の段階になっている。


 ◇水辺が捜査の重点地域

記者が昨日、「捜虎隊」による泰山東御道景区の捜索に随行した。武警、公安、虎捕獲の専門家などで組織されたこの「捜虎隊」は総勢100人近くにのぼる。
泰安武警支隊内のある隊長が記者に伝えたところでは、トラ捜索は始まってからまもなく一週間。彼らは毎日午前3時に起床、午後10時まで捜索を続けている。隊員は毎日30キロ近くの山道を歩き回っており、周囲はすべて灌木や茂みに覆われているため、高度に集中力の維持が求められるという。
知るところによれば、武警「捜虎隊」は毎朝出発前、「トラ捕獲マニュアル」の反復を行う必要があり、たとえば虎を見た人は恐怖に駆られるため、移動は4、5人一組で行い、決して一人で探すことは許されず、また遭遇した際には背を向けて一目散に逃げるのではなく、「S字型」に走るか、木に登るかする必要がある。
記者は、ほぼすべての「捜虎隊」隊員が実弾の入った歩兵銃を装備していることを発見。「虎を見つけた際には速やかに発砲するのか」という問いに対して、陳隊長は「トラを見かけても発砲には許可が必要。もし虎が誰かを傷つけたときは、すぐさま発砲しても良いことになっている」と答えた。
これまで泰山では数十人が24時間態勢で監視を続けている。東御道景区ダム付近では、「捜虎隊」隊員が記者に、「虎はのどが渇いた際に下山して水を求めに来るため、水源地帯が捜索の重点地域になっています。虎の糞などの痕跡が見つかったのもダム付近だったんです」と打ち明けた。


◇泰山中天門は昼間のみ出入り可

昨日午前10時、泰山風景区中天門慈恩亭付近にて、虎のほえる声が聞こえた。同風景区ではすでに同エリアの保安体制強化を始めている。これまでのところ、東御道と天燭峰などの風景区で全日立ち入り規制をしいているほか、中天門がある泰山主風景区でもすでに「日中部分開放」の措置をひき、日の出を拝むための夜半からの入山を禁じている。
14日午後、泰安市政府が初めて2頭の虎の存在を正式に発表して以来、泰山を訪れる観光客は依然として減少を続けており、未だ捕獲されていない状況の中、風景区内は緊張状態が続いている。


◇地元政府「ヘリは使っていない」

取材中、農民数人から「ヘリコプターの音を聞いた」との話があり、すぐさま地元泰安市の新聞中心に問い合わせたものの、「ヘリは使っていない」。
記者が昨日午前改めて市宣伝部を取材、責任者の陳さん(女性)によれば、現在「捜虎隊」はどんな天候であっても24時間態勢でトラの捜索を続けており、「捕獲情報が入った際にはメディアを通じて速やかに正式発表する」という。
泰山風景区管理委員会の関係者は、泰山はすべてが立ち入り禁止になったわけでもないし、またいったんトラが捕獲されたならば、改めて開放するという。
これまで、全国各地からさまざまな専門家が泰山に集まってきており、ある法律家はトラの所有者および管理者は当然今回の騒動に対して責任を負う必要があるし、もしトラの引き受け手が見つからないときは、国が引き取ることになるだろうと、と述べた。



【評】

ふぅーっ、訳すだけでつかれました。おしまい。


とはいきませんよね。

何せ同学們との「なかよし5人組珍道中」があわや「タイガース観戦ツアー」に変わっていたかもしれないんですから!!!


読んで頂ければすぐ分かりますが、記事は初報スタイルではありません。
文中に「捜索はまもなく一週間」とあるように、新京報でも13日付で第一報を伝えています。


その記事では、「地元農民が牛を虎に見間違えたという話も」という情報も併記されていたため、紹介するには至らなかったのですが、ここまでくれば「猛虎襲来」で間違いなさそうです。


思えばわたしらが泰山に入ったのは6月5日。7、8日には山の中に出現していたという情報もあるらしく、なかなかスリリングではありませんか。


それにしても「捜虎隊」のみなさん。
一日19時間労働、お疲れさまっす。

わたしたちなんてあの山道を2時間登っただけであのていたらく。
もしトラに遭遇しても一目散に逃げるどころかその気力すら湧かないであろう「ふぬけ」だったというのに、みなさんは一日の24分の19を山歩きに費やしながら、「もしも!」の際は自由な発砲が許されないどころか、自動車教習所よろしく「S字走行」まで指示されちゃたりして(泣)。


ところでトラですが、大型小型と一頭ずつというからには、親子の可能性もあるのでしょう。

ここは「中国」だから、何があっても驚かないような心づもりは必要なのですが、飼い主が持て余すようになった挙げ句の「捨てトラ」みたいな話ではなく、何か想像もつかないような「オチ」を期待したいものです。



最後にまたもマニアック。
新京報は21時が「発稿」だそうで。
うらやましい、です。


無事に生きて捕獲されることを祈ります。
出所も分かればなほ善し。★★★☆☆
posted by 牧場主 at 22:35| 北京 | Comment(0) | TrackBack(0) | これは面白ニュース!? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月15日

胡°同人へのいざない



文化講座も3週目。いよいよ佳境に入って参りました。
で、今週のテーマは「北京の胡同(フートン)」でございます。


小学館の中日辞典によれば、モンゴル語を音訳した言葉で「路地」「小道」「横町」などを表すそうですが、道幅の大小や距離の長短にかかわらず、また道沿いにある住宅までをひっくるめた庶民の生活圏としてのイメージとしてとらえてます。わたしは。


まあ、昔からの集合住宅地です。下町長屋みたいなもんでしょうか。


有名どころだけでも北京市内に360、有象無象をあわせればそれこそ「牛(ヤク?)の毛の数」ほどあるというのは、北京っ子の決まり文句。実際にも1300いくらは残っているのだそう。

北京に都をおいた元の時代より庶民の生活の場として本格的に作られ始めたことから、中国の首都としての北京の発達とともに胡同も齢を重ねてきました。当然ながら北京だけに見られる住居様式で、「故宮」「万里の長城」と並ぶ北京観光の目玉の一つとなっています。


と大層なことを書いてますが、言っちゃえば「路地裏」
興味のない人にとってはそれ以上の価値はありません。


ですが、当然文化好きなわたしですから、胡同を訪れるのはすでに3回目。


前2回はどれも飲み食いが主だったりするのですが、目的か手段かの相違はさほど重要ではなく、「すでに3回目」というスター・ウオーズやロード・オブ・ザ・リングといった超大作でも大団円を迎えるほどの境地に今わたしがあるという事実になんの影響も与えません。


向かうは町の中心部にあり、昔ながらの胡同が比較的残る(=観光客がわんさか集まってくる)後海一帯。

午後1時に大学を出発、見学が始まったのはその30分後から。


そう、準備運動を終えたお天道様がMAXのパワーを出し始める頃。

そして胡同観光の「オブジェ」としては欠かせない、日の沈む頃であればあれほど道ばたに出て何かをしている「北京っ子」たちが、ほとんど家の中に引っ込んでしまう時間帯でもある。


天気予報によれば、本日は最高気温34度の大盤振る舞い。
くれよんしんちゃん先生はお気に入りの日傘をさしてご機嫌なのですが、炎天下、「市中引き回しの刑」をくらった同学們たちの心中はいかほどのものか。心が痛みます。


かといって、何事にも収穫ゼロということには耐えられない貧乏性のわたし。

出エジプト記でモーゼに率いられて砂漠をさまようユダヤの民のように、路地裏を力なく、あてもなく歩く一行を尻目に、せわしく駆け回りシャッターを押しまくってしまうのでした。


収穫?


ビール瓶のビルを見ました。

わたしが最も忌み嫌う(!?)ダ洒落ではありません。
あと、時々テレビなどで見かけます、奇特な人たちが執念で作り上げた「空き缶だけを集めて造った家」みたいなものの類似品でもありません。

この胡同エリアと表裏一体の存在である「後海」は、「オシャレ」で「隠れ家的」で「知る人ぞ知る」ようなバー(飲み屋)が集まるエリアでもあるのですが、そこいら中の飲み屋への酒の配達を一手に引き受けているような酒の集配所(のようなところ)が胡同の一角にあったのです。

例の24本入りのビールケースが縦5列、横10列、高さ10列も並べられている様はなかなか壮観。この表に置いてあるだけでも、ここいらでビールが12000本もの飲まれたことになるのですから。


私も仲間に入れてほしい。
そうどれだけ思ったことか。

ガキじゃないんだ。
発汗を補うにはビール以外じゃだめなんだ。

バーで飲むと、冗談抜きで市価の10倍はむしり取られるような超インフレ(ぼったくり)地帯だけど、ここだったら原価に毛が生えた値段で売ってくれるはずだ。


後ろに太極拳の授業が控えてなかったら間違いなくイってましたね。


また行こう、そう思いました。
実際また来ることでしょう。
そしてなんだかんだいってはまっちゃうかも。

もう胡°同人(プートンレン=普通人)への道まっしぐらです。



…いっときますが、本当に駄洒落は嫌いなんですよ。
posted by 牧場主 at 22:55| 北京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | まちかど歩けば新発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月14日

出ました「★5つ」です



壁に残された手の印

【6月14日=新京報(一面)】


SANY0184 (36).JPG

◎絵説き
昨日午前11時ごろ、沙蘭中心小学校にて、ある武装警官がいっぱいにたまった泥の中で頭をもたげながら、「教室の壁に残された子供たちの手の跡を見に行くといい。洪水に飲まれながら彼らの残した最後のしるしを」と告げた。おって記者がある教室内で目にしたのは、本来純白であった壁が泥水に浸かった一筋の跡であり、その生と死の分かれ目から約50センチ下にに残された真っ黒い4つの手のひらだった。一列に並ぶ8教室のうち5つの教室の壁には濁流の跡が水の線として残されており、あるものは濃く、あるものは薄く、またあるものは高い場所に、あるものは低い場所に、手のひらの印が残されていた。

本紙記者 李艶撮影



【評】

中国東北部、黒竜江省牡丹江地区寧安市の沙蘭鎮小学校を6月10日午後、40分間で200ミリという「200年に一度」とされる集中豪雨で氾濫した濁流が襲い、児童88人を含め92人の死者を出した大災害は北京でも連日大きく取り上げられています。

この種の災害報道の場合、中国と日本の報道で最も違うのは、初期報道の遅さ、扱いの低さのような気がします。背景には色んな「お国の事情」があるのでしょうが、周に一度は死者が二桁台に乗るような炭鉱事故が発生していたり、この一ヶ月だけでも各地で水害が干害などで多くの人たちが命を失っている現状を見ると、根本的な状況改善のため、もっと新聞としての役割を果たしてもいいんじゃないかと思います。

わたしは日本にいた2003年7月、熊本県水俣市の山間部で発生、19人の死者を出した土石流災害を目にした経験があるため、水害の恐ろしさは人よりも肌で感じる部分が大きいのかもしれません。

が、この写真からは子供たちの悲痛な叫びが伝わってきます。どうやってこの手の跡がついたのか、詳しくは分からないものの、濁流に呑まれなかった純白の壁までは約50センチ。命の力を振り絞っても永遠に届かなかった彼らの思いに、読者であるわたしたちは何を思えばいいのか。このメッセージ。あまりに多くのことを訴えかけてきます。


写真は時に何万字の言葉より的確に痛烈に、残酷に事実を伝えるものです。
★★★★★
posted by 牧場主 at 17:56| 北京 | Comment(0) | TrackBack(0) | これは面白ニュース!? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月13日

殺人容疑で「鉄人」逮捕




コックついに罰を受けることに

【CHINA DAILY=6月11ー12日】



殺人事件の容疑者が四川省綿陽県で恋敵を殺害してから12年後に逮捕された。警察が容疑者をとらえたとき、この男は単なる一農民から天津市でも超有名なカリスマコックに変わっていた。

饒兵(ラオ・ビン)容疑者32歳は1992年、恋愛関係のもつれから男性一人を刺殺した疑いがもたれている。

同容疑者は犯行後に天津に逃れ、これまでの間、全国規模の料理コンテストにて2度の優勝を勝ち取った。この栄誉を伝えた新聞に彼の写真が掲載されていたことが手がかりとなり、警察を逮捕実現まで導いた。

饒容疑者は現在、彼の運命を決める裁判所の判決を待っているという。「news.huash.com」が伝えた。



【評】

C・Dの記事自体が短信形式なものですから、何とも味気ない翻訳になってしまいました。

でもこれだけの内容ですが、びっしびし感じるところがありました。早速ネット検索で原文(http://news.tfol.com/news/society/block/html/2005060800665.html)をゲット。

あくまで「自分の読んだ新聞・ニュースの紹介」というスタイルを取りたいので、基になった時代信報の記事を紹介するのは差し控えたいと思いますが、取材した記者の興奮がとことん伝わってくるくらい、力の入った文章になってます。長いし、読み応えたっぷりです。


偶然が幾重にも重なる運命のいたずら劇。
ひたすら事件解決を目指す警察の執念
逃亡の地で開花した思わぬ才能。
手にした栄光。名誉。地位。恋人。


そして逮捕を前にした容疑者の最後の一言。

「もうこんなに時間が経ってしまったんだ。俺ももう帰るべきなんだよ」


あらちょっと、この話面白いわね。ざぶとん3枚!
だれかドラマにしなさいよ。ぜったいうけるわよ(なぜかおばちゃん口調)


でもいかんせん。
原文評価の立場を貫くと、初の満点には届かず★★★★☆
posted by 牧場主 at 22:44| 北京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | これは面白ニュース!? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月12日

見事食いだおれた週末




モグモグ。ボクもう食べられないよぅ。モグモグモグ…


両手にそれぞれ羊肉串(長さ各40センチ)を持ち、右手の次は左手、という具合に串に刺さった肉をひとかたまりずつ交互にほおばりながら、うれしそうに町中を歩いていたシャンフイシャオ(約160センチ、体重わたし以上)が不意にはなったこの一言。

昨年の四川流行語大賞にもノミネートされた名せりふなので当然皆さんご存じのはず(!?)ですが、この週末、あろうことかわたしもそんな「幸せ」な状態に陥ってしまいました。


後にも先にももうこんなことないことでしょうから、記録しておきましょう。
※朝はフランスパンとチーズ、ヨーグルト、インスタントコーヒーの毎日


木曜夜 しょっぱなはクールにきめたよ韓国焼き肉@朴氏シャオカオ店

金曜昼 昼はやっぱりこれだせ豚肉白菜餃子4両(200グラム)@四海楽
金曜夜 3人で一羽丸ごと食べ尽くした高級北京ダック@全聚徳本店

土曜昼 へんしゅうちょうも満足しきりなロースカツ定食@ばんり
土曜夜 北京ブロガー集まるがー私はさしみにいそしみ@味の宿

日曜昼 最後の昼飯、軽くのはずが小籠包づくし@開封灌湯小籠包子店
日曜夜 イタリア育ちの中国人も目の色変えるピッツァ@胡同PIZZA


もちろん食事を彩るアルコールもバンバンいっちゃったわけで、通常の食事一回で二桁のお金を使うことなどないことを考えれば、6月のエンゲル係数は100すら超えそうな勢いです。そんなの恐ろしすぎて絶対計算なんてしません。


さて、「働かざる者食うべからず」という格言は日本だけかと思ったら、中国にも「不労者不得食」という成語があるらしく、これではこんなに食べちゃった自分を正当化する新しい言い訳が必要になってしまったたわけです。


そこで考えられる言い訳候補としては、

??今後の「接待」のための場所探しもかねて、今回はあえて無理をした
??友人がきたのだから、できるだけうまいものを食ってもらうのは当然
??はるばる訪ねてきた友人に金を惜しむのは格好悪いので見栄を張った
??友人がいることを利用して大人数じゃないと行けない所に行った

どれも微妙に真実が含まれているというのがみそ。


結論としては、これら豪華な食事は楽しかった一連の思い出に花を添えることに大いに貢献してくれたことですから、「今回はこれはよし」ということで。


ただ、緊張と弛緩の繰り返しがあってこそ、食のありがたみも増すというもの。


明日からはしばらく、胃袋と肝臓に特別休暇を与えることにしましょう。
さあ、お休みなさい。我が息子たちよ。
posted by 牧場主 at 22:19| 佐賀 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 食い物、飲み物腹一杯 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月11日

廬溝橋にリベンジ誓う




へんしゅうちょうご一行への接待は今日も続く。


日中関係の行く先に多大な関心を抱く我々は、訪問先も当然深慮遠謀を持って選び、実行前には入念な調査を行います。

北京西南部の「観光地」であるところの廬溝橋に向かいました。
うーっ、聞いただけで痺れます。何かすごいことが起きそうな予感がします。


六里橋付近で待ち合わせると、そこからローカルバスに乗車。これがもう、高速道路に並行する生活路線を走るため、客の乗り降りがひっきりなしに行われます。車は容赦なくぼろく、窓も開かない。これからの季節、間違いなくサウナ状態です。

「下々の生活が見たいものよ」と思ったにしても、乗ってはいけないバスです。


そこでまずは耳より旅情報。

地下鉄2号線(環状線)を長椿街駅を出て、交差点の東側にあるバス停から964路のバスに乗りましょう。始発ですから座れます。目的地最寄りのバス停は「抗戦彫塑園」。発音が難しいので「ルーゴーチァオ(廬溝橋)」と言っちゃって結構だと思われます。

このバスの良いところは、まずはお買い求めやすい価格です。なんと片道1、5元(安ーい!)。
さらにひとしきり町中を走りきった後は、目的地の手前の停留所くらいまでは高速を使うために一気にかっ飛ばします。これもう絶対的なセールスポイント。



そんな苦労をおして向かった先の廬溝橋。
さらに入念な計画の成果もあって、今しか見れないものが見れました。


60年という節目に向けて町全体が「修復の嵐」なのです。


城壁に囲まれた集落の中は道路を引っぺがして石畳化の工事に余念がなく、舞い上がる土煙に視界は約30メートルほど。約400メートルほどはあるメーン道路の「城内街」を歩けば、それだけで鼻毛が一センチ伸び、口の中はじゃりじゃり感に満たされそうな勢い。

何を見せてくれるのか、はらはらドキドキして向かった「中国人民抗日戦争記念館」も当然のこと、来るべき日に向けて施設の改築、展示品の入れ替え中。一切の観光客を受け入れてくれません。


いまのところ、再オープンの日付はまだ分かりません。中国だから。
でも8月15日以降に行くのなら間違いなくOKです。中国だから。


おいおい、精査を重ねたんじゃないのかね。


そんなへんしゅうちょうの視線、痛いです。


ご機嫌を直してもらうにはこれしかありません。
最後の切り札。ばんりのトンカツを食べてもらいました。

何とか後処理には成功です。


で、わたしの方は「しゅうふく」には「ふくしゅう」。

お盆の前後も北京にいることになりそうなので、その時期を狙って再度廬溝橋へのリベンジ参戦することを密かに誓ったのでした。



さて、廬溝橋についてはもう一言、二言、三言。


▽対中国全面侵略の開始

1937年7月7日夜、日本軍は北京郊外にて廬溝橋事件を引き起こした。日本側はこの事変を「中国軍による違法射撃」が引き起こしたとの口実をもとに、これを機として華北地帯を一挙に占領せんがため大規模な軍隊の中国派兵を決めた。
続いて8月13日、日本海軍は上海にて戦争(第二次上海事変、ソンフ抗戦)を開始した。14日、海軍航空隊が上海、杭州を爆撃、15日には中国の首都南京を空襲した。日本の近衛内閣は大軍を派遣、3ヶ月に及ぶ激戦を経て上海を占領した。日本の軍部および政府の目算では、上海を攻めおとした後南京を占領することによって中国側を屈服させ、日本による統治を受け入れさせことができるとふんでいたこともあり、南京占領のため20万人もの軍隊を動員、12月13日には南京を占領した。世界の世論から強烈な非難を浴びた南京大虐殺事件はまさにこの際に発生したものである。


これは最近かなり有名になりました、例の日中韓三国共同執筆の歴史本「東アジア三国の近現代史(社会科学文献出版社、29元≒400円)」からの引用。ちなみに南京大虐殺については別途2ページにわたる詳細な説明あります。ご心配なさらずに…。


▽廬溝橋事変から第二次世界大戦へ

1937年7月7日夜半、北平(北京)の西南近郊にある廬溝橋で日中両軍の衝突が発生した。廬溝橋は、すでに元朝のころから欄干に獅子の彫刻を施した美しい石橋として知られ、「東方見聞録」でも紹介されたことから欧米ではマルコ・ポーロ・ブリッジと呼ばれる。この歴史的文化財でもあり古都北京の西南を守る要衝でもある廬溝橋一体の河原で、日本の支那駐屯軍歩兵第一連帯第三大隊第八中隊が当夜、夜間演習を行っていた。演習中に一人の兵士が行方不明になり銃声が聞こえたため戦闘態勢を整えたところ、再度銃声がきこえたので中国軍陣地に攻撃をしかけた、というのが日本軍側の説明である。一方、中国軍側は日本軍が一方的に仕掛けた攻撃だと主張しており、両者の認識は一致しない。

しかし当時のぴりぴりと緊張した日中関係のもと、北京郊外での夜間演習という両軍の衝突を招きかねない危険な行為を日本軍が繰り返していたこと、行方不明の兵士は当夜のうちに無事発見されたにもかかわらず、銃声問題についてなんの確証もない段階で日本軍側が攻撃を開始したこと、4日後の11日に廬溝橋現地で停戦協定が成立したにもかかわらず、同日の日本の閣議は大規模な兵力増派を決定、「今次事変は支那側の計画的武力抗日なること疑の余地なし」との政府声明を発表し戦火拡大への道を開いたこと、などの諸点は動かせない事実である。

中国国民政府は、日本の動向を見極めつつ、各界代表者を集めた会議などによって国内世論の結集をはかった末、ついに8月14日に自衛抗戦声明を発表、日本軍の侵略にたいし全面的に抵抗する姿勢を明確にした。日本軍は華北で戦火を拡大する一方、8月13日から上海でも攻撃を開始、中国軍との間で激しい市街戦を繰り広げた。事前の予想を遙かに上回る抵抗に直面した日本軍は、兵員を何度も増派しながら、首都南京の攻略に取りかかった。同年12月、20万人をくだらない数の捕虜ならびに一般市民の虐殺、女性にたいする無数のレイプなどをともないながらの南京占領。しかし中国側の抵抗の意思は固く、国民政府は臨時の首都を湖北省の武漢へ、さらには四川省の重慶へと移しながら、長期にわたる抗日戦争のための体制を構築していく。


こっちは、自分がこれまでに買った本の中では最も高価でさらに最も重い、世界各国史3「中国史」(山川出版社、3500円)の記述。こんな風に書かれてます。「左OBすれすれ」(マッチー)の内容なので、中国の方にも機会があれば読んで頂きたいものです。



と、ここまで飽きずに読んでもらった人にまたも耳寄り情報。


「へんしゅうちょう接待」など、実は都合のいい口実ではないかという噂が伝わってきました。

何でも北京市内の橋を紹介する新京報のマニアック連載「北京地理」の6月6日掲載分(第307回)で廬溝橋の記事を見たのが、今回足を運んでみようと思ったのが直接のきっかけだというのです。


今回は他人の文章に頼りっぱなしですが、さわりの部分をぜひご一読。


建築、工芸学的な見方をすれば今日の廬溝橋は800年前のそれとそう変わらぬ姿をしているものの、やはりわれわれは、現在の橋がすでに橋としての元来の意義を失ったと言わざるを得ない。

まず何より、橋はすでに水を失っているのだ。歴史書に記された「滔々にして野生の馬のように荒々しい『小黄河』」など今は昔。近くに二カ所橋が架けられたこと、さらにはこの数百年来、北京西南部の地理的な重要性が急速に低下したこともあり、水運の動脈、運河としてなどの機能は完全に失われてしまった。

現在の橋はまるで、歴史の変遷や自然の移り変わりをただひたすら黙々と見つめ、体つきはまだまだ頑丈ながら「現役引退」を強いられた、元気な老人のようだ。

ただし、「退役」した後の廬溝橋は、以前に比べ決して輝きを失ってしまったわけではない。それどころかさらににぎわいを増している。現代人はこの橋から重層的で意義深い存在理由を感じ取ることができる。愛国主義教育あるいは「七七(廬溝橋)事変」をしのぶ場所として、また古代橋梁建築、石彫工芸文物の聚集地として。「燕京八景」のひとつ「廬溝橋月」の実物を眺め、思いをはせる地として、さらには古代橋梁建築の雄壮さの証として等々。

すでに観光地として整備開発されていることにより、橋は周辺農村の経済発展にもわずかながらも寄与している(多くの村民は橋のたもとにて橋の獅子人形の複製品など旅の記念品を売っている)。

長きにわたって修理補正が重ねられてきたこの橋には、欄干の取り替えや獅子人形の補修などが行われるうち、知らず知らず新たに文化的価値が加わった。各王朝各時代ごとに石獅子は修理交換が繰り返されながら橋の欄干上に並べられているため、素材となる石の使用法や工芸技術など、六大王朝ごとの特徴が顕著に見られる石獅子が一同に現れるという壮観な場面を創り出しているのである。

これにより、廬溝橋は今となっては学校に通う子供たち、ここを通って町に向かう地元農民くらいしか元来の橋としての意味を体現はしていないものの、その内には800年以上にわたって南北を結ぶ唯一の橋として培ってきた意義を明らかに擁し、さらに豊かさを増しているようである。



歴史とは、表現方法によっても確かに読み手の受け取り方に差が現れてしまいますが、それより何より、本当に影響あるかどうかは、受け手側の想像力いかんによるものだと思います。善かれ悪しかれ。だからわたしは大好きな歴史を味わうため、常に頭を柔らかくしておきたいと心がけています。
posted by 牧場主 at 01:32| 北京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ちょっと思ったこと。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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